戦国武将 毛利秀元の忌日 享年72歳 老衰か病死のようです
戦国時代終盤の人で広島のスーパースター 毛利元就の孫 岡山県倉敷出身
生まれた頃は毛利を名乗ってさえいない立ち位置でしたが毛利の人手不足と毛利当主の輝元の
能力不足で毛利姓を名乗って重鎮入り 秀吉の大陸出兵で剛勇の武将と呼ばれる実績を
あげて関ヶ原の合戦では大坂城で西軍の総大将を務める輝元に代わって現場入り
したんですが
「・・・・・・どいつもこいつも何やってんだ!p(‵Д´メ)動けボケェ!」
秀元は本気だったようなのですが毛利に徳川に対する戦意が全然無いため部下が動かず
部隊が渋滞してしまい何もする事なく撤退 後に徳川により毛利は大減給処分を食らいますが
秀元は優秀と言う事で減給を食らいながらも山口の下関付近を任され毛利の重鎮として
続投していたのですが
「もしかして毛利ってバカばっかりだろ!p(‵Д´メ)動けボケェ!」
秀元が優秀なのか激しいなのか当主と秀元の間で派閥争いが始まってしまいこれが収まらず
御家騒動になりかけ幕府の仲裁が入って秀元は東京で余生を過ごし同地で亡くなっています
毛利輝元の代に入ってとかくパッとしない毛利の中で正誤は分からなくも気を吐いた
武将だと思います
「そもそも関ヶ原の際に毛利が総大将までやっておいて初日の敗退だけで大坂城の無血開城
にまで話が行くってのがヘタレなんだよp(‵Д´メ)そこが正念場だろうが それより俺の
シャケ弁食ったの誰だ!!」
関ヶ原の際 総大将引き受けておいて戦う事なく大坂城からの退去をし出した毛利本家に
対して反抗心があったようです 後に東京で自前のシャケ弁を何者かに食い荒らされると言う
武将としては珍しい逸話を持っていますね
さて
無事奥州に戻っております<(_ _)>
途中 高速で違反車誘導中の覆面の後ろに誘導中と気づかず割って入ってしまい
「あれ?なんだろうこの手信号は?(・¥・;)従った方がいいのかな?あれ?え?噂の後方測定?
いやそんな筈は」
覆面と違反車から見れば妙なのが間に入ってきて自ら誘導され始めると言うおかしな事に
向こうにしてみれば邪魔だから出てけなんて内容の手信号も表示もないからどうしようも
なかったのでしょうけど あのまま最後までついていったらどうなったのかなと思います
真の違反車はそういう手合いのクルマでは全然なかったですね これも混乱に一役かって
しまっています というかもうちょっと詰めようぜ(-¥-;)頭真っ白なんだろうけどさ
覆面二台一組で違反車誘導中に見せかけたら知ったかぶりのエンスー捉まえやすいかも
後方はSUVにしてお巡りさんがぞろぞろ降りてくるの(^¥^*)
前置きが長くなりましたが
実家で検査をクリアした父が珍しくクルマの話をふってまいりまして 何の話かと言いますと
「いつまでやってんだお前これ(笑) いい加減キメろよ 新幹線で帰ってきた時さては
燃やしたかと懺悔を楽しみにしていたのに」
「いやいやいやいや ただそうはおっしゃいましてもなかなかもって(-¥-;)」
「配線図貸してくれるディーラーなんてねえぞ 有難くて涙が出る こんなの動くと分かれば
半日だぞ」
「合わない部品もあるのよ(-¥-;)センサーが二つ」
「そんなの車体番号が違うの分かってんだから事前に照会すんだよ 配線図と一緒にパーツ
カタログ見てないからそうなるんだ やりたいことだけやってたってダメなんだ」
もたもたやってる事に発破をかけられております
「燃料と水温だろ?ディーラーは商売だし陸運局は忙しいしそんなの指摘なんかしねえから。
あーバカがいるなで終わり(笑)ここまで来たんだやってしまえ 後は後で考えろ」
「半日で?(-¥-;)」
「昔のアウディなんかメーター裏のハンダがダメでぽろぽろぽろぽろ部品が取れたんだよ
メーター外す時にもぽろぽろとれてよ 対策だって結局ディーラーでさ 皆で新車の外して
ハンダのっけ盛り バカみたいだよ 何処の何の線だかなんてさっぱりだしさ だって取れてん
だもん(笑)BMWなんか教習車への改装ディーラーでやれってなって 増設メーターの配線の
分岐なんかわかんねえっつの それに比べたらこんな分かり切ったようなの半日 やる気が
ないんだね 年末の進展聞くからな(笑)」
「え?教習車改装ディーラーなの?(-¥-;)」
「あとどこがやるの?ジャパンがか?(笑)ナンバー取得までディーラー 国産サマと違うんですよ
いいからメーターやれ」
「走行距離合わせる業者の心当たりない?(o¥o )」
「知らねえよ そんなチンピラな業者ディーラーが関わってたら大事だろうが(笑)」
師走の寒空 推して参りますかね(+¥+;)