
「俺がやる」と夜釣りに備えて、明るいうちに基本仕様を整え、

「夜出かけるの、最高」「夜の景色、とくに夜の高速の雰囲気好きなんだよ」や
特定の好きな景色を聞きながら、現場到着しました。

極限まで軽さを追求したという「はやくレーシングチューンためしてー」と、ロッドについて味わいたくてしかたなかったようですが、ラインやリード細部までエギング仕様になっているところ、ビックベイトを付けてみたり、

「何が伝説のルアーだよ」と軽くてキャスティングが難しい等「パパ、次これがいい」と
ルアーもいろいろ試したくて、老眼のおじさん暗い中で二回ぐらい投げてはルアーを変えさせられる所業に遭い、

数個のルアーを試したところで一定の満足感を得たのか我が家一の頑張り屋さんこの日も学校やらこなし疲れが顕在化するあくび連発で、パパと合わせて10投ぐらいしただけで帰ることになりました。が、これもまた幸せです。

つまりは試し投げだけ済ませて「ほらあれ、なんだっけ?ガンダムの・・・ガンキャノンだ」と幼稚園の頃、ガンキャノンの玩具を買わされたことがありましたが、あれはいまどこにあるのか、

就寝を前提に歯磨きを済ませて、
生まれたときの話しをしたりしていると、

そのまま眠りに就きました。

写真は炎天下の環境、F1.4開放の電子シャッターで撮った一枚をトリミングですが、このような写真が撮れるようになってと思いつつ、荷物を整えて、この日はズミルックス35F1.4装着のライカM11を持ち、

ママの誕生日、
お腹の中にいたとき以前からの定宿温泉へ行きました。子役の友はその仕事で貯金三桁いっているというプチ情報の共有をくれながら、実は最近ニュースのインタビューに出て「これでyoutubeとテレビ両方出た」ということになったのは周囲に内緒にしつつ、
アクエリの作り方を伝授してくれたり、

「左手から三つ目、白いのはアオリイカです」と説明を受け、まさかここで出会うとは、今までイカの種類ごとにそうは味の相違を気にしたことがなくしかしここ最近はむさぼるように回転寿司でイカの食べ比べを試みている中、アオリイカは高級な部類とのことでたしかに回転寿司ではあまりお目にかかれず、そして私が釣ることが出来ないイカ類であり、その中でも最難関系のアオリイカということで「これがアオリイカの味なのか」と噛みしめながら複雑な気持ちで頂いた次第です。という七月初旬、

イカバブルの到来を期すところです。ちなみにズミルックスM35mmF1.4ASPH.LeitzWetzlarというリミテッドな一本、描写性能につき通常版とまったく同じなのか、売価を思えば多少は厳しい基準でマイスターが仕上げているのか分かりませんが、年に一本出物があるかどうかなレア級なのところ、数日前から
マップカメラで出物があるようです。

「ここの豆腐、一番好き。本当に美味しいんだよ」といつものようにパパとママの先付豆腐をたいらげて、そこまで思える豆腐に出会える人生もまた幸せなことに思い、

梅雨の時期に来た、
箱根登山鉄道とあじさい懐かしく思い出し、見返してみればもう五年前と時の流れに驚きながら、

翌日旅の帰路は「イカいかが?」「イカを活かす」「イカがイカロスのイカズチを受ける」「このイカいかす」「イカをラ・イカで撮る」などイカ即席ダジャレの車内応酬が一時的トレンドの中、小田原で5時間ぐらいゲームにボーリングを楽しみました。
ボーリングでは途中独走も見せたり、

パパとママに
飲み物を買ってきてくれました。そしてここのボーリング施設もあるゲームセンターでライカのM10用純正ケースをM11に装着するもネジ穴の位置が合わずで止めていなかったため、落として、次回取りに伺いまでの三週間ほど一時紛失することになります。

