能登半島地震で被災された皆様へお見舞い申し上げます。
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令和6年能登半島地震 緊急支援募金(Yahoo!基金)。簡単に寄付することができます。

仲間より頂いたざらめ付きな美味しいカステラを頂いたりして日中が過ぎて行き、

「19時ころ行くから」という時間が到来し、

アベンジャーズワールドがよい整いを見せてきたところで、

チェキでママを写した二枚、肌身離さず持っていろとのことに、あとでばぁちゃんちに忘れて来ますが、授与式を経て、

年越しに向けて、

よくもまぁほとんど一人で草むしりをやってくれたものだと、これは一生我が子にもレジェンドで残りそうですが、土地前を通って、

差し入れを仕入れて、

年の瀬の年末と年越し、お世話になりにきました。

「俺の部屋もこたつほしい」と湿度高き部屋のこたつにて夕食を頂くことにします。

「えぇおれこんな低いところだったのかよ」と、成長を刻んできてくれた宝物。11/10の線からだいぶ伸長していて、最近は成長率が高まっているようです。この日からジャンプ高まで壁に書いてくれるようになって、これの記録も新たにこれから楽しみが増えて、

宴の準備が整ってきたところで、着座すれば、黄金の大好物が出て来るも、年を考えればあまりガツガツいけなくなったのが悲しいところですが、

無差別級・ブロッコリー個人別消費量暫定チャンピオン、年末までぬかりなく、

たくあんの食べ比べまで、

さらには通常の松前漬け、フカヒレといくらの松前漬けと、甲乙つけがたい味で、乙な食べ比べまで有難く頂きます。

パパとママが新婚の頃買ったテーブルをばぁばが引き取ってまだ使ってくれていての卓上で、きなこのセルフスタンド。

社のお若い方、お母様から頂いた有難いお餅を、ばぁばのところまで行きわたって感謝しつつ頂きました。

九条葱の年越しそばを頂き、

お茶を淹れてくれて、

じぃじとスパーリングしたり、途中からずっとマッサージ機にかかるママのところにベタっといたり、

私の役割と同一の発音呼称洋ナシを頂き、

ばぁちゃん達が見ている歌謡際「ほら、面白いテレビやっているから一緒にみようよ」とスマホを見る我が子へ声掛けするも「面白くねぇ」とそりゃそうでしょう、「新沼謙治久しぶりにみた」とそのような会話が通じてしまう我々夫婦はぎり楽しめましたが、あるいはばぁば達が「この人いくつになったのかしら」でグーグル先生に聞いて歳月を味わうというフローで時間が流れて行き、
昨年に引き続きこうしてばぁばのところで年越し初詣。感謝を込めて、昨年頂いたお札をお焚きへいれて、

