標題は、所属するフリーランスを中心とする自動車ジャーナリストの団体としては日本で最大規模の組織の名称です。
Automobile Journalists Association of Japan略してAJAJが通称です。設立は1969年(僕はまだ高校2年生!!)。今年で53年の歴史を重ねたことになります。当初は17人のメンバーで始まったということです。
今日は、そのAJAJの年次総会がありました。僕が入会した年はいつだったか。正確なところはちょっと記憶にないのですが,たしか1980年代末で、すでに四半世紀近い在籍になると思います。当時はまだ50人に遠く及ばないコンパクトなスケールで、僕は下から数えて3番目くらい。
直近では一学年長の現会長ともう一人僕が業界に入った時にフリーランスでdriver誌のメインライターとして活躍していたYMさんが5歳年長でいました。それ以上となるとほとんどひと回り以上の大先輩ばかり、今ではすでに鬼籍に入られた方も多くなりました。
当時の2代目会長と世話焼きの理事(年下)に入会を勧められて入ったものの、ほとんど天ぷら会員状態で在籍暦は長いけれど、あまりそれらしいことはしていませんでした。今よりもずっと忙しく、余裕もなかったためです。
そろそろキャリアを活かす年回りかな。そう考えるようになったのは、リーマンショックの数年前からでした。インターネットを介したWEBメディアの隆盛と入れ代わるように長引く出版不況は、明らかに時代の変化の結果であり、フリーランスの生き方にもそれに対応することが迫られている。ツイッターからFACEBOOKなどSNSのメディア化に直面するここ1、2年の変化は、その時の予感を遥かに上回るものがあります。
今年は2年毎の会長/理事の改選年。僕は4年前に手を挙げて落選、前回の選挙で初めて理事会メンバーの一員になりました。今回から事前の立候補が可能となったので、僕はジュネーブショー取材に飛ぶ直前に手続きを済ませておきました。ルール変更に対応して立候補したのは、現会長と僕と若手の会員の3人だけ。投票直前の立候補も認められるルールなので、それには新旧合わせて7人が表明しました。
結果、無風で現会長が再選され、理事は男女それぞれ2名の新任が生まれました。人的流動性は組織の活性化には欠かせないという意味で好ましいことだと思いますが、前回一緒に立った若手の二人は立候補することなく再選されませんでした。
さて、理事として何をやるか、です。僕は、新任となった一昨年4月から理事会の雰囲気に馴染ませながら方向性を模索し、2年目から温めていたプランの実行に入ろうとしていました。ところが、3.11東日本大震災の発災によって、すべてが水の泡になってしまいました。
C.ゴーン日産CEOと直に交渉して実現の運びとなったラウンドテーブル式の懇親会はその約2週間後の予定でした。さらにいくつかのプランも無期延期の形となってしまいました。中止ということにはなっていないはずなので、これから実現に向けて動き出さないといけませんね。
AJAJは、現在会長理事を含む一般会員だけで98名。高齢となられた名誉会員や会友を合わせると100名を超える相当な規模の団体です。同じ業界に属するフリーランスということで、一面では競合関係もあり、個性が勝負という仕事柄、価値観の相違は避けられません。、専門についても幅のある顔ぶれとなっています。
この知識と経験において蓄積があり、多様性にも富むメンバーシップをどの方向に進めるのが会の存在意義として望ましいか。AJAJは、いわゆる任意団体なので法人的な活動は制限されるようですが、会員の経済的安定を追求しながら社会的な貢献に資することを考えたいと思います。本ブログをご覧の皆さんのなかにご意見ご要望などがあれば、是非お聞かせください。
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2012/04/01 18:37:25