
お泊りから帰宅して、「これのほうがタイヤ滑りそうだから」とあえてロードタイプを選択して、この日前半戦の一回目となる泥祭り会場へ出動です。

私の世代はどうやら社会へ出るころは「就職氷河期」と呼ばれていたと、ずいぶんとあとになって知ることになりましたが、2000年あたりは求人倍率が1倍を切っていたとは驚きます。クジラの口みたいと聞いて一枚撮ったのを思い出しました。

幼い時から、そして中学も高校も大学も、就職を思ってみたことすらなく「自分でやる」と起業しか選択肢がなかったので、就職活動をしたこともなく、また勤める大変さも知らず、職場にうるさいおじさんがいれば面倒なことぐらいはアルバイトで経験したぐらいでは知っており、その程度で来てしまいましたが、

どうやら今般のコロナでは、来春に向けた、あるいは次年度以降についても、就職活動が手厳しくなり、

青春のすべてを捨てて努力して就職する仕事もあったり、

その一つにパイロットがあることも、近年飛行機の「事業免許」を持っている方を面接して、いかに人生を賭けているかを知るに至りましたが、

航空業界はもとより、一般の多くの学生や他にも理美容系や服飾学校、調理学校に行っている方々は殊に大変かもしれません。なお私見ながらこれから社会へ出る方々へは、派遣は避け、殊に女性の場合はなんとしてもたとえ地場の小さな会社であってもできるだけ固い業界で正社員として勤めることが望ましいと考えます。派遣として就業し仮に独身のまま40歳を越えていった場合、その先がかなり困窮する可能性が高まるように思いますので、できれば助け合って生きていけるパートナーの獲得もなんとしてもして頂き備えてほしいと思うところです。

社会的、経済的不安定さが増す中に、さらには出生数にも大きく影響し、大学やアルバイト、飲み屋などでの恋の出会いも激減に、先々の出生数にも影を落としていき、ひいてはその分経済活動も縮むことが憂慮され、

遠い先でなく目の前だけを見ても仕事口が減少し、良質な就業先であればなおさらに少なくなりそうです。2020年7月の求人倍率1.1倍という全国平均の公表値は、同一派遣求人の重複掲載、複数掲載と、成果型の掲載モデルによる一応型の掲載があり、これらを差し引けば実質1倍を切るかどうかのあたり、とその業界の方から見立てをお伺いしましたが、選択肢が「就職」だけでなく、将来リストラにあって仕方なくする消極的起業でもなく、前向きで希望溢れる楽しい起業や創業、自営こそ若いうちにやってみるのも一考ではないかとも思ってみたくなる次第です。という中に、従前経営をしていた会社に新卒として入社してきて、同僚と結婚をして寿退社をして、数年前に離婚もした35歳女性が最近起業したと聞き及び、応援をしたくなります。

「
起業する若者が日本に増えない理由」を論証してみた」というブログによりますと、若者の起業は減少の一途とのことで、

会社を経営してきましたので周りに若い社長もたくさんいる環境があたりまえにあったり、それを見れば主観的には若手の起業家が少ないという実感はどこ吹く風でしたが、しかしそれ以外の周りや社会を見てみれば「起業」という概念や発想、選択肢に欠片もない人もまた多いと実感もし当然起業する方の絶対数は客観的に少ないと理解してきたように思います。

私は自信満々に社会へ出て、そして見事に膝が震えるほどうまくいかず、社会とは厳しい、こんなにも厳しいのか、どうしよう、と起業してから思い、まったく稼げず、売り上げも立てられず、雇用など夢のまた夢という様相に業容はどうあがいても拡大せず、

という道を不眠不休でなんとか、しかし楽しく通り抜け、個人単位でみれば十分に食べていくことができる素養が身についたような気がし、やがて人生は楽勝である、と思いあがるようにもなりましたが、

研究に研究そして実験を多大に重ねたと言ってもいいと思いますが、ゆえに「蝶番があってドアは成立する」かのような極めてシンプルな「うまくいくポイント」「うまくいくコツ」を掴んだような気しておりまして、

