先日、探し物で押入れを覗いたら昔のアルバムが出てきました。
この写真は私が小学校2~3年生の頃、家族でお墓参りに行ったときのものです。(右から3人目の気をつけしてるお坊ちゃまが私です。笑)
クルマはトヨタ・パブリカ。
いつ頃まで所有していたか定かではないのですが、私にとっては父の愛車で最も思い入れの深いクルマです。
父は私が幼児~中学生の頃は建設作業員をしていました。
主にダムや高速道路などの建設現場でダンプカーなどの運転をしていたと聞いています。
北海道の片田舎に住んでいた我々家族を支えるために、北海道内はもとより、東北、関東などの工事現場への長期出張もしばしばあったと記憶しています。
私がまだ幼児の頃は、父が長期出張から帰っても顔を覚えていないので、お客さんだと思っていたという話もよく聞かされました。
私が幼い頃からウチはクルマを所有していましたが、子供の頃の私は車酔いが激しくて、10数キロ程度のドライブでも必ず気持ちが悪くなりました。
でも何故か父のクルマに乗るのは大好きで、助手席に陣取って、父のクルマの操作を見たり、道路標識などの意味を聞くとやさしく教えてくれる父とのドライブが楽しみの一つでした。
なるべく気持ちが悪くならないように、家のまわりに自生している薄荷の葉っぱを摘んできて、その匂いで紛らわせたり、なるべく窓を開けたりしてドライブを楽しみました。
家族の中でもクルマを運転できるのは父だけでしたし、車酔いの酷い私は大人になっても絶対運転は無理だろうと思っていましたので、運転は本当に特別な人間が許されたものなんだろう、と子供ながらに思っていました。
そしてなにより、クルマを意のままに自在に運転する父を、小学生の私は心底から尊敬していたのは今でもはっきりと記憶しています。
しかし、やがて私も中学生になり、今から考えるとアレが「反抗期」というやつかと思えるのですが、訳も無く父が嫌いになりだしました。
中卒で学歴も無く、趣味らしい趣味も持たず、仕事から帰ると酒を呑んで酔っ払って寝るだけの父を見て「ああいう人間にはなりたくない!」と強く思ったものです。
余談ですが、その頃の父の愛車が何だったのか今でも思い出せません。
それほど父への興味が失せていた時期だったのでしょう。
しかしその後、私が高校に進学した頃、父が「大型二種免許を取る」と突然言い出しました。
中学生の頃は殆ど話しもしなかったので、その時にあと大型二種を取れば日本の自動車免許を全制覇することを知りました。
そして、その卒業検定の実地試験に私を同行させると言い出すのです。
高校生になって、それまでの反抗的な気持ちが幾分薄らいでいた私は試験について行く事にしました。
そして当日。
試験車輌は路線バスに使用されていた中古バスでした。
古いバスなのでタバコなどの匂いの染み付いたシートが私の車酔いを促します。
おまけに、狭い教習コースでの試験なので右に左に大きくローリング…。(ううぅ…)
…やってしまいました。いわゆるリバースを…。(ゲロゲロ~)
当然、試験は中断。
一瞬、怒られる…と思いましたが、父は「ごめん、ごめん。俺が無理に誘ったせいだな。大丈夫か?」とやさしく慰めてくれました。
その後、私を降ろして試験を再スタート。
無事、試験に合格して父は「日本の公道を走る全てのクルマを運転できる人」になりました。
素直に「凄い」と思えたそのときに初めて気付きました。
仕事一辺倒に見えた父の、唯一の趣味がクルマだったのだと。
そして今、その父のクルマ好きが私の身体にも受け継がれていることを改めて感じました。
今もそこそこ元気に田舎で暮らしている父に直接は気恥ずかしくて言えませんが、ちょっと遅い父の日の感謝の気持ちをこめて。
しかしこの写真、4人(?)乗りのパブリカに6人乗って行ったってことですよね…。
…ま、それだけ緩い時代だったということですねぇ。
Posted at 2012/06/21 16:39:35 | |
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