
ほとんどがサブ機としての役割な主にコンデジ、ときどきデジイチで綴ります。コンデジがあるから出先でデジイチも撮れる。先日はコンデジだけでいつもの公園にいったところ、コンデジの伸びたレンズの先に虫が止まりました。しかし一台ではその光景が撮れないわけで、シャッターチャンスを逃したカメラオタク二年生の二学期。
中井氏に影響を受けて意識しだした三月ごろの写真です。

この日は新宿で会食です。少々早めに着いたのでこんな写真を撮る余裕。ゆっくり向かいます。

この会食のお相手とはもう10年以上の付き合いになり、近年は交互に席を用意します。今回は私が用意する番です。ここも20年通っているお店です。途中で一度オーナーチェンジをしましたが、シェフは変わらずです。

ピントがあれですが、調度品や随所にさりげない気配りがあるお店です。前オーナーとは顔見知りでいろいろな話しを聞きました。後ろにボケて写っている棚。バブルの頃は鍵付きで1スペースを使う権利を5000万円~1億で売ったそうです。そしてそれが客のステータスになっていたと聞きました。時代ですね。前オーナーは少々破産気味です。オーナーチェンジする寸前あたりは、お店の権利を担保に入れるからとお金の無心もけっこうされました。返済できずでオーナーチェンジに至ったようです。思い出せば、私が20代の頃、こちらのお店従業員の給与を立て替えたこともありました。しかも年末の大みそかの日でした。オーナーから大みそかに電話が掛かってきて年末の挨拶かと思えばそんな話しでした。従業員の方々も年も越せないのでは可哀想だと思い家人と街に出かけるついでに現金を届けたのが懐かしい思い出です。その後、返して頂きましたが。他に化粧品の会社も経営されていて、そちらへすべて投じておかしくなった様子でした。

辛気臭い話しを記してしまいましたが、この日は勉強になる話しをたくさん伺いました。会食の相手がセットして下さるときは、名だたる大手企業の社長と会食するというお店へ連れ立ってもらうので、お店のセレクトには気を使いますが、いろいろあったお店でありつつも、食事に空間に、サービスにクオリティは十分問題ないレベルだと思います。フルコースだと少々時間がかかりますが。と、そんな日もカバンは持たずとも、カメラは持ってのカメラオタク。

食後のコーヒーは別室で頂きます。この空間はすべてクラシックな調度品で作り上げられています。この空間を作った前オーナーがよく言っていました。どこか古臭い感じがしてしまう空間と上品な空間は紙一重でそこが難しいところだと。

調べてみるとイギリスのハンドメイドのメーカーのようです。一つひとつの、このこだわりようが独特な空間を生み出しているお店です。

会食後は後進と落ち合って、飲みへ。と言っても後進はノンアルコールですが。

いつも行く生ギター付きのお店へ。

無駄になる面もありつつこの日勉強したことを共有もして、カラオケにも興じて。

Uターンして帰っていく後進を

写真を撮りながら見送って

酔った勢いで注文するところでした。

この日はカメラを撮ってみて。左のキヤノン機はフィルム機です。一概に比較はできませんがずいぶんと大きくなったものです。中学生の頃、知り合いのお金持ちがアメリカ一周へ家族で行くとのことで、母子家庭で夏休みにどこにも行けないのではと私を不びんに思って連れ立ってくれるとのことで、付いていったときにNYで買いました。西海岸のサンフランシスコからアメリカへ入り、シュリンプを食べて、電車や飛行機で旅をしました。東海岸NYで折り返し、ニューオリンズに回り、ロサンゼルスから最後はハワイに数泊した贅沢な夏休みの旅でした。

当時はさした物を撮るわけでもなく、100シャッターあたりでレンズを落としてひびが入ってしまいそれっきりになった記憶があります。このお金持ちは代々何店舗もお店を経営している一家ですが、その後私が成人する頃に「パリダカに出よう」という約束を果たさぬまま、家長は自ら命を絶ってしまいました。私よりもいくつか下の当時私立へ行っていたお子さん二人があとを継いだのかな、と思いネットで久しぶりに見れば、その会社はファンドが持つに至り、だいぶ縮小していました。お金を持つことだけが幸せとは限らず、そしてお金と言う道具は扱いが難しいものだと思います。
桜が満開だったさくらの山公園へ行ったときに、家人がコンデジで撮った写真です。母親の目線というものの違いを感じます。

