
辛口レビンです。
前回のブログでも触れましたが、辛口夫婦は本日11月3日をもちまし
て無事に結婚30周年を迎えました。
思えば昭和60年初頭に出逢い、翌年に結納・挙式。 その後幾多の
困難や風雪に耐え、苦労を共にして今日まで駆け抜け、30年という
月日を重ねて参りました。
これもひとえに周りの皆様のご指導とお力添えがあってこそと心得、深く感謝致すところであります。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
では前回の約束通りに私たちが出会った頃の画像をアップしてみたいと思います。
くれぐれも言っておきますが、今ではなく
30年前の姿です。
お間違えの無いように(笑)
あと大変申し訳ないのですが、やっぱり恥ずかしいですので、画像は少し暈(ボカ)させていただく
のと、不特定多数の方に晒されますので本日中のアップという事でご了承願います。
( 画像は日付が変わる頃に削除いたします )
では早速。 【 ※ 皆様の熱いリクエストにお答えして、顔を隠しての再登場です (^^ゞ】
大体皆様の想像する通りだと思います。
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今回は辛嫁のエピソードなどをいくつか。
辛嫁は出逢ったとき、今ではJAと呼ばれる某巨大組織の金融課の窓口の看板娘でした(笑)
三人姉妹の三女で、要領がいい反面甘えん坊。それでいてかなりの
やきもち焼きでもあります(^^ゞ
付き合っていた頃もそうでしたが、子供が学校へ通っている時分にもPTAや部活の父母会で他所
の嫁さんと私が親しげに話をしていると、後になって必ず背中やお尻を”ツンツン”されたものです。
驚いたことに昨年でしたが、町内会の役員として臨んだ県下一斉の防災訓練のとき。ここでも他の
役員さんの嫁さんと長く親しげに話をしていましたら、後になって背中をツンツンされました ・△・。
しかしまあ、よくよく考えてみると、50半ばのこの歳になってもやきもちを焼かれるというのは、ある
意味幸せなことなのかなぁ ... と。
ずっと自分一筋で来てくれているわけでもあるのですから。
と、まあ、ちょっとしたオノロケ話でスイマセン(笑)
これが”汚れた英雄” だった頃(笑)
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着ている革ツナギはタカイ製のセパレート。 平忠彦もタカイ製でしたね。
バイクはヤマハXJ400ZSのアンダーカウル付き。
スズキGSX400Fに次ぐ2台目で、中古で込みコミ32万でした(笑)
後ろにカワサキのGPZ400Rが見えますが、これが最初期型で、まだNinjaのロゴが無い時代のもの
です。 この他にもスズキのGSX-R400とホンダCBR-400エンデュランスがありましたので、これで
私がFZ-400Rを買えば仲間うちで当時の400マルチのレーサーレプリカが全て揃うハズでした。
いずれも最初期型の時代です。
ところがここで私がFZを買うぞと宣言していたにもかかわらず、皆んなを裏切ってあろうことかバイ
クよりも辛嫁に乗る方を選んでしまったわけです(爆)
ここをもって私のバイク人生は幕を閉じました。
夢にまで見た限定解除もこれ以降未挑戦のまま。
当時の仲間たちからは、もちろん今でも裏切り者呼ばわりです(笑)
話は戻りますが、私は長男ですので辛嫁がうちに嫁いだ頃は私の親父やお袋はもちろん、その上
の爺ちゃん婆ちゃんもまだ居るという状況でした。 つまり私たちを入れると三夫婦だったのです。
あの時代は、今ではあまり聞かなくなりましたが、嫁姑問題というのが社会を賑わせており、若い
女性たちの結婚相手として長男というのは非常に不人気な時代でした。
しかもその上に今でいう3Kのイメージとも重なって、特に農家の嫁不足というのが社会問題になる
ほど深刻な時代でもありました。
代々今の土地に住む我が辛口家もご多分に漏れず、兼業ではありますが昔からの農家。
こんな”悪条件 ?” が重なる中へよく飛び込んで来てくれたと思います。
さらに、うちは一族の本家に当たるということで、毎年夏のお盆と正月には親族一同で宴会をする。
当然のことながら迎える側ですので常にホスト役。 規模はまるで違いますがちょっとした梨園の妻
のような立場であり役目をしなければならないわけです。
正月などは早く在所に帰って親姉妹の顔が見たいだろうに、それでも嫌な顔ひとつせずに親戚衆の
接待をしてくれています。
これには本当によくやってくれていると思うし、頭があがりません。
というわけで、辛口おやじには勿体無い妻、辛嫁ちゃんなのでありました (^^ゞ
では皆さん、こんなオノロケ話に付き合ってくれて有難う御座いました。
簡単ですが、これにて結婚30周年特別ブログ終了です。
次回からは通常ブログでお会いしましょう。 ✌
新婚旅行にて ↓
東京タワーより .....ガンコに立派でした \(◎o◎)/
Posted at 2016/11/03 17:26:27 |
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