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辛口レビンのブログ一覧

2017年01月29日 イイね!

大相撲を語ろう。

大相撲を語ろう。
遂に日本人横綱の誕生である。

大関・稀勢の里が初場所で14勝1敗という好成績で初優勝を飾り、

ほぼ満場一致で横綱昇進を決めたのである。

三代目若乃花以来、実に19年ぶりの日本人横綱。

中学卒業後、15歳で入門というエリートではない 所謂”叩き上げ”

の力士というのも嬉しい限りである。


大相撲は近年、巨漢のハワイ・欧州勢、その後屈強なモンゴル勢の台頭にやられっぱなしであっ

たが、これで一矢を報いる形になったわけである。

この稀勢の里を筆頭とする日本人力士の来場所からの活躍に大いに期待したい。


と、いうわけで今回はこの大相撲について語ろうと思う。

女たらしで軟弱な辛口爺が大相撲 ? と思うかもしれないが、私らの子供の頃はテレビで放送する

プロスポーツといえば、プロ野球、プロレス、大相撲くらいなものだったのだ。 

あとはたまにボクシングの世界戦とかがあるくらいで、今人気のサッカーなんてプロすらない状態

だったのだ。  なので大相撲はよく観ていたし、子供たちも皆んな砂場等でよく相撲を取って遊ん

でいたものである。


大相撲といえば、私の記憶にある最も古い力士といえば、横綱大鵬と柏戸である。

両者が対戦したのは私がまだ幼稚園の頃だったと記憶している。

中でも大鵬は優勝32回を誇る大横綱であった。 

私の中では今でも横綱=イコール大鵬というイメージである。



ただ当時まだ小学校低中学年だったが故に、記憶の中では少々薄い。

鮮明な記憶となると、その後の北の富士と玉の海の横綱同時昇進か。

佐田の山引退後、長く大鵬の一人横綱だったのが二人の昇進で一気に三人横綱になったのだ。

この時代のことはよく覚えており、横綱以外では大関に琴桜、清国、大麒麟、前の山。 関脇に

長谷川、初代貴ノ花。小結に藤ノ川、高見山辺り。 平幕が栃東、福の花、黒姫山、龍虎、若浪、

金剛、戸田、二子岳、陸奥嵐といったところ。 ついでに十両が玄武に高鉄山に大竜川(笑)

その後は、横綱に限っていえば、輪島、北の湖の台頭。 更に二代目若乃花と三重ノ海、そして

千代の富士へと繋がって行くわけである。



さて、ここからは、大相撲の色々な名勝負を紹介してみたい。

あくまでも私個人の記憶に残る名勝負で、順番は特に関係ありません。

ただ、あまり昔のものを取り上げても、このみんカラをやる今の若い皆さんには馴染みがないでし

ょうから、比較的最近のものを選んでみようと思う。


まず上げたいのが、昭和60年夏場所の大関北天佑VS小錦戦。

小錦はハワイ勢の尖兵としてその巨体を活かし、当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。

前場所で横綱隆の里や千代の富士を破り、”黒船の来襲” 、”国技の崩壊” などと大騒ぎされた

ものでした。

しかし、そこに ”待った” をかけた力士がいました。

それが大関北天佑でした。

北天佑が左下手投げで200キロの小錦をブン投げた一番です。



この日から私の北天佑に対する目が尊敬の眼差しに変わったのは言うまでもありません(笑)

しかし凄いですね。 相手の出る所を利用するとこんなにも綺麗に投げられるものなんですね。


相撲の取り口として、廻しを掴む四つ相撲と相手を突き放す押し相撲があるわけですが、突き押し

相撲の名勝負といわれているのが、昭和50年夏場所の麒麟児VS富士桜戦。

しかし流石にこれは古く、皆さんにも馴染みがないでしょうから、ここは平成10年名古屋場所での

武双山VS千代大海戦を上げてみた。

まだ両者が大関に上がる前の新進気鋭・若手のホープだった頃の対戦です。



壮絶な張り手の応酬は、ほとんどルールのあるケンカの様相でした (((;゚Д゚)))