昼食も忘れて遊んだ後は、夕食の牛角です。クレーン釣果を確認して、

小田原市民になりたくなるほどの商業施設をあとにして、

帰路通りすがりの上州屋に寄り道し、ルアーと水中の魚が見えやすくなる釣り用偏光サングラスを仕入れ、

PAでは、バク転教室用のバックにつけることになる一生持つという堅い材質のネーミング入り木彫りのキーホルダーを仕入れて、

翌日、下校後はサングラスをして近所の友のところへ遊びにいきました。

最近「パパ?日本ってどうやってできたの?」と、難しい質問をもらいました。

まだ分かっていないことが多くあるのだけど、4万年ぐらい前、へたするとまだ見つかってないだけで50万年前かもしれないけど、当時は中国やロシアと陸続きで主に九州、北海道、加えて沖縄方面の3ルートから、一部はネアンデルタール人のDNAも持って、ホモサピエンスが獲物を追って歩いて流入してきて、旧石器時代とのちに呼ばれるようになった文化が形成される。やがて氷期が終わると暖かくなり海面が上昇し今のように日本は海に囲まれるようになり、春から夏に魚や貝を獲り、夏から秋は木の実を採って、冬は葉が落ちて狩りがしやすく、肉には脂がついて美味しくまた毛皮が厚く良質になることから、面白いことに冬に落とし穴式も多用されながら狩りをすることが多かったようであり、1日4時間働き、寿命は40歳、恐らくは子供の生存率は低かったであろうなど、そうした生活を大きな紛争もなく平穏にひたすら毎日来る日も来る日も約2万年前後ただただ繰り返していたんだから、それもすごいよね、と説明し、

それはのちに縄文時代と呼ばれるようになり、火も大切なのだけど文明の進化にもっと大切なものがあって「Aちゃんも毎日三回は使っているものだけどなーんだ」とクイズ形式でやり取りしながら、そのうち学校で習うと思うけど土器というものが生まれ、平たくいうと食器や鍋、フライパンやタッパと思えばいい、当たり前すぎて疑問に思わないけど、これらがなかったらかなり不便だ、

これが生活に大きな変化をもたらした。つまりは塩を精製し、焚火で焼くだけだった食べ物を煮て硬い食材を柔らかくしたり、灰汁・毒抜きしたり調理が大きく変化して食べれらる物が広がり、貯蔵方法が進化したり、他の村へ持っていくための運搬もしやすくなったりと、人類の生活ひいては文明に大きな変化をもたらした。

この縄文時代にも稲作つまりは田んぼはあったと言われているんだけど、

今から3,000~2,000年前ぐらいの弥生時代と呼ばれる頃、主に朝鮮半島を経由して中国から九州へ船を使って渡ってきた人たちがいて、この人たちが本格的な稲作を伝来した。「最近のやつは稲作だとか言ってチャラチャラしやがって」と言っていたがんこなおじさんもいたかもしれないけど、稲作が日本中に広まるのに800年ぐらいかかったらしい。

そしてこの稲作というのは「そっちの田んぼもよこせ」また不作になれば「お前の貯蔵している米よこせ」と、この稲作が戦争や紛争をもたらしたと言われている。中国ではすでに広まっていた青銅といって青い銅や鉄が日本にも入って来るようになり、戦いは激しさを増し、勝つためには規模も大切になり、規模が増せば序列などの人間社会に必要な道具としての概念もさらに発達したのだと思う。あと、ざっくり言って3,000年前の中国をまとめようとしていた人々のほうが、パパの会社含め現代のそこら辺の会社よりも、役職一つからしてしっかりとしたシステムであったと思う。

そうこうしていると邪馬台国、パパはヤマト国という発音じゃないかと思うんだけど、確認されるところでは日本で初めてまとまった国らしきものが出来た頃とされていて、

少しすると奈良のあたりに邪馬台国と同じかはまだ争いがあるところだけど大和政権という国が出来たとされている。この大和政権は邪馬台国の弥生渡来人とは別に騎馬民族が来て建国したのではないかという説もある。この前後した頃に、今でいえば車といえる馬が入ってきたともされていて交通や物流が大きく進化し、また戦い方も変わっていったんだけど、もともと日本には馬や牛がいなかったんだよ。

本土に住む人は渡来人のDNA配分が全般的に多い傾向の調査結果は前からあった中に、近畿へいきなり騎馬民族が来たことを裏付けることになるかは分からずかつサンプリングバイアスも気になるけど、とくに近畿といって奈良や大坂のあたりと四国あたりがやたらに
渡来系弥生人のDNAが多いという調査結果もあるそうで、それ以外は九州も含め意外と同時代の渡来人のDNAは少ないそうだ。つまりは大和政権騎馬民族説も一考かもしれないことを示唆しているような気がする。しかしこれらはどの時代に中国大陸から渡ってきたかの違いだけで、あるいは弥生時代の再現したという言葉を聞けばそれはもう中国語にしか聞こえなく我々の多くは元は中国人だったといえるかもしれない「えっじゃあおれ中国人なの?」と合いの手が入りながら説明してみました。

「我々の国の名前『日本』を大切に考えて、ちゃんとニッポンって発音しようよ」みたいなものの活動をしている方もいる中ですが、

日出ずる国、日が昇る国だから特別な国なんだ感など、じゃあ丸い地球でどこから見て日の出の方角なのか、そう中国から見て日が昇るほうの国であり、という軸が我々にはないとも言える国号であることはまだ話していませんが、

