一年前と同じ日、少し早い時間の首都高。今年は少し距離を延ばしてみて宮古島へ。

飛行機写真好きとなった今、テンション高め。しかしデジイチはバックでお休み中のためコンデジのみで。

コンデジだと起動、そしてズームが遅く、AFポイントなんかもいちいち変えていられないのでなかなかスッキリせず。次回はデジイチ一台を手持ちで出しておきたいと反省材料です。持てれば。

とはいえ、搭乗しないと見られない光景も撮れて大満足。だけど望遠で撮りたくもなります。

離陸。動画も撮りました。と言っても家族メインのを。電子機器の緩和があって撮りやすくなりました。

アップにすると雲が崩れていく部分があります。ナイアガラの滝、雲バージョン。下からだと見えないですが、いろんな気象環境があるのですね。

そして宮古島へ到着。行きは羽田宮古間だと3時間半、帰りはなんと今回2時間5分でした。2時間ぐらいだとだいぶ楽です。なお宮古島は、中国・韓国系の旅行客もご多分に漏れず多く、加えて時期的に年配組がほとんどでした。いつもは関西圏からの観光も多いと感じるところです。

宮古島で人気の沖縄そばが頂ける「
古謝そば屋」がお休みだったので、ちょっとクルマを走らせて「
丸吉食堂」へ。ここの沖縄そばとにかく量多め。地元の方もたくさん来ているお店でした。家族が先に食べている間、子供と遊んでいたのでちょっとのび気味です。

このたぬきが気に入って、子供がおそばをあげていたので記念に。本当はお店にあった三線を綺麗に撮りたかったのですが、ぶれてだめでした。

地元のスーパー。国内外問わず立ち寄ると地元の情緒も味わえて楽しいスポットです。スーパーで売っている食材はほとんど全国から集められたもので、たとえばりんごなら青森から、などのように。な一方で沖縄地方ならではの食材などももちろんあります。他方スパムは沖縄、韓国そしてハワイなどで日常の食料品としてメジャーなわけですが、共通点は米軍の影響だそうです。米軍の進駐あるところに、スパムあり、という関係性のようです。

子供が気に入って、今回の旅で何回も見に行った風力発電。
台風で壊滅的打撃を受けることもあるようです。

そしてチェックイン。孫のために東京から持ってきてくれたりんご。

何かのつなぎ用にと途中のコンビニで売っていた小さなおもちゃ、をとっとと開けて。祖母から孫へ。

そして
来間島(くりまじま)へ。
宮古島は来間島、
池間島へ橋を渡りクルマでそのまま行くことができます。最近になって
伊良部島・
下地島への橋もできたので、かなりの範囲をドライブできるようになりました。

来間島で乗れる
海中ボート・トミー。三年ぶりの宮古島ですが、前にいた年配の夫婦は辞めてしまったとのこと。それだけ食べていくのが大変なのだと伝わってきます。シーズンオフはことさらに食べていくのが大変そうでした。わんちゃんも一緒に。人懐っこいいい子でした。

宮古島と来間島を結ぶ
来間大橋。農道扱いです。来間島の人口200名、しかもさらに過疎化進行中というのを考えると本来はかなり必要性がない大掛かりな橋ですが、安保の賜物、なのでしょう。この橋で100億円なので、単純に主に利益享受者たる来間島の人口で割ると一人あたり5,000万円(維持費用除く)ということになっています。

少々わかりづらいですが、海中ボートの底から海とさんごに戯れる魚と。宮古島やその周辺は世界でもトップクラスに海が澄んでいます。土壌がサンゴでできているため、海中へミネラルなどが流れ出ず、プランクトンが増殖しにくい環境だからです。逆に言えば栄養価が低い海水ということになるわけです。

子供からするとバアバは沖縄県にとあることに多大な協力と貢献をしたことがあるので、あえてそして強いて言わせて頂けるとすると、沖縄地方は自他ともに認めるところの全国でも所得の低いエリアです。沖縄本島ではなく、周辺の島になるとさらに厳しそうな経済環境を感じることもしばしばです。乗船する機会がございましたら、本当は一人あたり500円OFFになるのですが、割引は使わずできれば少しでもお金を落としてあげると、現地の人は助かるかもしれません。

どこへ行ってもさとうきび、しかできない土壌です。もし沖縄が琉球王国として独立したままであったならば、もっと厳しい経済環境だった可能性が高いのではないか、と想像してしまいます。なお沖縄地方の人と本土の人は同じ起源を持つDNAであり、つまり沖縄は中国南方からの流入ではないそうです。

来間島の穴場スポットとされる、小さな
長浜海岸。だいたい誰もいなくてプラベートビーチの装いです。

疲れた人や、もうあとは余生をゆっくり過ごすだけ級の方など、椅子とお弁当でも持って、一日一人でときを過ごすのも悪くない場所かもしれません。

ここで子供に小さな小さなやどかりを見せてやりたくてわざわざ来ました。が、さして興味しめさず。
ちなみにさらに南方へ行くと戦中米軍が撒いた枯葉剤があるわけですが、ここ沖縄も異なる物質が撒かれたそうで、バアバはその除去のお手伝いをしたそうです。沖縄の魚や食材はたべなさんな、地元の人も食べないんだよ、と昔はよく言われたものですが、幾度の旅行時は気にせず食べていました。長寿が安全の証し。