武双山が最後、霧吹きみたいにツバを吐くシーンが、血で真っ赤なのが印象的でしたね。


次は平成20年初場所の横綱白鵬と朝青龍による千秋楽結びの一番。

横綱同士の対戦で、勝った方が優勝という大一番。

両者がっぷり四つ。

強力な引き付け合いは正に”これぞ大相撲 !”という一戦だったと思います。



横綱朝青龍といえば、組んで良し押して良しの自在の横綱でしたが、唯一苦手にしていた力士が

いました。 

それは大関栃東でした。

動画は平成14年初場所。 この取り組みも玄人好みの好一番だったと思います。

流血シーンはガチンコの証。  画質が悪いのが非常に残念です。




さて、今回は新横綱誕生のお祝いブログ。

稀勢の里の良い動画も貼りましょう。

ということで、私が最も印象に残る稀勢の里の取り組みを二つ。

先ずは平幕時代の横綱朝青龍戦。

この時がまだ二十歳を少し超えたところだったと思います。

平成20年初場所。 誰もが近い将来の横綱の姿を思い描いた一番でもありました。



そして平成25年九州場所の横綱白鵬戦。

仕切りでの激しい睨み合いが印象的でした。

更に取り組みが終わった後に起こる万歳三唱 ...



番付から日本人横綱の名が消えて約10年。

この時の万歳は国民の総意だったと思います。

かつて”悪童”朝青龍が居た時代は正義の味方だった白鵬もこの辺りから悪役に転じてしまいま

したね。


というわけで、今回はめでたく久々に日本人横綱の誕生という事で、私自身が記憶に残る一番を

中心に相撲ブログを書いてみました。

皆さんは皆さんで、それぞれに思い出に残る一番があるのではないでしょうか。


来場所からは日本人力士による横綱土俵入りが見られます。

少しずつですが、他の日本人力士の台頭も見られるようですので、来場所からの更なる巻き返し

に注目したいですね。



ついでですが、最後にオマケの動画を。

番狂わせで座布団が一番舞った一番といえばこれでしょう。


          ↓



朝青龍が負けると何故だかやたらと楽しい ♪

格好のヒール役でしたね(笑)




Posted at 2017/01/29 19:30:46 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2017年01月22日 イイね!

哲学的な話

哲学的な話
先日芥川賞が発表されました。

それに因んでというわけではないですが、今回は以前読んだ本

の中から興味深い作品を紹介いたしましょう。

少々難しい話になりますので、お時間が取れて尚且つじっくりと

腰を据えて読めるという方はどうぞ。  読む人それぞれの嗜好

にもよりますが、私自身は非常に面白い話であると思います。


それにしても、見よ ! このタイトル画像を !  芥川龍之介 !!

みんカラの格調を一気に押し上げるようなカッコ良さぢゃないですか ! (笑)


さて、芥川龍之介といえば誰もが知っているのが 「蜘蛛の糸」 という短編小説。

内容はご存知だと思いますので、特にここでは触れませんが、龍之介の小説には他にも色々と

興味深い作品がありまして、その中で今回紹介するのは 「神神の微笑」 という作品。

この作品には我々日本人の”本質”とは何か、或いは日本人を形成する”根本原理”とは何か、と

いったようなものが描かれている気がしますので、今回取り上げてみました。

内容は、戦国時代にキリスト教を広める為に日本にやって来たイエズス会のオルガンティノ神父が

日本の”神”と問答するという物語です。 このオルガンティノ神父は実在の人物ですが、内容はも

ちろんフィクションです。


では、一部抜粋して紹介を。

今宵は辛口爺が、あなたを芥川龍之介の世界に誘いましょう (^^)




