• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

辛口レビンのブログ一覧

2015年02月22日 イイね!

昔のアイドル 6

昔のアイドル 6
  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

好評の昔のアイドルシリーズ。 今回はオールドファン

待望?の桜田淳子を語りましょう。

私の世代がアイドルを語るとき、やはりどうしても彼女は

欠かせない存在です。

桜田淳子は1973年(昭和48)2月、14歳の中学2年生の

時に当時の人気番組「スター誕生」を経て「天使も夢みる」で芸能界デビュー。

私より3つ上の学年で私の姉と同い年。

3曲目の「わたしの青い鳥」で日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得するなど、同年の各局の歌謡

新人賞を総ナメにする活躍ぶりでした。


動画は彼女の2曲目で「天使の初恋」です。

特に35秒くらいから映るトレードマークのエンジェルハットを被った姿は、彼女の初期の頃のイメージ

そのものです。

まさに汚れを知らない天使の姿がそこにありました。





アイドルという定義がいつ頃から定まったのかは分かりませんが、私自身のイメージでは昭和40年

代の黎明期の走りが南沙織さんで、次いで麻丘めぐみさんの順。

そしてスター誕生という番組の性格もありますが、我々一般庶民の中から選ばれた初めての本格的

なアイドルが次に出たこの桜田淳子ではなかったかと思うのであります。

スタ誕という番組の史上最高得点、さらに番組史上最多入札は今でも語り草となっています。

私の中では今だにスター誕生イコール桜田淳子というイメージが強いです。





デビュー当時は大変な人気で、同じスタ誕出身の同級生、森昌子と山口百恵とは当時中3トリオと

呼ばれ、女性アイドルや歌手たちの中心的な存在であり、のちに高3トリオまで続きました。

この学年は女性アイドルの当たり年で、実力派の岩崎宏美や伊藤咲子なども同い年でしたね。





平凡や明星などの芸能アイドル誌においても大活躍で、70年代の表紙の登場回数も女性アイドル

では山口百恵と並んでトップだったのだそうです。

当時姉がよく買っては見てましたので、あとで私も見せてもらうという感じでした(^^;

ですので平凡や明星は私の中ではこの時代のイメージが特に強いです。

ちなみに姉は郷ひろみのファンでした(笑)

さらにプロマイドの売上も常に上位で、特に75年は年間を通じてトップでした。





デビュー2年目の74年に「黄色いリボン」で念願の紅白歌合戦に初出場すると、その後も「はじめて

の出来事」や「十七の夏」など順調にヒットを飛ばし続けた桜田淳子。

私自身の中ではこの次にあげる曲が一番印象深いです。

デビューして丸3年の1976(昭和51)年、18歳に成長した桜田淳子です。

動画はNHKのレッツゴーヤング。 後ろで踊るヤングメイツも懐かしいです。





芸能界に入って3年。 あ、あの淳子が・・・  

 

 ♪誰かとふいに口づけするかも~~ なんて歌ってます・・・


な、何と言うことでしょう。


あの汚れを知らない天使が・・・


あの時の淳子はどこへ行ったんだ!(笑)



さらに、さらに翌年になると、



超ミニスカートで ♪味もきっと唇とろかすハズよ~って・・・


しかも、もっと刺激的に♡・・・って・・・


まるで私を早く食べてと言わんばかりに・・・


あの天使がすっかり芸能界の色に染まってしまったじゃないか!


何があったんだ淳子!! (爆)



な~んて(笑) あ、ゴホンッ!


と、いうことで(どういうことで?)残念ながら私が知っているのはここまで。

だってこのあと石野真子ちゃんがデビューするんだもん♡(笑)