先日の会食では、ビジネスの秘訣や世の中に社会についていろいろと教えて頂きました。上には上がいてくれます。それも承知で、少々はお金を稼ぐというものに得意なときもありました。二十代半ばからは不動産の転売など副業の年収で一億円を下ったことはありませんでした。ゆえにお金は必要なかったので本業からは10年近く報酬というものを受け取らずに来ました。「いいかげん報酬を得ないと当局に対してまずいです」と税理士の指導で途中から頂くようになりましたが。そしてたくさん使いもしてきましたが。

レベルは低いものの、天賦の才というよりも勉強と努力してきた口です。しかし多大に勉強したとはいえ、社会へ出てから早い段階でビジネスでお金を稼ぐことができたのは微々たるは天賦もあったかもしれないと、勉強しても稼げない人もいると知れば、歳を重ねてから思うようになりました。換言すれば若いときは、努力さえすればすべての人が稼いだり、仕事をしたり、ビジネスを適切に考えたり、あるいは成長をするものだと思っていました。環境というものも自らみんなが作れるものだと思っていました。誤算の一つでした。

外からは地名プラス苗字が名詞になったときもありました。若い獅子として稼いでいたので、小金があると聞いてきた多くの社長と呼ばれる人達が、お金の無心に来るようになりました。二十代の半ばごろに「こんなにもお金で困っている大人がいるものなんだ」と知りました。いや「いい年してお金で困り、しかも長年仕事してきたはずなのに稼げないのか」とも辛辣気味に心の中では思ったものです。今は、多くの人は歳を重ねるからこそ体力も落ちて稼ぐもの大変、時代と相まって、と思うようになりました。と同時に投資案件も集まるようになりました。詐欺話しやそれと同類のような話しもたくさん集まってきました。

他方でたくさんの人の助けもあり、物事を進めてもこれました。いろんな方の力を借りる、ときには引き出す。意識もして。

上のずっと上の方から頂いたアドバイスは私の考え方と違うやり方ですが、素直にそのままやってみようと思っています。自分よりも遥かに優秀な頭脳を持った人が考えたことや見つけた方法を、それよりも見劣りする脳みそで考えてきたことに固執する理由も、やらない理由もありません。とはいえ慎重にやろうとも思っています。ある関西人からは「ガチガチに固いのにイケイケドンドンでよう分からん人」、と評されたことがありますが、自分でもそう思っています。

仕事というものはお金がないならばないなりに、知恵を使えばなんとかなるものであり、そこにボリュームは関係ない、と教わったことがあります。世の中の例で言えば、ソフトバンクが資金調達してMAするときや、森ビルが六本木ヒルズを建てたとき、あるいは戦後の多大な設備投資もその一つでしょう。スキーム、もしくはストラクチャーでなんとかなるわけです。資金を出すところが儲けるようなプランを示せば、お金はいくらでも出てくるわけです。近年は投資しても儲かるビジネスや環境というものがめっきり減ったことが問題なわけですが。

あるいは資金ではなく、戦略の前に、まずは戦術家になり、知恵で稼げるようになる。そんな旨も若い後進へ伝えながら、まず知恵で稼げれるようになり、次にお金で稼げられるように今から考えてもみるよう言いました。例えば10億円使って、それをどうやったら100億円に増やせるのか。100億使って1000億にするにはどうするか。今どうやるか皆目見当もつかない、だろうからこそ今から考えてみるといい、と話しをしました。知恵で稼ぐよりも、こちらのほうがハードルが異様に高く、そして失うリスクも出てきます。投資銀行の人は「良くも悪くも人の金だからできる」という言い方をしていました。