       『 神神の微笑 』   芥川龍之介    1922(大正11)年



オルガンティノは言う。

  「南無大慈大悲の泥烏須(デウス)如来 ! 、私はリスボアを船出した時から、一命はあなたに

  奉つて居ります。 ですから、どんな難儀に遭つても、十字架のご威光を輝かせる爲には、一

  歩も怯まずに進んで參りました。 これは勿論私一人の、能くする所ではござひません。 皆

  天地の御主、あなたの御惠みでござひます。

  が、この日本に住んでゐる内に、私はおひおひ私の使命が、どのくらい難ひか知り始めました。

  この國には山にも森にも、或ひは家家の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります。

  さうしてそれが冥冥のうちに、私の使命を妨げて居ります。 さもなければ私はこの頃のやうに

  何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまふ筈はございますまい。

  ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。 が、兎に角その力は、丁度地下の

  泉のやうに、この國全體へ行き渡って居ります。」


そのように嘆くオルガンティノの前に、この國の霊(神)が現れる。


  「誰だ、お前は !?」

不意を打たれたオルガンティノは、思わずそこへ立ち止まつた。


  「私は、 … 誰でもかまひません。 この國の靈の一人です。」


老人は微笑みを浮かべながら、親切さうに返事をした。

  「まあ、御一緒に歩きませう。 私はあなたと暫くの間、御話しする爲に出て來たのです。」


オルガンティノは十字を切った。

が、老人はその印に、少しも恐怖を示さなかった。

  「私は惡魔では無いのです。 御覧なさい、この玉やこの剣を。 地獄の炎に燒かれた物なら

  こんなに清淨ではない筈です。 さあ、もう呪文なぞを唱へるのはおやめなさい。」


オルガンティノはやむを得ず、不愉快さうに腕組をしたのち、老人と一緒に歩き出した。


  「あなたは天主教(キリスト教)を弘めに來てゐますね、… 」

老人は静かに話し出した。

  「それも惡ひ事ではないかも知れません。 しかし泥烏須(デウス)もこの國へ來ては、きつと

  最後には負けてしまひますよ。」


  「泥烏須は全能の御主だから、泥烏須に、… 」

オルガンティノはかう云ひかけてから、ふと思ひついたやうに、何時もこの國の信徒に對する丁寧

な口調を使ひ出した。

  「泥烏須に勝つものはない筈です。」


  「所が實際はあるのです。 まあ、御聞きなさい。」


さう言って老人は、支那の孔子や孟子の教え、また印度の釈迦の教えも結局この國の中では変

質してしまつたと述べ、「泥烏須のやうにこの國に來ても、勝つものはない」と断言する。

これに對して、オルガンティノは、今日も侍が二、三人キリスト教に入信したと反発する。


老人は穏やかに言う。

  「それは何人でも帰依するでせう。 ただ帰依したと云ふ事だけならば、この國の土人の大部

  分は悉達多(シッタルタ・釈迦)の教えに帰依してゐます。 しかし我我の力と云ふのは、破壊

  する力ではありません。 造り變へる力なのです。」


老人は最後に小声で言ふ。

  「事によると泥烏須自身も、此の國の土人に變るでせう。 支那や印度も變つたのです。 西

  洋も變らなければなりません。 我我は木木の中にもゐます。 淺い水の流れにもゐます。

  何処にでも、又何時でもゐます。 御氣をつけなさい。 御氣をつけなさい。… 」



    以上、抜粋終わり。
  


   

芥川龍之介の「神神の微笑」の大筋でしたが、何か感じるものがあったでしょうか ?


”破壊する力ではなく、造り変える力”


外国から入って来る宗教等に対し拒絶や破壊をするのではなく、造り変えて容認することによって、

いかなる神であってもやがては八百万の神の一つに取り込まれていく。

釈迦、孔子、孟子、強力な一神教であるキリスト教も例外ではありません。

最初にも書きましたが、日本という国の文明の本質や根本原理といったものが見事に表された作

品だったと思います。


芥川龍之介は晩年深くキリスト教に傾倒し、自殺した時の枕元には聖書が置かれていたそうです。

それが故に、この国が持つ不思議な力に気付いたのではと言われています。

これは何も宗教だけに留まらないと思います。 

外国から入って来たありとあらゆるものが噛み砕かれ、日本流に作り直され、本家を凌ぐまでに進

化させてしまうというのはよくご存知だと思います。

世界の有色人種の国々の大多数が貧困に喘ぐ中、何故日本だけが発展・繁栄できているのか。

何故日本だけが先進国で有り続けているのか。 私はその理由もこの作品の中に描かれた通り、

この国だけに見られる強力な”造り変える力”にあるのではないかという気がしています。



というわけで、今回は芥川龍之介の世界にちびっと足を踏み入れてみましたが、如何でしたか ?


え ? 何 ?


どこが哲学的なんだって ?


いやいや、イメージ、イメージ (笑)


実は哲学とは何であるのか ...



書いてる本人がまるで解かっていないという (爆)
Posted at 2017/01/22 21:09:22 | トラックバック(0) | 良い話シリーズ | 日記
2017年01月15日 イイね!

2017年も辛口おやじが斬る !


   今日もラクダのもも引きとあったか腹巻を華麗に着こなし、あなたと私の腹回りのように甘く

 たるんだ世の中を、昭和のセクハラおやじが鋭く斬る !



