旧暦の今日 戦国武将の片桐且元が60歳で病死してしまっています
豊臣秀吉、秀頼の側近 滋賀県長浜市出身
片桐家は元々地元大名の浅井長政の家臣だったようですが浅井が織田信長に滅ぼ
された際に秀吉に優秀と言う事で拾われたようです 加藤清正らと共に賤ヶ岳の
七本槍と呼ばれる武将になりますが
「ほぼ裏方の日々(- -片)他の六本槍と役回りも収入も全然違ってしまうよ」
主に後方業務で連戦の人生 秀頼が誕生すると傅役に命ぜられ秀吉死後はそのまま
豊臣秀頼の側近として大坂城に留まり 徳川との関係悪化の中で和平に奔走
しますが逆に強硬派に殺されかけて大坂城を退去 徳川傘下入りし豊臣秀頼の
助命活動を続けますが豊臣が滅んでしまいガックリ来たのか二十日後に病死して
しまっています
「私の年収は1万石 これ 豊臣秀吉秀頼の側近として衝撃的薄給(-"-片)七本槍の加藤清正で52万石 事務方トップの石田三成で20万石」
それだって豊臣秀吉の晩年の生きがいだった豊臣秀頼の育て親任されているのだ
からいったい豊臣からどう評価されていたのか意見の分かれる人
真田丸の片桐且元像は優しい穏健派で武将なんてガラでは全然なかったのが
これまでの片桐且元像の中で一番説得力あったような気がします
さて
天気も悪いし お詣りに行こう そうだそうしようヘ( o¥o)ノ
隣国出羽国は南陽市にあります
熊野大社へ再びお詣り 建ったのは平安時代初期で熊野神社としてはこれが
東北最大で日本三熊野の一つ 山形最古最大の茅葺き屋根だったような。
長らく伊達家が保護していましたが伊達家が政宗の時代に宮城に異動になると
後任の上杉景勝により保護されそのまま現在に至っています
そのままはしごしてこちら
同じく南陽にあります諏訪神社へ
上杉家家臣の清水康徳と言う武将が山形への異動の際に建てたようですね
これがどうも何時の頃からかマリア観音の類を祀っていたとかいないとか
まともな記録は勿論無いので真実は分かりませんが イエズス会にせよどこの
なんであれ古今東西の宗教団体と言うのは撤収の際の後始末というのをまずしないですね
今はそのマリア観音と諏訪明神を共に芍薬で囲んでいる小さな神社です
お昼は近くの田園でナポリタンカレー なんか若い人に人気らしくて私が最年長
だったように見受けられました
「なんかこの合い盛り東北のあちこちで見るね(o~o )すげー美味しいからいいけど」
ちなみに裏手は小峰神社
帰りに出羽では有名なベタチョコが有名なたいようパンでお買い物
むふ(^¥^*)明日の朝ご飯楽しみです
Posted at 2023/05/28 17:58:05 | |
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