
2017年12月。

お遊戯会も撮りました。

「Aちゃんのパパ一番前いって」と、カメラ好きとして認知されてきた結果の、各々を撮る義務、いや責務が発生するときもありつつ、センターは幼稚園が頼んでいるカメラに占拠されているので、ど真ん前というわけにはいきませんが、なかなか有り難い環境を頂きます。スキルはさておき適当な仕事をするプロよりは、各々の思い出を撮るという当事者意識も持ち合わせたマインドと機材についてのみ負けないので、もう少しよい場所にしてもらいたいような気もするわがままです。

情報を落とすため、モノクロにしていますが、それ以上の深い意味はありません。

お弁当がない日は降園路にファミレスへ行ったこともありました。一つひとつが懐かしく、そして都度新鮮です。

12月分の写真整理を終え、11月を見返し、

二か月分だけを見ても「よくもまぁこれだけ撮ってきた」そして「撮っている」という我ながら率直な感想を持ちました。

備忘録、カメラをはじめて満三年の四年目、
2017年11月までの92万枚から本日現在4万枚増え、96万枚。あと4万枚でミリオン越えになりますが、

1割は子供以外を撮影しているので、子供の記録ミリオンとしては総撮影110万枚撮ったあたりにしたい考えです。

もう少ししたら習い事も考えますが、

最も大切にしたいのは愛情と、それを伝える今のうちしかない時間です。

子供が生まれてからできる限り急速に写真を上達せねばならないと考え、それには場数を踏むという一般原則に従い枚数を重ねることが重要なファクターと、無駄打ちも膨大に行ってきましたが、これが少しずつ減ってきた所感を思います。

各カメラ、最も酷使した5D3のみ念のため一度ユニット替えをしましたがよくぞシャッターユニットがもってくれていると思う中、一台あたり、コンデジも含めて割り算すれば10万回にも到達していないものばかりと思われ、まだ数年は交換なしでいけるのではないかと考えています。

カメラにはまり2年内ぐらいか、一度計算したときに機材購入費800万円ぐらいだった記憶で、その後鈍化したとはいえ、なんだかんだレンズにボディの買い増しもしているので、この満三年で1,000万円こえているかもしれない、と先日用を足しながら考えていました。

これははじめて記述しますが、なぜならば家人が見るブログで、私が国連に逃げ込まないとならない状況になるやもしれないと考えたからです。しかし1,000万のクルマを10年乗れば、一日当たり3,000円です、という主張を盛り込んでおきたいと存じます。

子供の写真を残したいがために1,000万、と考えると我ながらなかなかの尖りようかと振り返り思いますが、過去してきたくだらない散財に比べれば自称聖人君主かつ自称人格者かもしれません。ちなみにとある後進は風の人が寄りそう谷に年間で同額を落とし、幸せを補てんしていますが、早く終着駅を見つけてほしいと願っています。

写真の要素というものは幾多もあるのかと思われますが、

5軸ジャイロ感覚を鍛え、常に磨いていくことは大切なのではないかと考えて日々練習しています。

絵画や映画でも、水平が取れていないものはなく、あるいは特段に構図の狙いがなければ垂直に平行もしっかりしているのが原則かと見受けられ、

といいつつ、狙いなどなくとも子供ばかりに気がいけば、すぐに水平など意識の欠片もなくなるときもあり、あるいは垂直を確保しようとすると多くの場合、大腿四頭筋のトレーニングになるだけでなく、思いのほか同じ目線を確保できない場合も多くありますが、ハイアングルも今しか取れない貴重な構図に思います。

女性を撮らせてもらう機会にも恵まれつつ、関係性は表情や雰囲気に出て、あるいは光などなかなか整えられず、これも場数を踏むか、慣れた人に練習をさせてもらうかですが、後者だとモチベーションの課題があるかもしれません。

被写体愛、1秒でも多くその対象を撮って残したい、という願望からは、全身を入れることが基本となるマインドに繋がりやすいような気がしています。

今の時代、高画素であればいくらでも拡大できるので、被写体愛として間近で記録したいという寄る意味合いが薄れているともいえるかもしれません。

状況が許されるときは子供を撮る全体の6割、7割は全身となっているような気がします。

被写体愛という観点から考えると、飛行機写真家チャーリー古庄氏が、情景やアップよりも、旅客機全体を写している写真が圧倒的に多く、かつメインであることから、これが深いのではないかと推察してみています。