今年もまた全国各地で式典の場を乱す狼藉者が散見されたようだ。

もちろん先週行われた成人式のことである。

毎年のように現れる愚かな輩たち。

メディアの報道合戦もまた、あたかもそれを待っていたかのような様相である。


そんな中、今回は少々気になるニュースを見つけたので取り上げてみたい。

9日の月曜日に配信された神戸新聞NEXTの記事である。



    新成人に 「態度なってない」 式辞で市長声荒げ 兵庫・明石



   兵庫県明石市の泉房穂市長は9日、同市成人式の式辞で 「ざわついていて、みなさんの

   態度はなっていない。 式典には多大な税金を使っているが、来年以降の取りやめを考え

   たくなる」 と声を荒らげた。 

   関係者や新成人からは、前触れなく怒鳴るような言い方をしたことに批判が出ている。


   ある市議は 「静かにしなさいと注意せず、頭ごなしで行き過ぎ」 とし、新成人は 「大人気な

   く、見習いたい態度ではなかった」 と話した。


   一方で泉市長はお祝いの言葉を贈り 「厳しい時代だが、それぞれ強く生き、明石を大切に

   してもらいたい」 とも話した。  (藤井伸哉)


       以上、転載終わり。



    ☹        ☹        ☹        ☹        ☹        ☹        ☹


さて、短い記事でしたが、皆さんはこれを読んでどう思われただろうか ?

何かおかしな記事だと思ったのは私だけではないはず。

少々乱暴な言葉使いで悪いのだが、私はこの中に馬鹿が3人いると思うのである。



まず、注意もせずにナントカカントカとか言い、市長を批判した市議に言いたい。

成人式とは言うまでもなく二十歳になった、或いはなることを祝う式典である。

二十歳といえばもう立派な大人なのである。

小学生や中学生のガキではないのである。

来賓の挨拶や祝辞の時に注意をしなければ静かにならないのであれば、明らかにそちらの方が

問題だろう。



そして新成人。

市長の態度は大人げない ... だと ?


二十歳にもなって場をわきまえることも知らないクソガキどもが !

生意気な口を利くんじゃねぇよ !!


叱られた意味がわからんようであれば、もう一度小学生からやり直せと私は言いたい。



そしてこの記事を書いた記者。

あたかも市長が問題だと言わんばかりの記事である。

此奴には、常識で考えろ ! と言いたい。

市長にいったい何の落ち度があるというのだ。

市長という”権力者”への揚げ足取りのつもりなのか、それとも当てつけなのかは知らないが、

式が始まってもザワつきが収まらない新成人たちなのである。それを叱る市長を批判する理由

などどこにもないはずである。



成人式のような公の式典となれば当然壇上には日の丸が掲げられているはず。

そういった式典の場では自然と厳かな気持ちにならなければいけないはずである。

これは世界中のどの国にも共通することなのだ。


人として公の場での最低限の振る舞いは子供のうちから心得るべきである。

注意されなければ静かにできない時点で、それはまだ成人には達していないのである。

成人式は税金で馬鹿どもを騒がせるためにあるのではないのである。


最後に、昨今の成人式を乱す愚かな輩は出席する新成人たちのほんの一部である、ということ

は付け加えておく。



   以上。
Posted at 2017/01/15 21:18:25 | トラックバック(0) | 辛口シリーズ | 日記
2017年01月08日 イイね!

