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2015年11月30日 イイね!

【訃報】漫画家 水木しげるさん死去 93歳

【訃報】漫画家 水木しげるさん死去 93歳 漫画家の水木しげるさんが、30日朝、東京都内の病院で

多臓器不全のため亡くなりました。

享年93歳・・・

また、昭和を代表する

漫画界の大御所が

この世を去ることになりました。



「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの作品で知られる

水木さんですが、戦争体験を元にした「総員玉砕せよ!」や



歴史上の人物を題材にした「劇画ヒットラー」では、

戦争の愚かさや人の幸せとは何かを常に問いかけ、



「福島原発の闇 原発下請け労働者の現実」(著:堀江邦夫)においては



福島原発近くまで赴いてイメージを膨らませ

過酷な労働、ずさんな管理態勢、原発内部の緊張感を圧倒的迫力で描くなど、

最後まで、第一人者として活躍しました。



あの世で妖怪たちと仲良くお暮しください。<(_ _)>

ご冥福をお祈り申し上げます・・・

Posted at 2015/11/30 22:40:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | 雑感 | 日記
2015年11月30日 イイね!

MRJ初飛行の反応は・・・

MRJ初飛行の反応は・・・11月11日に国産旅客機としては53年ぶりとなる

初飛行をようやく実現した。

MRJ(三菱リージョナルジェット)

その、初飛行を収めた

動画もUPされました~♪









この事に関しての

隣国の反応は様々・・・ですが

今後、最終段階に入るMRJ

無事に航空当局による認証(型式証明)を取得し

1年半後に迫った初号機納入を無事に完了してもらいたいですねっ




中国、MRJに負け惜しみ、ゼロ戦からめ揚げ足取りも…
遅れとった韓国は自虐的に


「ゼロ戦製造で有名な三菱重工が手がける」。三菱航空機が開発する国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の初飛行成功について、中国共産党機関紙の人民日報系の人民網(電子版)が伝えた国営新華社通信の記事の小見出しだ。日本が旅客機市場に参入することへの焦りか、「安倍晋三首相は武器輸出の原則を放棄し、日本の軍需産業の強化に乗り出した」とも書く。反日の立場で韓国メディアも中国に同調するかと思いきや、「韓国は第一歩も踏み出せずにいる」などの自虐的な論調が目立つ。

「日本など相手にしていない」



 MRJは11月11日、愛知県営名古屋空港で離着陸し、初飛行に成功した。国産旅客機の初飛行は昭和37年のプロペラ旅客機「YS-11」以来、53年ぶり。初号機は平成29年4〜6月にANAホールディングスに納入される予定という。さらに初飛行を成功させたことで、今後の受注拡大にも弾みがつきそうだ。

 こうした日本の旅客機市場参入の動きに、中国メディアは敏感な反応を見せている。

 新華社は、MRJは中国の小型ジェット旅客機ARJ21「翔鳳」と乗客定員がほぼ同じの70〜90席クラスと指摘。そのうえで、「翔鳳」の初号機が中国商用飛機有限責任公司(中国商飛)から成都航空公司に間もなく納入される予定であることを強調。実際、11月29日に引き渡された。

 一方で中国国有企業が開発を進めている国産中型ジェット旅客機「C919」の初号機が11月2日、上海で公開された。基本設計の座席数は158席。標準航行距離は4075キロとされている。

 こちらはエアバスA320やボーイング737と競合するとしており、「日本など端(はな)から相手にしていない」と言いたげだ。

日本の技術力の高さに危機感?

 それでも、激しい市場の争奪戦を前に、中国もおとなしく黙っていられないのだろう。官製の中国メディアはMRJを「中国商飛に新たなライバル登場」と持ち上げつつも、その揚げ足取りに忙しい。機体や性能などについて正攻法で取り上げるのならよいが、どうも“別次元”であげつらっているのではないかと勘ぐってしまう。

 というのも、例えば新華社は第二次世界大戦中の話まで持ち出す。三菱航空機の親会社の三菱重工業を取り上げ、「三菱重工は第二次世界大戦中、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を製造したことで有名だ。戦後も引き続き日本の軍需産業の巨頭であり続け、自衛隊の戦闘機F-15やその他の兵器を製造している」と強調する。

 さらには、「安倍晋三氏が再び首相に就任した後、日本は数十年来守り続けてきた武器輸出の原則を放棄し、日本の軍需産業の強化に乗り出した」とも書く。

 中国が日本の高い技術力に危機感を抱くのは理解できる。だが、ここまで書かれてしまうと、悪意があると感じざるを得ない。




永遠に『二流国家』に甘んじるしかないのか?