そしてこれは感覚的なものではなく、経験がない若い方でも、大手企業でノウハウを詰め込んだはずなのにうまく行かない独立組も、体力が落ちてきた私含めた老齢気味のような方でも、再現性もけして低くない形で、体系化ができるものだとも考えています。慎重に歩いても滑るようなところで、前タイヤから転んで泥だらけになりましたが、しかしこのあとはそのようにヌルヌルに滑るところも難なく走り抜けるようになりました。経験です。

つまりは蝶番なくしてドアをドアとして使うことは難しいわけですが、蝶番さえ使えばドアがドアとして成立し、しかも簡単にそれができ、かのごとく、ほぼ誰でもうまくいく方法や要素が存在すると考えています。

ただしドアの蝶番ほどは見えやすくないため、その実効性を高めるためには、経験を積んでいきながらやってみる、ということも必要かと思い、つまりは努力や失敗もあろうかと思いますが、

だからこそ、若いときにチャレンジしてみる価値もあり、そういった方々にお役に立てれるのであれば、何か役立つ情報をお届けする方法がないかとも考えてみています。「うぉぉつめてー」と幸せなシャワーを浴びて、粗泥を落とし、

雨粒が落ちてきた辺りで、一旦帰庫することにします。

祭り前半一回目のカメラセット。撒き餌レンズの50mmを付けて久しぶりに5D3を持ち出しました。まだまだ現役です。

「パパ、また行きたい」「いいよ、いこう」とこの日後半戦となる、屋台は出ていませんが、雨が上がり天が恵んでくれた水たまりが増量しているであろう、二回目の泥祭り会場へ向かいます。

就職がうまくいけば御の字として、そうでなくろくな就職先しかなく、ナナでもない、と親御氏や大人、世間が判断するようなところであれば、いつでも就職できますから、二年、三年怒涛に苦労をしてみるのも一考なような気がしています。就職就職と完全絶対の一択や「子供の自由意思」だけを思うのではなく、起業という選択肢があることを子供のうちに伝えてみるのも一つなのではないかとすら思います。

起業、そしてそれなりの安定や成長というものは、必ず要素があると思いますので、それを押さえさえすれば、少なくともどう転んでも、ましてやこのまだまだまだまだ分厚い経済力を有する日本においてであれば誰でもそれが可能なほど、自分や家族が食べて行く分のお金という道具が楽勝にそして継続的持続的に手に入るようになるのだと感じています。この素養を手に入れることは、どのようなところでも人の役に立つという王道を歩きながら生きていく力を手に入れることを意味し、就職して30年後など今の時代どうなっているのか不確実性が高いゆえ、むしろ安定した人生を手に入れると同義にすら思います。

どうやったって、稼げないということは不可能である、というほどにロジックが存在し、たとえば原資というお金がなくとも、初期はお金がなければないなりに知恵か体力を使えば誰でも毎月200万円、300万円は営業利益いや税引き後の手取りで必ず残せるようになると思いますので、

若いうちにこそ体力を投資して、念には念を入れたプランとしてさらにハードルを落として毎月手取り100万円であれば、ダイヤモンドの固さごとく確度高く、生業を作っていけれらるものであると、零細の経営者として社会を生きてきて思う次第です。たとえば一例ながら従前経営してきた中には、アルバイトの女性が一日3時間ほどメールの対応と手配をするだけで、毎月一千万円売り上がり数百万円の利益が残るというビジネスもありましたが、これは自由も同居できることを意味しており、同じ事同種のことがいくらでも、いつでもできるように思います。このコロナでも問題なく、いやむしろ需要は伸びているかもしれません。

無論、うまくいかない人もたくさん見てきました。ある会社を辞めて独立し、レンジローバーとどでかいパネライをするようになり、愛人も出来て渋谷でデートを重ねるようにもなり、立派に社長氏をするようになった方が、