昭和のアーティストたち、その六 「松山千春」

昭和のアーティストたち、その六 「松山千春」
昭和のマニアックな親父たちに好評 ? の昭和のアーティスト

シリーズ。 その第六弾。

今回は松山千春を語りましょう。

但し、私が好きなのは77(昭和52)年にデビューして、そこか

ら3~4年、まだ北海道を拠点にしていて、大凡ギター1本で

活躍していた頃の千春です。

81年辺りからでしょうか、ギターをマイクに持ち替えて、ステージを所狭しと動き回るようになった千

春は、私の中ではもう千春ではありません。

その辺は書き手の主観ということで、どうかご理解ください。 また、そういった観点からも、使用す

る動画の方も画像・音声ともに粗悪であっても、なるべく当時のものを借用しました。

また、90年以降くらいでしょうか、髪を諦めて頭ツルツルになった千春も、歌を大きく崩して歌ったり

と、私の中ではもう千春ではありませんので、その辺りも合わせてご了承ください m(_ _)m


それでは。





1975(昭和50)年、ニッポン放送が主催した「全国フォーク祭」の北海道の地区予選会でのこと。

二十歳前の痩せっぽちの一人の若者が、高校生の時に土方のバイトで買ったという5000円のみ

すぼらしいギターを手に参加しました。

歌ったのは、その若者が高校生の時に作った曲でした。


審査員の一人が、若者に言ったそうです。

「歌はいいが、ギターがひどいな」

若者はその審査員を睨み、臆することなく反論しました。

「俺はギターの品評会に来たんじゃねぇ ! 歌を評価してくれ !! 」


若者は落選し、本選会には出場できませんでした。 

態度が生意気だというのが理由でした。

が、しかし審査員の中にこの若者の素質を見抜いていた男がいました。

その男とは、札幌テレビ(STV)ラジオディレクター(当時)の竹田健二。

そしてこの若者こそ松山千春でした。

その後竹田は、周りの反対を押し切り、担当していたラジオの深夜番組のコーナーに千春を抜擢

します。 これがシンガーソングライター・松山千春の始まりの全てでした。

この時の予選会で歌った曲こそ、後にデビュー曲となった「旅立ち」。  

千春が17歳の時の作品だそうです。




その後、77年にオールナイトニッポンのパーソナリティにも抜擢されると、その強烈な個性が故

に人気は北海道に留まらず全国へ。 が、しかし、それはあくまでも深夜放送の範囲でのこと。

本当の意味で全国区となったのは、翌78年にリリースしたシングル「季節の中で」のヒットでした。


北海道が俺の拠点 ・・・ あくまでもローカル色を貫く千春。 しかし彼の人気は留まるところを知り

ませんでした。 「季節の中で」はヒットチャートを一直線に駆け上がり、遂には、あの人気歌番組、

ザ・ベストテンに初登場5位でランクイン。 その後も上昇を続け、当時の沢田研二や山口百恵、ピ

ンクレディーといった並み居る人気スターたちを押しのけ、堂々の1位を獲得、それも7週連続でと

いう快挙を成し遂げるのでした。




しかし、千春は番組には出ませんでした。

テレビ局からの度重なる出演依頼を拒み続けたのです。

若者たちから絶大な人気を得ていた当時のフォーク&ニューミュージックの歌手たちの大多数は、

コンサートを中心に活動しており、僅か3分間という短い時間の中で一曲だけ歌うということに難

色を示したのと、曲に対して順位ずけすることに対しての疑問視等々で、こうした歌番組には出演

しなかったのでした。

「俺の活動の場は北海道だ。 東京じゃねぇ」

千春も例外ではありませんでした。


番組プロデューサー直々の度重なる出演交渉にも、頑なに拒否し続ける千春。

が、しかし、そんな頑固な千春の心を動かしたものがありました。

それは全国のファンから毎週のように番組宛に送られてくる膨大なリクエストのハガキの山でした。


「あなたはこれだけのファンの声に応えるべきではないのか」


迎えた11月16日木曜日。 

その日の新聞のテレビ欄には、しっかりと松山千春の名前がありました。

辛口爺、当時目元涼しき高校2年生。 朝から体に緊張が走ります。

学校へ行っても皆この話題で持ち切りでした。

そして夜9時40分頃。 テレビの前で正座して待つ辛口少年。 

遂にその時が来ました。

華やかな歌謡番組の中、色取り取りの煌びやかな衣装やドレスが舞い、派手なアクションや振り

付けで歌い踊る人気歌手たち。

そんな中、最後にたった一人、ギター1本のみで歌う千春の姿は衝撃でした。




北海道という土地に生まれ育ったからであろうか、千春の作る曲には、それまで誰も書けなかった

大自然をイメージさせるような、ある種のスケール感といったようなものが存在したように思う。

曲の中に千春自身が愛するであろう北海道の空や海や大地といった「大自然」がブレンドされ、そ

れらをベースにした「愛」といったものが溢れている印象なのである。

そう、千春を語るキーワードはこの「大自然」と「愛」の2つだと思うのである。


次の曲は「銀の雨」

先ほどの「季節の中で」のキーワードが大自然だとすれば、この曲は紛れもなく愛であろう。

ただ、残念なことに動画が無い。

そこでカバー動画の登場になるわけだが、これが非常に秀逸。

1717atom1という方の動画ですが、千春本人より上手ではと思うくらい。

憧れのスリーフィンガーが素晴らしいし、変に崩さずに原曲に近い感じもとても良いと思います。





そして「雪化粧」

この曲も大好きでした。

これほどに叙情的な曲はないと思う。

若かりし頃、まだお金もなく貧乏で何もない寒い部屋。

それでも二人一緒にいるだけで、寄り添うだけで共に幸せを感じていたあの頃。 

理屈ではない、ただ人間の本能としてそうしていたい。 それが見事に描かれており、その辺りは

千春の真骨頂が描かれた曲であったと思う。




さらに「おいで僕のそばに」

シンプルな詞ではあるが、そのシンプルさが返って人間の性(サガ)や本能といったものを浮かび

上がらせる曲であったと思う。 まだ思春期だった自分には少しドキドキした曲でした。





松山千春の初期の頃の名曲といえば、他にも取り上げたらキリがない。

時のいたずら、 かざぐるま、 歩き続ける時、 窓 ...

