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辛口レビンのブログ一覧

2016年12月26日 イイね!

つま恋 閉鎖 (ToT)



   つま恋 42年の歴史に幕。


   フォーク・ニューミュージックの聖地でした。


   


   アリス、こうせつ、ツイスト、桑名、海援隊 等々...

   79年のホットジャムは無理してでも見に行くべきだったな~

   当時高校3年生。 

   家から約10キロ。 

   チャリンコで行ける距離 ...


 



   人生最大の後悔 。。。(ToT)

  


   


   
   


   
Posted at 2016/12/26 21:09:28 | トラックバック(0) | 芸能 | 日記
2016年12月24日 イイね!

ひとり勝手に紅白歌合戦

ひとり勝手に紅白歌合戦大晦日が近づいている。

大晦日の恒例といえばNHKの紅白歌合戦である。

この間出場歌手と曲目が発表されたのだが ・・・

「誰この人 ? 」

「こんな曲が売れてるのか ? 」

口からそんな言葉しか出なくなってもう何年になるだろうか。


私がガキだった頃は、大晦日の夜といえば7時からレコード大賞を見て、それが終わると今度は9

時から紅白歌合戦。 その紅白が11時45分に蛍の光をもって終了すると行く年来る年をちょこっと

見て、0時になると一応おめでとうをして、除夜の鐘の最初だけ耳を澄ませて聞いて寝るというの

が揺るぎない不動のパターンだったものだ。

大晦日はガキでも年に一度だけ夜ふかしが許される特別な日だった。.☆.。.:*・゚

その中心にあったのが紅白歌合戦といっても過言ではないのだ。

それが時代なのか、その後の日本の歌謡界そのものの衰退もあり、現状は目を覆うような有様。 

大晦日の不動のパターンが崩れ去ってしまっているという異状な事態が続いているのである。


これではいけない。


そこで今回はタイトルにあるように、まことに勝手ながら私自身の骨身にしみている”これぞ紅白 !”

というものを創作してみたい。

当然ながら私の年齢である50歳代半ばがメインであり、70年代中盤から80年頃の曲が中心である。

完全な自己満足ブログ。 勝手に盛り上がりますので興味のない方はスルー願う。


動画は男女4曲づつ計8曲。 この辺が限界であろう。 そしてできるだけ出場した当時のものを選

んでみた。


では早速。


先ずは紅組、トップバッターは松田聖子。

曲は当然 「青い珊瑚礁」 1980(昭和55)年である。



そこのアナタ、いま聖子と目が合いましたね(笑)

当時は日本の歌謡界が全盛を極めた頃。出場枠が少ないこともあって、ちょっと歌が売れると直ぐ

にお呼びがかかる現在と違って、新人歌手が紅白に出場するというのは異例のことだったのだ。 

で、↓これが出場時の画像。



なんならこれは ?  赤ちゃんか ? (笑)

