
車仲間でもある、T君が
自信のブログ
自動車愛好家 で
グランド・ツーリング 2015秋 岩手編 : 自動車愛好家
立川飛行機について、書かれていたので
本日は・・・歴史の中に埋もれた
立川飛行機が世界に誇る長距離航空機
A-26(キ-77)について、少々触れたいと思います。
立川飛行機(株)は、前進である
(株)石川島飛行機製作所(石川島飛行機)が、1936年に
軍の要請により工場所在地から改称された、戦前の航空機メーカー
現在は、
株式会社 立飛ホールディングス として主に
不動産賃貸業を営む企業で、T君が紹介している、
新立川航空機も事業部門として再編成されています。
立川飛行機(株)が、生産した航空機で有名なのが、
赤とんぼの愛称で知られる九五式一型練習機
そして・・・
戦前の日本陸軍の代表的な戦闘機
中島飛行機(現富士重工業 (スバル) )が開発した一式戦闘機「隼」
二型(キ43-II)以降、約1,000機が転換生産され
三型(キ43-III)は、ほぼ全機(約1,500機)が立川飛行機により量産されました。
さて・・・長距離機
立川 A-26(キ-77)とは、どのような飛行機だったのかと言いますと
1940年(昭和15年)朝日新聞社が皇紀2600年を記念して
東京 〜 ニューヨーク間(1万5000km)無着陸長距離飛行の
世界記録を作る親善飛行を企画した事に始まります。
機体名の「A」は、朝日新聞「26」は、皇紀2600年を表しています。
設計・製作を立川飛行機、中島飛行機、東大航空研究所、朝日新聞社の協力で
スタートした計画は、戦争の激化もあり遅々として進まず、頓挫するかに思えましたが
長距離偵察爆撃機キ74の開発に繋がる類まれな長距離飛行性能
(アメリカ本土まで飛行可能)に注目した軍部の指示により
名称が「キ77」として開発が再開
1942年(昭和17年)に2機が完成した「キ77」は
全長15.3mに対して全幅29.6mグライダーのように極端に長い翼を持ち、
翼の中は20に仕切られた燃料タンクは、ガソリン1万2000ℓ(ドラム缶60本相当)を
詰め込むことが出来ました。
エンジンは中島飛行機製「ハ105特」1030馬力×2基
高度1万1000mを飛行するため、胴体内に酸素を放出して地上に近い状態とするために、
半気密胴体を採用、特殊な液体酸素ボンベ、当時最新式の無線機、オートパイロット装備する
最新鋭の機体でした。また、パイロットが長距離飛行の際に
交代で眠れる寝台などを装備されています。
その年の11月18日に初飛行を行った「キ77」は、1943年(昭和18年)
シンガポール経由の南方迂回航路で海上交通が遮断状態にある
ドイツへの戦時連絡飛行に2号機が使用されますが、7月7日に中継地シンガポールから
イタリア領ロードス島に向かう消息不明となり
最初の目的であった長距離飛行の世界記録に挑戦は、残された1号機が
1944年(昭和19年)7月2日に満州で周回記録飛行を行い、新京〜ハルビン 〜 白城子の
参画コースを、57時間12分で16,435km飛行し、周回飛行の世界新記録を樹立しますが
戦時下の為、記録は公表されずFAI(国際航空連盟)未公認の記録とされています。
終戦後、「キ-77」は、米軍の指示により、接収され修理をした後
追浜より米国本土へ運ばれ1949年頃スクラップとされ
歴史の中で忘れ去られた存在となりますが・・・
当時、米国本土への輸送の際に、修理・整備を担当したのは
後のプリンス自動車、田中次郎技師
物造りの技術は、自動車へ引き継がれることとなります。
という事で、本日は、この辺で・・・
Posted at 2015/11/18 23:23:08 | |
トラックバック(0) |
飛行機 | 趣味