少し長くなったので、ここは出来るだけシンプルにいきたいと思う。

そこで選んだのが「夜明け」

この曲もあの頃の千春ならではの「愛」が溢れた曲であったと思う。



そして最後の曲。

最後はやはり「大空と大地の中で」を上げたい。

一番千春らしいといえば、やはりこの曲以外にないと思う。

大自然をテーマに、北海道という厳しい大地に生まれ育たなかったら、恐らくこういった曲は書けな

かっただろうと思います。




というわけで、最後は駆け足になってしまいましたが、「昭和のアーティスト その六 松山千春」

これにて終了です。


最後までご覧頂き、有難うございました m(_ _)m



北海道&千春的画像 ? 辛口爺 高3の時(笑) ↓


Posted at 2017/01/08 17:52:33 | トラックバック(0) | 昭和のアーティストたち | 日記
2017年01月05日 イイね!

フォーク&ニューミュージックが止まらない♪


止まらない ...

止まらないのである。

昨年の「つま恋」の閉鎖騒動以来、フツフツと湧いてきた私の頭の中のフォーク&ニューミュージ

ックへの熱い思いと回帰が止まらないのである。


恐らくこのみんカラでは、アイドル大好きなエッチなおやじ、綺麗なおなごにはその年齢関係なく

目がないスケベおやじと思われているであろう私・辛口爺。

しかし若かりし頃、特に高校時代などは、現在の私のみを知る皆さんには、にわかには信じ難い

かもしれないが、おなごなどには一片の目もくれない超硬派な男子で通っていたのである。


  「辛口は女の子には興味がないみたいだなぁ」


どうか変な意味でとらえないで欲しい(笑)

これは高2の時にクラスの担任が部活の顧問に真顔で言ったことばである。

今は見る影もないが、当時は生来の美少年がゆえに言い寄る女子生徒は数しれず ..(爆) 

が、それらをちぎっては投げちぎっては投げし、また時には泣かせもして夢中になっていたのが

フォーク&ニューミュージックだったのだ(笑)


70年代、若者の間で爆発的な人気を誇ったフォーク&ニューミュージック。

私の青春そのものといってもいい。

というわけで、この正月休みに思わずこんなものを物置から引っ張り出してしまった。




恐らく30年ぶりくらいだと思う。 

ホコリにまみれた姿が痛々しい。 弦も2本切れてしまっている ...

みすぼらしい姿だが、コイツは私の青春の一ページでもある。

コイツには友人と、”いつか公民館にてコンサートを” という壮大な夢が詰まっていたのだ(笑)


そして最近の辛口爺といえば、暇さえあればあの頃の画像や動画を漁っている毎日である。


かぐや姫、




アリス、




千春、

中島みゆき、




坊主頭のチンピラもどきになる前の長渕。




取り上げたらキリがない。

これらの画像を見ただけで高揚感が湧いてくるのである。


70年代のフォーク&ニューミュージックは、芸能界でありながら芸能界の華やかさとはほぼ無縁

だった世界。

飾りっ気など何もなく、着ている服だって皆TシャツやGパン等私服に近かった。

演奏もギター1本が基本。 全てにおいて貧乏臭く完成度だって低かったかもしれない。

が、しかしそこには一般の歌謡界のように商売が見え隠れするような作為的なものは微塵もなく、

人の本当の心や真実、ぬくもりといったものが溢れていたように思う。


”オレたちは大人の操り人形じゃない”  

”テレビは美男美女が出るもの。オレたちには場違いだ”


彼らたちのそんなことばも、当時の若者の心をとらえて離さなかったのである。



というわけで、今年はたぶんこっち方面の音楽ネタが増えると思います。


ただし、時間があればですが(笑)



簡単ですが、また。✌




Posted at 2017/01/05 21:00:54 | トラックバック(0) | 芸能 | 日記

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「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
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何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
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