このあと歌手から女優に転向し、さらに姉の影響で怪しげな某宗教団体入信へと話は進むようで

すが、内容については全く分かりませんので割愛させて頂きますm(_ _)m



桜田淳子はデビュー以来トータルで18曲を当時のオリコンチャートのベストテンに送り込み、シング

ルレコードも累計で600万枚近くを売り上げるなど、まさに70年代を代表するトップアイドルでした。


私自身物心が付いて現在まで50年近く歌謡界のスターたちを見てきましたが、オーラを感じる方と

言いましょうか、生まれながらに資質を持っている人だなと思う方が男女合わせて四人居ります。

男性が二人で沢田研二と郷ひろみ。

そして女性も二人で松田聖子とこの桜田淳子です。

何故かこの方たちは芸能人になるために生まれてきたような気がしてなりません。

努力とか全く関係なく出た瞬間に既にスターという感じですね。

もちろん皆さんもそれぞれ人により、また世代により、それぞれの違った人が居るのでしょう。



最後にこのブログを書くにあたり、ユーチューブでちょっとしたお宝映像を発見しましたので、貼って

おきます。(ご存知でしたらスイマセン)

先ほど上げたものと同じ曲になりますが、桜田淳子のバックで歌う方たちが中々豪華です。

今や演歌の大御所、サスペンスの女王、奇跡の50代と呼ばれた方たちです!(◎o◎)!

少し画質が悪いのが残念ですが、大変貴重な映像だと思います。





ご覧になった方いかがでしたか?( ´艸`)ムフフ

水着が時代を感じさせますね(❀´∀`❀)



ということで、今回の昔のアイドルは桜田淳子でした~






Posted at 2015/02/22 19:21:47 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2015年01月03日 イイね!

昔のアイドル 特別編

昔のアイドル 特別編
   皆様、新年明けましておめでとう御座います。

 今年もピンピンしている辛口おやじです(笑)

 さて平成27年度の記念すべきオープニングを飾るのは、

 久々に昔のアイドルシリーズ。

 今回は特別編として河合奈保子を単独で。

かなりの長編力作?になりますので本当に好きだった方、また本当に興味のある方で更に充分な

お時間の取れる方のみご覧下さい。     ※ 6月27日にリニューアル致しました。



え? 明菜はどうした!って?

キョンキョンだっているじゃないか!って?


いや、いや、いや、いや ・ ・ ・

わかってます。

わかってますが、この際ハッキリと堂々と宣言します!




 好みじゃありません・・・♨




聞こえました~?(爆)



いーじゃん! 完全に自己満足の世界なんだから!(笑)

このシリーズ、奈保子はいつも松田聖子とセットでしたから、是非一度単独でやりたかったのです。


ということで一発目はこれ。 今から35年前、1980(昭和55)年で 「 ヤングボーイ 」

デビューして2曲目、最初のスマッシュヒットとなった曲です。



河合奈保子は1980(昭和55)年、「 西城秀樹の妹 」 としてデビュー。

当時のキャッチフレーズは 「 ほほえみさわやか、カナリーガール 」。

同期に田原俊彦、松田聖子、柏原芳恵、岩崎良美、三原順子など。

この年はアイドルの当たり年で、黄金の80年組とも言われました。

彼女は1963(昭和38)年生まれ。 大阪市住之江区の出身で、本名は同じ河合奈保子ですが、読み

は 「 かわい なほこ 」 が正しいのだそうです。



続いての曲はアイドル時代の最大のヒット曲となった 「 スマイルフォーミー 」

彼女を一気にメジャーへ押し上げたのは、やはりこの曲でしょう。

当時18歳。 元気いっぱいの奈保子をどうぞ。 



う~~なんてカワイイ !  てか、可愛すぎです♡ !!

まさにアイドルのお手本、教科書のような動画ですね。


そして 「 ラブレター 」

NHKでの舞台からの落下事故での入院後ということもあり、一番肥えていた時期ですね。

スタジオ内の親衛隊たちとの一体感がとても良い動画だと思います。



♪ためらいライライラブレタ~ 秘~密が増えていく年頃~♬

いや~これも可愛いですね~♡

それにアイドルはやっぱり黒髪じゃなきゃいけませんね。 

茶髪なんてとんでもないです! あれは不良のすることです(笑)


さらに 「 愛をください 」

動画が有るうちはどんどんいきましょう ! (笑)

いつも天真爛漫な奈保子でしたが、この曲の時は歌詞の中の役柄を演じてましたね。

まさに昭和の美少女ここに極まれり !