まあ、しかしそれでも良いですね~ やっぱりピンで歌う昭和のアイドルは最高です。



さて、紅組が聖子なら白組はこの人、郷ひろみ。

1979(昭和54)年で、曲は 「マイレディー」



郷ひろみはジャニーズの出身である。 

こうしてあらためて見ても今のジャニタレどもと比べ、そのスター性はまるでレベルが違うように思う。

なにしろオーラの出方が半端ないのである。

途中紅組の歌手たちの表情が映し出されますが、みな羨望の眼差しなのに気付かれた事でしょう。

紅白に出場するだけで充分スターのはずなのに更にその上のスターを見るという感じか。

当時は西城秀樹、野口五郎とともにアイドル御三家といわれたものですが、こと若い女性ファンと

いうことになると郷ひろみの圧勝だったように思います。 うちの辛嫁に私の姉、また辛嫁の姉等

皆んな郷ひろみのファンでした。 まあ、世良公則や原田真二にちょくちょく浮気はしてたようですが・笑



続いての登場は紅組 桜田淳子である。

曲は1978(昭和53)年で 「気まぐれヴィーナス」




先ほどの松田聖子があの時代の女性アイドルの”完全体”だとしたら、淳子は芸能界におけるアイ

ドルの在り方や方向性といったものを明確に確立した存在であったと思う。

誰にでも愛され、皆に元気を与え続けるマスコット的存在。 それまで庶民には手の届かないまぼ

ろしの存在だったアイドルを、グッと身近な位置にまで近づけたのが淳子だったと思う。

さらにその後のすべてアイドルたちのお手本となったのもこの桜田淳子だったのだ。




さて、淳子で一気に突き放しにかかった紅組に対し、白組が送るのが西城秀樹。

ヒデキで一気に押して押して押しまくるのだ(笑)

曲は1974(昭和49)年で、お馴染み 「傷だらけのローラ」 !



♪命も~ 心も~ この愛も捧げる~~ ♦♫♦・*:..。

男は命懸けだぜ ! 熱いぜヒデキ !! 

いや~男はこのくらい情熱がなくちゃいけませんよね。

他を圧倒するような歌唱力と激しさも素晴らしい !

で、年末出血大サービス。辛口爺がヒデキに似ているとパートのおばちゃんたちに言われてた頃の

画像(笑) ↓ うん、熱いぜ辛口爺 !   でも恥ずかしいから画像はしっかりボカすぜ ! (笑)



しかしあの当時、ヒデキはいったい何と闘っていたのだろう ? (笑)



さて、全体の半分が終了しました。

ここで余興が入ります。

ところで皆さんはかつては次のようなことが普通に行われていたことをご存知でしたでしょうか。

ご年配の皆様におきましては大変お待たせしました ( ´艸`)ムププ

そう、紅白歌合戦恒例の紅組若手女性歌手たちによる豪華なラインダンスです。

それでは元気よく参りましょう !


  ※ 残念ながら動画は削除されましたm(_ _)m


いや~たまりませんね~♡  かつてはこういう事も普通に行われていたんですね~

向かって左から、石川さゆりに岩崎宏美に太田裕美 ...向こうには森昌子はどうでもいいですが、

高田みづえに南沙織さんまで ... 私これ全員の名前が言えます(笑)

今となっては大変貴重な映像だと思いますが、本人たちはきっと恥ずかしかったでしょうね~ (*´ `*)



それでは後半戦の始まりです。

紅組のスタートはこの方たち ピンクレディー。

曲は1978(昭和53)年で 「UFO」、 同年の日本レコード大賞受賞曲でもある。

実はこの年のピンクレディーは紅白を辞退しているのだが、そこは無理矢理入れちゃいます(笑)



当時は何故かそれほど感じませんでしたが、今見ると驚くほどの色気ですね~ ♡

この時が大体20~21歳の時なんですよね。 いつも見るたびに思うんですが、昔の女性の方って

ホント綺麗で大人で色っぽい。 最近はAKBばかりが目立つからでしょうか、なんか同年齢でも子

供っぽく見えるんですよね。 

女は色気 ! 

辛口爺は今の若い女たちのそこが不満だぞ(笑)



そして対抗する白組はこの人、沢田研二。

紅組がレコード大賞のピンクレディーなら、白組も大賞経験者で勝負です。

曲は1979(昭和54)年で 「カサブランカダンディ」



♪ボーギーボギー アンタの時代は良かった~~ ♦♫♦・*:..。

あの頃のジュリーは何を着ても、また何をやってもサマになってましたね~

また、彼を見るたびに、男にも色気というものが存在するのだということを再認識させられます。

そしてあの時代は今のように男女がフィフティフィフティでなく、男のわがままを女が許してくれた時

代でもあった。 その代わりに男は女を守るしグイグイと引っ張ってもいった。 たとえそれが痩せ

我慢であっても女がそれ(プライド)を察してくれるというような時代でもあったと思う。

うん、良い時代だったぞ。(遠い目)



