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2016年08月15日

終戦の日に・・・

終戦の日に・・・ 多くのの日本国民が

終戦の日と認識している

であろう8月15日ですが・・・

この日、1945年8月15日は

昭和天皇が戦争後の日本の在り方を定めた

ポツダム宣言の受諾を日本国民と

大日本帝国軍人に「玉音放送」という形で

直接語り掛けた日で、戦闘状態をいったん休止する

「休戦宣言」をした日だと考えた方が良いかも知れません



実際、日本がポツダム宣言を受諾したのは・・・1945年8月14日

降伏調印式は1945年9月2日に行われているので

国際的には、第二次世界大戦の終了は1945年9月2日となっています。



では・・・・なぜ日本人の多くが

8月15日を終戦の日と思っているのでしょう?

それは、やはりこの日に「玉音放送」として

天皇陛下のお言葉が、ラジオを通して国民に伝えられた日

だからでは無いでしょうか?

明治憲法下で天皇陛下がお言葉を発せられるのは

極めて異例のことであり、それは現在においても稀な事例です。



先日の8日午後3時、天皇陛下が、「お気持ち」をビデオメッセージで表明されました。

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)

後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。




天皇陛下のお気持ちを伝える放送は、平日という事もあり

帰宅してから拝聴しました。

お言葉の中では、憲法上の制約などがありつつも、

ひとりの人間としての天皇陛下ご自身の、率直なお気持ちが

メッセージ全体からあふれていたように思えます。



「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」

天皇陛下は、この「おことば」の中で、「象徴」という言葉を繰り返し用いられました。

「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。」

自然災害に見舞われた被災地を慰問や宮中祭祀

そして、リベラリストとして知られる天皇陛下は

先の大戦において激しい戦場となった南洋の島々を訪れて戦没者に祈りを捧げることを

「象徴」としての極めて重要なお役目とされています。

「これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」

と述べられているように。

それだけ、陛下ご自身が行ってきたハードなお勤めを、

次世代の皇室に対しても同じように求められるというものでは無く

皇族の方々に対する深い配慮、お心遣いが感じられる、この御言葉は

天皇陛下がどれだけ現状を深くお考えになり、憂慮されてきたかと思うと

とても重いお言葉と感じました。



今回のお言葉表明を受けて、マスコミ各社は、

生前退位の強いご意向を表明」などの趣旨で報じています

天皇陛下は、現人神ではありません

生身の人間なのです。

私達同様に老いは訪れ、病気にもなるし、

障害を持つ事もあるかもしれません

それはいけない事ですか?

あれだけ、国民に対して慈しみを持って接して下さる。

天皇陛下を、なぜ・・・労われないのでしょう?

公務に支障があるのであれば

公務を減らせばいいだけではないか・・・という

話も良く耳にします。

そうなのでしょうか?



憲法に規定された「象徴としての天皇」というあり方を

大切にし皇太子殿下が、それを労わり、庇い乍ら

ともに生きようとする姿勢を見せる事も

間違いなく国民の象徴としての在り方の一つではと・・・感じました。

また、今後も、可能な限り、天皇陛下のお気持ちを

もっと接する機会を出来るだけ発信してもらいたいと思います。

日本という国、日本国民にとって

大変意義があるだろうだと思えてなりません。



和船に小さな男孫とその母を乗せ麦わら帽子の祖父が、なぎの海にゆっくりとこぎ出した。優しげに孫を見つめる祖母の姿も。櫓(ろ)を巧みに操っておられたのは天皇陛下である。葉山での操船は静養中の慣行だった

家族の幸いを実感できる数少ない機会だったろう。しかし2010年秋の操舵(そうだ)の後、胸の苦しさを訴え、後に心臓バイパス手術を受けることとなる。日頃から常に全力投球の陛下である。同じことがいつ起きても不思議でない

きのう陛下が自らの務めについて考えを述べられた。高齢に配慮した負担軽減には「象徴としての行為を縮小していくことは無理があろう」と語った。公務を減らしてまで天皇を続けるべきでないという強い信念がうかがえる

皇室という船を自らこぎ、国民と共に生きる決意を身をもって示した28年。大震災の際には、皇居での自主停電を続け、暗く寒い部屋で被災地の苦難を分かち合った。「お言葉」にも国民に寄り添う気持ちが端々に表れ、それが生涯の思いやりの源泉だと分かる

生前退位は皇室典範に定めがなく認められていない。今回、共同通信の世論調査では85%が容認し、陛下の築いた象徴天皇像に国民の多くが共感している。そんな民心に沿う結論とは。難題を超え時代にふさわしい判断を。


河北新報コラム(河北春秋)2016/8/9より
ブログ一覧 | 雑感 | 日記
Posted at 2016/08/27 16:45:41

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この記事へのコメント

2016年8月27日 17:23
失礼します。戦争責任はともかく
今も戦後を引きずっている国民に対しても
平成天皇の思いはとても強いものだなァ
戦後行脚を大急ぎでこなしてるようにも見えた。
個人的ですが、戦後、命からがら満州から引き揚げた
身内。戦後国策によって北海道開拓農民として
入植した身内。いまや映画やドラマでしか知る由もないが
最近どんどん亡くなります。私たちは身近な現実として
記憶にとどめねばなりません。
平成天皇も戦争に翻弄されたお立場だったのだろう

コメントへの返答
2016年8月28日 22:23
おばんです<(_ _)>

当方も、戦争に関しては、
祖父母に話を聞いた事ぐらいしか
ありませんが、当時を生き抜いた方々
の高齢化によって語り継ぐ方も次第に
少なくなってきています。隣国の国策の
教育には多くの問題があり、そのことが
お互いを敵視することに繋がっている
根幹でもあります。天皇陛下が、ご自身の
戦争を体験から世界の平和を慰霊という形で具体的に体現されていらっしゃる事は
象徴天皇として大変素晴らしいことでありますが、やはりお体が心配ですね・・・

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