
今回は
切腹について考えてみたい。
セクハラ腹周りプニプニおやじが何をいきなり浮世離れした
ことを ? と思われるでしょう。
が、しかし切腹=世にいう
”ハラキリ” というものは、かつて
日本の文化として、そう遠くない過去の時代までは実際にあったことなのだ。
ただ、最初にお断りしておきますが、こういった題材が苦手な方、又は不快に思われる方はここで
退場願いたい。
くれぐれも言っておきますが、以降は自己判断でお願い致します。
”切腹”は確かな文献によると平安末期の鎮西八郎為朝(源為朝)が最初だといわれています。
以降、今日に至るまでにいったいどのくらいの数の人間が切腹で死んだのだろうか。
どうして日本人は腹を切りたがったのだろうか。
自害するのであれば切腹以外に方法はいくらでもあるわけです。
首吊り、入水、服毒、飛び降り、焼身などなど ...
なぜ武士はハラキリという方法を選んだのだろう。
切腹とひとことで言うが、恐らく尋常な痛みではないと思う。
当たり前のことだが麻酔を使わずに、自らの腹に刀を刺し、腹筋を横に切り裂くわけである。
これがどれほどの痛みを伴うか。 恐らく想像以上の激痛であったろうと思う。
生半可な気持ちでは一センチたりとも動かすことはできないのではないか。
切腹には日本人の高い精神性が表れていると思う。
単なる自殺というのではなく、そこには目的というものが存在するからです。
だいたい大きく分けて次の四つの例があげられるのではないでしょうか。
まず一つとして
「刑罰」としての切腹がある。
武士が犯罪に関わったり、主君の名誉を汚したりしたときに、その罪を償うために「切腹」をしたの
である。 またこうした不祥事に関わっていなくても、上司として、その責任を取って切腹することも。
切腹をすることによって責任を果たしたという考えから、武士の名誉は回復されたわけである。
皆さんご存知の「忠臣蔵」などがこれに該当します。
もう一つのケースは
「身の潔白」を命を持って証明するという方法である。
身に覚えのない疑いをかけられ、名誉を傷つけられたときに、切腹をすることによって身の潔白を
証明したわけである。
無実であることが証明されようと、されまいと、結果として切腹をすることによって責任は取ったとし
て、名誉は回復されたのである。
次に
「殉死」という形の切腹。
これは主君が亡くなったときに、一緒にお供をする「追い腹」といわれるもので、恐らく日本だけに
みられる行為であったと思います。
殉死の有名な例としては、日露戦争の英雄・乃木希典陸軍大将とその妻・静子夫人がいます。
乃木大将の切腹も見事であったが、静子夫人も実に見事な最期だったといわれています。
7寸の懐刀で喉を払い、その後枕に懐刀の柄を当て、刃先に覆い被さるようにして前のめりになり
心臓を貫いていたといい、その姿は一糸乱れぬ美しい姿だったといいます。
また殉死ではありませんが、先の大戦のトップだった杉山元陸軍大将の啓子夫人も青酸カリ併用
ではありましたが、やはり作法通りの自刃だったのだそうです。 陸軍大将という最高幹部の夫人
として敗戦の責任を取ってのことでした。
武士道とは決して男だけのものではなかったわけです。
(乃木希典と静子夫人)
さらに近年では、昭和天皇が崩御されたときにも全国で10人の方が殉死されたのだそうです。
その中で一人、九州の方が切腹であったという情報がありますが、定かではありませんので、ここ
では取り上げません。
そして最後の例として
「抗議」のための切腹。
これは”諌死”ともいわれ、主君や上司の誤った態度を諌めるためだったり、世の中に対して自分
の考えや主義が正しいことを命懸けで主張するために切腹をすることである。
1970(昭和45)年に作家の三島由紀夫が、東京新宿の自衛隊市ヶ谷駐屯地で、三島自身が作っ
た民間防衛組織である「楯の会」のメンバーの一人と共に行った割腹自決もこれにあたります。
三島が主張したのは腐敗した民主主義を変えることと、軍隊(自衛隊)を腑抜けにした憲法を変え
ることでした。
この時三島由紀夫45歳。
三島の介錯をし、後に同じく割腹自決をした楯の会のメンバー・森田必勝は25歳でした。
では切腹は三島たちが最後であったのか ?
答えは否である。
実はつい最近にも起きているのである。
時は平成23年12月8日。
場所は石川県金沢市にある護国神社境内。
その人物とは当時金沢大学の4年生、北海道出身の
杉田智 享年22歳である。
折しも大東亜戦争の開戦からちょうど70年の節目の年でした。
彼は境内にある石碑の前で、腹を十文字に切り、頚動脈を切って死んでいたそうです。
その傍らには雨に濡れないようにビニールの袋に入った日の丸が残されていたとのこと。
彼は大学では安全保障問題のゼミに属しており、自決する前年に起きた尖閣諸島沖での中国船
による海保巡視船への衝突事件に対する与党・民主党政権の対応に絶望していたといいます。
そのため、これは政府がきちんとした安全保障政策を取らなかったことに抗議をするための自決
であったといわれています。
この事件は一人の大学生の単なる自殺として処理され、当時のTVニュースや新聞ではほとんど
報道されなかったのだとか。
雨の降る中、護国神社での割腹自決。
私はこれは明らかに政府や我々国民、今の日本国のあり方に対する諌死であったと思う。
そして今週末に行われる参院選。
平成生まれの平成育ちのこの一人の若者が切腹した意味をもう一度考えながら投票所に足を運
ぼうと思う。
以上。