さて、早いもので辛口紅白も佳境を迎え、残すはそれぞれのトリを残すのみ。

熱狂冷めやらぬ紅白であるが最後はやはり演歌で締めたい。

演歌は日本人の心である。

アイドルが良い、流行りのポップが良いとかナンちゃらカンちゃらいいながらもやはり一年の最後

を締めくくるのは演歌をおいて他にないのだ。

で、紅組のトリを飾るのはやはりこの方のこの曲でしょう。

石川さゆりで 「津軽海峡冬景色」



年末大晦日、冬の真っ只中。 ここはやはり北国の風景が似つかわしい。

津軽海峡冬景色は、その情景が目に浮かぶ曲として、私はこの作品の右に出る曲はないと思う。

そしてこの曲は”昭和の心”そのものでもあると思う。

雪が積もる北国の厳しい冬。 温暖な地方に生まれてもその心は変わらないのである。

是非後世に歌い継いでいって欲しい歌である。



そして大トリ。

年の瀬を締めるのはやっぱりサブちゃんをおいて他にはないでしょう。

風雪ながれ旅も良いですが、ここはやはり 「まつり」 を上げたい。

先ほどの 「津軽海峡冬景色」 が昭和の心なら、「まつり」 は日本の心だと思う。



山の神に海の神 ...

砂漠に根ざすキリスト教やイスラム教のような一神教では、こういった歌は決して生まれない。

自然豊かな八百万の神が住まう日本だからこそ生まれる歌でしょう。

この素晴らしい国・日本をいつまでも大切に残して行きたいですね。


しかし、う~ん … 紅白の映像ではないので何かが足りない。


そう、紙吹雪である !


で、こちらの画像  ↓




♪これが日本の~まつり~だぁよ~~♪゜・*:.。. .。.:*・♪


これでいいのだ(笑)


と、いうわけでいかがでしたか ? 辛口爺の 「ひとり勝手に紅白歌合戦」

みなさんも曲目を選んで、それぞれ自分なりの擬似紅白を楽しまれてみては如何でしょう。



・・・て、あれ ? これじゃまるで思い出のメロディでしたね。



   ま、いっか (笑)














Posted at 2016/12/24 19:28:36 | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年12月20日 イイね!

剪定、あとボウリングとか

剪定、あとボウリングとか師走というのはとかく忙しいものである。

その大きな部分を占めるのが一年の汚れを落とす大掃除。

家屋はもちろんのこと、田舎の百姓家になると庭の剪定も

大きな仕事の一つである。

中でも家の周りをグルッと囲むマキの木の生垣。 

この刈り込みが中々の大仕事なのだ。


と、いうわけで登場するのがこの剪定用バリカン 「ヘッジトリマー」




メーカーは当然のマキタ製。 実は株主だったりする (^^ゞ

これは360ミリで下から2番目くらい。

これで重量が2キロあるので、素人にはこれ以上は無理。

しかし電動とはいえ、15ミリくらいの枝でもバリバリ刈っていけるのでこれでも充分なのだ。


で、ビフォーアフターがこちら。


ビフォー




アフター



う~ん、素人にしては中々の仕上がり。

なんて簡単にいっているが、見えているのは家の東側の低い部分で、裏側や西側はほぼ全面2メ

ートルを超える高さがあり、家の周りを全部終わらせるのに丸々4日掛かるのだ。 

先週と先々週の土日で何とか無事に終了 (;´Д`)ハアハア.....

柿の木の枝とかもだいぶ伸びてきているが、こちらは年末のお休みに落とすとしよう。



剪定は以上で、次はボウリング。



最近たまたまユーチューブを徘徊していて目にとまったのがボウリングの動画。

見ているとこれが中々面白いのである。

中でも少々ハマっているのが、トップの女子プロボウラーたちが争う 「Pリーグ」 というシリーズ。



プロボウリングは初期の頃、それこそ中山律子選手等が活躍していた頃から知っているのだが、

最近の動画を見てビックリ。 こういっては失礼だが、今は兎に角美人ぞろいなのだ。

更にユニフォームなども昔と違って思い思いでとってもファッショナブル。

次の動画をちょこっとでも見て欲しい。 いや~しかし時代は変わりましたな~



もうどこを見てもその辺のギャルたち(古い ?)と変わりませんね~ 

いや~これはおぢさん堪りまへん ♡ (笑)


ところで皆さんは普段ボウリングを楽しまれたりするでしょうか ?

