2014年02月23日
一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
「上田馬之助」・・プロレスファンの方は勿論のこと、そうでない方も名前を聞いたことがあるで
しょう。
2011年に鬼籍に入られた馬之助さんはプロレスにおける日本人初の本格的ヒールでした。
タイガー・ジェット・シンとの凶悪タッグは長く悪の名コンビとして、日本のマットを血で赤く染め
続けました。
A猪木・坂口組との因縁の対決は今でも語り草となっています。

生前のエピソードを紹介しましょう。
馬之助さんは現役時代からずっと施設の慰問を続けていたそうです。
行くたびに、「上田のおじちゃんが来た!」と言って大喜びする施設の子供たちの笑顔を見る
事が何よりも代え難く大好きだったそうです。
これを嗅ぎつけた雑誌記者が「この事を記事にしていいか?」と訊ねたところ、馬之助さんは
「そんな事をしたら俺の悪役のイメージが壊れるからやめてくれ!」、と断ったそうです。
一方で、親戚の子供からは「おじちゃんは悪い人なので、もう来ないで!」と言われたそうで、
後にあれが精神的に一番キツかったと述べたそうです。

徹底したヒール役を貫いた馬之助さん。
私自身も子供の頃、何も知らずに大嫌いだった馬之助さん・・・
誰だって悪役は嫌なはずです。
誰だってやりたくはありません。
誰だって皆に好かれたいです。
しかし、誰かがやらなければヒーローは作れません。
悪役・ヒールがいるからこそ正義の味方・ヒーローが輝くし、見る方も面白いのです。
馬之助夫人の恵美子さんによると、東日本大震災の時も、この馬之助さんが亡くなった時も
真っ先に心配して連絡をくれたのは、同僚の、あの凶悪レスラーのタイガー・ジェット・シンだっ
たそうです。
子供の頃、お茶の間を震撼させた凶悪・極悪レスラー上田馬之助さん。
プロとしてヒールを演じ、皆の罵声を一身に浴びていた上田馬之助さん。
タイガー・ジェット・シンも含めて今は大好きです。
尊敬の念すら覚えます。
願わくばこの話、馬之助さんが生きているうちに知りたかったなぁ~
Posted at 2014/02/23 23:42:41 |
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良い話シリーズ | 日記
2014年02月09日
一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
昨日は全国で大雪だったようですね。
うちの方は予報では「みぞれ」でしたが、結果は冷たい雨でした。
各地の混乱する様子などをニュースで見るたびに、自分は気候に恵まれた土地に住んでいるの
だなぁという事を実感しております。
さて、いよいよ冬のオリンピックが始まりましたね。
冬のオリンピックの花といえば女子のフィギュアスケートですが、今回は今から22年前の1992年
ご記憶にある方も多いかと思いますが、アルベールビル五輪で銀メダルを獲得した伊藤みどり
さんについて書いてみたいと思います。
伊藤みどりさんはオリンピックにおいて、女子選手で世界で初めてトリプルアクセルを成功させ
た選手でした。 日本で、ではありません。 世界で初めてです。
また、3回転ー3回転も世界で初めて成功させたのは、この伊藤みどりさんでした。
当時、世界は彼女のことをフライング・ウーマンと呼び絶賛しました。
また、彼女は日本の女子選手として冬のオリンピックで初めてのメダル、それも金メダルを獲り
にいった選手でもありました。
