岐阜の旅つづき。

来ないバスを待っているよりも、反対側に着いたバスに飛び乗って終点の駅で電車またはタクシーでも見つける作戦を企てました。

しかしバスへ乗車し少しした頃道程をお伺いしてみれば「途中も終点も何もないですよ、バスも終わりですよ」というバス運転手氏のお言葉で、最悪一時間か、二時間か、いや三時間となるのか、蒸し返す暑い夏の夜に、目的地から遠ざかっているがこれはもう肩車でもして歩いて帰ろう、と覚悟を決めたところ、

ご迷惑がかかるといけないので詳細は割愛しますが、旅のドラマともいえるご高配あるご采配のお気遣いを頂き、温かみにも触れられる貴重な経験もさせてもらい、旅の思い出が深まることになりました。感謝いたす次第です。こうして奇跡的に途中から岐阜駅へ向かうバスに乗れることになり、

我が子はパパの腕の中で眠りにつき、

バスを降りてから、多少の抱っこで汗だくになりながら抱っこはママと交替してもらい、無事にホテルへ戻ることができました。

「粉が爆発するんだよ」と花火の解説もしてくれていた花火大会、友とそのご家族、そしてその縁をくれたのこの子に親としておこぼれもいただき、厚く御礼申し上げる次第です。

岐阜の朝がやってきました。

生卵の儀式。

ジャム左官の就業を着任し、

ナイスなサンドで頂きます。

youtubeの調べそのあとは、

チェックアウトです。

少しずつ字の練習。

車を取りに行きながら、競合他社の営業車を見つけ、営業エリアの意識を致しつつ、

わが友の采配により名古屋拠点からの対応で、このあと三か月後だったか、私も知らない間に薄くながら岐阜も営業エリアに数えることになります。

私は、我が友のことを尊敬し、そして尊敬の念は日に日にしみじみ増えていき、毎日敬意を思うばかりです。ちなみにお若い方々へも尊敬が増すばかりですが、加齢とともにまさか尊敬ばかりするようになるとは、若い頃は夢にも思いませんでした。

東京から異動したお一人は、先日ジェットスキーに連行されれば「キャバクラより楽しい」と感想をもらしていたそうで、

来月も一人木金仕事後の土曜日に出張びとがジェットに連行されるプレミアムセットの予定で、そのあとは大阪で第一回目となる主要メンバー全体会議を金曜日に執り行い、

平日に上層部連中がジェットで遊んでいる、などと一点でも広がれば悪影響兼悪営業ですので、土曜日にジェットへ連れて行ってもらう予定の段取りとしています。

前年2017は、蒸す激暑の中、抱っこ多用で登頂気味に織田城と呼びたくなる岐阜城の試練でグロッキーを迎えることになりました。グロッキー明けからこの一年後の夏まで、5:00から幼稚園送迎も挟みつつ翌1:00ほどまで労働する十か月が始まることになり、道中友は大阪、名古屋、京都と立て続けに拠点をこしらえ、あっという間に土台を作ってくれることになりました。極度の遊び人でもある我が友から、少なくとも名古屋と京都については

支店責任者の方を統括する形にて運営を若手殿に引き継ぎ中で、エネルギーに僅かな余白ができたかと思えば「今度は岡山やりたい」とお声を頂戴しております。西は姫路まで広がっておりますので、若干リーチを伸ばすことになります。翌日は公園で待ち合わせ、我が子とその友再会です。

遊びもパワフル、仕事のアイディアも常に溢れ、連絡を取るたびに「これやってみたい」「こうしていきたい」と発してくれるその漲る元気に、いつも勇気もやる気も頂きます。

過日の出張時の飲みでは、遊んでいる女性の写メも見せてもらいながら、しかし「もうだめですわ」と盛りのほうは落ち着いてきた様子がありますが、一時的なものかもしれません。

この友はその昔バイクに乗っていました。私は価値観を押し付けるタイプだったのもあり、家庭もあり会社を2つか3つほど経営もする友に「絶対にバイクに乗るんじゃない、責任もある立場で、ましてや子供を乗せるなんてもってのほかだ。少なくとも子を育て上げてから乗ってくれ」と強く伝え、いや説教をしていました。

そしてある日「怒られるから言わんかったけど、実はこっそり内緒でバイクに乗ってまして、事故を起こして入院してますねん」と連絡があったので、急いで新幹線に乗りお見舞いに駆け付けたことがありました。車いすで治療中で多少痛々しかったものの、相変わらずの性欲で元気そうな友の姿を見て、ひと安堵したものです。