今現在、そして過去でもいいですが、アベレージはどのくらいでしたか ?

私は現在は全くプレーしませんが、実はこう見えても若かりし頃にほんの短い期間でしたけど、マイ

ボール・マイシューズを持ってプレーしていた時期があるんです。

その時のアベレージは180。 最高が確か245でした。

ただ、ボールは1つだけでしたので、もしスペア用のボールと2つ持ったとしたら、恐らくアベレージ

はもう10ピンくらい上を行ったのではないかと思われます。



以上、日々忙しくちょっと間が空きましたが近況などを。

次回はこの間発表された紅白歌合戦のブログなどを書いてみたいと思います。


  駆け足でしたが、ではまた ✌

Posted at 2016/12/20 20:20:05 | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年12月03日 イイね!

アラフィフの女たち ♡


「アラフィフ」 とは、特に明確な基準というものがあるわけではなく、大体40歳代の後半から50歳代

前半にかけての人を指す和製英語だそうだ。


今、このアラフィフの女優たちが実に良いのだ。

ただ単に綺麗というだけでなく、大人の女性の中にも可愛らしさがあり、さらに外見だけでなく内側

からもその美しさが溢れている存在。

そんな素敵なアラフィフたちであるが、数ある女優たちの中から私・辛口爺が特に推すのが次の

二人である。


まずは石田ゆり子

1969(昭和44)年生まれの47歳。

1987(昭和62)年に、全日空のキャンペーンガールに選ばれ、翌年女優デビュー。

とびっきりの美人とは思わないのだが、しっとりと可燐で、さらに清楚な雰囲気が実に良いのだ。

少し前になるのだが、こんなCMに出てたのを覚えているだろうか。





 ”女房を酔わせてどうするつもり ?”

いや~ 良いですね~ ♡

このCMは厳密に言うと、90年頃の中野良子さんが登場したものをリメイクしたものなのだが、前作

がやや冗談交じりで遠回しな感じなのに対し、こちらの方は妙に直接的で意味ありげな雰囲気。

たった15秒の中に男の妄想と浪漫がぎっしりと詰まっており、さらには男の夢をも大いに掻き立て

る出来栄えではなかったかと思う。

実に素晴らしい作品である。

辛口爺はこのCMを作った人々に拍手を送りたい。



そしてもう一人が、原田知世

彼女は1967(昭和42)年生まれの49歳。

1982(昭和57)年に芸能界入りし、翌83年に角川映画 「時をかける少女」 でスクリーンデビュー。

こちらも清楚でかつ透明感溢れる雰囲気が実に良い。

動画は原田知世カバー集「恋愛小説」第2弾より 「September」。

1979(昭和54)年の竹内まりやの曲でした。



9月から先月にかけて放送されたNHKの金曜ドラマ 「運命に、似た恋」 をご覧になった方も居られ

ることでしょう。 私自身、近年はテレビドラマというものはまるで見ていなかったのだが、それが夜

10時という時間帯や、その他のタイミングが合ったことで、今回たまたま見ていたというわけなのだ

が、正直驚きましたね~。 50間近のこの年齢で、この可愛らしさとこの透明感。 ”時をかける少

女”ってのはこのことなのかと思ったくらいでした。

そして、これは石田ゆり子と原田知世の2人に言えることなのだが、デビューした若い頃より、むし

ろ今現在の方がよっぽど魅力的なんじゃないかな、と ...

若い方々や、本当の同世代の方々が彼女たちをどう思うかはわかりませんが、ちょっと上の辛口

爺の世代からすると本当に可愛く見えるんだなぁ、これが。  うん可愛くてしょうがないぞ ♡


で、最近の辛口爺の頭ん中の相関図がこんな感じ (笑)


                           ↓


                 
                 
                 

それにしても良いなぁ、アラフィフの女たち ...