ちょっと会わなかった間に、社を閉じて友人のところに再就職する形でリスタートしていたケースもあったり、

あるいは、大手企業に勤めて、そこでの経験やコネクションなどリソースを活かして独立し、うまく回してきたものの、何かのきっかけでおかしくなり、10年、15年経ってから廃業した方や、M&AのDDをすれば内情は火の車な会社も珍しくなく、安定した業界であっても、けしてこれらは少なくないように思います。はたまた中年になってからコンビニでアルバイトをするようになった一人会社の社長氏もいます。体力としてもしんどいと思いますが、己を知ることと欲のバランスが崩れると、かようなケースになっていくのだと思われ、これは就職しても同じ着地が待っているように思わなくもありません。

ロジックさえ維持すれば生存可能性は飛躍的に高まっていくかと思いますが、しかし事業や戦略、能力が、というよりも、むしろ個としての性格や性質が災いして経営がおかしくなるケースが多い気もしますが、

出来上がった安定稼働のシステムに乗るときよりも、それを作っていく過程の場合はなおさらに「どれぐらいの人」をまとめていけられるのか、という器量みたいなものが関係し、それを大きく逸脱していくと、ストレス過多となり、その歪みが方々に出だして「トップがおかしくなり連動して会社がおかしくなる図式発動」が多いような気がします。ゆえに結局は己との闘い、または己を知ることも重要要素であり、この点が最難関の一歩手前ぐらいかもしれませんが、ケースタディを重ねておくことと、自らを戒めるまたはそのような環境を作っておく、という雨ごい的儀式により回避できるのではないかと思います。

これからはさらに公務員への希望も増していくと思われつつ、

公務員と言っても幅が広く、例外なく公務員というものはこの世に必要なサービス業であり、有事の際は特段に有難いことに職務を全うして頂ける分野でもあると思いつつ、その強烈な安定性から古今東西を問わず人気の職種かと思いますが、しかし若い頃「公務員だけは絶対になりたくない」と私の場合は思いました。自由度が相対的に低いと思ったからです。

そう思っている者が、会社を立ち上げてからほどなくして、面白いことに公務員に、しかもⅠ種の特待生として、ならないかとお声がけを頂くのだから不思議なものですが、仕事としての魅力を思い一週間悩みつつ、丁重に辞退をした次第にもかかわらず、その方とは20年以上の歳月人間関係が続いており、今でも月に一度はサシで会食の機会を頂いたり、家族ぐるみでのBBQを催行させて頂けば「こういうの、はじめてしたよ」という言葉に激務で人生来られたのであろう感慨を思いながらお子さんたちにも喜んで頂け、子供同士も関係が深まっていくのですから、これまた人生とは面白いものに思います。

私はその方の知力や素養は無論、ハートや腹も尊敬しており、その方は兼業規定に該当しないように無論適法に資産も大きく増やしているような方で、学生時代に世界を放浪中にとある国で浮浪者の風体にて日本大使館の塀によりかかっているときに「シッシ」とやられ、なにくそと公務員になったという点からして加えて放浪をしていた割には1種も司法試験も学生中に合格して毛並みが違うのかもしれませんが、あるいは私が経営していた会社に勤めていた方は、今では上場企業グループの社長や取締役になっている方もおり、中には2社の上場企業グループ社長業を兼務している方もいますが、就職のやり方につき、むしろ新卒カードではないやり方も社会には散見されるように思います。

単に安定を求めて公務員や大手企業の選択肢だけで思考停止するのではなく、ときに人生攻めてみて、

あるいはそこがダメだから人生終わりだ、と思うのでもなく、

私のような零細でも、もしくは周りにもいらしゃいますが、気づけば20年1人親方的に個人事業主で頑張っている方もおり、人生どうにかなるものであり、そしてどの道であろうとまんざらでもなく、

