2013年12月14日
「 ちょっと前なら覚えちゃいるが、 一年前だとチトわからねえなぁ
髪の長い女だって? ここにゃたくさんいるからねぇ
ワルいなぁ、他をあたってくれよ
アンタあの娘の何なのさ!」 ( 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ )
一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
ちょいといつもと違う入りで失礼しました(笑)
今回の昭和のアーティストは宇崎竜童です。
40代前半以下の方たちはご存知無いかもしれませんね。
宇崎竜童は70年代の中頃に「ダウン・タウン・ブギウギバンド」で活躍したロック歌手兼作曲家
です。 妻は作詞家の阿木燿子。
全盛期の山口百恵の曲を夫婦で作詞作曲し、提供したことでも知られております。
早速当時の映像をご覧下さい。 ※ 当時の動画は削除されましたm(_ _)m
いや~カッコイイですね~!
リーゼントの髪型も懐かしいですし、衣装がツナギというのも泣かせますね。
この曲がヒットしたのが昭和50年、私が中学2年の時でした。
何しろ好奇心旺盛な年頃です、一時期ではありましたが周りも私も彼らに飛びついたのは言
うまでもありません。
当時、帰りの教室の掃除の時、全部後ろに下げた机をステージに、ホウキをエアギターにして、
誰それとなく家からサングラスを持参して、彼らの真似をして盛り上がったものでした。
もちろん後で先生にしょっぴかれてお灸をすえられたのは言うまでもありません(笑)
あの時先生に告げ口した学級委員の女子を今だに好きになれません(爆)
この宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギバンドは、今の若い方たちもご存知の矢沢永吉
の率いた伝説のバンド、「キャロル」とは強力なライバル関係でもありました。
どうやら楽屋や控え室等で一触即発の時期もあったようです。 若気の至り、皆んなとんがって
いたのでしょうね。

また、この「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がヒットした昭和50年といえば、現在の旧車イベント
の主力であるケンメリやローレル、セリカLB等がまだ新車で買えた年でした。
ハコスカあたりも中古で3・4年落ちの、まだバリバリのタマが買える時代でもあったのです。
当時大きな社会問題になりだした「暴走族」というものが幅を利かせ始めた頃でもあります。
この矢沢永吉と宇崎竜童ですが、みんカラ流に私の勝手なイメージで比較してみますと、
永ちゃんはアメ車が似合うような気がします。 それも派手なオープンカーあたり。
バイクで言うとハーレーですね。
対して竜童さんは純国産が似合う。 それもズバリ、ハコスカ!
バイクだとカワサキのゼッツーあたりか。

どうでしょう皆さん、そんな気がしませんか?(笑)
そんな竜童さんですが、意外にも大学の法学部を出ている学士でもあるんですね。
在学中は七三分けで性格も品行方正で至って真面目、酒も一滴も飲めないのだそうです。
実は奥さんの阿木燿子さんがかなりの酒豪で、いつも横で飲んでいる奥さんを尻目に甘い物
に舌鼓を打っているのだとか。
バイクの免許なども随分後になって取ったそうで、彼と知り合いになられた方たちはテレビで
見たイメージとのギャップに皆驚くんだそうです。
さて、次の映像はおそらく90年代後半、ミュージシャンで元スパイダースのギタリスト井上堯之
さんとの共演で「サクセス」という曲です。
この曲は77年に資生堂のコマーシャルに使われた曲です。
井上さんとの息の合った「これぞプロ!」という演奏をご覧下さい。
う~ん、流石ですね!
アダルトな魅力がプンプンしますね。 確かな技術など暫し見入ってしまいます。
こういう演奏はお金を払ってでも是非ナマで見てみたいものです。
という訳で、いかがでしたでしょうか。
最近では見られない非常に男気を感じる方でもあるような気がしますね。
ただ、今この「ダウン・タウン・ブギウギバンド」のようなグループが出てきたら、おそらく学校の
PTAをはじめ各方面から苦情が殺到するでしょう。
当時は今とは違っておおらかな時代だったという事なんでしょうね。
以上、簡単ですが今回は宇崎竜童でした。
♬ アンタ、↓この娘にホレてるね(笑)

つづく
Posted at 2013/12/14 20:32:59 |
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昭和のアーティストたち | 日記
2013年11月22日
Posted at 2013/11/22 23:40:29 |
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