   ゆり子に、

     知世に、

       奈保子、、

         あっ、辛嫁ちゃんもか (^^ゞ



   というわけで、 う~~


   恋多き辛口爺なのであった。



          なんのこっちゃ (爆)
Posted at 2016/12/03 21:35:48 | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年11月26日 イイね!

行商のおばちゃんの話

行商のおばちゃんの話
現代の日本人が忘れつつある大切なものを無理やり呼び

覚ます「良い話」 シリーズ (笑)

今回は”行商のおばちゃん”の話です。

かつて我々が子供だった昭和の時代、どこの町にも行商

を生業にされていたおばちゃんがいました。 

自分の体よりも遥かに大きな荷物を背負いながら各戸を

周り、野菜や鮮魚を売り歩く姿を覚えておられる方も多いことでしょう。

もうとうの昔に絶滅したであろうこの「行商のおばちゃん」ですが、実はあの時代から現在に至る

まで延々と続けてきておられる方がいるのです。 しかも東京・銀座のど真ん中でです。

その方とは上のタイトル画像に写る方で、茨城県の石山文子さんとおっしゃる方。

今回はその石山さんの話です。



ではさっそく紹介いたしましょう。

2年ほど前のNEWSポストセブンその他からの引用です。



      「 待っている人がいるからやめらんねえ 」


    東京銀座には、”おばちゃん”と呼ばれて親しまれている有名人がいる。

  61年にもわたって行商を続けている石山文子さん(84才)だ。 石山さんは毎日、茨城県から

  1時間半電車を乗り継ぎ、銀座の街へとやってきては、地元農家でとれた野菜や地元鮮魚店

  の魚を売っている。

  石山さんの起床は午前4時。 支度を終えると、自分の体より大きなかごを背負い、自転車で

  県境を越えて千葉県我孫子市の布佐駅へ向かう。 

  乗る電車は決まって5時51分発上野行きだ。


  朝7時4分、地下鉄・東銀座駅に到着。 

  石山さんは、首にかけた手ぬぐいで汗をぬぐうと、シートに商品の陳列を始めた。

  この日は、採れたての野菜の他に、アジ、まんじゅう、嫁が漬けたきゅうりが並んだ。

  7時10分に営業開始。 すると開店を待っていたかのように、レストラン経営の男性が自転車

  でやって来た。 10年来の常連客で自宅用の食材を購入している。

  石山さんが笑顔で迎える。


  「おはよう。今日はね、トマトがおいしいよ」

  「じゃー、それちょうだい。 おばちゃんおいしそうなの選んでよ」

  「ハハハ、どっこいしょ」


  石山さんは立ち上がり、少し大きめのトマトを袋に入れていく。


  「あとアジもおいしいから買っていってよ」

  「(笑い) わかった」

  
  会計は1200円。 男性は 「ちょっと細かいけど」 と言って、千円札と五十円玉4枚を渡す。


  「あー、ちょうど五十円玉が欲しかったの。 いつもありがとね」


  おばちゃんの元には、いろいろな客が訪れる。 サラリーマンやOL、銀座に住む主婦、時には

  外国人観光客も。 とび職風の大柄な若者は、黙って代金を置いてトマトを掴んでいった。

  
  「一度もしゃべったことないけど、毎日来てくれるんだよ」 と石山さん。


     