それ以前、1988年のカルガリー五輪まで日本の女子選手が獲得したメダル数はゼロでした。
他の全競技を合わせても金メダルはおろか、銅メダルさえ獲得した選手は居なかったのです。
それだけに彼女に対する国民の期待は凄まじく、プレッシャーも今の選手たちの比ではありま
せんでした。
日本国民の悲願が144センチという彼女の小さな体にのし掛かっていたのです。
動画は1990年の世界選手権、彼女のまさに全盛期の頃の演技です。
最初のトリプルルッツが15秒くらいからで、注目のトリプルアクセルが50秒くらいからです。
完璧なトリプルアクセル、是非その高さに注目してください。
画像の質が悪いのが残念ですが、20年以上前とは思えない程といいますか、全く色褪せない
演技で、今でも充分通用するのではないかと思えます。
彼女のジャンプのその「高さ」と「速さ」は男子も注目したくらいで、世界がこの伊藤みどりのジャ
ンプを研究しましたが、はじき出された結論は「全くお手本にならない」でした。
要するに誰にも真似出来ない、つまり彼女しか出来ないというものでした。
まさにケタ違いということだったのです。
近年、浅田真央の同じトリプルアクセルが基礎点以上に評価されないのは、審判団の基準が
この伊藤みどりのトリプルアクセルにあるからなのでは、と言われるほどです。
つまり、それくらい高くて速くて素晴らしいということなのですね。
1992年のアルベールビル五輪決勝当時、ライバルで金メダルを獲得した米国のクリスティ・ヤマ
グチ選手と比較して、誰が言ったのか忘れましたが、今だに心に残っている言葉があります。
「確かに伊藤選手は背も低く、いわゆる短足でスタイルも良くないかもしれません。
しかし、クリスティ・ヤマグチ選手がミスのない華麗な演技で観る者をうっとりと魅了するのに
対し、伊藤選手はその高さと速さで観る者を思わず身を乗り出させる魅力がある」と・・・
なにかスタイルやビジュアル的なものは別にして(失礼)前回のバンクーバー五輪の浅田真央
とキムヨナの構図に似ている?(笑)
さて、今回の浅田真央ちゃんですが、前回メダルを獲得した経験もありますし、あの時の伊藤
みどりさんほどのプレッシャーは無いのではと思います。
最後の五輪ということで、マスコミの言うような自分の為とか、集大成とかでもいいのですが、
私はやはり今まで世話になった方々、また自分をここまでに育ててくれた方々に対して感謝の
気持ちを持ち、それらの方々に恩返しをするという気持ちで臨んで欲しいなと思います。
そういった心が自然と良い結果をもたらしてくれるのではないでしょうか。
さて今回のソチ五輪の結果や如何に?
最後に伊藤みどりさんの私が個人的に一番好きな動画をひとつ。
これも1990年の世界選手権のもの。 ただしエキシビションでの演技です。
いかにも日本的。 外国人はこういった異文化に触れるのを凄く喜びます。
やっぱり日本人はこれでしょ!
今回のオリンピックのエキシビションで、こういうの誰かやりませんかね~
浅田真央は・・・ちょっとキツいか?(笑)
これも伊藤みどりさんならでは、ですかね。
Posted at 2014/02/09 21:50:08 |
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スポーツ | 日記
2014年02月01日
^旅ゆけば~、駿河の国にぃ~、茶のかおり~ ・ ・ ・
「食いねえ、食いねえ、寿司食いねえ」 といえばご存知、浪曲師、広沢虎造の「清水次郎長伝」
です。
えっ、 若い方はご存知ない? (同世代の方も知らないですかね?)