アイドルの域を超えるような気品の高さは当時の音楽関係者から絶賛されたのだそうです。




今じっくりと振り返りますと彼女には二つの大きな転換期があったと思います。

17歳になる直前にアイドルとしてデビューし、ヤングボーイやスマイルフォーミー、けんかをやめて

など数々のヒットを飛ばし3年後の83年、 二十歳を迎える頃に最初の転換期を迎えます。

それまでの清純なお嬢さまヘアーをバッサリとカットし、大人のショートヘアへ。

曲の方も作詞を中森明菜の 「 少女A 」 などで知られる売野雅勇、作曲を当時のヒットメーカーの

筒美京平が担当。

それまでの清純派とは正反対のいわゆる 「 挑発路線 」 へと大きく方向転換したのでした。





当時のファンや野郎どもを あっ! と言わせた大転換。

最初の曲は 「 エスカレーション 」 でした。

髪を短くしてグッと大人っぽくなった奈保子に注目です。



当時、中森明菜や小泉今日子、石川秀美に堀ちえみといった 「 花の82年組 」 は既にデビュー

はしていましたが、まだアイドルとしての確固たる人気は確立していませんでした。

それゆえ河合奈保子のライバルといえば松田聖子でした。

しかし当時のレコードセールスや若い男性人気は圧倒的に松田聖子でした。

一人飛び抜けており、まさにモンスターといってもいいほどの活躍ぶりでした。

なにしろ上記の82年組のデビュー時のヘアースタイルが誰もかしこも皆 「 聖子ちゃんカット 」

という塩梅だったほどなのです。



しかし、そんな怪物・松田聖子でも、どうしても河合奈保子に及ばないことが2つありました。

一つは老若男女を問わない幅広い好感度。

聖子は人気の裏返しなのか、アンチ聖子もかなり大勢居たように思います。

それとは裏腹に、アンチ奈保子というのは私が知る限りでは皆無でした。

大胆に方向転換して挑発路線に変わったとはいえ、人柄や性格の良さが禍してどこか小悪魔に

なり切れない姿がそこにありました。

そこがまた可愛かったのですけどね。


そしてもう一つはなんといっても水着撮影を中心とした圧倒的なグラビア人気でした ♡♡♡

  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓




見よ! この堂々たる谷間を!\(◎o◎)/!

まさに母なる大地!(爆)

もう一丁!





やっぱりペチャパイはボインには敵わないといったところか(笑)


続いて出したのが 「 UNバランス 」。

歌唱力が既にアイドルのレベルを遥かに超えていると思います。

じっくり聴いていくと徐々に徐々に奈保子ワールドへ引き込まれて行きます。



アイドルから大人の歌手へと成長した奈保子。

二十代も中盤に差し掛かろうかという頃、第二の転換期を迎えます。

徐々に自ら作曲活動を行い、かねてから念願だったシンガー・ソングライターへの道を歩むのです。

86年以降は自らの曲をほぼ自作し、同年日本作曲家協会の会員認定を受けます。

これは当時最年少だったのだそうです。


彼女は中学生の時にフォークソングクラブに入っていたのだそうです。

年齢的にも私と同世代ですので、バリバリのニューミュージック世代になるわけで、フォーク・ニュー

ミュージック大好き人間だったというのは充分に可能性があると思います。

二番目に貼った動画と同じ番組内で、当時好きな曲だったのでしょう、伊勢正三の曲をピアノの引き

語りで披露している動画がありますので、是非ご覧下さい。

「 あの頃の僕は 」 という曲です。

今となっては非常に貴重な動画だと思います。



アイドルがフォークソングを歌う姿はなんだか妙な感じがしますね。

18歳でトップアイドルだった当時から既にシンガー・ソングライターの下地があったわけです。


自ら沢山の曲を作り残した河合奈保子ですが、一番の代表曲といえばやはりこの曲でしょう。

「 ハーフムーンセレナーデ 」 1986(昭和61)年の作品です。

動画は彼女が最後に紅白歌合戦に出場した時のものです。





大胆に背中の空いたドレスでピアノを引きながら歌う奈保子。 

アイドル時代の可愛さを残しつつも、もうすっかり大人の女性ですね。

本当に綺麗になりました。

歌唱力もさらに磨きがかかり、既にアーティストのレベルだと思います。

私自身一番好きな動画でもあります。


実は私、女性は丸顔が好きでしてね。

初恋の人も今の女房も皆んな丸顔なんです(笑)

ヘンな例えですけど、卓球の日本代表の福原愛選手と石川佳純選手。

皆さんはどちらが好みでしょう ?