 一方、MRJの初飛行成功に対する韓国の受け止め方は複雑だ。

 韓国の経済専門紙、韓国経済新聞(電子版)は「中国と日本がジェット旅客機市場で迅速な動きを見せる中、韓国は第一歩も踏み出せずにいる」と自虐的に指摘する。

 同紙は経済紙らしく、今後の世界旅客機市場を「欧州のエアバスと米国のボーイングに二分化された市場で、中国には影響力を拡大し『3強構図』を形成するという意図がある。日本もMRJ技術のノウハウを活用し、いつかは収益性が高い中大型機市場に参入する可能性が高いと予想される」と分析する。

 だが、そこに韓国の名はない。同紙によれば、韓国の旅客機開発事業は20年以上も漂流しているという。金泳三(キム・ヨンサム)政権時代の1993年に、「新経済5カ年計画」で中型航空機開発計画を含めて推進したが、共同開発国の中国が手を引いてしまい、事業が中断された。航空機製造業界の関係者からは、「スローガンではなく、航空機開発のための実質的な計画を政府が出さなければいけない」との声も聞かれる。



 そんな中、朝鮮日報(電子版)は「日本のMRJ成功、韓国製造業も奮起を」と前向きな社説を掲載している。

 「航空・宇宙産業は先進経済国に仲間入りするための最終関門だ。見知らぬ道で誰も技術を教えてくれないとためらっていては韓国は永遠に『二流国家』に甘んじるしかない。自動車、半導体産業で未経験の壁を突破したからこそ、韓国経済をここまでリードできたのだ」と鼓舞した。

 「一流国家」を目指すのならば、謙虚さも必要だということか。
/2015/11/30/産経ニュース‎ 配信


Posted at 2015/11/30 19:30:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 飛行機 | 趣味
2015年11月29日 イイね!

