RX1 R

箱根路前日。籠にジープを詰め込んで、

「ジュウクンチから行くんだよ」などと、次の旅の説明をばぁばにし、素人がシャッターを押しただけでは案外に質感を出すのが難しいお米を、簡単に綺麗に描写してくれ、さては中でダビンチ氏が内職でもしているのかと勘繰り、

この機材は動体、ことに蝶やトンボは至難級かと思いますが、これもちらっと捉えてくれた翌日、

そのようなカメラを携えて、
ばぁばのところに七夕の飾りを届けて、七夕の箱根路スタートします。

ゆりかごと化したクルマをPAに止め、そういえばと思い確認すればカメラの充電器にサブバッテリー、間違えてαシリーズFE用を持って来てしまいました。フルサイズゆえFE用を連想していたのか凡ミスです。が、しかしそこはSONY。多くのシリーズ、モデルでUSB充電ができる上に、RX100系のUSB充電器を家人が持って来てくれていたので、

シャッターを押す、レリーズを切る、後者はシャッターを開け放つという語源的かつ広義の意味合いと、リモートレリーズでシャッターを切るという狭義の意味合いとがあると思われるところ、カメラ史としては狭義での用法メインだったのではないかと感想を抱きつつ、ネット社会ではシャッターを押すこととして常用化されている節があり、音も悪くないので使うことにすれば、容赦なくレリーズを切ることができます。

分かりやすく伝えるためには、短くシンプルなセンテンスという王道。がんばっています。

コンデジおよびそのスタイルで、気軽に腕をワゴンの上空に突き出して撮ることができます。

カメラとしての最速SSは1/4000ながら、F3.2までは1/2000、次にF5までは1./3200までの制限がつく仕様。開放F2、ISO100、SS1/2000の晴天下でどれだけ飛ぶかテストです。晴天下直射日光開放撮りの肌も何回か撮りましたが、日の当て方によっては白く飛ぶか、ぎりぎり踏ん張りなんとかなりそうな所感です。

同じくF2、ISO100、SS1/2000というこのカメラの限界値その一つで、いっそのこと白に包んで飛ばしてしまいましょう、というテスト。

バッテリーライフに不安な性能の中、無駄打ちできるのも車中で充電できるおかげです。むくっと起きてスマホを徐に見たかと思えば「3分前にドクターイエローが大磯あたりを通った」と演説する家人。よほど見たいようです。

カメラをはじめた頃は、SS、絞り、ISOを動かすと元に戻せなくなると怖くて動かせず、

やがて望遠に興味が出て、月でも撮ろうと思い、ネットを見ながら数値を調整し、想像以上に月は明るく、アンダーにしないと撮れないと驚き、

あるいは晴天下、もしくは直射日光下の花、殊に黄色や白い花びらも、思いのほかアンダーで撮らないと飛んでしまい質感がまったくでないことも知り、

そして白米も蛍光灯ごときで、思いのほか飛んだり、かと言ってアンダーにすると美味しそうに見えなく、簡単な被写体ではないと知りました。

やがて身の回り、日常に色々と目が行くようになり、一通り撮ってみれば落ち着き、

重ねて機材にも興味が出て、被写体の質感を撮ってみたくなったりし、

もしくは機材ごとの違いを知りたくなった中で、収差やMTF曲線を知り、絞り、SS、ISOを順番に少しずつ、体で覚えるように取り組み、

やがて被写体を主人公として考えるようになり、つまり共演者との関係性に着目するようになったり、光や、やっと最近構図に興味を持ち始め、もしくは背景との関係性も考えるようになり、

通して、どうやって子供のよい写真を残していこうと遊び心も持ちながら彷徨って、

カメラ小学三年生、留年の恐れもありましたが、もう少しで四年に進級できそうです。

子供が生まれる前にEOSkissを買いフルオートの日々でしたが、この頃は言ってみれば幼稚園だった位置づけにしたい考えです。理由はとくにありません。

F2、1/2000、ISO100だと空が飛んでしまいます。

F3.5、1/2000、ISO100。F3.5にして光を少し減らすと陰影とほんのり空の色が戻ってきました。

デジカメが普及する前、私の世代たる団塊ジュニアが中高校生の頃に友との思い出を撮った90年代は、デジカメへの一歩手前な時代、庶民の味方写ルンですがスタンダードでした。

当時は意識もせずでしたが、慣れ親しんだ写ルンですの画角32mm。元来使いやすい画角であることに起因し、加えて慣れた画角に近似しというのもあるのか、コンパクトなボディに35mmの固定、迷いもなく非常に使いやすく思います。

