
皆様、新年明けましておめでとう御座います。
今年もピンピンしている辛口おやじです(笑)
さて平成27年度の記念すべきオープニングを飾るのは、
久々に昔のアイドルシリーズ。
今回は特別編として河合奈保子を単独で。
かなりの長編力作?になりますので本当に好きだった方、また本当に興味のある方で更に充分な
お時間の取れる方のみご覧下さい。
※ 6月27日にリニューアル致しました。
え? 明菜はどうした!って?
キョンキョンだっているじゃないか!って?
いや、いや、いや、いや ・ ・ ・
わかってます。
わかってますが、この際
ハッキリと堂々と宣言します!
好みじゃありません・・・♨
聞こえました~?(爆)
いーじゃん! 完全に自己満足の世界なんだから!(笑)
このシリーズ、奈保子はいつも松田聖子とセットでしたから、是非一度単独でやりたかったのです。
ということで一発目はこれ。 今から35年前、1980(昭和55)年で 「 ヤングボーイ 」
デビューして2曲目、最初のスマッシュヒットとなった曲です。
河合奈保子は1980(昭和55)年、「 西城秀樹の妹 」 としてデビュー。
当時のキャッチフレーズは 「 ほほえみさわやか、カナリーガール 」。
同期に田原俊彦、松田聖子、柏原芳恵、岩崎良美、三原順子など。
この年はアイドルの当たり年で、黄金の80年組とも言われました。
彼女は1963(昭和38)年生まれ。 大阪市住之江区の出身で、本名は同じ河合奈保子ですが、読み
は 「 かわい なほこ 」 が正しいのだそうです。
続いての曲はアイドル時代の最大のヒット曲となった 「 スマイルフォーミー 」
彼女を一気にメジャーへ押し上げたのは、やはりこの曲でしょう。
当時18歳。 元気いっぱいの奈保子をどうぞ。
う~~なんてカワイイ ! てか、可愛すぎです♡ !!
まさにアイドルのお手本、教科書のような動画ですね。
そして 「 ラブレター 」
NHKでの舞台からの落下事故での入院後ということもあり、一番肥えていた時期ですね。
スタジオ内の親衛隊たちとの一体感がとても良い動画だと思います。
♪ためらいライライラブレタ~ 秘~密が増えていく年頃~♬
いや~これも可愛いですね~♡
それにアイドルはやっぱり黒髪じゃなきゃいけませんね。
茶髪なんてとんでもないです! あれは不良のすることです(笑)
さらに 「 愛をください 」
動画が有るうちはどんどんいきましょう ! (笑)
いつも天真爛漫な奈保子でしたが、この曲の時は歌詞の中の役柄を演じてましたね。
まさに昭和の美少女ここに極まれり !
アイドルの域を超えるような気品の高さは当時の音楽関係者から絶賛されたのだそうです。
今じっくりと振り返りますと彼女には二つの大きな転換期があったと思います。
17歳になる直前にアイドルとしてデビューし、ヤングボーイやスマイルフォーミー、けんかをやめて
など数々のヒットを飛ばし3年後の83年、 二十歳を迎える頃に最初の転換期を迎えます。
それまでの清純なお嬢さまヘアーをバッサリとカットし、大人のショートヘアへ。
曲の方も作詞を中森明菜の 「 少女A 」 などで知られる売野雅勇、作曲を当時のヒットメーカーの
筒美京平が担当。
それまでの清純派とは正反対のいわゆる 「 挑発路線 」 へと大きく方向転換したのでした。
当時のファンや野郎どもを あっ! と言わせた大転換。
最初の曲は 「 エスカレーション 」 でした。
髪を短くしてグッと大人っぽくなった奈保子に注目です。
当時、中森明菜や小泉今日子、石川秀美に堀ちえみといった 「 花の82年組 」 は既にデビュー
はしていましたが、まだアイドルとしての確固たる人気は確立していませんでした。
それゆえ河合奈保子のライバルといえば松田聖子でした。
しかし当時のレコードセールスや若い男性人気は圧倒的に松田聖子でした。
一人飛び抜けており、まさにモンスターといってもいいほどの活躍ぶりでした。
なにしろ上記の82年組のデビュー時のヘアースタイルが誰もかしこも皆 「 聖子ちゃんカット 」
という塩梅だったほどなのです。
しかし、そんな怪物・松田聖子でも、どうしても河合奈保子に及ばないことが2つありました。
一つは老若男女を問わない幅広い好感度。
聖子は人気の裏返しなのか、アンチ聖子もかなり大勢居たように思います。
それとは裏腹に、アンチ奈保子というのは私が知る限りでは皆無でした。
大胆に方向転換して挑発路線に変わったとはいえ、人柄や性格の良さが禍してどこか小悪魔に
なり切れない姿がそこにありました。
そこがまた可愛かったのですけどね。
そしてもう一つはなんといっても水着撮影を中心とした圧倒的なグラビア人気でした ♡♡♡
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
見よ! この堂々たる谷間を!\(◎o◎)/!