そして
これも昨年に引き続き二年連続となる先頭を頂戴でき、

「平成2年ってどんだけ昔だよ」といくつかの中から令和4年製綺麗な百円玉で御賽銭させてもらうこととして、

年明けまでのしばしをこうして待ちます。

2024年の年が明けて先頭で御祓い頂き「やべ充電2%しかない」と友達へ「ハッピニューイヤー」とあけおめメール、時代です。

「入院してたらおめでたくないね」と入院していた友達を気遣ってか聞こえてきて「入院してようが、病気であろうが、

どこにいようとも、生きて新年を迎えられたらおめでたいんだと思うよ」と会話して、

コロナがきっかけとなり
昨年もこうして破魔矢を頂きばぁばのところで年越ししたり、年始の親族集まりに出てみたりの機会をもらうようになりましたが、

ばぁば達の年齢を思えば、貴重な過ごし方をもらうようになったともいえるかもしれません。

新年の挨拶、天国にいるパパの兄にもしてくれて、仏様にも手を合わせ、

お年玉もじぃじばぁばそれぞれからもらって、新年辰年早々の家路に就くことにしますが、

道中、土地を通れば一人奥の暗がりまで行って、神主殿がしていた行儀を真似して邪を砕き土地を清めてくれ、

初風呂にて、もうめっきり観なくなりましたが「HIKAKIN結婚したって。ママから聞いた」と共有を受け、

ママばぁばにあけおめ電話して、従兄は彼女の家で年越ししている等、情報収集活動の共有をあとでしてくれて、

「桃屋のご飯です」のワンパックタイプ、あれそろそろまた買ってくれないかぁと思っていると「そろそろあれ買ってと言われるかと思ったから」と、今井浜の帰りに買ってくれたこれで2時頃夜食を頂き、我が子はゲームやらしていて「まだ寝ない」と聞いて先に寝て、

元旦の富士山を見て、

早朝やっていた朝番組で、今年の元旦は天赦日と一粒万倍日が重なり、日の出を見ると運気アップするとのことで、またこういう胡散臭い話していると思いつつも、じゃあって思い外に出て、しかし北陸の方々で多くの人々が日の出を見たであろう、さらには天赦日で一粒万倍日なんじゃないの、と風水師様とやらに言いたくなりますが、もう出鱈目ばっかり言うのはやめたらどう、と世界を見ればなおさらに思いを改にしつつ、

お昼二度寝から起きると、ゲームをしながらトマトジュースを一杯飲んでいて、

飲み過ぎだとママから言われながら、おかわりでもう一杯。

頂いた有難いお餅で、これまた有難くぞうすいを作ってもらい、

「パパもいる?」とカラムーチョを飲みながら一緒に映画を観て、

あれやこれやしていると、東京では長周期地震動でゆっくり大きな揺れが長く続き、

眠りに就いて、翌日になれば被害状況をみて、

ニュースやSNSを見れば時間を追うごとに驚愕の状況が明らかになっていき、その深刻さを知ります。

という中に明日は我が身、東京もそろそろと思って過ごしていますが、もう少し可愛がるために今井浜でネット注文したXバリオ用の黒革ケースが届き、装着してみて、土地へ遮光シートを張りに行けば、ばぁばがしてくれたであろう正月飾りを知り、

ひたすら家でゆっくりしつつ、夕刻我が子はお留守番で、

ママとピザのお持ち帰りを取りに行ってると、今度は羽田の事故。被害者の皆様にお見舞い申し上げつつ、能登へ物資を届ける任務に就かれていた海保5名の方にご冥福をお祈り致し、他方事故数時間後の当日未明頃には羽田での管制やり取りがUPされその違法性は一旦置いておくとして、主因としては海保側の冒進であることが濃厚なやり取りがシェアされる時代にまた驚き、同じ内容ばかり繰り返す報道や「調査中」を繰り返す当事者機関の中に位置関係まで民衆だけの力で明らかになりさらに詳しい方々が分析、解説を行う時代、

事故調では従前どおり根本的問題として「無線を使うことによる事故・インシンデント発生の可能性は今後とも残る」と締め括りつつの、ATCシステム上の音量平準化機能による脆弱性や、監視体制の穴、そもそも羽田の過密化の中に震災対応があったというあたりの指摘になっていくのかもしれませんが、少なくとも直接的な状況をこうして広く知れる時代にまた驚きます。加えて案外に人の感覚や器官に頼った航空システムにこうした状況での自動警告システムすらないことに驚きを重ねます。

前日も同量を敷いて翌日分の遮光シートとお正月二日に分けての家族で作業、これでだいたい整地は終われるか、トマトジュースを注いで、

テレビを持ち歩く時代、このあと映画を観て過ごし、

想像以上の大惨事に、本日は起きて、我が子と一緒に微々たるですが寄付をすることにしました。
令和6年能登半島地震 緊急支援募金(Yahoo!基金)。簡単に寄付することができます。

2024.1.3午前現在約54万人の方々が総額8.3億円寄付していて、こうした環境、時代を素晴らしく思います。
EOS R + RF24F1.8
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