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辛口レビンのブログ一覧

2017年01月29日 イイね!

大相撲を語ろう。

大相撲を語ろう。
遂に日本人横綱の誕生である。

大関・稀勢の里が初場所で14勝1敗という好成績で初優勝を飾り、

ほぼ満場一致で横綱昇進を決めたのである。

三代目若乃花以来、実に19年ぶりの日本人横綱。

中学卒業後、15歳で入門というエリートではない 所謂”叩き上げ”

の力士というのも嬉しい限りである。


大相撲は近年、巨漢のハワイ・欧州勢、その後屈強なモンゴル勢の台頭にやられっぱなしであっ

たが、これで一矢を報いる形になったわけである。

この稀勢の里を筆頭とする日本人力士の来場所からの活躍に大いに期待したい。


と、いうわけで今回はこの大相撲について語ろうと思う。

女たらしで軟弱な辛口爺が大相撲 ? と思うかもしれないが、私らの子供の頃はテレビで放送する

プロスポーツといえば、プロ野球、プロレス、大相撲くらいなものだったのだ。 

あとはたまにボクシングの世界戦とかがあるくらいで、今人気のサッカーなんてプロすらない状態

だったのだ。  なので大相撲はよく観ていたし、子供たちも皆んな砂場等でよく相撲を取って遊ん

でいたものである。


大相撲といえば、私の記憶にある最も古い力士といえば、横綱大鵬と柏戸である。

両者が対戦したのは私がまだ幼稚園の頃だったと記憶している。

中でも大鵬は優勝32回を誇る大横綱であった。 

私の中では今でも横綱=イコール大鵬というイメージである。



ただ当時まだ小学校低中学年だったが故に、記憶の中では少々薄い。

鮮明な記憶となると、その後の北の富士と玉の海の横綱同時昇進か。

佐田の山引退後、長く大鵬の一人横綱だったのが二人の昇進で一気に三人横綱になったのだ。

この時代のことはよく覚えており、横綱以外では大関に琴桜、清国、大麒麟、前の山。 関脇に

長谷川、初代貴ノ花。小結に藤ノ川、高見山辺り。 平幕が栃東、福の花、黒姫山、龍虎、若浪、

金剛、戸田、二子岳、陸奥嵐といったところ。 ついでに十両が玄武に高鉄山に大竜川(笑)

その後は、横綱に限っていえば、輪島、北の湖の台頭。 更に二代目若乃花と三重ノ海、そして

千代の富士へと繋がって行くわけである。



さて、ここからは、大相撲の色々な名勝負を紹介してみたい。

あくまでも私個人の記憶に残る名勝負で、順番は特に関係ありません。

ただ、あまり昔のものを取り上げても、このみんカラをやる今の若い皆さんには馴染みがないでし

ょうから、比較的最近のものを選んでみようと思う。


まず上げたいのが、昭和60年夏場所の大関北天佑VS小錦戦。

小錦はハワイ勢の尖兵としてその巨体を活かし、当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。

前場所で横綱隆の里や千代の富士を破り、”黒船の来襲” 、”国技の崩壊” などと大騒ぎされた

ものでした。

しかし、そこに ”待った” をかけた力士がいました。

それが大関北天佑でした。

北天佑が左下手投げで200キロの小錦をブン投げた一番です。



この日から私の北天佑に対する目が尊敬の眼差しに変わったのは言うまでもありません(笑)

しかし凄いですね。 相手の出る所を利用するとこんなにも綺麗に投げられるものなんですね。


相撲の取り口として、廻しを掴む四つ相撲と相手を突き放す押し相撲があるわけですが、突き押し

相撲の名勝負といわれているのが、昭和50年夏場所の麒麟児VS富士桜戦。

しかし流石にこれは古く、皆さんにも馴染みがないでしょうから、ここは平成10年名古屋場所での

武双山VS千代大海戦を上げてみた。

まだ両者が大関に上がる前の新進気鋭・若手のホープだった頃の対戦です。



壮絶な張り手の応酬は、ほとんどルールのあるケンカの様相でした (((;゚Д゚)))

