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ドライブへ行こうのブログ一覧

2016年02月12日 イイね!

箱根にドライブへ行こう。 湯を訪れて、経済やお金も考えて。 デジイチ編


「温泉でも行きたいな」と思っていると、「温泉行かない?」と家人から問いかけが。たまには気が合うようです。久しぶりの箱根。箱根としては四半期少々ぶり、この宿は気が付けば半年少々時間が経っていました。道中の景色も新鮮に見えます。




どの旅館も部屋の名前、いろいろ考えるものです。私はネーミングを考えることは最大に苦手な項目ゆえ、爪そのものをできれば炒って飲みたい気持ちです。そこそこ近場中心とはいえ、子供もかなり旅行へ行っているほうだと思う中、あるいはドライブへたくさん連れ立っている中で、とにかく家にいることができない子に育ってきました。いや血かもしれません。いや子供というものは外に行きたいのでしょう、欲求だけに従って生きる悪い大人に似ています。



お風呂上りに分厚いバスタオルで徐に頭を拭く。私は家ではほとんどバスタオルを使いませんゆえ、贅沢を感じる一瞬です。



前回はびびっていたジャグジーの「ボコボコボコ」という音と泡。今回は満喫していました。だんだん成長しています。



箱根と一口に言っても幾通りかのお湯があり草津のように白濁なイオウ臭(と言われるもの)がするお湯もありながら、ここのお湯は癖のない無色透明無臭なお湯。にも関わらず、温泉に入るのが久しぶりだったせいか効きました。汗が止まりません。ふらふらです。




がんばってデジ一も持ち出して、使用頻度が減っている機種をチョイスして、さらにコンデジも2台。キヤノンの1インチコンデジについては次回。悪くありません。ちなみにキヤノンM3はリリースしました。あまりにも使わず、一方で後進がM3に惚れていたので、使われた方がカメラのためだろうということで、栄えあるデジカメ里子1号として出家していきました。




15時前後で箱根に入る前は気温12度、箱根を登って行くと4度でした。だいぶ冷えた感じがします。お風呂を上がって、風邪をひかぬよう温かくして少し散歩です。



文化財にも指定されている、歴史も味もあるこの建物はご飯を頂くところです。プランや部屋によっては部屋食もできますが、せっかくの風情を楽しまないのはもったいない年季ある建物です。



サイズが備え付けの甚平なんかも着れるようになり、ぞうりを履いて散歩。はいいのですが、数歩歩いてはぬげて、家人が何度も履かせてあげて、私はカメラ係で楽をして。



人の分類方法はいくつもありますが、私が非常に分かりやすいなと思っている分類が、石、ゴム、竹に分類するものです。石は煮ても焼いても食えずある日パカっと割れる。ゴムは伸ばしても伸ばしても元に戻り、最多層。竹はどんどん勝手に伸びる、が屋根に突き破りそうなときはコツンと方向だけ変えてあげる。竹は非常に少なく、最多層たるゴムをいかに育てるのかがポイントである、と説明する分類です。好きな、心地いい、無理のない、あるレベルまでは皆伸びるのですが、一定以上も破竹の勢いな人は最小層。環境も用意せず、環境も自分でこしらえて、どんどん伸びていく人なんて滅多にいないような気がします。環境さえ用意すれば伸びる人、も少ないと思う中、環境を用意しても伸びない人、以下同文。





散歩の目的は露天風呂にある「ヤクルト」と「飲むヨーグルト」を子供用にゲットしにいくことです。本当は部屋に持って行ってはいけないのですが、多少ルーズでお願いします、ということで。過日「今度六本木の子とご飯(同伴)いくんだ」と後進が言えば、さらに若い後進が「いいな、ゲット」と羨ましがる。ご飯、しかも同伴行くだけでゲットという感覚、さらには「ゲット」という言葉。久しぶりに聞き、も含めて皆で大笑いしました。「ゲット」です。




面白いのは、夜の部だけは環境さえ用意すれば、破竹の勢いで成長する人が盛りだくさん。ここに人材育成のヒントが隠れているのでしょうか、とさえ思うこと多数。いや逆説的に人の育成の難しさという結論を導いてしまいます。理想論や正論ではなくて、現実論を思えば。




成功することと言うのは、簡単ではないと思います。ましてやもっと難しいことが「成功したことを維持すのとはちょっと異なるずっと成功を重ね続ける」、換言すれば成長し、成長させ続けることではないかと思っています。奇跡の連続と言っても過言ではない、そう思います。そんな中で怖いことの一つは「若くして成功する」こと、とも思っています。若くしてうまく行った後進なんかを見ていても思いますが、これは非常に怖い落とし穴であり、十分注意して回避させるべきポイントだと思っています。



近くて遠い露天風呂にやっと到着しました。清原元選手。若くして成功したゆえに身を滅ぼすような道へ行ってしまったのだと思います。と、答えはそれぞれでいいものの、なんでも考えてみる材料にすることが大切かと。




歳を重ねて人間が出来ている人なんていません。むしろ歳とともに我儘にもなっていくものですが、だとしても若くして足りないところだらけなのであり、若くして人間が出来て、あるいは1から100まで揃っている人などどこにいるのでしょうか。足りないだらけのところにきて、多くが満たされ、誰も意見を言えなくなり、方法論が確立し誰にも耳を貸さないようになり、我が道を突き進む。簡素に言えば有頂天になりやすく、どんなに言ってもどこか地に足がつかなくなり、あるいは一番怖いのは「どこか満足する」ことです。次の成長が蝕まれる要因になると思います。




海老名SAで売っていたバスのミニカー。私が欲しくなってしまい、その場にあった全種類を買いました。他にも買うつもりだったので、財布を持たない私は家人へ「2万円頂戴」というと「2万円!?!?」と少し疑義、いや義憤があるモードでしたが、成長に役立つ所有原理ということで。がちゃがちゃもお目当てのものは空になるまですべて買います。一つ買うと一回くじが引けるということでどうしても大き目ななんとかというネコ系アニメのサイコロクッションを持って帰ってあげたく、くじが面倒だったのでコンビニの一棚全部を買い占めたこともあります、小さいことですが。をした割には、本人は興味示さず父親がっくりなときもありました。本旨としては「時には力で運すらもすべて手に入れればよい、それぐらい強く、あるいは能力や力を持ちなさい、そしてそういうやり方もあるんだよ」ということを教えたくて。



所有原理と言えば、当時オフ会と呼んでいましたが、オフ会の写真ではありません。同じメーカーだけで何台も保有したときの、その一部を集合させたときの写真です。なぜか夜の子や看護婦さんも来つつ。他にもこのメーカーのSUV3台、うち一台は海外に置いてや、あとは思い出せないような感じで、好き放題にやっていました。このメーカーは世界的にも稀有なほどにブランドを築いたメーカーです。そこに学ぶものがあるのではないかと思いました。商品の作り方そのもの、マーケティングにブランディングや、ときにはメーカーも主導する顧客教育プログラム、製品の進化やその違い、経年変化までも知りたくて。ちなみにどんどん周りへ貸与します。自分だけスーパーカー乗っているような「自分だけ」という器にはなりたくなくて、と若いころは思いました。いずれにしても不思議なのが自分だけいい思い、つまり自分だけ様々な経験を重ねて、後進にはさせずに「次が育たない」と嘆いているお山の大将が多いことです。いろんな様々な経験をさせて行くことが大切だと思います。それでも10人に1人芽が出ればいいほうですが。




