阿部市次さん死去 松川事件最後の元被告、昨年10月に99歳で
2023年01月30日 08時30分
阿部市次さん
「戦後最大の冤罪(えんざい)事件」とされる「松川事件」で、一審で死刑判決を受け、のちに無罪となった元被告の一人、阿部市次(いちじ)さんが死去した。99歳だった。家族によると、阿部さんは昨年10月10日、老衰のため福島市の自宅で亡くなった。昨年に家族葬を行った。複数の関係者によると、阿部さんは元被告20人のうち、最後の生存者だった。
阿部さんは福島市出身。元被告の語り部として活動し、冤罪のない社会の実現を訴え続けていた。事件発生から70年を迎えた2019年には、高齢を理由に語り部活動を引退していた。
阿部さんは1939(昭和14)年2月に国鉄に入り、福島車掌区に配属された。48年8月の「職場離脱闘争」で懲戒免職された後、組合活動に専念。その後、松川事件で逮捕され、63年9月に最高裁で無罪が確定した。
事件を巡っては、一審判決後に公正な裁判を求める運動が全国に拡大した。市民の力が冤罪救済に寄与した先駆的な事例となったとされる。
訴え続けた冤罪撲滅
「松川事件」の元被告として冤罪(えんざい)のない社会の実現に向け、事件の記録や教訓を伝え続けた。14年にもわたる裁判を経て被告全員の逆転無罪が確定した後、元被告の一人として各地で語り部活動に取り組み、逮捕後の取り調べや裁判中の経験を語っていた。
「真面目で温厚な性格の人だった」。松川事件の資料収集や研究に携わり、50年来の親交がある福島大名誉教授の伊部正之さん(80)は在りし日の姿をしのんだ。獄中日記などの資料を積極的に提供し、声をかけて依頼すれば講演会に駆け付けてくれる人だったという。
NPO法人松川運動記念会事務局長の吉田吉光さん(75)は「『なぜ自分は逮捕されなければいけなかったのか』と問い続けていた」とし、「『自白を証拠の王とする判断が根底にある限り、冤罪事件はなくならない』と強く訴えていた」と思い出す。
事件関係者の高齢化が進み、元被告20人のうち最後の生存者だった。吉田さんは「『死ぬまで語り部をしたい』と言っていた。残念の一言だ」と惜しんだ。
(安達加琳)
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松川事件
1949(昭和24)年8月17日未明、福島市松川町の東北線金谷川―松川間で発生した。普通列車が脱線、転覆し乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の両労働組合員ら計20人が逮捕、列車転覆致死罪で起訴された。50年の一審福島地裁では阿部さんら被告20人全員が有罪となり、このうち5人が死刑判決を受けた。
その後、最高裁が仙台高裁に差し戻して最終的に全員が無罪となった。64年8月17日午前0時に時効が成立した。
Posted at 2023/01/30 12:53:24 | |
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