私は愛ちゃんですね~

丸顔って怒っても怖くないんですよね。 それがいいんです(笑)

面長の美人は怒ると恐く、下手すると般若顔になる。 私あれがダメなんです(笑)



さて、時は巡って90年代。

最後の動画は奈保子がおそらく30歳の頃だと思います。

ユーチューブで見ることのできる彼女の歌っている一番新しい?姿でしょう。

曲は 「 エンゲージ 」。

一段と綺麗になった姿に惚れ直しました ♡ (笑)





さすがにお化粧が少し濃くなったのは仕方がありませんが、表情などは今だ少女の面影を色濃く

残してますし、なによりも全体に優しさや人柄の良さが溢れていますね。

彼女に連想するのは常に素直で優しいというイメージです。



河合奈保子はアイドルとしてトップには成れませんでした。

もしも80年代の昭和のアイドルを格付けするとしたら、おそらく4番目くらいだったと思います。

トップは断トツで松田聖子。

2番が中森明菜で3番が小泉今日子。

次いでに5番が柏原芳恵で以下松本伊代や石川秀美 等々か・・・。

彼女と同期で現在参議院議員を務める三原じゅん子さんが、昔何かの取材で言っていたことです

が、同じアイドル時代に番組や取材で集合写真を取ることが結構あったのだそうです。

すると松田聖子や柏原芳恵などは誰よりも早く最前列中央を確保するのだそうです。

自分と奈保子ちゃんはおっとりしていて、いつも両隅や後方に弾かれていたのだと。

目立つのもアイドルの資質ですから、私と奈保子ちゃんは芸能人に向いてないのかも・・・と思っ

ていたのだそうです。


松田聖子のぶりっ子といわれた 「 したたかさ 」 や中森明菜のような 「 陰 」 といった芸能界で

生きていくためのある種の強さや武器といったものが無かったのが1番になれなかった、または

彼女たちのような突き抜けるような人気を得られなかった一つの理由なのかもしれませんね。




長くなりましたのでこの辺で終わりにします。


素直で優しく人が良すぎる奈保子。


控えめながらいつも明るい奈保子。



私の中ではもちろん今でもナンバーワンのアイドルです!







※ 愛車紹介のフォトギャラリーの方も是非ご覧下さい。







































Posted at 2015/01/03 21:22:41 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2014年03月15日 イイね!

昔のアイドル 5 


 一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

好評の昔のアイドルシリーズ、今回は私の地元静岡が生んだスーパーアイドル、「ピンクレディー」

を紹介いたします。

ピンクレディーはミーちゃんとケイちゃんのデュオのアイドルで、1976年にスター誕生を経て「ペッ

パー警部」でデビュー。

当初は露出の多い衣装を纏い、リズムやビートを強調した曲で激しくセクシーな振り付けを踊り、当

時の野郎どものハートを鷲掴みにしました。

私自身も当時中学3年生で、さあこれから受験勉強という時期、超ミニ(そう信じていた)のスカート

で大胆に太ももを開いて激しく歌い踊る彼女たちの姿に釘付けになりました。 

なにしろ多感な時期です。気になって仕方がありません。

当然勉強に身が入らないわけでして、そのために志望校をワンランク落とした?・・・というのは冗談

です(爆)


動画は1976年デビュー当時、夜のヒットスタジオに初めて登場したときのもので、二人が19歳の時

のものです。

この二人、私的には向かって右側のケイちゃんが恋人にしたいタイプで、左側のミーちゃんはお姉

さんにしたいタイプでした(笑)