あるいは、今もこうして思う存分に漢字を使っていたり、2,000年前からこの国の王は同時に中国の安東を担当する将軍職の拝命に必死になっていたり、古墳は少々カスタマイズしながら模倣し、あるいは平安京や征夷大将軍等のシステムや概念というか名称からして猿真似であり、さらには元号という文化まで中国を真似しこれら例示に切りがないほどですが、つまりは日本の歴史その多くは宗主国の一部という第三者的評価も大いにあり得、もっといえば中国本社に行けば単なる一極東担当であり、また子会社の中でも社長クラスではなく部長クラス程度の話しだったこともまだ伝えていませんが、今の親会社米国のことは若干伝えつつ、単に「さすがチャイナクオリティー」「シナ製www」と揶揄だけしていると本質が見えないような気がして、はたまた中国からしたら我々日本や台湾がどう写るのか「本社から逃げて行ったやつらだろう?」「前はもっと可愛いかった部下じゃないか」「前はあんなにペコペコしていたのに」かのような関係性もあるやもしれず、あるいは現代中国の子供達は毎日みっちり三時間宿題をするそうですが、しかもハングリーがあって競争心も強く、気が付けば今やiPhoneはじめ最新のデバイスに至るまでそのほとんどがメイドインチャイナであり、これらどのような相手と経済社会で戦っていくのか、想像しておいても損はないような気がし、過去
木更津アウトレットや
トーマスランド、旅先の
公園ロケット遊具での覇権争いで一歩も引くことなくときにはハーレムも作りながら制圧し、中国人の男児や兄妹に負けたことがない旨も申し添えながら、

これら心情的には寂しいこともありつつ、しかしそれは地政学的に大陸国と島国では、これはもう競争力や国力、軍事技術の差、そこから生まれてくる文明の度合い、またその必然性がまったく段違いですから、人的要素を根源するものではなく、さらにはその中で事実を客観的に受け止めて、我々の特性や強みを考えていくことの方が合理的であり、かつ建設的・生産的なのではないかと内心考えたりもしながら、この日は天の川に流れ星まで見て、夜中でも安心して釣りができるこの平和な国で過ごすことが出来ました。

たしか翌日日中ソロで釣りに行き、夜は家族と合流の上スシロータイムがあって、スシローと牛角が二大外食晩御飯となっている節がありつつ、

ある夜は一緒に散歩しているとカブトムシをみつけたり、

三時には出発する、と言っていましたが、ママが1時間、2時間おきぐらいに天気を確認してくれて、

朝方は小雨が降っていたので、止んだのを確認してから、

「あの綺麗なところがいい」と、東京湾へ釣りにいきました。

我が家の縄文カレンダー、夏は雲があるか、夕方から夜あたりの釣りとして、

アメリカ自由の女神がたいまつを持っているのになぞらえて、ママがビール大ジョッキを持つのを「ビールの女神」と形容する我が子、

「あと1匹釣ったら帰ろうよ」と、2匹か3匹釣ったあたりで飽きだして、

「あと二匹釣ったらは?」と合意形成を試みて、

総意を履行してから釣行を終えました。

「Tさんが買ったBMWこの先だよね」と、高速に乗る前に指摘して、もう三年前のことをよく覚えていると感心しながら、

この日は家族としても、それぞれ個としても、他のお店は待ちが多かったゆえ行ってみた人生初となるファミレス華屋与兵衛。我が子にとってはプラスして人生初となる鳥軟骨を「食べてみたい」と注文しつつすき屋の会社が12億円でこの会社を買ったみたいだよ、とお店のヒストリーを共有しつつ、これがなかなかに美味しく、空いているのもいいかもしれません。

我が子より少しおにーちゃんとなる男の子が、父親から胸元を掴まれながらガン詰めされている光景を遠目に傍観者タイムとして過ごし、エンジンをかけて、

ほらオリンピックと、この日発売されたマンゴーアイスを携えて帰宅しました。

ライカ

オータスと久しぶりに撮り比べてみて、

翌日にはまたトワイライトゾーンを通って、

この日は三浦海岸の様子も見てみながら、ソロエギングトレーニングもどきに向かいました。

対岸、という選択肢を増やすため、ちょっと足を運んでみて、埼玉から来ていたおにーさまと少しお話しさせてもらったり、

売出中なインナーガレージ付き中古戸建を一応外観だけ様子を見に行ってみたり、

この日も蚊に栄養を与えに行ってきました。虫よけをたっぷり塗っても効きません。

壊れた炊飯器、解体工事の許可が出て、

新しい炊飯器、これが大ヒットでついついご飯を食べ過ぎてしまう悩みが発生し、

習い事、

習い事やらで「疲れたー」というので「抱っこさせて」と
頬を付け合いながら会話して、

パパはナイトエギング、

脱買い食い。脱釣行〆ラーメンを誓う日があって、

怪我で早退のお迎えした日があり、

大雨の中習い事の送迎をした7月半ばまでの記録。