武双山が最後、霧吹きみたいにツバを吐くシーンが、血で真っ赤なのが印象的でしたね。


次は平成20年初場所の横綱白鵬と朝青龍による千秋楽結びの一番。

横綱同士の対戦で、勝った方が優勝という大一番。

両者がっぷり四つ。

強力な引き付け合いは正に”これぞ大相撲 !”という一戦だったと思います。



横綱朝青龍といえば、組んで良し押して良しの自在の横綱でしたが、唯一苦手にしていた力士が

いました。 

それは大関栃東でした。

動画は平成14年初場所。 この取り組みも玄人好みの好一番だったと思います。

流血シーンはガチンコの証。  画質が悪いのが非常に残念です。




さて、今回は新横綱誕生のお祝いブログ。

稀勢の里の良い動画も貼りましょう。

ということで、私が最も印象に残る稀勢の里の取り組みを二つ。

先ずは平幕時代の横綱朝青龍戦。

この時がまだ二十歳を少し超えたところだったと思います。

平成20年初場所。 誰もが近い将来の横綱の姿を思い描いた一番でもありました。



そして平成25年九州場所の横綱白鵬戦。

仕切りでの激しい睨み合いが印象的でした。

更に取り組みが終わった後に起こる万歳三唱 ...



番付から日本人横綱の名が消えて約10年。

この時の万歳は国民の総意だったと思います。

かつて”悪童”朝青龍が居た時代は正義の味方だった白鵬もこの辺りから悪役に転じてしまいま

したね。


というわけで、今回はめでたく久々に日本人横綱の誕生という事で、私自身が記憶に残る一番を

中心に相撲ブログを書いてみました。

皆さんは皆さんで、それぞれに思い出に残る一番があるのではないでしょうか。


来場所からは日本人力士による横綱土俵入りが見られます。

少しずつですが、他の日本人力士の台頭も見られるようですので、来場所からの更なる巻き返し

に注目したいですね。



ついでですが、最後にオマケの動画を。

番狂わせで座布団が一番舞った一番といえばこれでしょう。


          ↓



朝青龍が負けると何故だかやたらと楽しい ♪

格好のヒール役でしたね(笑)




Posted at 2017/01/29 19:30:46 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2015年12月19日 イイね!

