石田三成・・・の実兄 石田正澄の忌日 年齢不詳ですが40歳以上で自刃しています
滋賀県長浜出身 三成がお茶を出して出し方が秀吉に気に入られた と言うのは有名な
逸話ですが
「そん時同時に雇われたのよ(- - )ついでに言うと三杯の茶はたぶん江戸時代のつくり話」
弟の三成と同じで最初から事務方で雇われていたらしく 弟と同じく優秀と言う事で
堺奉行を任され更に法務のような事をして豊臣姓が与えられるまでに
なったのですが
「あの戦の苦手な弟が徳川と開戦だ!!p(‵皿´;)戦いは弟に負けず苦手だが頑張るぜ!」
関ヶ原の合戦では西軍について故郷の長浜で父親と共に城に籠って後方支援に回り三成が
あっさり敗れると
「弟だけじゃ物足りねえだろう?かかってこい!!p(‵曲´;)」
そのまま西進する徳川勢を城で迎撃しますが敵わずに父親と自刃しています
三成が一族をコネなどで格別優遇しなかったらしい事もあってどマイナー武将で時代劇等に
出て来る事はまずありませんがそれでも花の慶次で堺奉行時代の正澄が珍しくチラッと描かれ
ていますね 慶次の騒動に巻き込まれ渋々自身武装して現場に出て行ってました
「なんであんな肥満に描いてんだよ(- -;)別にそんな記録ねえぞ」
自称子孫が参議院にいるみたいですね 別にそれを売り込みにはしていないようですし
傍がどうこう言う事じゃないですけど 話のタネと言う事で
さて
暴風雨の午前中でしたが幸い自身には何事もなく
なので蝋燭のゆらめく長屋で
「おのれ~・・おのれ~・・・・pq(-¥- )必ずやこの蠱毒を完成させて見せる」
道半ばに倒れた数多の個体の無念と怨念を喰らい続けた嘘八百 あと本当にメーターです
ここでろくに取り付けもせずくじけては部品を取った個体や地下の落武者達に顔向けできない
根性で復旧
と言って何を復旧させたか分からないでしょうが先の取り付けに挑んだ際に
「くそ なんでこんなすっぽ抜けるんだ(‵¥´メ)そうか重いのか かくなりし上は・・・・」
重さで抜ける苛立ちにこの順序だったまとまりをほぼ総てバラしてしまっていたのです
退いて頭を冷やせば残ったのはぐちゃぐちゃのもじゃもじゃ 自戒も込めて引き直し
そして
禍福は糾う縄なのか 或いはこれこそが本当にユーノスの加護だったのか
一本順序を間違ってました
取り付けの際に不信感を抱いて保留にこそしていましたが間違いは間違い
「おっかねえええええ(-¥-;)さくさく挿してたらどうなっていたんだ」
そして図面を見ていたら
「あ!!あった!!(@¥@;)あったぞおおおお!」
以前見つけられずにディーラーとも探して結局見つけられなかった遊んでいた線の
一本の線の行き先を発見 唯一別頁から来ていたのですがそれを記していない不親切さ
おのれ今度こそm(-¥-m)~~~待ってろファインビジョン 必ずすがりついてやる
絶好調 シュアラスターp(o¥o )
Posted at 2017/10/23 19:11:53 | |
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ユーノス800 | 日記