1 白地に赤く 日の丸染めて
ああ美しい 日本の旗は
2 青空高く 日の丸揚げて
ああ美しい 日本の旗は
最近は、あまり歌われる事が
少なくなっていますが
唱歌「日の丸の旗 」
●発表当時
1 白地に赤く 日の丸染めて
ああ美しや 日本の旗は
2 朝日の昇る 勢い見せて
ああ勇ましや 日本の旗は
●昭和16年改訂
1 青空高く 日の丸揚げて
ああ美しい 日本の旗は
2 朝日の昇る 勢い見せて
ああ勇ましい 日本の旗は
時代背景によって歌詞に変更は
あるものの、中で歌われているのは
「日の丸」法律上は日章旗(にっしょうき)
そう、日本国の国旗ですね
1870(明治3)年1月27日、太政官布告第57号の「商船規則」で、
船によってまちまちのデザインの旗を使っていた
国旗のデザインや規格が定められた事からこの日が
『国旗制定記念日』となっております。
規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形。
日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心。
色地は白色、日章は紅色とされています。
中心に描かれた太陽ですが、古来より、農耕や漁労においての太陽を信仰と
太陽神である天照大神が結びつき、その象徴的な存在ですが
歴史的に赤で描かれることは少なく平安時代末期の頃までの「日輪」の表現は
通常「赤地に金丸」であったとされています。
白地赤丸が日章旗として用いるようになったのは
一説には源平合戦の結果が影響しているとされ
日輪が天下統一の象徴であった事から平氏は御旗にちなんで
「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用、
源氏によって武家政権ができると征夷大将軍は源氏の末裔を名乗った事から
「白地赤丸」が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったという
ことらしい・・・
その後、室町時代の勘合貿易や、朱印船貿易の際に日本の船籍を表すものとして
船の船尾や伊達氏が軍旗「日之丸大龍」を等に用いられ意匠のひとつとして普及しますが、
この時点でも、大きさはまちまちだったようです。
1854年(嘉永7年)日米和親条約調印後、往来が増えた外国船と区別するための標識が必要となり、共通の船舶旗を制定する必要が生じ、薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、老中阿部正弘により布告
1855年(安政2年)、島津斉彬が洋式軍艦「昇平丸」を幕府(幕府海軍)に献上した際に
日章旗を船尾部に掲揚、翌1859年(安政6年)、幕府は幟から旗に代えて日章旗を
「御国総標」にするという触れ書きを出し日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立
その後、明治維新をへて1870年(明治3年)1月27日、大政官布告により郵船商船規則を
公布し正式に「御国旗之事」を定めることになります。
ちなみに・・・
伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節において
スペイン国王フェリペ3世、ローマ教皇パウルス5世に謁見した際に掲げられたのが
伊達氏の軍旗である「日之丸大龍」1858年(安政5年)の日米修好通商条約調印時に
向かった船に日章旗を掲げたのが、伊達氏を先祖にもつ幕府目付岩瀬忠震であった事に
歴史の面白さを感じてしまいますねっ
日本の国旗「日の丸」は意味があり、
歴史もあるので、大事にしていきたいものであります。
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Posted at
2014/01/28 01:11:26