若かったエネルギーの傲慢無礼ついでに、ちなみにこれは今まで頂いたプレゼントの中で、格別に気に入っているものです。意味を知ればその心遣いがうれしくて。インドへ行った際に頂いたものです。「ぜひインドへ来てください」と言われたので、「明日インド行く」と担当部門へ旅行の手配を頼みました。社会勉強も含めて数名連れ立って。「手配するのはいいですが、前日は勘弁してください、せめて一週間前に」と後年まで言われる羽目になりましたが。乗り継ぎ便しか空いておらず、途中からはインド人しか乗っていない機内に漂う体臭も違う飛行機に乗ったときは、異国情緒たっぷりで楽しかった思い出があります。ドアトゥドアで24時間でした。南国以外はすべてアテンド付きな旅行で、ツアーでは行けないところも味わったり有り難い人生だと思って感謝しています。
毎月幾ばくか飲み、見もしないで土地にビルも購入し、こんなことを10年ぐらい続けました、しかもかつかつの正反対な余りの部分で、を可能にするぐらい仕事もエネルギッシュにやり抜いて。仕事は楽しかっただけですが。ぐらい後進にも子供にも軽々と越えて行ってほしく思います。に比べればバスのミニカーぐらいで目くじらを立てないでほしいような気がする、明日は明日の風が吹き。



部屋にプレゼントなお酒も付いているプランだそうですが、飲みきれないのでお持ち帰りです。インドの話ついでに記すと、同国へ行った際には、ブッタ氏よりもガンジー氏のほうが国民に与えている影響が比べ物にならないほどに大きいと聞きました。インドでの仏教の普及率が日本人からすると意外とかなり低いこと、ヒンドゥー教でのブッタの立ち位置や、インドの歴史を思えば、言われてみればそう思うインド人も少なくないかもしれない、という印象を持つ意見でした。そしてそのインド人が「日本にもガンジーのような人がいるんですよね?」というわけです。皆さんは誰を想像しますでしょうか、日本のガンジーと言われて





所属している方には申し訳もないとことですが「え~日本のガンジー、いたかなそんな人」と私が言うと、「えっとえっとたしか」と続けて「えっとえっと、いけ、いけ、いけなんとかさんと教えてもらいました」と言い出したので、否定しておきました。歴史上そういうことであれば否定しませんが、歴史という学問上も異なり、あるいは一般的な見解とは違うので。気分を変えて夕食を頂きます。



人生、いい暇つぶしを見つけました。しかも楽です。写真という名の暇つぶし。役に立たない雑学も増加傾向にあります。そういえば、営業に熱心な野村はよく手書きの手紙をくれ、同じく熱心な系譜を持つ住友系の銀行は手紙に電話もよく来ますが、だけでなく、とうとうスイス銀行からも営業がかかりました、そんなに持っていないのに誤まった情報ですが、どこで調べるのでしょうか。そもそも家人が全部握っていて、私の財布には千円しか入っていないことも日常なのに。しかし念のためネットの注文はオール必ず偽名で頼むようにしています。忘れもしません、20年前くらいでしょうか、時期は忘れているのですが、九州のほうで「ベンツに乗っているからお金があると思った」という理由だけで、事件に合ったご家族がいました。犯人は中国籍だったように記憶しています。しかもそのベンツは旧か旧々モデルの中古だったように覚えています。




そんなわけで、上には上がいてくれつつ、私にも若いころ今以上に傍若無人なときもありましたが、清原氏みたいなケースもあれば、しかし一方で、たとえば同じ野球の世界で見てみれば、長嶋監督も王監督も、あるいは桑田元選手や松井元選手もいるわけで、身を崩さず歳を重ねていくケースも十分に多くあるわけです。違いはなんなのか。   正直に言えば、プレイヤーではなく、プレイヤーをいつまでも見ないで、その上を行ってほしく思うので、そういう意味では適切な例ではないのですが。




筋というものは、その人ごとにあるものだと思います。「うちの旦那には旦那なりの筋の通し方があります」なんていう立派なセリフを口にしていたご婦人にも会ったことがあります。ちなみにこの旦那氏には、多大に儲けさせてもらいました。最期はシンガポールで腹の上で旅立たれ、70を過ぎても、スーツのズボンのチャック周辺はなにかをもらった軌跡がにじみ出ている状態に常時なっているヤンチャな方でした。歳を重ねると感情のコントロールが難しくなる人も多くいたり、あるいは免疫が下がるのでお土産をもらいやすくなるわけですね。話しはそれましたが、



そんな100人いれば100通りある筋道だとしても、最低何か一つでもいいので「筋道を通す」ことが、人生の道を踏み外さない上でものすごく大切なことなのではないかと思う次第です。対義語としては筋違いではなく、節操がない、もしくは節操がなさすぎると評される生き方です。とすると言い過ぎやもしれない中でわざわざ人のことを悪く言いたくはありませんが、一つも筋がなかったのが清原氏だったのではないかと思うところです。見栄や虚栄、つまりは自分に押しつぶされたのかもしれませんが、もちろん実際のところなんぞ私には分かりません。



水菓子とデザート、炊き込みご飯の残りをおにぎりにしてもらい部屋に届けてくれました。毎度思いますが、本当に旅館業というものは有り難い限りです。自分でやれ、と言われても辛いものがあります。来る日も来る日もおもてなし、気が疲れそうです。



朝を迎え、ピントを合わせない写真を一枚。力を抜く人生のように。




手前のすだれにピントを合わせてみるとやさしく淡い光が潰れてしまいます。やはりときには力を抜いて生きるのも大切なのかもしれないと、カメラに教わった気がする、いやしない、いやするかもという優柔不断さはいい結果を生みませんと思います。




新緑の春が待ち遠しく胸躍る、あのなんとも言えない空気を吸いたい、そんな時期になってきました。いろいろなお金の使い方をしてきましたが、まだまだ難しいと思うのが活きたお金の使い方です。消費、投資、あるいは浪費含めて、まだまだ会得できていない実感だけはあります。しかし一つ分かったことはどんなに錬度を積んでも、百発百中はありえない、三割打者も難しい、下手をしたら千三つの世界かもしれない、ということです。それぐらい活きたお金の使い方は難しい、と思います。



正確な理解をしない者が簡素に言えば「すべての欲を捨てなさい、生きることにも執着しなさんな、気楽にやろうよ」というのが仏教の教えのベースな気がしますが、その仏教の高僧がNHKで「お金が集まるところは、その人に集まると世の中の役に立つから」と言っていたのを覚えています。これを「心のレベルに応じてお金が集まる」と表現していました。なんとか自分や家族が安心して生きる分お金が欲しい、と、つまりは自分のことだけ考えている器のうちはあまり集まらないようです。仏教によるとですが。集まったとしても、すべて無くなり一時的ということになるのかもしれません。お金が欲しいから、心のレベルを上げる。いいのではないでしょうか、動機が不純と思われようと。トライしないよりはいいわけで。そしてはじめから心の鍛錬もできている人もまたいないわけです。