他喜力

他喜力
  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

先日なでしこジャパンの澤穂希選手が引退を発表しました。

日本の女子サッカーの中心選手として代表チームを長年に渡

り牽引してきたレジェンドです。

ワールドカップには6大会連続で出場。 

中でも2011年のドイツ大会での活躍は日本だけでなく、世界の

サッカーファンの誰もが注目したのではないでしょうか。

主将として、エースとして、更にチームの精神的な支柱として日本代表を支え、優勝に導きました。

特に決勝のアメリカ戦での延長同点ゴールは傑出していましたね。

それまでの対戦成績は日本の3分21敗。 

まさに奇跡といえるゴールでした。



この大会でMVPと得点王に輝いた澤選手はさらにFIFAの女子の年間最優秀選手賞も獲得。

オリンピックにおいても4大会に出場し、前回のロンドン五輪では銀メダル獲得の原動力でした。


ワールドカップで優勝した後、澤選手は次のようなコメントを残しています。


   「私たちがここでしているのは、ただサッカーの試合をすることでなく、それ以上の意味が

   あることだと思っていました。

   もし私たちが優勝することで、震災で何かを失ったり、誰かを亡くしたり、自ら傷ついたり

   した人をひとりでも、一瞬でも慰めることができたなら、そのとき私たちは何か特別なこと

   を成し遂げたといえます。

   つらい時期を経て、それでみなさんに喜んでもらったり、みなさんを元気づけることができ

   たなら、私たちがしてきたことは成功したといえるでしょう。

   震災で日本は傷つき、大勢の人たちの生活が脅かされています。

   私たちがそれを変えることはできませんが、それでも日本は復興に向かっています。

   今日の試合は、私たちが日本を代表し、決して諦めない姿を示すチャンスでした。

   優勝は私たちにとって夢のようなできごとです。

   その喜びを日本のみなさんにも分かち合ってほしいと思います。」



これこそ 「 他喜力 」 そのものです。

他喜力 とは、他人や周りの人たちを喜ばせる力のこと。


   「 目に見えない何かが日本を後押ししていると感じた 」


これは決勝で対戦したアメリカチームのゴールキーパーの言葉です。

ハイレベルな試合においては技術のみでいけば勝ちはどちらに転ぶかはわかりません。

しかし最後の最後には、大きな他喜力をもったものに勝利の女神は微笑むもの。

折しも震災に見舞われた直後の大会でもあり、チーム全員がこの気持ちを共有したことで

チームが強化され、世界の最高の舞台で見事に花を咲かせることができたといえるでしょう。



なでしこジャパンのこのアメリカとの決勝戦は我々に決して諦めないという姿を伝えてくれました。

先制されて、追いつき、また突き放されて、また追いつく 。

そんな胃が痛くなるような展開のなか、最後は全員が笑顔でPK戦に臨み、勝ちました。

世界の頂点を決める決勝の大舞台。

どちらが勝ってもおかしくない伯仲する力を持っているチームしか残れません。

そんな接戦に勝つチームには、時として人知を超えた力が働いているとしか思えない時があります。


それが 「 他喜力 」 です。


自分のことだけしか考えていない人には奇跡というものは起こらないのではないか。

反対に「誰かのために」とか、「誰かを喜ばせたい」と、他人の喜びのために行動する人には何か

とてつもない奇跡が起こる可能性があるように思います。



彼女の活躍でなでしこジャパンが注目され、女子サッカーに光が当たるようになったのも事実。

人気が低迷している時代から日本女子サッカー界を牽引してきたまさにレジェンド。

あまりにも大きな存在だっただけに、彼女がフィールドを去った後が気がかりです。

ただ寂しい反面、これは新たな芽が出てきたことの証拠でもあるのだ。


なでしこジャパンの今後の活躍を祈るとともに、澤選手の新たな門出を祝いたい。


  以上。

Posted at 2015/12/19 22:13:47 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2015年11月21日 イイね!

今宵はスポーツの話など。


  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

3位で終わった世界野球プレミア12。

今回の焦点は何といっても準決勝の対韓国戦でしょう。

8回終了の時点で3点のリードがありながら最終回にあっという間の逆転劇 ・・・

終わったあとでは何を言っても結果論にしかなりませんが、今後の期待を込めるという意味でも

素人意見ではありますが、敢えてひとこと(笑)



私が考えますに、この試合の勝敗を分けたのは投手の交代時期であり、明らかに監督の経験の差

ではなかったかと。

監督経験の無い日本の小久保監督に対して、韓国の金監督は韓国国内リーグはもとより、06年

と09年の2度に渡るWBCの監督を務めるなど百戦錬磨のベテラン監督。

国際大会での戦い方を熟知している方といってもいいでしょう。

試合後の金監督のコメントで印象的だったのが、


   「今回の敗戦は小久保監督にとって良い経験になったはずだ。 もし全勝優勝していたら

   感じることができないものを得ることができただろう。

   今後は日本チームの良きリーダーとなる」


という言葉。

まさにこの通りだと思います。

この金監督自身も過去に何度も苦杯を舐めているわけです。 

あの09年のWBC決勝でのイチローのタイムリーヒットを覚えている方も多いでしょう。

世の中なんの経験も無しに全て上手くいくなどという事はありません。

これはなにもスポーツに限った事ではなく、我々の普段の職場での仕事においても言えることだ

と思います。

人は失敗を重ねて成長していくものです。

もしかしたら今回の敗戦は監督経験の無い人を監督に選んだ時点で道筋が決まっていたのかも

しれません。

よりによって韓国なんぞに逆転負けというのはなんとも悔しく忌々しいかぎりですが、彼らの最後

まで諦めない精神というのは見習うべき点ではあると思います。

敗戦から学ぶべき事は多いですね。

次回に期待しましょう。




そして大相撲の訃報をひとつ。

元横綱で日本相撲協会の北の湖理事長が昨日(20日)死去されました。

幕内優勝24回。 大鵬、千代の富士に次ぐ昭和の大横綱でした。

横綱北の湖の全盛は私が中学・高校の多感な頃でしたので、今でも横綱=北の湖というイメージ

があります。

特にライバルだった同じ横綱の輪島や、若貴のお父さんの故・初代貴乃花との熱戦が懐かしく思

い出されます。

まだ62歳。 理事長在任中のままでの早すぎる死でした。




昭和の大横綱のご冥福を心よりお祈りいたします。



ではまた。✌




























Posted at 2015/11/21 22:44:47 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2015年04月25日 イイね!