このピンクレディーが爆発的に売れた要因として、それまでのセクシー歌手にあったような夜の女

のイメージではなく、明るく爽やかで健康的なムードであったこと、さらに当時の子供たちが彼女た

ちの振り付けを熱心に覚えて真似をしたことではなかったかと思います。

それゆえ子供から大人まで、老若男女の幅広い人気を獲得することに成功したわけですね。

また歌がヒットするだけでなく、多くの業種のさまざまな商品に彼女たちの写真などがプリントされた

キャラクターグッズが飛ぶように売れ、巨大な経済効果を生んだりもしました。



今回注目したいのは右側のケイちゃんの方です。

彼女は現在既に結婚されていて姓が変わっていますが、旧姓が「増田」というんですね。

この増田という姓ですが、私が住んでいる静岡県の菊川市と隣の御前崎市から県中部の焼津市に

かけての範囲で非常に多い、いわゆるポピュラーネームなんですね。

私の母方の伯母が偶然ですが二人増田姓が居りますし、私の友人にも増田姓が居ります。

ですからデビュー当初から妙にケイちゃんに親しみといいますか、思い入れがあるわけです。



次の動画はピンクレディー解散後、ケイちゃんが中島みゆきの作詞作曲、「すずめ」でソロデビュー

した時のものです。

ピンクレディーの時代とは打って変わってシックでせつない大人の雰囲気です。

当時24歳のケイちゃんです。



何と言うんでしょうか、しっとりとして凄く色っぽいですね~ 

元々年上だからそう感じるんでしょうかね。

あとお化粧の仕方もあるんでしょうか、当時の女性の方って今の同じ年齢の方に比べて凄く大人に

見えるんですよね。 沢田研二の「危険なふたり」でしたか、あなたは♪年上のひと美しすぎる~とい

う表現がピッタリきます(笑)

う~ん、当時身近なところにこんな女性がいたら・・・ 間違いなく恋してしまいそうです ♡



・・・というわけで、今回はピンクレディー、ほとんどケイちゃんでした~


                             ミーちゃんファンだった方ごめんなさ~い

Posted at 2014/03/15 21:28:32 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2013年12月07日 イイね!

昔のアイドル 4


 今回は石野真子ちゃんです。

画像のシングルレコードは私が高校2年の時のものですから、かれこれ35年前のものになり

ます。 家に唯一有るアイドルのレコードでもあります。





石野真子ちゃんは私より一つ年上で、オーディション番組「スター誕生」を経て、1978年にデビュ

ー。 真子ちゃんが出てきた当時は、いわゆるニューミュージックが全盛でアイドルにとっては

逆風の時代でした。

それまで活躍していた桜田淳子や山口百恵等が、アイドルから二十歳を過ぎた大人の女性

へと成長していく中、唯一正統派の可愛こちゃんアイドルとして頑張っていたな、という印象が

有ります。

このあと80年代に入って松田聖子や河合奈保子が出てくるのですが、私的にはそれまでの

70年代、つまり旧世代の最後のアイドルがこの石野真子ではないかと思うのであります。


一番好きな曲は、やはりデビュー曲であるこの「狼なんか怖くない」です。



 芸能界で真子ちゃんのファンだった方は結構多く、ダウンタウンの浜田雅功や爆笑問題の

太田光がかつて熱狂的なファンであったことを明かしており、、また元アイドルの小泉今日子や

堀ちえみなどもこの真子ちゃんに憧れて芸能界へ
入ったと公言しています。


次の映像が初めて紅白歌合戦に出場した時の曲で、「ジュリーがライバル」です。

1979年、私が高校3年の時です。

紅組のトップバッターということで、出だしの少し緊張した表情がとても良いと思います。



 いや~いいですね~底抜けに明るく、いかにも紅白らしく豪華な感じがしますね。


今こうして改めて見ますと、この時代の紅白って良かったな~って思うんですよ。

凄くアットホーム的な感じで、華やかで・・・ もちろん作られた華やかさなのもしれませんが、

そんなことはどうでもイイわけでして、ほとんどの曲を口ずさめたりも出来ますしね。

当時大晦日の夜は、7時からレコード大賞を見て、9時からこの紅白歌合戦を見るのが定番

でした。 どちらもワクワクしたものです。

まだテレビが各家庭に1台の時代でしたので、家族全員でコタツに入って、皆んなで見るわけ

です。 

まだ子供でしたので、演歌歌手の番になると急いで風呂に入ってきたり、トイレに行ったり、

その隙にコタツの良い席を奪ったり奪われたりで揉めたり・・・(笑)

