今日はのんびり過ごそうと思ってましたが、とてもいいお天気のようで・・・
急きょ、「栃ナビ!」のメールで知った場所に行ってみることにしました(やるな~栃木県!)。
山道に入ると、セメント工場?(石灰石を掘ってる?)があり、結構ホコリっぽい(失礼)道が続きました。
何軒かそば処が並ぶ道を進み、約2時間弱で「出流山満願寺(いずるさんまんがんじ)(出流観音)」(栃木県栃木市)に到着です。
日光輪王寺を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)が創建(765年)し、空海が参詣(820年)しご本尊千手観音菩薩を造立したと伝えられるお寺です。
「仁王門」(市指定文化財)は享保20年(1735年)建立とのこと。
境内に、ココにこの建物? という感じの鉄筋五階の建物がありました。
「出流山信徒会館」という宿泊施設で、精進料理がいただけるそうです。
「本堂」(県指定有形文化財)は明和元年(1764年)に再建したもの。
八間四面入母屋造りで唐破風の向拝が付き、三手先龍の彫刻があり、日本の三御堂の一つと言われるそう。(他2つは奈良の輿福寺大御堂と筑波山の大御堂だそう)へえ~
本堂の右手に行くと、「奥の院」へと続く山道の入り口がありました。
鍾乳洞や十一面観音菩薩像、滝行にも使われる大悲の滝、懸造の奥の院があるようですが、現在は行けないようでした。
子宝に恵まれず悩んでいた下野国司が十一面観音菩薩像に祈った結果、翌年に男の子を授かり、この子がのちの勝道上人と伝えられているとか・・・。
「鐘楼」は変わった形でした。
次は、「岩船山高勝寺(いわふねさんこうしょうじ)」(栃木県栃木市)です。
クネクネ道を通って山を下りました。
すると、すごい山が見えてきました。
江戸時代からの採石でこういう形になってしまったそうです。
172.7m。銅山で有名な足尾系列の最南端に位置しています。
ナビ通りに進みましたが、ホントにこの道?と心配するような道(゚Д゚;)
急こう配でかなり狭くデコボコで、いやマジで、シャコタンと高級車は止めておいた方がいいです。
帰宅してから知ったのですが、JR岩船駅の近くに駐車場があり、そこから約20分くらい登る(約600段の階段)と行けるようなので、健康にもクルマにもそっちの方がいいですね。
で、登り切ったところに「山門」がありました(県指定文化財)。
「本堂」は、江戸時代後期に建立(1700年頃)されたものは、大正15年に焼失してしまい、仮本堂として建てられたものだそうです。
「本堂」右手から「奥の院」へ。
そして、「本堂」裏手へ。
お地蔵様にかけられた服がなんともリアルで、卒塔婆が乱雑に積み上げられ・・・
岩船山は死者の霊魂が集まる処と伝えられいるそう・・・ガク((( ;゚Д゚)))ブル
「関東の高野山」とも呼ばれ、日本三大霊山、日本三大地蔵尊の一つにも数えられているとのこと。
高さ19mの「三重塔」(県指定文化財)
江戸時代、歴代将軍によって庇護され、家綱は「岩舟地蔵の申し子」と言われ、吉宗は諸堂の大改修を行い、三重塔を建立(1751年)したそうです。
「山門」の向かい側の「賽の河原」は水子供養の場所で、供えられた風車やぬいぐるみなどが物悲し気で・・・
その前を通り、階段を上ると「西院の河原堂」(栃木市指定文化財)がありました。
下りの帰り道も細心の注意を払いながら、ちょっと記念撮影も(^-^;
ランチは、今回は間違いのない「佐野ラーメン」\660。
助手席の御方とはパーテーションで仕切られ、ゆっくり食べることができました。(笑)
長文駄文ブログ、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コペン | 日記
Posted at
2021/11/09 21:12:07