世紀の一戦

世紀の一戦
  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

5月2日にプロボクシングにおける 「世紀の一戦」 がアメリ

カのラスベガスで行われるのだそうですね。

かたや5階級制覇にして無敗の王者アメリカのフロイド・メイ

ウェザー。

こなた6階級制覇のフィリピンの英雄マニー・パッキャオ。

ともに現在のボクシング界中量級のビックネームであり、既に5年以上前から対戦が噂されては

立ち消えた怪物同士の夢の一戦なのだそうです。

凄いのはそのファイトマネーで、両者合わせてその額なんと凡そ240億円也!

既に2人とも30歳代後半であり、全盛期を過ぎている感があるのだそうですが、ボクシングファン

にとっては聞いただけでもゾクゾクする夢のカードなのだそうな。

気になる勝敗予想は、ブックメーカーのオッズによると3対1でメイウェザーだそうです。





「世紀の一戦」 というフレーズは、スポーツの中ではやはりボクシングやプロレスなど格闘技全般

に使わわれるのが一番しっくりくる気がしますね。

私の中での「世紀の一戦」といえば今を遡ること44年前、1971年に行われたボクシングのヘビー級

タイトルマッチ、「モハメド・アリ 対 ジョー・フレージャー」 の一戦。

この一戦はチャンピオン対 元チャンピオンの対決でもありました。

モハメド・アリがベトナム戦争への徴兵を拒否したためチャンピオンの座を剥奪された間に頂点に

登り詰めたのがジョー・フレージャーで、当時両者ともに無敗。

真の王者を決する因縁の対決でもありました。

当時小学4年生で、馬場と猪木がまだ一緒にやっていた頃のプロレスや同じボクシングの故・大場

政夫選手や柴田国明選手などの試合もテレビでよく観ていましたが、ヘビー級のボクシングの試合

というのは初めてで、その迫力に魅了されたのを今でも覚えております。

フレージャーのボディブローのバシッ ! という音などは今だに耳に残っているような気がします。

試合を決めたのは最終15ラウンド、フレージャーの強烈な左フックでした (5:28秒)





ところでこの試合が行われたのがニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン。

観客2万人収容の当時世界最大のスポーツアリーナでした。

マジソンスクエアガーデンといえばやっぱりこれでしょう!

  ↓     ↓     ↓     ↓     ↓




覚えてますか !? マジソンバック!

おやじ達には超懐かしい一品ですね。

もちろん私も持っておりました。 姉のお下がりでしたが(笑)

当時全国でなんと2000万個売れたのだそうです\(◎o◎)/!

日本で一番売れたバックはルイビトンでもグッチでもありません。

このマジソンバックです!




「世紀の一戦」 といえば私的にはもう一つ。

こちらもボクシングのヘビー級タイトルマッチ。

1974年、アフリカのザイール共和国で行われた 「モハメド・アリ 対 ジョージ・フォアマン」 の一戦。

この試合は番狂わせの一戦だったといってもいいかもしれません。

なにしろアリを破ったフレージャーをその後わずか2ラウンドでKOしたフォアマンです。

象をも殺すと言われたその殺人パンチで、ほとんどの予想がアリのKO負けでそのまま引退に追

い込まれるだろうというものでした。

しかし、試合は予想外の展開をみせます。(3:55秒)