被写体愛という観点から、機材を考えたときに、対象が被写体としては小さい部類に入る子供であれば、

手をつなぎながらでも撮れるという意味では広角24mmも魅力ですが、

アングルを間違えると、パースに歪みに、場合によっては2頭身、3頭身となったり扱いが難しい場面もあるやもしれません。

35mmは非常に取り回しがよく、使い勝手を考慮すれば35mmレンズが標準であるという帰結に結び付きやすい一方で、広角は35mmあたりからはパースが発生し、

他方で望遠側としては、70mmあたりから目立って圧縮効果が撮れ始め、

50mmが最もパースがつかなく、圧縮効果もなくという意味では50mmが最もナチュラルで、描写の平準性を重視すれば、つまりは光学的には50mmが標準であるという帰結と親和性が合いそうな気もします。ただし標準レンズという概念の重要性・必要性がどの程度なのかわかりませんが。ちなみに少しいじっていますが、空のグラデーションが破綻しています。コスパもよいフルサイズ機α7M2は意外ともろさもあるような気がします。

同じ50mmでもレンズごと、あるいはメーカーごとに相違もあり、主観的にFUJIの50mmは狭い感じがして難しく感じます。

お洒落は足元から、もしくは人の成りを見る際に靴を見る、というのがありますが、

これは頭から一番遠くの足まで意識がある方はおしゃれであったり、精神的な余裕もある、という意味合いなのかと解釈していますが、

構図も同じなのではないかと考えられるような気がします。

今でもたくさんそのような写真を撮ってしまいますが、全身を撮っているのに、つま先が見切れたりするような写真は、

水平もしくは表情やピント、あるいは顔に回る光に意識がいき、足先まで気が回るのが足りないことが往々にして発生してしまいます。

ことに晴天下に、液晶画面で撮る場合は反射して見えづらく、つま先が見切れることが発生しやすく、

もしくは子供の成長に応じて距離を取っていく必要が日に日にあり、あるいは子供がじっとせず一歩前に出てしまう、こちらが読み違えて一歩寄ってしまうなど、あとで見れば表情がよかっただけに惜しい、という感想を持つようになりました。

という反省を繰り返しながら、日々気を付けながら撮影を心がけています。

が、これ含めなかなかに深みがあるような気がする写真、倦怠期もありましたが、乗り越えてみると新しい楽しみが待っていたような気がし、まだまだこの先楽しめそうです。

とにかく画質として綺麗に撮りたい、という需要だけでなく、

描写性能は二の次でよいから、携行性を重視したい、という需要も同時多発的に発生し、

あるいは携行性もよく描写性能も問題なくよいRX1Rは、AFが遅くこれにストレスを感じ、あるいはシャッターチャンスを逃すときもあるので、

異なるパターンも見つけておきたく、小さいボディに小さいよいレンズも欲しいなどという意味も含め、さらに沼がありました、という状況です。

という流れでコンタックスのレンズにも興味が出始めたりする瞬間もありますが、

とりあえずはよっぽどでなければ、機材購入費は削減方向です。

α7R3は、非常にAFがよく、バッテリーが大きくなった分電圧が上がったのもあるのか、大口径でも走ってくる子供をしっかりと追い続けてくれるので、構図に集中できるというメリットを生んでくれるボディに思います。

その一方でソニーレンズは逆光耐性が気になるような気もし、殊にソニーツァイス50mmF1.4は強い光源を撮った際に気になるところがあるので、最近出したリコールの修理がよくなかったのか分かりませんが、近々また点検に出してみたいと考えております。

12月はBatis 2/25mmでよく撮りました。

昨日は久しぶりにニコン、そして
二年近く前に買ってから使うのが二回目ほどになるのか、 Planar T* 1.4/50 ZF.2を持ち出して公園で撮ってきました。

久々の光学ファインダーでのMF、そしてこのレンズの質感にトルク感、ボケは多少うるさく感じましたが描写性能を楽しんできました。

これは玩具としていいかもしれず、また二年後それぞれのレンズの感想がどう変わっていくのか、楽しみにしてニコン売却プランを見直しすることにしました。
つづく