これから大変な時代です。いついかなる時も何時も、古今東西、あるいは生きることの大変さは普遍性かもしれません。楽して生き抜いている生物は皆無でしょう。しかし大変な時代というのも一面事実です。が、戦時に比べれば大いにまし、あるいは動乱の古代や、戦国時代に比べても、安泰レベルの世の中です。と、今の有り難さを何度も何回も噛みしめるように、思うことも必要だと思います、厳しい時代ゆえにです。


オープンにできるEクラス。これからオープンにいい時季です。が日本はトンネルが多いので、これが意外とネックです。とオープンに乗っていたころ思いました。

ぐらいに思いながら、この先も大変な時代を生き抜いて、そして楽しく暇つぶしをしていってほしいと願っています、後進にも子供にも。ま、大丈夫でしょう、ぐらい気楽にも思っています。



対話もさらに出来るようになってきました。写真撮るからそこに立って、と伝えると言うことを聞いてくれます。あるいは玩具売り場で欲しいものがあっても、欲しいという意思表示はしますが、今度買おうね、と伝えるとすんなり歩き出します。買う、買わないはどちらでもいいと思いますが、たくさん玩具売り場へも連れて行ってあげることが大切だと思います。大人の世界でいうところの場慣れさせる、と同じくです。


バスホルダー。

一歳半の頃、公園で同い年くらいの子へ「よしよし」をしていました。この辺りもちょっとしたコツがあるように思います。午後、または夕方の公園は小学生が威勢よく遊具も占有し遊んでいたり、もしくは走っているので激突するのが危ないなどの理由で敬遠するママも多いかと思いますが、私はあえてそういうところへ連れて行きました。




「お兄ちゃん、お姉ちゃんすごいね」と小学生に聞こえるように子供に伝え、そして「あっ赤ちゃんだ」とか「あっ子供だ」と興味も持つ瞬間があるので、「一緒に遊んで」と魔法の言葉をかけます。小学生を立てながら。すると、小学生が「可愛いね」と言いながらよしよししてくれます。当人はここで年上とのコミュニケーションを通じて、得るものがあるのだと思います。そしてよしよしをされた経験を持つことになるので、今度はしてあげる側になることができます。よしよしをする側とされる側、自然と立ち位置も変わってくることでしょう。このような経験を無尽蔵と言ってもいいくらいに重ねていくことが大切だと思います。教える側、教わる側がこの世にはいて、勉強を人一倍したり、先に経験すれば、自然と教える側になっていきます。


この日はやたらにF01・F02のBMWを見ました。しかも黒ばかり。属性が似ているのか、ナンバーも似ている数字を使って、面白いものです。

若手を育てることも同じだと思います。上席として、同僚やときには先輩後輩の関係をはじめが肝心とばかりに魔法の言葉も使ってプラスに仕切り、あるいはより絆が生まれるようにときには修正もして、そして多大な経験を先に積ませてあげるかのごとく。


同じ色の同じモデルで西日本一周をしたことがあります。懐かしい思い出です。海外旅行も含め、西日本一周がなんだかんだ一番楽しい旅でした。もう数年したら子供も連れて一周したいと思います。

1990年頃までの数年間、日本にはバブルという国全体が狂ったようなお祭り騒ぎのときがありました。みのもんた氏の言葉を借りれば「バブルが日本をダメにした」に一票入れたいと思いますが、チューリップバブルはじめ、金融史ではバブルは繰り返し起こっているのか、起こされているのかな現象です。



日経平均が3万円代半ば越えて、3万8千円もつけた時代で、その後7千円まで下がったときに年配の方などは「3万越したんだよ、あのときに戻らねーかなぁ」とぼやいている人も多くいました。日経平均を計る銘柄は途中で組み換えられ、組み換え前と後では単純に比較できないのは基本的知識としても、面白いことにある日気が付いたことがあります。


今回持って行った1DX+24-70F2.8Ⅱ。じっとしていない動態たる子供を一番歩留まりがよく撮影できます。

ある日の当時私は、旧バブルもピークの値を付けた頃の株価と、リーマンショック前の株価が1万4千円頃のある数字を比べてみました。どんな数字かと言いますと、日本に上場している企業の時価総額の総和です。面白いことに、ほぼ同じでした。日経平均が倍以上異なり、新興市場へたくさんの会社が上場した変化があっても、時価総額の総和は同じなわけです。これが日本の国力を示していて、そしてバブルも示しているな、と思った次第です。バブル株価の時価総額総和の八掛けぐらいが、その国の適正な国力を示していると思います。証券会社でIPOを担当している友人へ話をしたら、あんまり関係ないのではないか、と言われましたが。



も、ときおり持ち上げて、どころか100-400の望遠付けていても持ち上げます。そして200-400も興味示しています。さすがに怖い。落とさないでほしいです。

インフレやデフレ、確かに物価は大切です。貨幣価値に変動がないとして(相対的にはありえないことですが)、大根が100円なのか、1000円なのかその国で暮らす人々の生活の苦楽へダイレクトに影響します。しかし物価の上下だけで経済を考える論調になったり、あるいは政策を伝えられ、そこでそれ以上考えなかったり、なのはどうなのでしょうか、とも思います。いやときには人口動態やGDPを持ち出すのですが、常にヘ長調ではなく、単調・単発的に論じられがちでこれらを総合的に論じる人も少ないのではないかと思います。これからの日本を考えたときに、目標は2%のインフレで、少しの時差があって給与所得も向上しますからね、と言われているわけですが、物価だけで国力が増すのでしょうか、という問いかけをすれば自ずと答えは出てくると思うところです。物価が上がり一人一人の給与所得が向上する、というのは資源のない国に合っている理屈なのでしょうか。とも思えてなりません。



とはいえ、デジイチは持ち上げるだけで、コンデジのように撮影はまだできません。デジイチのシャッターボタンはこのように押すので、連射モードになっていると大変なことに。

というわけで、紆余曲折しながらも、行きつく先は国の教育になってくると思う中で、仮にコンデジを壊して3万、4万修理費に掛かったとしても、大人になってから1,000万円かけて身に着く感性よりも大きいものがあると思います。つまりはコスパがいいわけです。同じく若手にもたくさんの小さい怪我をたくさんしてほしいと思っています。大きな怪我は勘弁をしてほしいので。どこかで筋は一本通すことを忘れない大人になってほしくも思いながら。


箱根にて「湯を訪れて」という看板を目にしました。旅情が増すいい言葉だと思いました。
次回は同じ湯の旅をコンデジにて。

箱根にドライブへ行こう

Posted at 2016/02/12 00:23:25 | コメント(7) | 箱根ドライブ | 日記
2015年11月02日 イイね!

