
冬はコタツでみかん派の皆様今晩は。
辛口おやじの歴史の話シリーズ。 今回は秀吉の謎に迫ってみたいと
思います。
豊臣秀吉といえば歴史に興味のない方でも知らぬ人はいないでしょう。
特に大阪では「太閤はん」の名で今でも抜群の人気だそうですね。
一介の百姓から天下人へ。 有史以来日本で一番出世した男と言って
もいいと思います。 当然それだけ多くの謎があることも事実です。
今回は辛口おやじが独断で秀吉の数ある謎の一つに迫ってみたいと思います。
皆さんは織田信長がこの秀吉のことを何と呼んでいたかご存知ですか?
一般的には「サル」と呼んでいたとされ、時代劇や大河ドラマ等殆どがこの説を採用していますね。
これは信長本人が直接そう呼んだという記録はないものの、当時やその後の江戸時代の文献など
で、恐らくそう呼んだであろうという推測のもとによる呼び名です。
一番しっくりくるポピュラーな呼び名と言っていいでしょう。
そしてもう一つが「ハゲネズミ」という説。
これは実際に信長自身が秀吉の妻である「おね」へ宛てた書状の中に書かれている呼び名です。
さてどちらが正しいのでしょう?
実はどちらでもない可能性が高いのです。
先に結論から言いましょう。
答えは「六つ」です。
何故か?
ご存知の方も居られるでしょう。
実は秀吉の
右手の指は6本あったのです。
多指症というもので、親指が2本あったのだそうです。
当然不名誉なことですので、どうやら秀吉は生前この事が書かれたものを焚書(集めて焼き捨てる)
にしているようです。
どこで分かったのかというと、秀吉の盟友・前田利家の前田家に伝わる「国祖遺言」からです。
この中に秀吉の右手の指は6本あり、信長公は秀吉のことを「六ツめ」と異名されていたと書かれ
ているのです。
さらに当時のポルトガルの宣教師であったルイス・フロイスの書にもこのことが書かれており、本国
へも伝えられています。
指が6本あろうがなかろうが、そんなことは大したことじゃないじゃんて?
いやいや、とんでもない!
私はこのことが秀吉という人間を形成した最たるものだと思っています。
つまりこれが無かったら秀吉という天下人は存在しなかったと言っても過言ではないと思うのです。
歴史学界はこういったことを殆ど問題にしません。
学界の一つの欠陥といってもいいと思います。
まず秀吉がなぜ信長に仕えることになったのか? その前になぜ近づけたのか?
ここから既に謎なわけですが、それに対する研究が殆どなされていないのが現状です。
どこの馬の骨とも分からない秀吉がなぜ守護代の織田家に使えることができたのか。
一つは新しいものや珍しいものが大好きな信長の性格によるものと考えます。
要するに珍獣扱いで召抱えられたというわけです。
そしてもう一つは秀吉自身がそれを知っており、積極的に自らの体の奇形を利用して信長に取り
入ったのではないかと思うのです。
秀吉の右手の指が6本あったのは分かった。 しかし「おね」への書状にあるハゲネズミはどうなる
のだ?という意見もあるでしょう。
答えは簡単。
おねが秀吉の妻であり異性だからハゲネズミなのです。
例えばあなたに部下が居るとして、その奥さんに手紙を渡すと考えてみてください。
旦那の身体的欠陥など絶対に書かないでしょう。
おそらくあだ名でも書かないと思います。
もうお分かりですね。
信長だからハゲネズミと書いたわけです。
信長が秀吉のことを「六つ」と呼んでいたことが真実だったとしても、この現代において映画やテレビ
の時代劇などでそう呼ぶことは100%無いといっていいでしょう。
なぜならこの六つという言葉が差別用語に当たるからです。
私が子供の頃、故・勝新太郎さん主演の「座頭市」という映画をよく放送していたものです。
ところがここ何十年か全く見なくなりました。 というより民放で放送しなくなりました。
ご存知のように座頭市は目が見えません。
目の見えない人のことを昔は「めくら」と言いました。
これが差別用語に当たるわけです。
今は目の不自由な人と言わなければいけないのだそうです。
悪役が座頭市に向かって、「このドめくらが!」と言うセリフがNGということですね。
それではと、「この目が不自由なヤローが!」では映画として成立しませんよね。
かつて90年代でしたか、この差別用語の言葉狩りの嵐が吹き荒れた時代があったのです。
昔は例えば耳の悪い人のことを「つんぼ」、片足の悪い人のことを「ちんば」、などと普通に言って
いたものでしたが、当事者に配慮して「~の不自由な人」と言わなければならないとされたわけで
す。 当時売れっ子作家だった筒井康隆さんが表現の自由の観点からそれに抗議して断筆宣言
をしたのはよく知られています。
あの時は確か「てんかん」という言葉が差別に当たるということだったと思います。
「~が不自由な人」といちいち書いていたのでは話にならない、小説なんか書いてられないという
ことだったのでしょう。
差別用語に当たるから使わない、或いは無視をするというのは我々一般人はともかく、歴史学界
がその人なりを研究する場合、やはりそれでは事の本質を見誤ることになると思うのです。
つまり間違った態度であるということです。
秀吉に話を戻しますと、やはり6本指のことで幼少の頃から周りに奇異な目で見られることを逆に
反骨心にし、時には利用しながら天下人への出世街道を駆け上がっていったのではないかと。
身体的欠陥によるコンプレックスがバネになるというのはよくある話で、野口英世しかり、難聴だっ
たエジソンしかり、ヘレンケラーなど言うまでもありません。
日本の歴史学界で秀吉の6本の指に触れたものは殆どありません。
秀吉本人がそれらのことが書かれた本を焚書にしたこともあり、史料が極端に少ないことを考え
れば仕方のないことかもしれませんが、秀吉本人を研究する場合、真実と分かっている以上もっと
重要に取り扱わなければならないのではないかと思うのです。
今回は秀吉の謎についてほんの少しですが触れてみました。
秀吉には「羽柴秀吉」という名前や「朝鮮出兵」などまだまだ沢山の謎がありますので、またいずれ
書くつもりでおりますが、最後に一言。
信長・秀吉の時代をなぜか「安土桃山時代」と言いますが、桃山の地名が表舞台に立ったことは
ありません。
私自身は
「安土大阪時代」
と言うべきだと思っていますが皆さんはいかがでしょう?