夜の散歩もしました。

少々歳も重ねてきてしまいましたが、若いころに想い描き考え抜いた信念ともした小さな志をまだまだ目指して、知恵を使いながら、次のステージへ脱皮を図っている最中です。

男が一番脂が乗りはじめるという45歳に向けて、環境を作っていくべく。

この日はばぁばから蕎麦のお誘いも、休みだったため、お薦めだという洋食にチェンジ。

食べ終わった子供と先に小雨降る中で、二人でパーカーの帽子をかぶって散歩しました。こういう春の切り取り方もあるかな、しかしデジイチだともっとピントが合わせやすいな、でも雨だからいつまでもコンデジ濡らせない、と思いながら一枚。

道路に落ちた桜の花びらと、足元を入れて行き交う学生という春。なんて思って撮って家で見てみれば濡れた道路が想像しないほどに反射してパンチラ寸前でした。危ない危ない。

この先に何かの教室があるのか、着物を着た女性がたくさん歩いていきました。このような和傘もいいものです。藤色も日本を感じます。高貴な色です。

私が30歳になった頃、クルマの世界では500馬力競争が本格的にスタートしました。2,000万円オーバーの日本第一号を発売前に注文して、しかし派手なのはあまり好みでもないので、見た目は大人しいクルマに乗っていました。納車初日に酔い潰れた某キャバ嬢がSOSをしてきたので、近くまで送れば、おう吐されたのも淡い思い出です。

その頃、クルマの縁で出会った人達がいます。あまりに派手なのは好みでないとしても、フェラーリを買えば、またいい人脈ができるかもしれない、と思い、知り合いにディーラーを紹介してもらい購入を検討しました。

あだ名に「ちゃん」付くのですが、「ドラちゃんどうせ馬買うなら本物の馬買いなよ、フェラーリなんかよりいい人脈出来るよ」、と人生の先輩から言われ、つまりは競走馬の購入も検討しました。馬主になるためには推薦人二名が必要になるのですが、当時は日本一級に馬を有しているその一人もいたので、条件はクリアできそうでした。

そうこうしていると、リーマンショックが訪れます。状況ががらっと変わり、対応するために奔走もして、状況を整えるのにこれは私もきつかったです。それに比べると物理的損害も大きかった東日本大震災はさした経済的影響は感じなかったので、金融システムのクラッシュのほうが経済に与えるインパクトがなんと甚大であることか、とあとあとも思ったものです。そんな中で日本一級の馬主も吹っ飛び、本物のほうの馬を買うどころの世情ではなくなりました。

購入を検討していたフェラーリは、購入検討していると話していると、知り合いが欲しいというので、ディーラーを紹介しました。この人がのちにみんカラをはじめ、フェラーリを一年ごとに何台か買い替えて、日本で買ったフェラーリをイタリアへ空輸してドライブする、という豪遊までするようになり、みんカラで有名人になっていました。みんカラでもよく写真撮影に使われる某所の地権者その一人の方で、経済的に安定しているからなせる技かもしれません。この人がみんカラをはじめてからは、みんカラでの付き合いが忙しくなったようで少々付き合いが遠くなりましたが、よく飲みや走りにもいきました。お坊ちゃまと言われるのが大嫌いな人で、息子が少しはお坊ちゃまのはしくれになったとしても、ナチュラルに生きれるよう開けっ広げな性格にもなってもらいたく、しかしドラ息子にはなってほしくもないと思っています。そしてこの人はいつの間にかみんカラからは突然にその姿を消して消息がいろいろ噂をされているようです。それから何年もして私もみんカラをはじめることになるのですが。

じぃじお手製。有り難いことです。諸々色々そんなことも思い出しながら、あるいは業と呼んでもいいことも含め様々なこともありつつ、いろいろな人がいつつ、どうしてこんなにもメンタルが強いのか自分でも分からないところもありつつ、さらに脱皮しながら突き進んでいく中で、やがて成長するに従い子供がこのブログを読んだ際には、目次代わりに疑問に思ったことを質問もしてもらいたく、たくさんのことを教えていきたいと思っています。
本日は夜に一ヵ所視察もしてきて、ラーメン食べた一日でした。
つづく