そのときの話を最近、わが友が後進へしていたのですが「怒られるかと思ったら、ぱっと来て黙って10万だけ置いて帰った」と、私としては弱っている友へ怒ることはせずのは覚えていましたが、見舞金のことなどすっかり忘れていました。もらったほうは覚えているものなのだと再認識した次第ですが、それよりもそうして思い出話ができる関係なのが何より感慨深いときの流れです。

結婚に出産、お祝い金は多く渡してきたほうかもしれません。来春の結婚式では旅費は自費の上で1本ぐらいのお祝いをと考え決裁者家人も快諾してくれていますが、こういった価値観が20年後どうなっているのか分からないながら、昔話として青年あたりに成る頃に、一つの価値観として「このような考え方もある」と子へ伝えていきたいと思います。

この友とはそれぞれ別個の経営者でありながら、多くを語り合い、若い頃は経営について激論も交わし、海外旅行も共にしたことがり、その昔深セン進出用かつ日系向けとして香港に会社を作ったときはパっと現地の責任者候補や現地経営者を紹介してくれたり多大にお世話にもなりつつ、この1年と三か月は同じ釜の飯を頂くようになりましたが、

愚痴や不満を一つ言うわけでもなく、加齢してきた中に拠点を作り責任者を見繕い体制も整え、数字としての土台も作り、それはそれはエネルギーがいることであり、拠点間に広がる営業エリアの顧客先にと、その往復を何度も車でしてくれて3か月で2万キロのときもあったのか、しかしそれすらも言うわけでもなく、

奥方公認の愛する人もいる中に、愛する人公認のさらに彼女も複数名入れ替え性でいるところ、口癖は「新規、新規いきたい」で、新規の若妻と遊んだという中に、後進が「それだけ忙しい中にいつ」なのか行為の隙を問うてみれば「先週の水曜日の昼間」という言葉のあとに、

「それぐらい見逃してくれたってええやないかい、こっちは土日も動いているんや」と語気が強くなり、「いや何も言ってませんから」と後進は笑って返すわけですが、これもネタの一つになっており、愉快な仲間であり、おもしろいおっさんです。

一方で、その友の功績あるいは成果よりもどれだけ小さいのだろうかと評価されうる仕事ぶりでも、愚痴が多い人も世の中にはいて、それを改めて思うまでもなく友の有難さや、貴重な希少性も思いますが、

他方で、愚痴が多い人というものは、疲れ切っている中にそれを聞かされる相手のことを考えることができない回路を有していることでもありこの点大変な思いをする人も生まれてという難解な方程式も降臨してくることになりますが、

仕事は下手で愚痴も多いけど、そしてそのような人もこの世には多くいてと思えば、愚痴は情報であり、その方にも個性があり、得意分野もあり、

どうやってその個性を活かしたらよいのだろう、と悩むときもあり、悩んだ数だけ経験ともなるような気もして、

環境を作るという役割な私の精進も続くことになります。

公園で遊び汗だくな服を着替えて、一件寄り道しつつ、靴も乾かしながら次へ向かいます。

ママ行司の提案内諾決定により、
宇宙(そら)博 岐阜 かかみがはら航空宇宙科学博物館に到着です。

やる気に、挑戦する心がなくては宇宙へ行くことができません、と思います。

しかしやる気にチャレンジ精神だけでは永遠に宇宙へ行くこともまたできません、と思います。

やる気に強い思いがあれば、宇宙へ行けるとすれば技術がなかった太鼓の昔な人々中で、宇宙へ行くことができた人がいるはずです、と思います。

宇宙へ行くために最も必要なことは、テクノロジーの集積以外にないのではないかと思いますが、

一つひとつの技術というものは、人々の執念や好奇心、そして知の集合体ともいえ、

つまるところ技術がなければ車もないところ、

現代の啓発系はあまりにも「やる気」などの心の描写に偏重をしているのではないかとも感じ、あるいは発信者においてテクノロジーの軽視を感じなくもないですが、これはつまるところ科学の発達とともにアメリカでも無宗教者が増加傾向にあるかのごとく、宗教が減退しつつあるという背景も一助になっているのか、需要の求めその一つでもあるような気もしつつ、

その結果、猫も杓子も巻き取りメジャーも、心をクローズアップし、心ばかりに注力するようになり、むしろ心が疲れてしまっている、という状態を作り出しているのではないかと薄っすら思ったりもしますが、