大切なことを思って、ドライブへ行こう。




秋の箱根、仙石原(せんごくはら)
前々回前回からの箱根路続きです。
最近の悩みの一つはどうしていけてる、とくにスナップ写真が撮れないんだろう、ですが、二十代半ばの頃は「どうしてあんなに偉大な先人が後継者を作れないのだろう」というのが悩みでした。偉業を成し遂げる能力と適正なる後継者を創る能力や性質、あるいは原理原則などとの相関関係があるのか、いや相反関係なのか、または因果関係はどうなっているのか、来る日も来る日も考えに考えました。




ピーク前でまだ開ききっていない中でも、黄金色に染まるススキを見ることができました。
ダイエーの中内氏や、最近でいえばヤマダ電機しかり、もしくはユニクロの柳井氏や、はじめから社内プロパーからのトップリーダーを育成するという選択肢を持っていない節すら大いにあった孫氏など、これだけの偉大過ぎる偉人がなぜに次世代のトップリーダーを作れないのか、悩みに悩んで考え、私なりにいくつかの答えと解決方法を若い当時なりに弾き出しました。ならばこういうアプローチがあるのではないか、と。一方で三井の血を入れたトヨタのすごさも知りました。トヨタというものを簡単に言えば、極みのさらに極みな例なのでしょう。




ニコン・フルサイズ。リサイズしても葉の一つひとつの精細な写りを感じることができます。
そうでなくとも、多くの中小零細企業ですら後継者が作れません。「ですら」という意味は引き継ぐべき組織や事業ドメインが広大なフィールドではないにも関わらず難しいという意味です。次に後継者を正確に言えば、価値や土台を成長させることのできる次世代リーダーを意味します。このようなリーダーを作ること、あるいはそのようなリーダーを育成し、熟成する組織文化・風土までを作ること、と言ってもいいですが、これが至難の業であり、世の中を見渡せばいかにハードルの高いことなんだろうと思う次第です。いやハードルなんていう比喩は適切でなく、達成率を考えればエベレストに単独登頂するよりも遥かに難しいことかもしれません。



久しぶりに御殿場経由を目指して箱根仙石原から乙女道路で帰路に着きます。御殿場経由しか頭になく渋滞をチェックし忘れて大変な帰路となりました。
アップルもまだまだ強固な土台で優位にビジネスを進めていけれると思いますが、アップルのコアコンピタスそのものと言ってもいいであろうジョブズ亡き後、革新的商品は生まれず、そして生まれてこないでしょう。ジョブズはアイフォンを残したかもしれませんが、適切たる後継者を残したのか、あるいは組織のグランドデザインをしたのか、という点については懐疑的です。アップルの後継CEOは、ジョブズの訃報があってからまず居の一番にしたのが、資本政策です。適正たる次世代のリーダーを作ったのか、懐疑的にならざるを得ません。いやジョブズは誰が何と言おうが、超一流の偉人だともちろん思いますが。



クラシックカーツーリング、ラ フェスタ ミッレミリアが開かれていました。
様々な宗教観が入り乱れる環境において個人主義が確立し、価値観に踏み込めないゆえに人材育成が難しい殊に欧米諸国の中で、つまり逆風の中でP&Gという企業は人材育成企業を超えて、リーダー輩出企業としても有名です。各国のバラバラな文化、あるいは踏み込めない価値観があるのに、グローバルかつコンスタントに適正なリーダーを輩出できる風土・文化を持っています。組織のデザインとしてこの世でもっとも美しいデザインの一つであると感じます。



すれ違うクラシックカー。外国人の方も多く居ました。
最高学府はとくにアメリカにも多くいろいろありますが、知名度で言うと日本においてハーバード大学が最も有名かもしれません。ハーバード大学はヨーロッパから渡ってきた人達がキリスト教のリーダーを作るために創設した教育機関が起源となっています。今やキリスト教に留まらず、各界にトップリーダーを輩出する教育機関にまでなりました。比して日本はリーダーを育成するよりも、いかに協調するかを教える国です。そんな中でトヨタも出資してリーダーを輩出するという理念を持った学校があるので、将来どんな人材が輩出されてくるのか注目もしています。




けっこうなスピードを出しています。
アメリカといえば、日本人はアメリカに多くの興味を持ち、そして知る努力を重ねたほうが望ましいと考えています。魏志倭人伝にある卑弥呼の朝貢にはじまり、遣唐使としてお伺いを立てていた時代があったのはもちろん、このブログも漢字で書いているわけで、元の親会社たる漢民族の影響が未だにそして未来も色濃く残っていくこととは思いますが、途中ドイツを中心に欧州へも傾斜しつつ、70年前にアメリカが親会社になり、キリスト教の文化である日曜日の休みが当然のように当たり前になった今、親会社の考え方や方針すらも興味ないということは、子会社のバイトレベルと同義のようなことになるのではないか、と思ったりします。こんな発想をしているからドイツの保守派からは二流国民扱いされるのだと思うのですが、事実を受け止めたいとも思います。



乙女道路を抜けて、天気がいいと目の前に富士山が見えるあたりですが、この日は雲が多くて見えませんでした。

いろいろなことを駆け巡らせながら、人を残す難しさを思いつつ、次の言葉を考えてみたいと思います。
誰が言ったかわからないというこの言葉、
「三流は金を残し、二流は事業(仕事)を残し、一流は人を残す」
改めてこの言葉をネットを叩くと、いろんな意見や解釈があります。「仕事できる人はお金を残しやすいでしょ」や「人を増やしておく」など、限定的な解釈や文言を忠実に捉える人もいたり、いろんなことを思う人がいるのだな、と感じつつ私はある時から次のように、この言葉の意味を考えるようになりました。





この先渋滞している東名高速にて「あ、仲間だ」と似ているCクラス、色も同じに抜かされて。

この言葉を何も持ってない若い時に知り、盲目的に「ならば、どうせやるなら、一流を目指そう」と思ってきた中で、この言葉の意味を少しずつ考え、やがて「少しでも多く社会に貢献しなさい」という意味だと解釈するようになりました。個の目線でいえば大切な役割の一つだと思うようになりました。

統計的に言えば、財を成しそれを受け継いで来た層のほうが少ないといえます。一時は繁栄しても没落してしまったところもあるでしょう。人は生き続けるとそれだけで一人生涯で最低でも1億から数億円のコストもかかります。先祖数十代まで遡り、何十人何百人とバトンを繋いでがんばってきたのに手元にない、と考えるとお金を残すことがどれだけ難しいことなのか、とも思います。




だんだんと暗くなってきて帰路。いくつか観光すると時間はあっという間です。渋滞をさけるナビの案内でこのあと下に降ります。
ある日、この言葉をそれぞれ分解し、仮定して考えてみました。前提として「残す」とあるので、この言葉の意味は主に、本人が死んだあとの「後進」を想定した生き方として考えてみます。



「あ、仲間だ」さっきのベンツがいました。同じ渋滞回避のナビなのでしょう。

まずお金だけ残した場合はどうなるのか、すなわち裏腹に事業も人も残していない場合です。目の前に十分なもしくは膨大なお金だけがあると人はどうなるのでしょうか。後進は努力や苦労、研鑽をせず、お金だけ使うようになりやすいと思います。お金だけ残されると、後進は貯金を下ろすだけしか能力がなくなり、つまりはそのような後進を作ってしまうことを意味するのだと思います。そして、それらの後進では、社会に貢献できないではないか、という意味に捉えることができます。

旧バブルの頃に主に株で1兆円遊び、プライベートジェットでときの政治家も連れだってラスベガスに通いをした人がいるのですがその人の言葉を借りると「ATMでお金を下ろすのは誰にでもできるんだよ」と言う通り、お金を下ろすだけなら子供でもできることなのでしょう。あるいは大げさな表現もあると思いますが某世田谷の駅から駅を自分の土地だけで歩いていけれるというほどの大地主だった親を持つある人はすべての財産を食い尽くしました。最後は親から告訴までされていました。お金だけ残した場合の典型かもしれません。



