
本日は、久しぶりに
旅客機の話題でも・・・
第二次世界大戦が終了し
平和な時期が訪れると
飛躍的に重要が高まったのが
航空機による大量輸送
それを、まかなうべく登場したのが
Douglas(ダグラス) DC-6という航空機。
戦前に登場したDC-4の胴体を約2.2m伸ばし
エンジンを強化、北大西洋の無着陸横断飛行が
可能な航続距離と与圧客室とした近代的な多目的機として
1946年2月15日に初飛行を行いました。
この、DC-6の胴体を1.5m伸ばして大型貨物扉を2箇所に設けるとともに、
エンジンも100hp大きくしたついでこれをさらに大型化し、貨物型としたのがDC-6A
非常にバランスのとれた優秀機だったことから
アメリカ空軍向けにC-118 Liftmaster( リフトマスター)と、
アメリカ海軍向けのR6Dが製作され、戦後の戦略輸送に貢献します。
この活躍に目を付けたのが、多くの人員を快適かつ大量に運ぶ事が、
使命となった世界各国の航空会社、ダグラス社に対してDC-6Aを改良した
純旅客型の製作を希望を提出、これに応えて生まれた航空機が
のちにレシプロ輸送機として最優秀機といわれたDC-6Bです。
DC-6Bは1951年2月10日に初飛行し同年4月11日に就航を開始
その多くが太平洋や大西洋横断路線、アメリカ大陸横断路線などの
長距離かつ需要の大きい路線に投入され、それまで主要だった
豪華客船から航空機による人員輸送の転換となり結果・・・
客船による大西洋横断航路や、太平洋横断航路は衰退します。
DC-6Bの日本での導入は、日本航空が、国際線用機材として
1952年9月12日に導入を決定しますが、ベストセラーとなっていた
DC-6Bの納品が2年後となった為、
急遽、製造中だったスリック航空とフライング・タイガー航空向けの
DC-6A(貨物型)をそれぞれから買収
旅客型仕様に再改装という45%のプレミアム価格で3機購入し
1953年10月2日に国内線で運航を開始(東京 - 札幌)します。
その後、ダグラス社に発注した2機に加え、ウエスタン航空から3機、
サターン航空から1機と最終的に計9機を導入し
1954年2月2日には、日本航空の初の国際線である
太平洋横断線(東京 - ホノルル - サンフランシスコ)に就航を果たし
次世代のジェット旅客機DC-8・コンベア880の本格導入され
1969年3月30日に全機材が退役するまで
日本航空の主力機として、国際・国内線共に活躍しました。
〇Douglas(ダグラス) DC-6
【データ】
全幅35.8m、全長32.2m、全高8.6m、翼面積136㎡、自重28,500kg、
総重量48,500kg、燃料容量20,900L、最大速度310kt、巡航速度270kt、
実用上昇限度7,200m、海面上昇率380m/min、航続距離3,300nm、
離陸滑走路長1,500m、着陸滑走路長690m、
乗員・乗客3/54~102、原型初飛行1946年2月15日
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Posted at
2017/02/15 23:56:49