いやむしろ自由に生きる道は素晴らしいとさえ感じることを、これから社会の入り口に入っていく方々に伝えてみたい次第です。

幾ばくかのロジックさえあれば、この時代、これからの時代であれば、ほんの僅かな勉強だけで、固い人生の土台を作っていくことができるところに、個人がいきなり100名へ認知をリーチし、10の成約を目指そうと思えば、昔は電話帳や名簿名鑑を片手に3,000件、5,000件あるいはそれ以上は電話する必要がありましたが、今はインターネットという虹色に輝く環境が敷かれています。同じく電車も敷かれていますが、わざわざ50kmを歩かなくとも数百円で楽して移動することが可能なのと同じごとくです。

インターネットがこれだけ当たり前になっていますから、個人や零細でもマーケティングをしやすい時代であるところにもかかわらず、むしろ日本では起業率、起業数ともに下がっている、言ってみれば社会の闇と表したら言い過ぎなのか、

そのような洗脳、思考停止が方々で行われている、そう思わなくもありません。そしてこれだけ情報に溢れている中にノウハウとされるものも落ちているのだと思いますが、その使い方が上手なケースのほうが圧倒的に少なく、ゆえに多くの分野でまったくもってブルーオーシャン、すなわち釣り堀であると言っても過言ではないと思います。

大は小を兼ねる、これはマネジメントや市場での競争環境にも大いに言えると思います。つまり市場や組織につき、大を必死に回せれば、小は朝飯前に回せ、あるいは大がきつければ小にすれば楽になると思います。小がきつければ、一回大にトライして一つ上のレイヤーを体験・経験してみて、その後ダウンサイジングして自らに最適化すれば、その後の生存確率が大きく向上するのではないかとも思います。繰り返しますが、これはマーケットにも当てはまり、プロの競争がきつければ社会人野球に落とすかのようなイメージで、かように勝率や競争力、生存可能性を高める手立て・選択肢は想像するよりも多岐に渡ると思います。

社会に出て起業してまったく売り上げを立てられなかった人間が、ロジックを知りそれを投入さえすれば必ず成果に結びつき、成果を作らないことは不可能であるぐらいに思うところです。

誰がやっても赤字だったお店があったのですが見兼ねて口だけでなく、自らやるという手を出したことがあります。

30代前半で私もまだ若く「このお店が一か月で黒字化しなかったら切腹してやる。それぐらい絶対にうまくいく自信がある」と、

400名の所帯は大丈夫な環境でしたので任せっきりにして、私は商圏やニーズ、ビジネスモデルは間違いはない、と考えてとあるお店1店舗だけに一か月早朝から深夜までどっぷり浸かり、オープン当初の黒字から赤字となり、そして売上がほぼゼロになったお店の業績を即座にV字回復したことがありました。

「パパまた行こうよ」「いいよ」と後半戦に持ち出したのは、135mmF2を5D3付けて出動でした。

そして翌日も泥仕合祭りにお付き合いします。切腹は私もしたくありませんゆえ、それだけ絶対の自信と楽勝にできる自信があったのですが、それはお店よりも大きな所帯を回してきましたので大は小を兼ね朝飯前の起きる前の深夜飯前に回せる関係性にあることと、ロジックです。ロジックを知ってしまえば、そのたわいもないロジックさえあれば、必ずうまくいくと思います。しかもけして難しくないロジックなのではないかと思います。絶対の自信はロジックに、楽勝の自信は大は小を兼ねる関係性にそれぞれ掛かってきますが、後者につき大を体感せずとも、理解するだけで大きな効用があるとも感じています。

当時はそれぞれの長が次の幹や長を人を育てる、というフェーズかと理解していたのもあり、まだまだ若かったですが「直接最後に人を育てよう」と奢りも含め考え、お店の売上を回復させることよりも、それを「一緒にやって」伝えることが主眼でした。人作りと言ってもいいかもしれません。

ITや金融の畑で来た方が、違う世界で、もがいてもがいて誰よりもがんばっているのに空回りもしてどうやっても結果が出ずという同じ方が、やり方を知れば、

一か月で黒字化し、さらにその後の運営も託してみれば、

その担当をくれていた方は、その後黒字を続け運営していってくれました。ビフォーアフターのごとくロジックを知ったからだと思います。求心力に苦労するタイプといってもよくその点特段に苦労も重ねながら別の課題が生まれてきますが、それも時間をかけて解決にあたり、

