一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
皆さんは歴史というものに興味がありますでしょうか。
実は私歴史大好き人間でして、まあ興味の無い方にとってはつまらない話でしょうが、どうせ自己満
足の世界ですので今回は勢いでイカせてもらいます(笑)
うちの近くにこんな所があります。
代官屋敷・黒田邸です。
「越後屋、お主もワルよのぉ」
「いえいえ、お代官様ほどでは、、、」
「わっはっはっはー」
時代劇に出てくる代官というと、大概このような悪役ですよね。
天井裏に風車の弥七が潜んでいることも知らずに悪徳商人から便宜の為にワイロを貰い、悪知恵を
働かせ、グルになって法外な年貢を要求し農民を苦しめ私腹を肥やす、というイメージですね。
年貢を出せなければ娘を差し出せ!とかね。
あとで助さん格さんにこっぴどく痛めつけられ、黄門様にしょっぴかれるというのはお決まりのパター
ンではないでしょうか(笑)
私一度この悪代官の役をやってみたいんですけどね~
私にピッタリだと思うんですけど(笑)
とにかく江戸時代の農民達は自分たちが作る白いお米を満足に食べられず、稗や粟しか口にする
ことができず、ひたすら悲惨だったというイメージですよね。
歴史の教科書にもそんなニュアンスで書かれていたような気がします。
でもこういう話って実は全くのデタラメなんだそうですね。
この話がウソであることは簡単な数学で証明できるんだそうです。
雨でもレビンです。 うちは特別扱いはしません(笑)
江戸時代の日本の人口はおよそ2千万人だったそうです。
これは寺の過去帳を調べれば大体の数字がわかるんだそうです。
そしてお米の収穫高ですが、これが2千万石だったのだそうです。
1石という単位ですが、これは平均して一人の人間が一年間に食べるお米の量で、1反で収穫でき
る量です。 1反とは広さにして300坪。
現在だとおよそ8俵、当時で4~5俵くらいでしょうかね。
昔は今よりおかずが無い分お米をたくさん食べたんですね。 一日4食だったりしたようです。
カロリーが低いのでちょっと働くと直ぐにお腹が空いたようです。
2千万人の人口に対して2千万石の収穫高ということです。
ピッタシカンカンなわけですね。
例えばこれがお金であれば一人の人間がいくらでも浪費できるわけですが、お米は食べ物ですから
人の胃袋の中にしか収まりがつかないわけです。
中には二人前三人前食べる人も居ますが、逆に少食の人も居ます。 また子供も居るわけです。
ほか、お酒やその他の原料に使うといってもその量はたかが知れています。
さらに当時は鎖国をしていましたから、外国へ輸出ということもありませんでした。
江戸時代は人口の9割近くが農民といわれていますから、その9割の農民がみんな稗や粟ばかり
食べていたらどうなるか想像してみてください。
おそらく「とてつもなく大量の米が余った」であろうということです。
もちろん年貢として差し出した米を逆に高く買わされていたりしたかもしれません。
しかし巡り巡って結局はみんなの胃袋の中に入った、、そう考えるのが一番自然ということなわけで
す。
先程も言いましたが食べ物というのは、人の胃袋の中にしか収まりようがないわけです。
当時は玄米でしたから厳密に言えば確かに「白い米」は年に何回も食べられなかったかもしれませ
んが(笑)
ただし、玄米というのはビタミン・ミネラルなど様々な栄養素を含んでおりまして、一つの完全食品に
近いんだそうですね。
今のように白く精米してしまいますとその殆どを失い、ただの炭水化物になってしまうのだそうです。
今の飽食の時代、パサパサで不味くて食えませんけどね(笑)
では何故このようなウソのイメージが広がったのか?
一つには次の明治政府による宣伝、いわゆるプロバガンダですね。
自分たちの政府の正当性を高めるため、江戸時代はこんなに悲惨だったと宣伝したわけです。
二つ目は戦後教育ですね。 左翼の階級闘争史観による見解ということです。
支配者階級は常に悪で、一般市民は善という歪んだ見方ですね。
あとは時代劇の作り方と見すぎでしょうか(笑)
ということで、あれっ? 悪代官の話はどこへいきました?(笑)
ちなみにこの代官屋敷は現在も子孫の方が住んで居られまして、昔の町制の時の初代町長や平成
の大合併時の最後の町長をご当主が務められたりして、地元の住民の方々からは今現在でも「お
代官様」と呼ばれ親しまれております。
敷地内には小さいですが資料館があり、昔の槍や弓矢、甲冑などが展示されております。
また屋敷に沢山の梅の木が植えられておりまして、毎年2月にはささやかな梅まつりが行われちょっ
としたにぎわいになります。
以上、取り留めのない話になりましたがこの辺で。
江戸時代から続く農家の跡取り、辛口おやじの「歴史の話」でした~
(少し書き足りなかった分を補足致しました)