小田厚から圏央道、一般道で見慣れないところを案内されました。

次にお金と事業を残した場合はどうなのか、つまり人を残さなかった場合です。これも同じようなことで、適正なリーダーなくして事業を拡大できず、つまりは価値を積み増せないと、遅かれ早かれ時間の経過とともになんらかの価値という資産は放ってほくと絶対的にも減少していきます。あるいは新しく価値を提供する第三者が出てくるのが世の常なので相対的にも価値は毀損を続けることになります。

事業が毀損すればそこで働く人々の幾らかは仕事を失うこともあるでしょうし、継続して技術や商品の価値を向上していく機会損失も生まれることでしょう。知り合いの例で言いますと、子供たちは某有名私大まで出させてもらい会社ももらって兄弟で運営し立派な収益も出し、つまり親から多大なものをもらってきたのに、父親が運営を続ける会社が困窮したときに「父から何もしてもらっていない、だから助けない」と言いました。まともな人を残せていない、と言って差し支えないと思います。

自分たちは悠々自適に生活し、父親は工員になりました。いま少しずつですが縮小をはじめています。新しい価値を生み出せていません。人、つまりは適正なリーダーを残さなかった事例だと思います。

大手企業を例にいえば、たとえば某メーカーは、正確に言うのであればその後進達は、ここ数年だけで2兆円のお金を溶かしました。もっと厳しい事例としては、お金も事業もあり、人、すなわち適切なリーダーがいないとサンヨーのようになくなり、雇用や、積み重ねて来た技術や事業価値もなくなり、結局としてそれもまた社会に貢献してないではないか、と捉えることができます。



そしてまた東名。かなり遠回りなナビですが素直に従ってみました。見慣れないところをドライブできたのでよしとします。

さらに、人だけ残して、お金も事業も残さなかった場合はどうなるのか。
人、つまり能力あるリーダーを残せば、ゼロから何らかの事業を築き、成長させ、社会へ価値を提供し、あるいは雇用を生んでいくことになります。人を残すということは、社会のためになることであり、つまり社会貢献できるではないか、と捉えることができます。


では、すべてを残した場合はどうなるのか。
2015年も11月になりました。つづく


運転中は考え事をしすぎないようにして、ドライブへ行こう
Posted at 2015/11/02 00:05:02 | コメント(5) | トラックバック(0) | 箱根ドライブ | 日記
2015年10月30日 イイね!

モーターボートを乗りに秋の芦ノ湖にドライブへ行こう。 箱根で美味しい中華を食べて、仙石原でススキも見て


有難いことに無事に、結婚してから三年ぐらい経ってやっと覚えることが出来た、結婚記念日という日の13回目を幸せに過ごすことができました。



キヤノン・フルサイズにて一枚。
キヤノン機達が帰ってきました。日常に、生活に、キヤノンがある。落ち着きます。やっぱこれ、という感覚。一番、使い込んでいるカメラに愛着が湧いています。10万枚ほどは撮ってきたはずなのでシャッターユニットも交換してもらおうと思いましたが、今のペースでもまだ一年少々は大丈夫ということで、この個体はピント調整と清掃だけしてもらいました。

ちなみにくだらない計算をすると、現状の撮影枚数を最近の相場でボディのみで考えると、一枚あたり2.5円です。耐用過ぎてこの倍シャッターを切って一枚1.25円です。フィルム時代では考えられないほどにローコストとも言えます。機材費だけでなく、フィルム代に現像代。ちょっといいフィルムを使ってとなると10万枚撮ると、昔ならフィルム代に現像代・プリント代で500万円以上かかる計算になります。いい時代です。昭和のプリント代価格表




同じ50mm単焦点F1.6、露出-0.3で、角度を変えてもう一枚。
この組み合わせで約1.9kg。それなりにずっしり重みを感じます。他によく使う組み合わせで2.2kg、これも重く感じますが、家人も気に入ってよくこれら組み合わせで撮ってくれています。望遠を使ったあとだとどれも軽く感じますが、すぐに感覚は元に戻るのでやっぱり重い。




今度は望遠100mmF4.5、露出-2.7で一枚。比較しようと思った割に露出を暗くし過ぎました。
ところで先日のセットが1.4kg。どこから重く感じるか興味が出て他の組み合わせでも計ってみると、私の筋力・骨格の場合で1.7kgまでは軽いと感じました。体の大きな外人だと2kgでも軽々なんだろうなと想像もしつつ、金属・プラスチックなどの質感や重量バランスでも変わってくるかと思いますが、100gの差で自分が重いと感じるか感じないかの分岐点を見つけると面白いものです。冒頭のカメラを撮影しているときも、重さを計っているときも「面白いですか?」と家人から言われた通り面白いのです、なんの役にも立たなそうですが。



さらにニコンでズームレンズ120mmF4、露出-0.3で一枚。
カメラを本格的にやりはじめたと同時にこのカメラ5D3を使い始めて11ケ月。思えば昨年2014年11月末ごろに買いました。もっと早くにピント調整やっておけばよく、どころかもっと早くにカメラも本格的にはじめておけばよかったと後悔しています。一年ほど前は、後継機5D4は今年2015年春には新モデルが出るとネットにありましたが、最近では当初の噂より1年先の2016年春発売という情報も飛び交っています。待ってたら撮れなかった写真がたくさんあったかと思うと、買っておいてよかったです。




ピント調整した5D3で試し撮り。一番使い込んできたカメラがずっとピンが甘いと思っていたのですが、調整したらファイダー内でのクリア感もぜんぜん変わりました。




等倍レベルにトリミングすると気持ち前ピンでの調整になったのかなという気がします。「ピントが甘いというお客様へはまずは僅かに前ピンに調整します」というニコン技術者のコメントを読んだことがありますが、キヤノンも同じようです。素人は極僅かに前ピンのほうがジャスピンに見える傾向にあるのか、あるいはシャッターを押すときに気持ち前に体が動いてしまうときが多いのかもしれません前のめりになるとすると後ピンで丁度いいくらいなわけで、逆でした。



さて、カメラ話しが長くなってしまいましたが、以下キヤノン不在中のニコンにて、

2015年秋、箱根の旅、続きです。
芦ノ湖から見る駒ヶ岳。あそこに行き芦ノ湖を眼下に望む予定でしたが今回は行けず次の機会に。そして少しずつ秋を感じる箱根、




なんて思っていたら先日は木枯らし一号ということで、あっという間に冬になりそうです。冬も味わって楽しみたいと思います。人生80年として、折り返すとあと40年。私の場合はあまり長生きする自信がないのであと20数回か、30数回か、それより少ないのは嫌ですが、いずれにしても、それぞれの季節を楽しめる機会は限られていると思うと、春夏秋冬一つずつ味わって楽しんでいきたいと思う四季折々です。




子供がクルマで寝ていたので、写真を撮って時間を潰していました。起きるころには二隻遊覧船が行ったあとの、元箱根口にて。

前回の箱根ブログにて家人も飲み過ぎたような話を書いたら「家人は飲み足りませんでした、飲んでません、そんなに」というしつこくクレームが入ったので陳謝撤回の上、訂正しておきます。たしかに後進の若手奥さんと私だけでした、飲み過ぎたのは。



