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かわらのジョナのブログ一覧

2025年06月30日 イイね!

公開50周年記念「銀幕を駆ける一番星」2

先日書いた日記の続編…

この新文芸坐の記念イベント(上映会)
日曜日に7/6の前売りを発売開始しましたが、
夕方には「満席御礼」の完売。



そして、明日はカミオンの発売日。

https://geibunsha.co.jp/publications/%e3%82%ab%e3%83%9f%e3%82%aa%e3%83%b3-2025%e5%b9%b48%e6%9c%88%e5%8f%b7-vol-512/

今回の上映会とリンク。
こちらも是非。
Posted at 2025/06/30 21:29:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2025年06月24日 イイね!

公開50周年記念「銀幕を駆ける一番星」

https://news.yahoo.co.jp/articles/d12fb552453cb1fe0bc4ba6e436d008b987504ca

池袋「新文芸坐」にて7/5~『銀幕を駆ける一番星』が開催。
今年8月末に公開50周年を迎える日本の乗り物映画の金字塔
大衆娯楽活劇の決定版「トラック野郎」シリーズのリバイバル記念上映会。
260席強の劇場ですが、7/5・6はゲストトークショーもあるため、
恐らく前売り発売と同時にほぼ完売が予想されそうです。

上映作品は
1975年製作の1作目、2作目
1977年製作の5作目、6作目

ゲストは
2作目マドンナ:あべ静江さん
哥麿会初代会長:宮﨑靖男さん
1作目マドンナ:中島ゆたかさん
一番星ブルース作曲:宇崎竜童さん

この日の為にパンフレットも製作されます。
現時点で劇場には、かなりの問い合わせが来てるとか。
5日6日はワタシも会場に張付いております。

https://www.shin-bungeiza.com/schedule#d2025-07-05-1


Posted at 2025/06/24 23:44:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2022年07月27日 イイね!

最終号…トラック野郎新聞資料集

研究家小川氏が日本列島を縦断と言わんばかりに、全国の新聞にある「映画トラック野郎」の関係記事だけを集めたの私的資料「トラック野郎新聞資料集」が遂に完結しました。



10年以上の歳月をかけ、北海道から沖縄県まであらゆる地方紙、スポーツ新聞諸々をほぼ全て(中には現在廃刊の新聞等で閲覧困難なモノは除いている)読んで、収集した途轍もないモノです。

そんなワタシも氏と知合い、いただき始めた訳ですが、巻頭に「主なロケ地」を載せる事になった時から、ワタシも協力させて頂いておりました。

さて、今回Vol.7九州編で完結。協力させて頂いた関係もあり、一足先に頂戴いたしました。



まぁ、興味に無い人には、猫に小判・豚に真珠ですが、好き者には喉から手が出るほど興味のあるもの。
正直、これ持っているのは半分自慢みたいなものです。

コレ、好きだからと言って、そう簡単にできる物ではありません。
それ位、労力と根気が必要になります。
初めは面白いんです。でも、ある程度になると、やり遂げなくてはならない義務感が襲ってきます。そんな中で出来上がった新聞資料集シッカリ堪能させて頂きます。
Posted at 2022/07/27 21:31:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2021年09月06日 イイね!

名監督がまた…ひとり旅に

11時過ぎ、何気にYahoo!を見て閉じる瞬間…ン?エッ?
再度、繋ぎ直して確認「澤井信一郎監督が死去 83歳」
ぎえぇぇぇ~

「野菊の墓」「Wの悲劇」等の作品が有名な監督ですが、
ワタシは勿論、映画「トラック野郎」シリーズの生みの親の一人として崇拝。

キンキンの企画案も重要ながら、鈴木則文監督、澤井信一郎助監督(当時)、
宮﨑靖男氏(初代哥麿会会長)この三方がいなければ、トラック野郎シリーズとして
成り立たなかったと思っております。

監督に初めてお会いしたのが、2015年7月に開催された
「感動をありがとう桃次郎☆ジョナサンよ永遠に」の時。
研究家小川氏に待機のサロンバスに連れて行って頂き、紹介して頂いたのが、お初でした。