結果は予想を覆し、アリの8ラウンドKO勝ち。

この試合はアリのロープ・ア・ドープという作戦が見事にハマりました。

ロープを背負った状態でフォアマンのパンチを吸収する戦法です。

打たせるだけ打たせて相手のスタミナを奪うというものでしたが、これは非常に危険な作戦で、私は

この試合アリはイチかバチかの賭けに出たのではないかと思います。

まともに戦っても万に一つも勝ち目は無いと読んだということですね。

アリの長いキャリアに裏付けされた老獪さというものが存分に発揮された試合でもありました。



さて、今回は来月行われる 「世紀の一戦」 にちなみ、私自身の思い出のビックファイトを紹介いた

しましたが、もしあなたの心に残る 「世紀の一戦」 があれば是非紹介して下さい。




お~と!

もう一つありました。

忘れちゃならないこの一戦 !


これも「世紀の一戦」です !!





1976年に行われた「アントニオ猪木 対 モハメド・アリ」 !!!

プロレスの猪木があのアリを引っ張り出し対戦した夢の異種格闘技世界一決定戦。

あれは世紀の一戦だったのか !? はたまた世紀の凡戦だったのか !?


色々と評価が分かれるとこですが、少なくとも私自身は二人は異常に制約されたルールの中では

ありましたが本気で戦ったのではないかと思っています。

1998年の猪木の引退試合にアリが重いパーキンソン病を患いながらも駆けつけたのは、真剣に

戦った男同士の友情と捉えてもいいのではないかと思うのです。

アリは世界で知らぬ人は居ないというくらい有名ですが、猪木は昔も今も日本以外ではほとんど

無名の存在なわけで、多少の金を積まれたくらいではアリは動かないと思うのです。



それにしてもよくこの対戦が実現したものですね。

燃える闘魂アントニオ猪木! まさに男のロマンを実現する男でした。

政治ですとかリング以外ではちょと… ですが、こういうところは大好きです。





それでは皆様良い連休を~✌







Posted at 2015/04/25 18:50:49 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2014年12月27日 イイね!

粋だねぇ!

粋だねぇ! こんばんは、辛口おやじです。

いつも週一ペースのブログですが、正月休みということで

今日も調子をコイてみたいと思います(笑)

今朝のニュースで知ったのですが、ヤンキースの黒田投手

が来季8年ぶりに古巣である広島カープに復帰するのだそ

うですね。

なんでもメジャーリーグの他の複数の球団の巨額オファーを断ってのことだそうで、その最高額が

ナント21億円超!

広島カープが提示したのが4億円といいますから、5分の1以下の金額ということになるわけです。


広島は黒田投手がメジャーへ行ってからも、当時の背番号を空き番のままにし、「 1%でも望みが

あれば諦めない 」 と、毎年オフになる度にオファーを出し続けていたのだそうですね。



  「 今の僕があるのはカープのおかげ。 いずれは帰り、恩返しがしたい気持ちはある。

   日本に帰るならカープしかない。 帰るなら、バリバリやっている時に帰りたい。」


これはメジャー移籍後に黒田投手が発した言葉だそうです。

まさに有言実行そのものですね。





なにしろ21億円を蹴っての復帰です。

今回の選択は外国人からみたらクレイジーということになるでしょうね。

FAが定着し、今の日本の選手たちの大多数がかつての落合選手のように、プロの選手は1円でも

高く自分を買ってくれる所へ行くという風潮が強まり、簡単にチームを離れ出て行ってしまう現在。

選手自身の権利とはいえ、なにかやり切れないような思いでした。

そんな中での今回の黒田投手の復帰は一服の清涼剤と言えるのではないでしょうか。



 「 おかげさまで 」


この心を持つ黒田投手はまさに日本人であると思います。

そして、お金よりももっと大切なものが有るのだという事を教えてくれたようにも思います。

ご両親は既に他界されているようですが、指導者の方々を含め男気のある本当に良い育て方を

されたと思いますね。


私は腐っても(?・笑)今だ巨人ファンですが、広島カープの黒田投手 ・・・


ちょっと好きになってしまいそうです(笑)



















Posted at 2014/12/27 22:40:06 | トラックバック(0) | スポーツ | 日記

プロフィール

「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
国民は信託なんかしてないぞ !

何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
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