クルマ後ろのお店は昨年行ったところですが、観光地にありがちな味です。正確に言えば美味しくなく、ここの場合はしょっぱいだけでした。そういえば一年前はまだキヤノンX7をフルオートで撮っているだけでした。一眼なんだから写りがいいんでしょ、フルオートが一番いいんでしょ、としか思っておらず、絞りや露出、ましてやレンズの違いなんて知りもせずでしたが、カメラに本格的に興味を持ち出したころは望遠って何に使うんだろう、と思っていましたが、まさか飛行機撮りになるとは夢見にも思わず。



次の遊覧船を待っているとお昼ラストオーダー14:30のご飯に間に合わない。ご飯行くか、せっかくなので遊覧船に乗るか、と家族会議をしていると「モーターボート」の文字が。これなら船にも乗って、ご飯も行ける、解決策が見つかりました。結論を言うと、晴れた秋に芦ノ湖でモーターボート最高です。すべての疲れを風が取り去ってくれる、そんな気持ちよさです。



箱根神社の正鳥居。写真で気づきましたが若い女性が手を振ってくれています。気が付かなかった。



さきほど出航を見送った遊覧船を抜かし、



芦ノ湖と箱根の紅葉を感じながら、気持ちよい日差しと風。




一人釣りを楽しんでいる人もいました。芦ノ湖は強風でも吹かない限り非常に穏やかで波もなく、心底ゆっくりとした時間を過ごせそうです。それにしてもこんなところまで漕いでくる、その釣り好きさ加減に脱帽です。



モーターボートはおねえさんが運転してくれました。女性がたとえいくつであろうとも「おねえさん、ありがとう!」そう言える子育て、それは英才教育の一環です。同い年にも「おねえさん」なんて呼ぶようなエリートまでは望んでいません。




秋の晴れた気持ちよい芦ノ湖をそろそろあとにして、



ちょっと懐かしいベンツを一枚撮らせて頂き、



秋の気配感じる県道75号にて、芦ノ湖の湖尻と呼ばれるエリアを、元箱根からだいたい反対側をぐるっと走って、お昼へ向かいます。



写真右は雲ですが、写真中央あたりの右手は、雲ではなく大涌谷から登る蒸気です。活動がまだまだ活発な様子に感じます。



仙石原のススキは一旦通り過ぎて、



オウムちゃん。がいる、





太原(タイゲン)という箱根で美味しい中華が食べられるお店へ来ました。私の数少ない、貴重であるみん友をして頂いている「格さん」お気に入りのお店で、お勧めも頂いていた中でやっと行くことができました。食べログを見ていると平日でも待つこともある人気店のようで、ましてや日曜日に覚悟して行きましたが、幸いにすぐに入れました。テレビで紹介されることもあるようで、そのような後だと激混みの可能性が高いと思います。ちなみにみんカラで友達が少ない私ですが、リアルはもっと、というかほとんど友人がいません。




料理が来る間に子供とオウムを見たり遊んでいると、地元の方で法事だったようなおばあちゃん、お母さん、お子さんと話をして、おばあちゃんがあまりに若く見えたのでお母さんかと思いましたと伝えつつ、そんな若々しく魅惑的な方と、話を終わって戻ってみれば、太原名物の雲白肉という料理は半分なくなっていたので写真も残り半分のみ。シャキシャキしたキュウリと絡めて食べながら、これもとても美味しくご飯もすすみ、



もう一つの名物というトマトサラダも美味しく頂き、この麻婆豆腐も甘いコクがありつつ、汗が出てくるほどにスパイスのパンチも効いて、



さらに麺類も我慢できず注文したので、料理はすべて小皿でお願いしました。麺類は、ラーメン屋のそれではなく、本格的な中華料理屋さんの味で、これもとても美味しく頂きました。「また来ようね」と一番の友人でもある家人と会話するほどとても満足できました。箱根は何度来ていようが知らないことのほうが多いので、なんでこんな美味しい店知らなかったのだろう、と思いつつ、新しい発見や出会いもあって、同じ観光地を少しずつ深堀していくのも、また旅の醍醐味かもしれません。間違いないお店を推薦下さり御礼申し上げます。



お昼ご飯に大満足した一行は、旬だけどピークよりちょっと前の仙石原のススキへ向かいます。丁度このブログをUPする10月末から一番の見どころに入っていくあたりでしょうか。


車を止めて、ちょっと散歩がてら歩き




秋を感じつつ写真も撮って、



見えてきました、仙石原のススキ群。




性格が悪いのを自覚していることを「スネ夫自覚症状症候群」。と名付けているのですが、かのごとく、いつも長いブログだと自覚している中で、



ただでさえ長いのに、不必要に冒頭カメラの写真も多かったのに、ススキの写真が数枚続きます。



と、思いきや、文章が歌詞やリズム、そしてメロディーのごとく、まだまだ続きます。ブログ界のジミーヘンドリックスと自分から言われる通り、エネルギーが溢れてすみません、と数少ないとは思いますが熟読してくださる方がいたとしたら、重ねて申し訳ありません。と思いつつ、マイペースで行こうと思っております。暇な時の清涼剤になれたら望外の喜びです。



子供はススキに興味はなく、石を投げて遊んでいました。「うわ落石事故だ」と笑ってご対応頂いた青年五人組に感謝致します。男五人で箱根、素敵ですが負けません。おっさん五人か六人での草津もかなり楽しいです。私は子供が居ますが、あまりブログで触れてきませんでした。家人の言葉を借りれば「異常な溺愛を感じる」というぐらい子供のことを大切に思っています。




はどめなく親ばかブログにならないように触れていません。そして遊びは一通りしようがしまいが、妻とはあと5000回は結婚したいほど好きであり、そう思える人との出会いもなかなかないと大人になるにつけ知り、将来的に寿命が延びることを差し引いて平均60年生きて5000回の人生を一緒にいて結婚生活が40年として、軽く20万年一緒にいることになるのですが、それでも息苦しくなく、むしろ居たいと思うほどに、いい出逢いをしたなと思って生きてきたのに、それでも「こんなにも人を好きになれるんだ」と思ったのが子供です。子供が生まれてからただの一度も子供に対してイラっとしたこともありません、微塵も。これも問題であると自覚しています。




子供はもちろん溺愛していますが、同じぐらい後進を可愛く思っています。和を大切にする国において、リーダーシップという素性を教育されてくる人が少ないと痛いほどに実感する中で、次世代のリーダーを育成しているのですが、トータル一人当たり軽く少なく見て20億円の費用をかけてきました。いろいろ考慮するとそれ以上ですが、これに一番お金を使ってきている、という言い方をしてもいいかもしれません。



経済的なものさしで物を言ってしまいましたが、リーダーを育てるということは並大抵ではありません。果てしない宇宙のように、は言い過ぎです、なぜならば答えは必ずあるのですから、と思い信じています。




人生の道しるべの一つにしてきたのが、次の言葉です。野村監督もこのことばを想ってきたというのを最近知って、さらに間違っていはいない言葉であると思いました。

三流は金を残し、二流は事業(仕事)を残し、一流は人を残す」。
あまりに長いブログになったので、続きは次回。


生真面目に生きながら、ドライブへ行こう

Posted at 2015/10/30 02:33:02 | コメント(3) | トラックバック(0) | 箱根ドライブ | 日記
2015年10月21日 イイね!