多摩川スピードウェイ・回顧展②

多摩川スピードウェイ・回顧展②11月21〜22日 に

田園調布せせらぎ公園にて開催された

「多摩川スピードウェイ・回顧展」

本日も、東京在住のK・T氏から

届いた貴重な展示車両の画像を

ご紹介させていただきます。



今回、展示され多くの方を魅了した

一台の車が・・・



高速機関工業(株) オオタOC型 1936年式 フェートン

先日のブログ多摩川スピードウェイ・回顧展 にてご紹介した

「第1回全国自動車競走大会」にて優勝した「オオタ」が、世に送りだした車両です。



「オオタ」は、国産自動車黎明期の昭和初期に、巣鴨郊外甲塚に創業した

太田工場から始まる自動車メーカー・ブランド



創業者である、太田祐雄(すけお)氏は、芝浦製作所で本格的な工作技術を身に着け

飛行機開発研究を行っていましたが、計画は挫折し1912年6月巣鴨郊外に

個人経営の「太田工場」を開業し山田輪盛館向けのオートバイ用ピストンやピストンリングの製造・

教材用の小型発動機、模型飛行機を造る傍ら、自力での自動車開発を計画



1917年に神田の柳原河岸に工場を移転、

自動車や船舶用エンジン修理を本業とする傍らで小型自動車の試作に取り組みます。

1922年(大正11年)に第1号車OHV4気筒965cc9馬力のOS号を完成

市販のため生産化を図るため「国光自動車」を1923年に設立しますが・・・

同年起こる関東大震災の為、、工場設備が全焼、計画は頓挫しします。



しかし、太田祐雄(すけお)氏は個人経営で太田工場を再開業

自動車や船舶用エンジン修理を手掛けながら、日本製小型四輪自動車の開発は続けられ

1932年には748ccのN-7型と897ccのN-9型のエンジンが誕生させ四輪小型トラックを試作、

再度自動車開発に乗り出しますが、太田工場は個人の経営に過ぎない零細な生産体制

が続き、1933年から1935年までのオオタ車累計生産台数は、貨物車と乗用車を合計しても

160台と伸び悩みました。



この太田工場飛躍の機を与えたのが、自動車産業進出を目論んだ

三井財閥の一角三井物産(株)1934年からオオタ車の

販売代理店業務を開始、1935年に資本金100万円を出資し

高速機関工業(株)を設立翌1936年4月には、

品川区に最新の工作機械を備えた、

年産3000台の能力を持つ新工場を竣工させたるに至ります。



当初、オオタにさほど関心を持っていなかった三井財閥がこれほどの

資本投下を行った背景には、新興財閥の鮎川義介氏が、

ダット自動車製造(現・いすゞ自動車)から旧・ダット大阪工場と

小型車「ダットサン」の製造権を譲受、技術陣の移籍も受け1934年「日産自動車」を発足、

「日本産業グループ」として伸長しつつあったことが、方針転換のきっかけとなったと

言われております。



またこの時期、高速内燃機機関(株)に

資本参加した会社の一つが

梁瀬自動車(株)(現(株)ヤナセ)で、

オオタ号の車体製造を担当しオオタ号の一翼を担います。



その後、多摩川スピードウェイにおいて1936年6月7日に開催された

「第1回全国自動車競走大会」においてオオタ・レーシングカーが

小型車クラス優勝したことは、先日のブログ多摩川スピードウェイ・回顧展で書いた通りです。



この時期から、日本国内は次第に戦時体制へ1936年には、

自動車製造事業法が制定され、軍用トラックの生産可能な

日産、トヨタ、東京自動車工業(現・いすゞ自動車)の3社のみが自動車生産を優遇される

状況となり1937年高速機関工業は、軍需生産を目的に資本系列の委譲が行われ

三井物産から立川飛行機の傘下に移され乗用車生産を細々と続け乍ら

航空機部品や防空用消火ポンプエンジンなどの生産に徹する軍需企業として

終戦を迎えることとなります。



1947年高速機関工業は、GHQによる小型車生産許可に伴い自動車製造を再開

立川飛行機が母体という縁から、後のプリンス自動車に発展する

「たま電気自動車」の車体生産や・・・



1950年には、日野自動車がライセンス生産を開始する1953年までの2年間

ルノーの輸入代理店となり4CVの販売を行うなど、会社経営に奔走

1952年、社名がオオタ自動車変更されますが

戦後の激動期を生き抜くには小資本の独立メーカーであったオオタは



1953年から始まる朝鮮戦争停戦に伴う経済不況に耐えられず

1955年1月に会社更生法の適用、その後、くろがね3輪トラックで知られた

日本内燃機を傘下に持つ東急グループが引き受け、1957年4月に「オオタ」と「くろがね」は

合併し「日本自動車工業」を誕生させ1959年に社名を「東急くろがね工業」に改め

起死回生を目指し送りだした車が・・・



太田祐雄(すけお)氏の三男の祐茂氏が開発した

1960年発売のキャブオーバー軽4輪トラック「くろがね・ベビー」

市場では好評で、発売初年度の1960年には16,497台を生産、

順調な滑り出しを見せ、一時は息を吹き返しますが・・・



1961年スバル・360で軽乗用車のトップメーカーとなっていた富士重工業がスバル・サンバーを

発売すると、ディーラー網の薄さによる脆弱な販売力もあって売り上げは激減

1962年1月に会社更生法の適用を申請し、現在は、日産自動車の100%子会社

日産工機となり、現在に至っています。

また、「オオタ」時代に車体デザインを担当した、長男の太田雄一氏は

オオタ自動詞が、立川飛行機の傘下に入る事を良しとせず自らオオタを去り

「ワイルドフィールドモーターズ」を設立、戦後、進駐軍の持つスポーツカーの

チューンやダットサンオープンの架装を手掛け1952年に「ダットサン スポーツ DC3」の

車体デザイン設計を行う事になります。



この依頼をしたのが、「多摩川スピードウェイ」で惨敗した

ダットサン(日産チーム)の一員として、オオタ号を見つめた

後に、FAIRLADY Z の父と呼ばれる 片山豊 氏だったことは

歴史のめぐり合わせに驚きを感じますねっ!



『高速機関工業(株) オオタOC型 1936年式 フェートン』

現存車両は、この一台と伺っています。

見事にレストアされ、今回展示される迄には

いすゞ117クーペオーナーズクラブのメンバーである先輩と

太田祐雄氏の三男太田祐茂氏が設立したオオタ商会の

流れを組む「タマチ工業株式会社」のご尽力によって実現しました。



今では、幻の国産ブランドとなった「オオタ」国産車開発の

隠れた一ページを知る上でも、貴重な昭和遺産として

皆様にも、機会があれば、是非ご覧いただきたいと思っております。



今回も、貴重な情報を提供して頂いた

K・Tさん、ありがとうございました。<(_ _)>
Posted at 2015/11/29 23:16:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | クルマ
2015年11月27日 イイね!