まさに母なる大地!(爆)
もう一丁!
やっぱりペチャパイはボインには敵わないといったところか(笑)
続いて出したのが 「 UNバランス 」。
歌唱力が既にアイドルのレベルを遥かに超えていると思います。
じっくり聴いていくと徐々に徐々に奈保子ワールドへ引き込まれて行きます。
アイドルから大人の歌手へと成長した奈保子。
二十代も中盤に差し掛かろうかという頃、第二の転換期を迎えます。
徐々に自ら作曲活動を行い、かねてから念願だったシンガー・ソングライターへの道を歩むのです。
86年以降は自らの曲をほぼ自作し、同年日本作曲家協会の会員認定を受けます。
これは当時最年少だったのだそうです。
彼女は中学生の時にフォークソングクラブに入っていたのだそうです。
年齢的にも私と同世代ですので、バリバリのニューミュージック世代になるわけで、フォーク・ニュー
ミュージック大好き人間だったというのは充分に可能性があると思います。
二番目に貼った動画と同じ番組内で、当時好きな曲だったのでしょう、伊勢正三の曲をピアノの引き
語りで披露している動画がありますので、是非ご覧下さい。
「 あの頃の僕は 」 という曲です。
今となっては非常に貴重な動画だと思います。
アイドルがフォークソングを歌う姿はなんだか妙な感じがしますね。
18歳でトップアイドルだった当時から既にシンガー・ソングライターの下地があったわけです。
自ら沢山の曲を作り残した河合奈保子ですが、一番の代表曲といえばやはりこの曲でしょう。
「 ハーフムーンセレナーデ 」 1986(昭和61)年の作品です。
動画は彼女が最後に紅白歌合戦に出場した時のものです。
大胆に背中の空いたドレスでピアノを引きながら歌う奈保子。
アイドル時代の可愛さを残しつつも、もうすっかり大人の女性ですね。
本当に綺麗になりました。
歌唱力もさらに磨きがかかり、既にアーティストのレベルだと思います。
私自身一番好きな動画でもあります。
実は私、女性は丸顔が好きでしてね。
初恋の人も今の女房も皆んな丸顔なんです(笑)
ヘンな例えですけど、卓球の日本代表の福原愛選手と石川佳純選手。
皆さんはどちらが好みでしょう ?
私は愛ちゃんですね~
丸顔って怒っても怖くないんですよね。 それがいいんです(笑)
面長の美人は怒ると恐く、下手すると般若顔になる。 私あれがダメなんです(笑)
さて、時は巡って90年代。
最後の動画は奈保子がおそらく30歳の頃だと思います。
ユーチューブで見ることのできる彼女の歌っている一番新しい?姿でしょう。
曲は 「 エンゲージ 」。
一段と綺麗になった姿に惚れ直しました ♡ (笑)
さすがにお化粧が少し濃くなったのは仕方がありませんが、表情などは今だ少女の面影を色濃く
残してますし、なによりも全体に優しさや人柄の良さが溢れていますね。
彼女に連想するのは常に素直で優しいというイメージです。
河合奈保子はアイドルとしてトップには成れませんでした。
もしも80年代の昭和のアイドルを格付けするとしたら、おそらく4番目くらいだったと思います。
トップは断トツで松田聖子。
2番が中森明菜で3番が小泉今日子。
次いでに5番が柏原芳恵で以下松本伊代や石川秀美 等々か・・・。
彼女と同期で現在参議院議員を務める三原じゅん子さんが、昔何かの取材で言っていたことです
が、同じアイドル時代に番組や取材で集合写真を取ることが結構あったのだそうです。
すると松田聖子や柏原芳恵などは誰よりも早く最前列中央を確保するのだそうです。
自分と奈保子ちゃんはおっとりしていて、いつも両隅や後方に弾かれていたのだと。
目立つのもアイドルの資質ですから、私と奈保子ちゃんは芸能人に向いてないのかも・・・と思っ
ていたのだそうです。
松田聖子のぶりっ子といわれた 「 したたかさ 」 や中森明菜のような 「 陰 」 といった芸能界で
生きていくためのある種の強さや武器といったものが無かったのが1番になれなかった、または
彼女たちのような突き抜けるような人気を得られなかった一つの理由なのかもしれませんね。
長くなりましたのでこの辺で終わりにします。
素直で優しく人が良すぎる奈保子。
控えめながらいつも明るい奈保子。
私の中ではもちろん今でもナンバーワンのアイドルです!
※ 愛車紹介のフォトギャラリーの方も是非ご覧下さい。