秋の箱根を満喫しにドライブへ行こう。 


別日、クルマを30分ぐらい走らせて、公園ドライブ散歩。小さい写真だと分かりづらいですが、白い点々は夕日を羽に浴びてキラキラ舞うトンボが大量にいました。みつけたのは家人。飛ぶものを即座に見つける。思えば飛んでいる虫を採るのも上手です。そのようなDNAを持っているのでしょうか。と、随所で秋を感じます。公園へドライブして散歩するのにもいい時期となりました。今秋は引っ越しで遠出もできなさそうです。もう少し紅葉が進んだら、近辺の公園へ紅葉ライトアップも撮りにいきたいと思います。楽しみです。




こちらは箱根へ向かう、週末の神奈川県海老名あたり。富士山も薄っすらと雪を載せています。いよいよ冬支度のはじまりです。




小田原厚木道路、平塚PAまでノンストップで走り、ここでひと休憩。キヤノンがない中で、久しぶりにニコン。キヤノンメインの私が言うのもなんですが、世間の評価通り、ニコンのほうが物や風景がよく撮れると思います。そんな中でキヤノンで花や風景をおどろくほど綺麗に撮る人もいて、それはそれですごいと感心したり。いずれそこまで腕を磨くというか、どう設定するとどんな写真が撮れるのか、感覚値で理解できるようになりたいです。センスも磨きながら、これが大変そうですが。



平塚PAにある、ばくだんおにぎり。毎回新メニューが出ています。ついつい買ってこの後の小田厚を走りながらほおばってしまいます。



人と軽トラと、ずっと雲の彼方に厚木基地の米軍機と。
平塚PAは裏へ回ると外へ出ることができました。農水路で魚や秋草を取っている家族がいました。お父さんがんばってるな、と思って近づいてみると三歳ぐらいの男の子が「ほら」と秋草を見せてくれました。なんていう名前だったかな、トゲトゲしたやつ。子供の頃によく見ました。見せてくれてありがとうね。



今回の旅で見えた富士山最後。富士山は冬場は見える頻度が増えますが、総じて雲に隠れやすいので、地元でも年に均すと三日に一度見られればいいほうでしょうか。



箱根湯本あたり。箱根登山鉄道、小田原行き各停。



少し古いロマンスカー7000系(1980年~)に味を感じます。
箱根湯本駅あたりはけっこう人が出ていると思いましたが、旅館の人に言わせるとまだまだお客さんが戻ってきてないそうです。言われてみれば駅周辺の人出はピークの頃に比べてまだ半分ぐらいだったかもしれません。それに土日なのに渋滞もなし。だんだん秋らしくなってきてもまだまだ客足は遠いようです。




宿に到着。ところどころ紅葉がはじまっている明神ヶ岳



こちらは明星ヶ岳




前日は仲間の家族と飲み過ぎながら、戦闘機乗りの人を紹介してもらい楽しいひと時を過ごしました。なので、まだお酒は欲しくない気分です。同じく飲み過ぎた家人へ一口飲んでプレゼント。私の分もしっかりと飲み干してました。



家人にゆっくり風呂に入ってもらうため、周辺を子供と散歩。ミノムシに驚いていました。



秋。



温泉。



飯。
日本の旅、三点セット。



野菜のダシがベースで効いて、そこへ肉、または魚のダシがプラスされたスープが最近一番染みます。ダシが染みたおふが美味しかったです。食後は早めに就寝して途中で目が覚めて、気が付けば旅館が作ってくれた夜食のおにぎりを5つも食べながらテレビを見ればマツコ・デラックス。



雲の合間から町がさわやかな涼しい風と朝日に照らされて、どこか北欧っぽさも感じつつ、箱根はいろんな顔があるかもしれません。



シャキシャキした水菜の歯ごたえを楽しんで、



明太子で白米も頬張って、箱根の湯に浸って、チェックアウト前に



子供と小一時間散歩。写真に集中している隙はないのですが、なんとか撮りつつ。




ニコンの方がフルサイズ、APS-C、いずれの場合でも葉も精細に写ります。静体、動体問わずAFはキヤノンのほうが断然好みです。なんでも凝り性というか、知らないと気が済まないのでニコンフルサイズも調達してしまいました。この凝り性のおかげで一時はクルマで言うと、同じメーカーだけでも国内外含め12台保有してしまったことがあります。そのメーカー顧客では同時保有だけでなく、累計でもまだ日本一のはずです。別に狙ったわけではないのですが、気が付いたら当時保有・累計ともに、つまらないことで日本一となってしまいました。メーカーのブランディングや顧客育成プログラムを学びたくて。おかげで二つのメーカーから絶対に手に入らないものを手に入れることができました。クルマを買うのではなく、知を買う、と考えると安いものです。男は本物に触れさせろ、を自分に施して、周りへも。大変難しいことですが、生きたお金の使い方を学ぶには、死に金もたくさん使って失敗もして、その資格も得て、許される環境も作って、と簡単ではありませんが。



あっ。飛行機を見つける遺伝子を引き継いでいるようです。時計は同じところのをほぼ全部のシリーズを買ったこともあります。ある日ぱったり興味がなくなり、いい時計は一本を残して周りへあげました。今しているのは1万4千円、いやもとい1万4千ヤマダポイントのシチズンです。これかなり気に入って毎日しています。先日ある人からフランクミューラーを頂いたのですが、すぐに後進へあげました。興味がないどころか、今はむしろ、いい時計をするのが恥ずかしい、ぐらいの感覚です。



なんでもとことんやる、ならばお酒はとにかく10年飲んでやろうと、毎夜とことん飲みました、元スーパー下戸です。周りはもっとすごい飲み方してる人もいましたが、私の場合はピーク時は毎月500万円飲みました。入れるお酒は毎夜ビンテージワイン。アベレージでもこの10年、毎月200~300は飲みました。それでも浪費ではありません。副業で出した利益のうち、最大でも十分の一だけ飲むと決めていました、堅実派です。かつ飲みの席で培ったスキルを仕事に活かして、さらに利益へつなげていきます。しかしもう卒業しました。遊びもフルコースやり尽しました。


最終的にはここ最近でいうと、10日で14800円が飲み代に落ち着きましたが、毎日毎晩来る日も来る日も、早くて午前三時、遅いとアフターで朝8時9時まで飲んでいた頃は、ある朝飲んだくれて家へ帰ると、武道の心得がない家人に華麗で無駄のない背負い投げをされたこともありました。今となってはいい想い出です。

それやこれよりも、今は美味しい空気を吸いながら、


秋も見つける



ゆっくりした散歩。のがほうがくらべものにならないほどに満たされます。

あと巣鴨のおばちゃんが飴を持っているというイメージがありますが、これは無心でただただ甘いだけを感じる瞬間がたまらないのですが、この楽しさも分かるようになってしまいました。



ニコンぽい一枚。小さく分かりづらいので



拡大すると、この線の表現。キヤノンだと捉えづらくもう少しモヤっとするかなという印象。腕がよければキヤノンでも問題ないのかもしれませんが。

デジタルカメラというものは、クルマに次いで日本が世界へ誇る完成品です。デジタルカメラは精密機器度合でいうと、トップクラスの精密機器だと思うわけですが、多少揺すっても、落としても壊れない。この壊れない技術もすごいと思います。陶器は落とすとすぐに割れてしまいます。何千年も続く、陶器・陶磁器の世界も、デジカメの技術に見習うぐらい新しいことを取り入れてもいいかもしれません。セラミック陶器などあるにはあるわけですが、芸術性、いやぬくもり大事にしているから広く浸透しないのでしょうか。




チェックアウトして、雲がかかる山道を青空に向けて、芦ノ湖へ。

芦ノ湖編へつづく

箱根にドライブへ行こう

Posted at 2015/10/21 02:28:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | 箱根ドライブ | 日記
2015年09月22日 イイね!

