大分の戦国大名 大友義統の忌日 享年53歳 病死のようです
大分市出身 当時九州最大手の大友家の御曹子 18歳で当主についていますが
「まあまだパパの背中を見て勉強するんだ(- -父(-皿-子)はい!」
こんな感じで慣らし運転を始めた途端に父親が島津家にくそ負け これで大友家は
急落してしまい宮崎、熊本、佐賀、福岡と連戦連敗で滅亡カウントダウン
「秀吉さん助けてください!( TДT)もう大分あげます 薩摩おっかなすぎ!」
秀吉に助けを求めて秀吉の九州征伐がスタート 秀吉の援軍を得て反撃に出ますが
これで再び島津にくそ負け それでも九州の名門と言う事で九州平定後秀吉から
大分だけは引き続き任されて
いたのですが
「どうもすみません!!。゜( TДT)゜。 (メ-"-)三度目は知りません」
大陸出兵で大友隊単独で逃げ出してしまいリストラ 各地を転々とした末に秀吉
が亡くなり関ケ原合戦に突入
「どうもすみません!!。゜( TДT)゜。 (メ-"-)お前の経歴でなんでその判断なのか俺には分からねえよ」
大友家残党をかき集めて西軍に加入して黒田官兵衛にくそ負け 大分の名門と
言う事でまた命は助けられますが茨城へ更迭 同地で亡くなっています
「そう 主だった戦いでは全敗(+ +;)おかげで評価は最低 酒癖悪くてそのあたりも悪評だけど・・・・大友家の記録は殆ど俺が記して編纂してる 今の大友家の記録があるのは俺のおかげ・・・って苦しいか」
まあ相手は島津兄弟に龍造寺に黒田如水 しかもお父さんが大敗してるのを
押し返す、と言うのは常人にはちょっと無理ゲーだったかなとは思います
さて
見聞を兼ねてこうやって毎日御所車の話題をするにつれ
「フン ま 万万が一手替わりする際の目星くらいはついてきたかね(-¥- )やはり憧れと言うよりは算盤がいくらか先に立つわな フーガハイブリッドには些かギョッとしたが」
やはり何回見ても熱いですね これデキがどうこうと言うよりコンパクトセダン
が今のマツダに無いと言うのが大きい
後期の顔はラティオにかなり寛大な某にもとても耐えられないので前期 そして
もうタイプX一択 ゲッチュー見てても何が値段を決めてるのか訳分かりません
グレードや色では決まってなさそうですね 年式と車検と距離で無慈悲に決まっていく
印象 ナビなんかお守りにもならない感じ 特に江戸表が酷い ノート置きたい
のに邪魔、ぐらいにしか思ってなさそう
「そのかみのBHファミリアの扱いを思い出す(o¥o )あとは代車、代行、土木系の社用ゲタ 出自から言って新興国行きもあまりあるまい 目をそむけたくなるような末路だろうな・・・・しかし後期の覇気のない事 貨物船の帰りのバラスト代わりになっただけではないのか」
お友達のコメントにもありましたが今はこういうセダンは絶滅状態 セダンと
言うと今やお金持ちのおもちゃの雰囲気のものばかり
「ジェミニ好きとしては希望を持ちたいのよ(-¥- )まあこれでもユーノス500並みのガラではあるものの5ナンバー枠ではあるし」
旧型買ってアクシスでもライダーでも遊んだら良いだろうというのも分かるのですが
こざっぱりと、そして新興国向けの頑強さと維持し易さに期待したいのです
何も感じないなんてコメントもありましたがそれはつまり
「弄りの余白もあるんだね(-¥- )13マーチニスモ等の死肉をどこまで喰らえるかも課題と言えよう」
と 言う訳で高級化まっしぐらのマツダ2に続いて要注目
ノートやマーチにあったナデシコピンクがラティオには無い 差別だ 冷遇だ
無責任だ やる気がないんだ 売る気がないんだ マツダ2を舐めてんだ
「え?マーチモデルチェンジ?いつ(;-¥-) ( -"-)ホント死臭に敏感だよな 川底のカニとは良く言ったよ」
Posted at 2020/09/02 20:38:53 | |
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