来間島の展望台から宮古島を望んで。バアバはとにかく人助けをしたくて仕方ない人です。頼って毎日たくさんの人が訪れてきたものです。あるときは、ときの大蔵省まで掛け合って人助けのために時限立法まで作ったことがあります。肝っ玉母ちゃんの名に相応しい様子。これは息子ながらに超えられない壁です。

来間大橋と飛行機。夕方以降の時間帯は沖縄本島や近隣の島からの便が中心となります。全般小さい機体がメインです。

現地の人達も確かにこれらの橋ができて、利便性は享受できますが、実はさして地元へお金は落ちていないように思います。あるいは本土資本のホテルによって多少の雇用は創出できても、本土採用の人も多く、またリゾート投資なども直接沖縄へ落ちる比率は低いともいえ、リーマンショック前までのリゾート投資が過熱していたころは、まるで沖縄の上空でお金が旋回だけしているように見える時期もありました。

ホテルへ戻って少し散策です。一通り幾度も宮古島東急リゾートでご飯を頂きましたが、一番美味しいのはムーンシェルというバーだと思います。ここでばかり夕食を頂きました。何よりいいのが外で頂けるところなのですが、通して外でご飯食べているのは私たち一行だけでした。国内外問わず南国において、朝食などでも屋内で食べる方のほうが多いと思うのですが、その理由が分かりません。ニュートラルな気候で最高に気持ちいいと思うのですが。なお冬季のみバーベキューがお休みです。

宮古島にはユニマットコーヒーが母体となる宮古島シギラリゾートというホテルもあり、こちらの食事は全般的にレベルが高いのですが、海までが遠いというロケーションに難ありとなっています。ホテルの目の前がゴルフ場なので、ゴルフ好きの方にはいいかもしれません。あるいはカップルには池間島にあるニーラホテルのほうがいいかもしれません。

いずれにしても子連れ家族の冬の宮古島。は避けたほうが無難かもしれません。が、いろんなところへ連れて行って、いろんなところの空気の匂い、雰囲気や景色の違いを感じてもらい、そんな風に思って生まれてこの方、各地へ引っ張りまわしています。私も幼少のころに連れて行ってもらったとある空港へ降り立ったときのあの景色、いつもとは違う空気の匂い、空港から町への道中で見えた山を覚えています。どこかのなにかの記憶は残ってくれていると嬉しいのですが。

おもちゃはけっこう多いほうかもしれませんが、誰に買ってもらったものか、それが半年以上前のおもちゃでも覚えていたり、どこにだれと行ったときに買ってもらったのかこれも半年以上前でも覚えていたり、子供でもけっこうな長期記憶になるのだと意外に思っています。どこかで質の転換があり幼少の記憶の多くが消えていくわけですが、復習を多めにして記憶の維持に努めてみるとどうなるのか、を実践してみると面白いかもしれないと目論んでいます。

つい最近買った子供用雑誌の付録DVDがトミカでした。このDVD中にトミカ博の映像が流れるのですが、画面を見るなり、当時の現場での音も含めて情景を本人なりに表現したり、一緒に行った人の名前を覚えていました。当時一歳半程度でもどこかへ連れていけば本人はやはり何かを感じている証しなんだと思いました。たくさんいろんなところへ連れていくことは感性が培われると思います。

子育てというものは大変でもありますが、もう一歩がんばって幼少期ほど様々な形で脳を刺激しておくと、後々が楽だと思います。幼少期100の努力は大人になってから万の努力に匹敵することでしょう。万じゃ効かないかもしれません。

一つちょっと早かったかなと思っているのはDVDの出し入れから、出したDVDを片付けるまでセットで教えたことがあるのですが、ここ数か月は朝一番に自分が見たいDVDに入れ替えるので、親として見てほしいのとは異なり、まだ教えない方がよかったと思いました。といったあたりでしょうか。

このサラダ気に入っていました。それにしても最近は痛ましい事件が多く、ニュースを見ると胸が詰まる思いです。苦しかったろうに、痛かったろうに、と思うと。ところで近年は女性の犯罪も増えてきたように思います。しかも男勝りな。昔は9割が男性受刑者だったように記憶しています。と思ってみてみると、この20年で女性の犯罪者が倍増だそうです。全体の分母からいえばまだ少ないのだと思いますが、この一因は国力の衰退だと思っています。とにかく男女問わず余裕のない人が激増した気がします。皆、自分のことだけでいっぱいいっぱいです。

他のお客さんはレストランや鉄板焼きへ行っているところ、我が家の初日ディナー。というか、ほぼずっとこんな流れが続きました。

今回の旅は12,500枚撮影していました。ふと思ったのですが、昨年1年で30万枚、家族と言っても子供がメインですがの撮影が27万枚。周りから桁が違う、と言われてみれば確かにと思いつつ、子供の写真に限ったとしても、ひょっとすると日本一撮っているかもしれません。と思って調べてみると、年間プロで1~3万枚、「子供の写真を10年で10万枚撮りました」という人もいたり、多くて10万枚前後という人もいたのと、「写真館で年間10万枚の実績があります」は見つけましたが、家族写真を20万枚以上撮っている人もささっと見た範囲では見当たりませんでした。今年も悪くないペースでいきそうです。
宮古島に
ドライブへ行こう。