網代漁港へドライブに行こう。ついでに箱根も。


熱海市、網代漁港(あじろぎょこう)



網代漁港は一見小さな漁港と思いきや、それは船場であって、いくつかの船場が小さな湾に点在する形で、トータルとしてみるとそこそこ立派な漁港です。第3種漁港扱いされており全国へ漁に出られるようです。

ちなみに、比して第3種漁港の中でもとくに重要な漁港は特定第3種漁港という区分けを受け、全国に3,000弱の漁港があるうちで、13港しかないそうです。銚子港や三崎港、焼津港など、特定第3種は有名どころの漁港が名を連ねます。

日本の漁港一覧




海が時化ていたせいか、漁師のおじさん数名が船に腰かけたばこをふかしながら、いわゆるだべっていました。家に閉じこもっていたくないのでしょう。同じ気持ちです。




漁船三兄弟がここにも。網代漁港は釣り堀と釣り船があるのに加えて、小さな湾となっている港で釣りもできるようです。


一度、いや二度三度釣りを趣味にしようと目論んだことがあるのですが挫折したのを思い出しました。仕事がらみで行った釣り船では徹夜明けもあって気持ち悪くなり、友人が誘ってくれた船では「これがディズニーランドの裏側だよ」と言われてもそんなのどうでもいい、それより寒いを通り越して痛いよ、早く帰りたい、と思ったものです。とにかく悪い思い出しかなく小さめの釣り船とは相性がよくないようです。おだやかな湾内で屋形船か、あるいはカーフェリーぐらい大きくて鉄製だと大好きなんですが、あの雰囲気が。




日本の漁港はやはり演歌が似合いそうです。


とくに夜の船なんて最高です。九州までドライブして九州を一周中に雲仙で日帰り温泉につかったあと島原から熊本へ渡るために急いで熊本カーフェリーの最終便に滑り込んだり、あるいは東九オーシャンフェリーで九州から二泊かけて東京までカーフェリーが帰路というドライブコースがこれまた、たまりません。船内の脱衣麻雀ゲームを意気揚々と興奮気味に没頭する旅。次はいついけるのだろう。




いとう漁協 網代支所 網代港直売所
開いていれば「あわび600円」などで買えるようです。試食もあります、と表記も。ここは次回寄りたいところになりました。


趣味と言えば、ゴルフやサーフィンも相当がんばったのですが駄目でした。やはりカメラが一番です。仕事が趣味で生きてきて、はじめて趣味らしい趣味ができました。今のところ本格的にはじめて一年ぐらい続いていますが、なんとかちゃんと趣味として定着しそうな気がしています。カメラは年を重ねてもでき、むしろ散歩も増えたり、興味なかったものを知ったり日常をより楽しくしてくれます。人差し指をクイっと動かすだけで、よりハッピーライフ。なんて素敵な道具なんでしょう。


しかも先日、飲み屋でカメラが趣味になったことを店主へ話ししていたら、なんと飛行機撮りにとっては、すごい人を紹介してもらえることになりました。話しをしてみるものです。カメラが人のつながりも広げてくれます。飛行機もっと詳しくならないと会話できなさそうです。




少し歩いて、漁港の雰囲気を楽しみました。これもよい気分転換になります。
カモメの集団に別れを告げられて、漁港を後にします。



熱海ビーチライン。通行止めは大丈夫でしたが、堤防に打ち付けられ舞った海水がクルマに悪そうです。しかし自分で選んだ道。ときにはバックもしますが、前進あるのみです。




小田原厚木道路に入って、夏に俯瞰と傍観した酒匂川(さかわがわ)
もうお昼も過ぎて帰路の中「もう一泊していこう」ということになり、急きょ宿へ電話。なんとか料理を用意できそうというので、



小田厚・大磯パーキングでこの妄想おねえさんシリーズのガチャガチャに引かれながらも、なんとか無心を保ち、そのまま小田厚を降りてUターン。




もう一度、酒匂川(さかわがわ)を渡り、



箱根、早川も濁流。
ターンパイクはもちろん、国道1号も通行止め。
「おいおいどうやっていくんだ」。しかし天気は晴れてきているので、チェックインにも早いし、少し時間を潰せば通行止めも解除になるかな、と箱根をドライブすることに。



豊臣秀吉が、小田原城攻撃の際に築城した石垣山城跡地を整備した公園(wikiより)という石垣山一夜城歴史公園前にて。



相模湾・湘南を見通せて眺めがいいです。夜景も綺麗そうです。
と時間が経っても通行止め解除の見込みがなさそうですが、


行く先を告げれば通れる、というのを知りました。「自己責任」です。通行止め中のR1。下りて来るクルマはそれなりにいました。山が吸収しきれない雨水が道路に小川を作っている箇所をいくつも通り、上りのクルマは宿の送迎車ぐらいの中、



途中、三ヵ所のガードマンと一ヵ所の通行止めゲートを通って、ほっと一息「ただいま」と思える宿に着きました。通行止めが通れるのは、知りませんでした。はじめての経験です。



宿についていっぱいは、半分飲んだところで残りは、一杯では足りない家人に取られ、



夕食では四元豚というのを出してくれ、



夜景はいつもフルオート。



空を見れば秋空に、そしてもう寒いくらい。


写真右下、相模湾にかかる雲があれよあれよと、



近づいてきて、


朝食を食べ終わる頃には、



すっぽり雲に包まれ雨が降り出しました。
と、思ったら雲が抜けてまた秋空みたいになったり、天候が目まぐるしく変わっていきました。天候というものはアメダスなどの情報にアクセスして全体的・周辺的に見ないと、まったくわからないものです。




翌日の酒匂川(さかわがわ)はだいぶ水位が低くなっていました。



海老名SAでお昼ご飯。お、ちょい古のベンツとBMWのツーショットだ、と思って見れば前日に伊東でみたナンバーも同じベンツでした。こちらの方と行動パターンが似ているのでしょう。


と、帰路につきました。

漁港についてまで少しずつ知ったりして楽しいドライブに行こう


Posted at 2015/09/22 00:56:04 | コメント(4) | トラックバック(0) | 箱根ドライブ | 日記

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「@アユmin さま それは大変でした。寝れない3日ぶりのおかゆとは。お大事になさってください。」
何シテル?   11/07 18:21
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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