いや~、楽しかったものです。



それにしても許せないのが長渕剛です。

こんなに可愛かった真子ちゃんを強引にさらっていって、2年かそこらで捨てやがんの ・ ・ ・

  あいつぶっ飛ばしたい・・・

私今だに長渕剛のことを好きになれません(笑)


少し話が逸れました。



という訳で今回の石野真子ちゃん、私の青春時代の永遠のアイドルでした~



 以上、簡単ですがまた来週~

  45才の奈保子だよ~ん             つづく
Posted at 2013/12/07 21:29:41 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2013年09月28日 イイね!

昔のアイドル 3

 

 キャンディーズというグループがあったことを皆さんご存知ですね。

「普通の女の子に戻りたい」と言って解散したのが1978年、私が高1の終わり頃でした。

彼女たちは私より6、7歳年上の方たちですので、アイドルというよりは綺麗なお姉さんといった

イメージの方が合うかもしれません。

最大のヒット曲は最後に出した「微笑がえし」ですが、今回私はあえてこの曲で責めてみたいと

思います(笑)

私が高校に上がったばかりの頃、36年くらい前の映像です。

どーぞ!



 いや~、いいですね~♡♡♡


このサービス精神、素晴らしいですね~  小悪魔のような衣装、たまりません!

当時の純粋無垢な辛口少年は完全に悩殺されました(爆)

それにしても意外なのは、この曲の作詞が喜多条忠氏で作曲が吉田拓郎氏なんですね。

特に喜多条氏はかぐや姫の「神田川」の作詞者でもあるんですね。



 今回は、彼女たちが人気だった秘密を自分なりに考えたのですが、結論として次の動画に

答えがあるような気がします。

 




 これを見てお分かりかと思いますが、ハゲおやじのカツラなども平気で被ったんですね。

アイドルというと、ある程度イメージというものが有りますから、あまり崩れるようなものは普通

嫌うんだそうですね。 でも彼女たちはこういう役も平気でこなしたんですね。

こういうところが非常に庶民的かつ身近な存在だった、ということだと思います。

また、ドリフターズの番組にレギュラー出演していた事も重要な要素の一つだったかもしれませ

んね。 全員集合!や大爆笑などドリフの番組には欠かせない存在でしたね。



彼女たちは歌謡番組等で特別大きな賞を取るというわけでもなく、オリコンなどでもベストテンに

入るかどうかというくらいの存在だったように思います。

しかし、彼女たちが解散すると宣言したとき、何故か周りから異常なくらい惜しむ声があがりまし

た。 

常に主役という訳ではないのですが、居なくなるとなると、ちと寂しい・・・

そんな周りから愛されたアイドルグループだったように思います。


というわけで、簡単で申し訳ないですが今回はキャンディーズというグループを少し振り返って

みました。


   次は誰行きましょうかね(笑)

Posted at 2013/09/28 00:30:27 | トラックバック(0) | アイドル | 日記

プロフィール

「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
国民は信託なんかしてないぞ !

何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

“平等”って? 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/10/11 22:21:11
歴史の話 5 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/10/08 00:37:18
昔のアイドル 特別編 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/06/28 13:46:22

愛車一覧

トヨタ カローラレビン トヨタ カローラレビン
トヨタ カローラレビンに乗っています。 昭和62年2月に購入以来、雨の日も風の日も毎日通 ...
トヨタ ヴェルファイア トヨタ ヴェルファイア
次男の愛車、ヴェルファイアです。 長男のアルファードに負けず劣らず良い車です。 その他コ ...
トヨタ アルファード トヨタ アルファード
長男の愛車、アルファードです。 2,4Lながら最高グレードのGで快適装備満載です。 ...
トヨタ パッソ トヨタ パッソ
妻の愛車、パッソのHanaちゃんです。 ベンチシートがお洒落です。 1,3Lながら中々 ...
© LY Corporation