  開店から2時間後の9時10分、商品は完売した。 石山さんは、また1時間半かけて、茨城の

  家まで戻る。 電車内では疲れて寝てしまうことが多い。 

  いつまで続けるのだろうか。


  「やめらんねえよ。 おれをこうやって待ってくれる人がいるからね。 1日でも休むと、”おば

  ちゃん、どうしたの ? 大丈夫 ?”って言われちゃうから」


  石山さんが行商を始めたのは23才の時だった。

  当時、辺りはまだ一面焼け野原。 そんな中を米一表を背負って毎日通って来たのだという。


  「昔は、なーんも無かったんだよ、着るもんも食うもんもなーんもねえの。

  20で嫁にいってよー、朝っぱらから洗濯してよ、わらでご飯炊いてよ、手なんか荒れちゃって

  真っ赤だよ。

  便所の中で涙こぼして、実家の方見て叫んだよ、帰りてーよー、帰りてーよーって、泣いて泣

  いて泣き抜いたよ」


  時折、目をぎゅっとつむり、ていねいに話しかけてくれた。


  「苦労ってもんはずいぶんしたよー。 まーず働いたよ。 80年働き続けても丈夫なんだから

  よ~。 大したもんだと思ってよ~。 息子たちにも言われんだよ。 ばあちゃん元気だよなー

  ってな」

  そう言うと、満面の笑みを浮かべ、豪快に笑う。

  
     


  石山さんが行商を始めた当初バラックばかりだった銀座の町並みは、1964年の東京五輪を境

  に近代化が始まった。 1967年には通りを走っていた都電が廃止され、ビルが次々と建ち、東

  京で一番のネオン街に変わっていった。


  「今は高いビルばっかり建っているけど、どんどん人がいなくなってる気がするね。 少し前まで

  は近くに麻雀屋さんがあって、朝に徹夜明けの人がよく買いに来てくれたよ」


  そう言って石山さんは、地下鉄の改札口に向かっていった。 

  数歩進んで振り返る。


  「だけど、人情は60年、変わんねえ」



   ☹        ☹        ☹        ☹        ☹        ☹        ☹



いかがでしたか ? 行商のおばちゃんの話。

私はこの石山文子さんに本当の日本人の姿を見た思いがします。

もう2年ほど前の記事になりますので、今年86歳になられているはずです。 現在も続けられてい

るのかどうかはわかりませんが、それにしても驚きですね。 平成に変わって28年、日本で一番の

都会であり繁華街である東京・銀座に、まだ 「昭和」 が残されていたわけですから。


この話を読んでみて改めて感じるのは、昔の日本人の”強さ”であろうと思います。 精神的にも肉

体的にも本当に強くてたくましいですね。 実際に石山さんのところへやってくる人たちは皆、口々

に言うのだそうです。 「おばちゃんに会うと元気をもらえる、安心する、ほっとする」、と。


そして、最後の石山さんの 「人情は60年かわんねえ」 という言葉。

とっても嬉しい気がしますし、温かいものを感じます。

今のこの世知辛い世の中に一筋の光が差すような思いもしますね (o^-')b



長くなりますのでこの辺で終わりにします。

今回の石山文子さんではないですが、行商のおばちゃんを記録した動画がありましたので貼って

おきます。 お時間のある方は是非どうぞ。

山形・庄内地方で近年までリヤカーでの行商を続けられた斉藤みつ子さんとおっしゃる方です。

   


最後に今回のブログとは直接関係はありませんが、今無性に聴きたい気分の曲です。

           ↓

海援隊の 「母に捧げるバラード」  昭和49年のNHK紅白歌合戦での映像です。

   


        今も聞こえる あのおふくろの声

        ぼくに人生を教えてくれた

        やさしいおふくろ

       ( 中略 )
       
        行ってこい どこへでも行ってきなさい

        おまえのごたあ息子がおらんごとなっても

        母ちゃん なあもさびしうなか 

        人様の世の中へ出たら働け 

        死ぬ気で働いてみろ

        働いて 働いて 働きぬいて 

        休みたいとか 遊びたいとか そんなことおまえ いっぺんでも思うてみろ

        そん時ゃ そん時ゃ 死ね

        それが それが人間ぞ それが男ぞ

       ( 中略 )

        今も聞こえる あのおふくろの声

        ぼくに人生を教えてくれた

        やさしいおふくろ

   



  ... やっぱり自分は古い人間か ... (笑)      また来週~
Posted at 2016/11/26 19:35:09 | トラックバック(0) | 良い話シリーズ | 日記

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「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
国民は信託なんかしてないぞ !

何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
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