レフ機のようにAFを手足のごとく思い通りに素早くというには、二人羽織的なもどかしいときもあり、あるいは動体へのAFが弱かったり、弱いというよりもAF-Cもなくですが、さらに暗所ではAFが彷徨いやすく、というウィークポイントらしい性能も含み、歩留まりは確実に悪くなりますが、それが許せる楽しいカメラです。

寄れる上に、マクロモードでさらに寄ることも可能で、コンパクトと相まって食事中やテーブルフォトもスマートかもしれません。

このような場面でもAFは使いにくいですが。

座ったままチルトしない液晶を垣間見ながら、平行がうまく取れませんでした。

旅のはじまりから「ハンバーグが食べたい」とのことで、オーダーに応えるも、さして食べず。私が代わりに召し上げれば、これはあまり美味しくない、という子供プレートその壇上。

我々は名物とされるカレー、ビーフとチキンとに手分けして頂きます。

食後のこれをどう畳むかでメッセージとする。というマナーがありましたが、一時代の全盛期は猫も杓子もフランス料理フルコースをデートで頂くという時代だったかと思いますが、フランス料理も立ったまま気軽にフレンチという時代に、バイト氏が急いでテーブルも片付けるのでしょうから、思えば近年はもうあまり慣れ親しむというようなマナーでなくなったようにも感じますが、鈍感なだけかもしれません。

食後の小さな探検家。

私も冒険に便乗。

ポートレートも同じかもしれませんが、子供撮り、被写体の部位をどう撮るかで分けますと、

まず全身。この場合は、特段に意味がなければつま先や靴が切れないようにしてあげるとよいと思います。少しでも大きく撮りたいと近づき、表情に注視しているので、ファインダー倍率が大きいほど、とくに立て構図では足先が切れてしまったり、さらにレフ機はAF枠が狭いので、カメラをパーンしても足りないときも少なくありません。加えて、子供は成長してきますから、画角の距離感も変動値として捉えたいところです。

この点、面白いと思うのが、飛行機写真家です。飛行機写真家はどの方も飛行機が好きだと思うのですが、中でも
チャーリー古庄氏は、多くのカットで部分的に飛行機を切ることなく、あるいは機体が分かりにくい写真というものが少ない傾向で、機体全体を写真いっぱい適切に入れる構図が際立って多いと思います。五平さんが語弊があるというかもしれませんが、どちらかというと正統派、あるいは超一流で上質な記録写真、という傾向かもしれません。

この旅、一つ目の七夕飾りに願い事を。

被写体愛、つまり飛行機への愛を「この子の姿もちゃんと残しておいてあげたい」という言葉とともに、切れることのない胴体に翼、垂直尾翼の写真を見れば伝わってきます。

撮っているのは頭の形です。

ときに被写体愛は、よい写真という要素と相反することもあるかと思います。思い切った構図が撮れない、この子の姿を残したい、とよい写真という要素より被写体愛が優先するときが多いかと思います。

その気持ちが分からないわけでもないような気がして、チャーリー氏の写真に、際立った被写体愛を感じる次第です。

私も未だによくやってしまいますが、つま先だけ切れてしまう写真は、飛行機に例えると、離陸する機体をフレームいっぱいで撮り、垂直尾翼の一部だけ切れてしまった写真に相当するかもしれません。

という失敗をカバーするためにも、数だけは撮ってきました。

全身の次は、膝辺りから上を撮るという定番です。

その次が腰やみぞおちあたり、

もう少し寄ったバストアップ、

顔、

これらを子供撮り基本系の構図と考えて、そのうえで、手や指などの部位、という風合いでしょうか。私が目を通して来た本にはこれらの分類が記してあることがなかったですが、

なんとなく会得的に知った中で、もっと早くに知っておけばよかったと思う子供撮り基本要素な気がするゆえ、ここに展開共有をしておきたく失礼を致します。

これらを子供撮りの基本として考え、全身を入れつつ、被写体としての大きさを考えてみたり、全身を入れて撮ったからこそ、思い切った構図で顔は残して頭部を思いっきりフレームアウトしてみたり、

さらには結局的に写真上で何センチなのかで、存在感が変わってくると思いますので、小さい8切り6切りサイズの写真、A4サイズの写真、ともに10cm被写体の大きさがあれば、十分に存在感が出て来るかと思うところ、

つまりはプリントする大きさでも適切な構図が変わってくるように思います。

小さいと思っても、大きくプリントすると案外に存在感があり、写真としても見栄えもよいと思え、という関係性、なども考えながら、いろいろな写真を撮っています。これがいつも見る画面だけに固定して考えていると、あとでプリントサイズの柔軟性に欠けて来るとことに繋がりかねないとも考えています。といったそばから靴が一部切れてしまっています。

カメラの充電が心配になりつつですが、

宿にクルマを預けて、宿のクルマで送ってもらいお出かけです。
つづく