その後は体調等もありイベントには来れず、お会いする機会もありませんでしたが、
19年2月に東映大泉撮影所で開催された「爆走一番星」の上映会で再開。



当日1回目の上映後、澤井監督と小川氏が話をされていた中に割り込ませて頂き、
結局会場撤収まで、3人で話し込んだのは貴重な想い出であり、貴重なお話を伺えた時でした。(ワタシの推測したロケ地の確認…宮城県の転落・吊り橋…etc)
その時は監督をご自宅まで送らせて頂き、「青年、ここが私の家だよ」と。

この年の秋頃だったか冬だったかに「いぶりがっこ」を送らせて頂き、
その時電話で話をさせて頂いたのが最期となりました。

研究家小川氏とは、もっともっと色々伺わなくてはならない事が山ほどあるので、マダマダお元気でいて頂かないと…と、いつも話していたのですが…
本当、残念でなりません。監督、もっともっと話し伺いたかったです。

この週末は、澤井監督が逝去され、友人の親が脳梗塞、身内が心筋梗塞と妙な週末でした。
Posted at 2021/09/06 23:39:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2020年02月28日 イイね!

週刊新潮 飢餓俳優…

週刊新潮で「飢餓俳優 実録菅原文太伝」という連載が続いている。
文太さんの伝記の様な話で、もう30回を超える回数になっている。
気になって、目を通しているのですが…

仕方が無いのですが、何か違うな…って。
「仁義なき戦い」位までは、「へぇ~」って見ていたのですが、
ワタシの専門?昭和50年頃から微妙な風が吹き始めました(笑)
「トラック野郎」に関する部分、
現在出版されている書物通り、時系列が少々歪んだ内容のまま。

取材しているのか、出版物を参考にしているのか
当時を知る人がかなり減っているのに合わせ、
40年も前の話の記憶も正直厳しいのも分かります。

キンキンが原案を世に出してから、
クランクインする迄は3ヶ月位しか無かったハズ。

走る街道美学の放映→企画通過→シナハン→シナリオ完成→
つっぱり人生映画賛歌放映→クランクイン…という流れ。

走る街道美学は5月末頃放送(確証)。
シナリオ完成は6月末か7月上旬。
制作発表会は7月中旬、そのすぐ後にクランクイン。

シナハンで同乗した運転手の張磨良治さんが
事故で亡くなったのが6月中の話(確証)。
それから考えると、シナリオの完成は、
前述位になると考えられます(コレは憶測)。


次に配給収入。
文面では興行収入とうたわれているが、恐らく配給収入の事。
1~5作が38億円とされていますが、
実際は『58億9千万円』で約59億円
興行収入に換算するとこの時点で100億円を突破しています。

因みに同時期の「男はつらいよ」5作品の配収が
50億4千万円で、7億5千万円の差。
恐らく参考にされた収入の資料、1~3作分の数字が
完全で無いモノを使用している可能性が大きいのが要因。

2作目を例に挙げると、総動員数は約320万人(当時の新聞記事より)
当時の平均入場料が約800円だった為、単純計算で25億6千万円(コレが興行収入)。
東映の取分が6割り弱と考えると…計算上配収15億位の数字になるハズ。
しかし、一部資料では7億7500万円と出ているものもあります。
これを興行収入として採用すると…入場料約240円(笑)
…イツの時代だよという位、大きく数字が異なってきます。

資料によっては14億9384万円※とされているモノもあり、
これが配給収入の「正」となると踏んでいます。
※新聞記事(日刊スポーツ1991年2月6日)、トラック野郎大全集、キネマ旬報40年全記録…より


次に、現哥麿会会長が1作目から関わっているという様な言い回しも…。
カミオンで出版している「哥麿会栄光の40年」で、現会長は9作目の頃
哥麿会に入ったと、本人インタビューで答えられております。

個人的には、何か自分が知り得なかった情報が分かればという期待と、
真実に近い内容を書いて頂きたかったのですが…ね。残念(-_-)
Posted at 2020/02/28 22:11:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記

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