そしてその彼は、今では十分に立派といってよい所帯の長を遂行できるようになりました。

ことに経営やマネジメントというものは何も知らなければ、選択肢は無限にあり、何をして、何をしなくてよくて、得策か否かも分からず、無限にある選択肢から最良やそれに近しい一手を見つけることは何から手を付けていいのか分からず、暗中模索で答えがあっているのか不安を抱えることも精神的な大変さがあり、

加えて往々にして、選択肢が多い職種になるほど仕事というものは最大9割が無駄なことを必死にしているケースが少なくないようにも思いますが、それは9割が無駄な選択肢であるから当然に起こりうることであるともいえるように思い、

明確にこの9割がどのような構成要素なのかを知ることで、1割だけに集中し、そこへロジックを投入することで、万時うまく行くかのように思われ、加えてこの9割を知るために若い頃というタームはあるような気もして、若い時に知らず気づかずだと歳を重ねてからの苦労と辛苦が増すような気がし、

それらを手にして、起業が増えてくれたらとも思わなくもありません。一人でもお役に立つ方がいるのでありそうであれば、そのような発信を社外にてすることもどこかに作ってみようか、しかしその前に散々実践してきたことながら改めて総括して体系化し、何をどの順番でどう伝えるのかブラッシュアップもするために思案も必要そうです。この世でプラス1人でも2人でも、お役に立てられれば幸甚の限りかもしれません。

「えっパパが〇〇するの?」と過日は、宇都宮まで仕事に行ってきました。

垂直展開先での受注がたまたま紹介であったゆえに、

一度自分で経験しておこうという正論の基に暇つぶしも兼ねていってきました。

実に楽しく、有意義で、晴れ晴れとした精神的栄養も頂き、何より労働というものの最大の対価とも考えられる心地よい充実感を頂戴してきました。

たまにやらせてほしい、と希望も出しておきましたが、

あと数回はやって、肌感覚で仕事をして頂く方々の気持ちを知り業務を知るだけでなく、これから開拓していくニーズの本質や、顧客層の心理や感覚を知りたい、導線を明確にイメージしたい、掴みたいという本旨もあります。

そして零細なりのマーケティングに取り組んで、つまりは営業主体ではなく、

始めに仕組みさえ集中力を持って作れば、あとは放っておいてもうまくいくぐらいの環境構築が可能であると、幾度もの事例を見てきて思うところです。この子が18歳になる頃には、毎期安定してネットで300億は残っていく事業にしていくことが、この子からアドバイスをもらいながら意思決定した下限目標です。という夢を持つことも楽しく思います。

ところでこのブログを記している月初昨夜は東京←→関西で行き交う交代的人事異動について、ほぼ決まった内示の事務所飲みをしてまいりました。

私にとっての神様がしばし寂しい限りですが一年関西圏の責任者として異動し、出来ている環境へ赴任することで方々の責任者の方、そのハートをグリップするというところからが着任の経験を重ねて頂くこととして、

変わって西へ土さ周り的に異動を重ねてくれていた弊社にはもったいないご縁とも思えるコロンビア大学留学経験まである人柄がよい方に身近に来ていただいて、方々伝えてみる信頼関係や機会を作ってみようと考えています。順調に安定成長を重ね今後もそれが見込める雰囲気の中に、加えて同時に二大顧客より重ねてご要望を頂戴し長野進出となり、殊にロジックパフォーマンスが高いとお見受けするお取引先の体育会系の理系である弊社ご担当殿がご退職されて長野に帰られると聞きこれも何かのご縁かとお声がけも軽くしつつ、少しずつ垂直展開先への取り組みも暖機をしていこうと考えています。三戦目は望遠を欲張って135mmを7D2につけ換算216mmにて出動でした。F200F2への興味が増してきます。