子供も小説好きなお姉さんも、アウトドア好きなお兄さんも、もう少し技術論に人類皆兄弟的に論調がシフトする回帰を辿れれば、

人類の疲れが少し和らぐようになるのではないかとも思う日もあります。

たとえば車一つとってみても「乗り心地」や「デザイン性」それらを「経済的価値」と結び付けての評価、は主観的感覚値となりやすいと思うところ、これらの意見交換が主たるようになっているような気がしなくもなく、

一方で昭和の頃はDOHC24バブルがどうだ、こうだと素人同士ながら技術に軸足ある論争が多かったような気がし、それでも翌日になればまた人間関係が円滑に続き、そこには「トヨタのこの技術はやっぱすごいよな」や「日産のこれも負けてない。次も楽しみだ」という帰結につながっていきやすい技術の成長期もあり、

とも思いつつ、

現在は技術というものが各方面とも、高度化、複雑化し、さらには複雑化し合った技術同士が絡み合いながら、さらにはITにAIも牽連し目に見えない部分も増えて、もはや素人が語り合えるレベルではなくなり、

ここにインターネットの匿名性による誹謗合戦も援軍で加わって、

あるいは日本においては経済の斜陽化で中流階級の喪失、アメリカにおいては二極化の敷衍が強固に進み、等、テクノロジーの直接的保有的利用層の減退もあり、

総合して「好き」「嫌い」という主観的な感想がメインテーマとなりやすい土壌に進んでおり「結局、自己満足だから」「好きなのでいいんじゃないか」という終着点になるほかなくという気もし、主観的な話題ぐらいしかない、ぐらいの勢いになっているという背景がなくもない、というアプローチも一考の可能性があるのかもしれません。

江戸時代に昭和あるいは30年前では治らなかった病気も治るようになり、苦痛や恐怖、不安から逃がられることは確実に増えて、この点現在そして未来のほうが「幸せである」といえそうですが、

医療の技術、生命の解明、それらがもたらす健康的長寿というものは、世代間の衝突も増やしているように思います。

長く、より健康的に生きながらえるようになり、つまりはその分生きるために労働も必要になり、労働した分上納や搾取される機会も自動延長され、気力体力も減退する中に、社会の進化から取り残され、世知辛さは加齢と比例していき、

技術の進化・進歩というものは、何をもたらしているのか、車でコンビニへ行き、美味しい弁当がいつでも買える便利さはありますが、それをあと10年延長して享受するために、加齢する身にはより苦労環境が進む労働環境の中で稼ぐべき期間も延長しなくてはならない、つまりは辛さが増す、という側面も生まれてきるように思います。

多くの人が買い物にかける時間が減りました。もちろんそうではない人もいますが、

昔はデパートに行くのも十分立派な非日常的なイベント、というところから始まり、

ブランド物を買ってみる、それを身に着け外出する、という高揚感溢れる時代もあり、

やがて日用品までがネットで買える今となり、あるいはぜいたく品は流行りではなくなり、この先は作り立てふわっふわのかき氷がネットで買える時代が来るやもしれず、

いくつかの要素が重なって少なからず、買い物にかける時間というものは大幅に減っているような気もし、

ではその分空いた時間を人々は何に使うようになり、その結果楽しいときが増産されているのか、平均化して俯瞰してみると、出先でスマホをいじらなくてはならないときとその集積が増えていたり、

頻繁化する細切れな人間関係と、煩わしさが増え、結局的に一人で完結できるゲームや音楽に帰着し、という流れもあるのではないかと思えば、再確認すれば技術の発達で長寿化するほどに若年層の苦労も増えながら、総合して技術の発展と幸せは単純にイコールでもないような気がしなかなか懐疑的な様相が見えて来なくもないような気がする可能性を思います。

この子が成人する20年後はどのような世の中になっているのか、想像もつきませんが、

豪雨に流される蟻が洪水の流れを変えようとするかのごとく、時代の流れを変えようとする無茶を発想するよりも、これらをどう構造的に理解して、どう見受けていくか、あるいは己の感覚を時代とともにどう変えていくか、逞しさと合わせて生きる力というものをどう鍛えていくか、

来月来る210クラウンに乗りながら、考えてまいりたいと思います。

この頃から予兆があったのかもしれません。

わざわざ若干遠回りして目指したオアシスに寄っていくことにします。

到着してまずすることは、

眠る子をもう少し寝かせておくための、

暇つぶしです。

刈谷ハイウェイオアシス。

なかなかに魅惑的なオアシスです。
つづく