いけませんな~、ハチロク、いや、旧車乗りは幅広い知識を持たなくてはいけません(笑)
一週間のご無沙汰でした、平日は仕事が忙しく首が回らない辛口おやじです。
この話は讃岐の金毘羅様へ刀と奉納金を納めた遠州森の石松が帰り道に大阪から京都に向
かって三十石船に乗った時のお話です。
その船の中で、お江戸は神田の生まれという江戸っ子が、「清水港に住む山本長五郎、通称
清水次郎長が街道一の親分よ!」 と啖呵を切ります。
自分の親分を褒められて嬉しくなった森の石松は、その江戸っ子に、「もっとこっちへ寄んねえ」
と声をかけます。
で、酒をすすめて「呑みねえ、呑みねえ、江戸っ子だってねえ」
「おぅ、神田の生まれよ!」
「そうだってねえ。 次郎長親分にゃいい子分がいるかい?」
「いるどころの話じゃねえよ。 千人近く子分がいる。 その中でも代貸元をつとめて他人に
親分兄貴と言われるような人が28人。 これをとなえて清水の28人衆。 このなかに次郎長
くらい偉いのが、まだ5、6人いるからねえ」
ますます嬉しくなった石松は、「で、5、6人とは一体誰でえ」 と聞きます。
「清水一家で強いといえば、一に大政、二に小政、三に大瀬の半五郎、四に増川の千右衛門
・・・」 と続きます。
ところがなかなか石松の名前が出てきません。
いい加減焦れてきた石松は「お前ぇ、あんまり詳しくねえな。次郎長の子分で肝心なのを一人
忘れてやしませんかってんだ。 この船が伏見に着くまででいいから、胸に手ぇあてて良~く
考えてくれ。 もっと強いのがいるでしょが、特に強いのがいるんだよ。 お前さんね、何事も心
配しねぇで気を落ち着けて考えてくれ。 もう一人いるんだよぉ」
「別に心配なんかしてねぇやい。 どう考えたって、誰に言わせたって清水一家で一番強いと
いやぁ、大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のい・・・ 」
石松 「うん?」
江戸っ子 「大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のい・・・
うわぁ~客人すまねえ、いの一番に言わなきゃならねぇ清水一家で一番強ぇのを
一人忘れてたよ」
石松 「へ~。 で、誰だいその一番強ぇってのは」
江戸っ子 「こりゃあ強い。 大政だって小政だってかなわねえ! 清水一家で離れて強い!
遠州森の生まれだぁ!」
石松 「へえー。 そこのところをもう少し聞かせてくれや、誰が一番強いって !? 」
江戸っ子 「こりぁあ強ぇ。 遠州森の福田屋という宿屋のセガレだ!」
石松 「なるほどぉ」
江戸っ子 「森の石松ってんだい。 これが一番強いやい!」
石松 「呑みねえ、呑みねえ、寿司食いねえ、もっとこっちへ寄んねえ。 江戸っ子だってねえ」
江戸っ子 「神田の生まれだい」
石松 「そうだってねえ。 そんなに何かい、その石松は強いかい?」
江戸っ子 「強いかいなんてもんじゃねえよ、神武この方、バクチ打ちの数ある中で強いと言った
ら石松っつぁんが日本一でしょうなぁ!」
石松 「へえっ、そいつぁ凄い」
江戸っ子 「強いったって、あんなに強いのいねえよ ・ ・ ・
と、まあ何とも楽しい掛け合いが続きますが、パソコンのキーを打つ手が疲れて来ましたので
この辺で(爆)
静岡県西部、袋井市の北にあります森町。
そこにある大洞院というお寺の門前に石松の墓があります。

現在のこの石松の墓石は3代目だそうです。
石松が博打にめっぽう強かったという伝説があり、昭和30年代ころからこの墓石がギャンブル運
を呼ぶという噂が広まり、削っていく人が後を立たたないのだそうです。
この墓石の欠片がお守りになるという事のようなんですね。
この清水次郎長などは、私らが子供の時分にはよくテレビで時代劇として放送していたもので
すが、最近では全く見ませんね。
警察という組織が無い時代、町の治安を守ったのはこういった方々だったのですが、さすがに
現在ではヤクザがヒーローでは道義的にマズイということなのでしょう。
さて、今回の浪曲師「広沢虎造」ですが、まだテレビの無い時代、一般庶民がどのような娯楽を
楽しんでいたのか、簡単にほんのちょっぴりですが、覗き見たような気がしますね。
意外と引き込まれるといいますか、面白いと感じるのは私ら年寄りだけでしょうか(笑)
お昼に寿司屋に行って・・・といっても回る方ですが(笑)、この話を思い出しましたので、今回
書いてみました。
以上、また来週~
Posted at 2014/02/01 23:01:40 |
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芸能 | 日記