多摩川スピードウェイ・回顧展

多摩川スピードウェイ・回顧展東京在住のK・T氏より

先週の11月21〜22日

田園調布せせらぎ公園
(東急東横線 多摩川駅前)

にて開催された

「多摩川スピードウェイ・回顧展」の

画像が届きましたので・・・

ご報告させていただきます。<(_ _)>



さて・・・「多摩川スピードウェイ(オリンピアスピードウェイ)」とは

何ぞや?と思う方も、多いとは思いますが・・・



「面積四萬坪、コース一哩、三萬人を収容する大スタンド等施設完備せる

東洋一の自動車大競走場」として



1936(昭和11)年に作られた

日本初の常設モーターサーキット場



一周1,200m、幅20mのオーバルダートトラックコースに

多摩川の堤防土手を利用したメインスタンドを持つ構造で

メインスタンドの収容人数は数千人程度、

サーキット敷地内の最大収容人数は3万人とされております。



1936年6月7日には日本初の本格的な自動車レースとなった

「第1回全国自動車競走大会」が開催され

1万人以上の観客が詰めかけました。

日産自動車を始め大手自動車各社も

ワークス体制を組んで参戦したこの大会の優勝車は、

手作業で組み上げた「オオタ号」



当時、周りからも優勝確実と言われた

日産自動車社長、鮎川義介は激怒したと伝えられています。



オオタ自動車工業栄光の陰で

悔しい思いを噛みしめて、後に自動車業界で大成するのが



フォードをオリジナルの8バルブを16バルブ改造した

「浜松号」を駆ってレースに参加した、本田宗一郎氏



レースでは、余りの猛スピードの為コーナーで制御できず車は横転、

ドライバーの宗一郎は車外に放り出されるも

幸いにして一命を取り留めると言う、苦い経験をしています。



もう一人が、ワークス体制で臨み

優勝本命とされながら町工場、

「オオタ自動車工業」にしてやられ

思っても見ない辛酸を舐めた日産自動車で

後に、FAIRLADY Z の父と呼ばれる  片山豊 氏



戦後この二人が、挫折をバネに

日本車を世界に通じるレベルまで

引き上げ、羽ばたいていった事は、皆様ご承知の通りです。







今回の回顧展では、1936年(昭和11年)から1938年(昭和13年)にかけて行われた

「全日本自動車競走大会」を回顧して、その歴史的意義を後世に伝えるものとして

設置後3年で太平洋戦争が開戦僅か3年足らずの運命だった

「多摩川スピードウェイ(オリンピアスピードウェイ)」

知られざる戦前の日本サーキット史と自動車産業にもたらした功績

戦後の自動車産業にもたらした功績を残した

先達知る上で




大変意義のある開催となったのでは、無いでしょうか?

この様な展示会が、地方でも開催されれば是非行ってみたいものです。



Posted at 2015/11/27 23:30:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | クルマ
2015年11月26日 イイね!

日本映画の黄金時代を支えた伝説的女優 原節子さん死去

日本映画の黄金時代を支えた伝説的女優 原節子さん死去戦後日本の銀幕で活躍した、

現在でも語り継がれる伝説の女優

原 節子(本名会田昌江=あいだ・まさえ)さんが

9月5日に死去されたとのニュースを

今朝、知った・・・






1935年、日活多摩川撮影所に入社

1937年、日独合作映画「新しき土」でヒロインに抜てきされ、

新進女優の地位を確立

端正な顔立ちとミステリアスな雰囲気から人気を博し



戦後は、「東京物語「白痴」「麦秋」など



邦画を代表する作品にたて続けに主演

昭和37年の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」を最後に女優を引退してからは



神奈川県鎌倉市の親族の家の離れで

1人で暮らしていたということです。

享年95歳、日本映画史に残る大女優のご冥福をお祈りします・・・。

Posted at 2015/11/26 22:58:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 雑感 | 音楽/映画/テレビ

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「河合奈保子さんの著書「わたぼうし翔んだ―奈保子の闘病スケッチ 」が、新装版として復刊されることになりました(^^♪https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail/?i_no=68329370
何シテル?   06/16 00:08
現在 117クーペ(PA95N)と足車のパジェロミニ 2台と生活しております。 どこかでお会いした時には、気軽にお声がけください。
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