一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から11日で5年が経ちました。
みんカラでも大勢の方々が鎮魂のブログを書いていらっしゃいますね。
震災の日から少し日にちが経過しているということで、今回は別の視点
からこの震災のことについて書いてみようと思います。
内容は左のタイトル画像に写る若い禅僧の話です。
2011年4月6日の朝日新聞の一面にある禅僧の写真が掲載されました。
ご存知の方も居られることでしょう。
この方の名は小原宗鑑さん。
岩手県盛岡市にある石雲寺というお寺の副住職をされている方で震災当時28歳。
宗鑑さんは、かつて行った托鉢(たくはつ)修行で何度か訪れ世話になった三陸沿岸部の町や村
が津波で壊滅的な被害を受けたのを知り、岩手県宮古市を皮切りに宮城県石巻市までの凡そ150
キロを、徒歩で野宿をしながら鎮魂をして回ったのでした。
雪が降る凍てつく寒さの中、足袋も履かず裸足に草履で読経を唱えながら被災地を回る姿は日本
だけでなく世界からも大きな反響があったのだそうです。
被災地に深々と頭を下げ祈る宗鑑さん。
言葉が見つかりません。 私はこの一枚を見るだけで魂を揺さぶられます。
大変でしょうねと取材陣に問われると、「犠牲になった方々や被災された方々に比べれば何という
ことはありません」 と答え、「一見、がれきに見えても被災者にとっては一つ一つ思い入れのある
ものです」 と倒壊した家屋に手を合わせる。
そして 「畏怖の念を込めて海にも合掌したい」 とも。
私は宗教というものに対してまことに疎いのですが、しかしこれが慈悲というものであり、これこそ
が本来の宗教の姿ではないかと強く思います。
と同時に今の宗教界に対してひとこと言いたい。
私が知らないだけなのかもしれませんが、数ある新興宗教団体も含めてあの時..
日本の宗教界は一体何をしていたのだ!
お布施のあるところにしか来ないのか!
肝心な時にまるで動いた形跡を感じなかったのは私だけでしょうか ? …
曹洞宗や臨済宗、浄土宗や日蓮宗といった現在の日本における仏教のかたちが出来たのが鎌倉
時代といわれています。
我々が学校で習い教科書にも出てくる法然や親鸞や日蓮といった名僧たちも、初めはこの一人の
名も無い若い僧のようにスタートしたのではないでしょうか。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
これは平家物語の冒頭ですが、当時の被災地の惨状はまさにこの諸行無常の世界。
世の中の全てのものは常に変化するものであり、不変のものは無い。 1000年経っていくら文明
が進歩しようともそれは全く変わらないのだということを見せつけられた思いがします。
この東日本大震災、5年を過ぎた現在でも2500名を超える方々が行方不明なのだそうです。
また今もなお多くの人々が避難先での生活を強いられている現状にも本当に心が痛みます。
一個人として出来ることはほんのささやかなことかもしれません。
しかし私はそれでもこの記憶を風化させることなく、一日も早い復興を願いこれからも応援し続け
て行きたいと思っております。
東日本大震災、今回はその後のある一人の若い禅僧の話を紹介してみました。
簡単ですがこの辺で。
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辛口シリーズ | 日記
Posted at
2016/03/13 19:31:16