こんにちは。TYLORです。
仕事で大阪まで行きました。
いつもは会社の大阪支店にカオ出して終わりか、大阪といっても郊外の客先を巡って終わり。
なので、難波などの中心地には行けていませんでした。

久しぶりの大阪「日本橋オタロード」。
まだ20代の駆け出し営業の頃。ほぼ毎月、大阪のこの界隈のお店を回っていました。
大学を卒業して、フラフラしていた後に行きついた営業の仕事。
当時は秋葉原ブーム。オタク文化が市民権を得て、新しいコンテンツが続々と生まれる。
IT革命のすぐ後。パソコン、インターネット、SNS。スマートフォンが登場する少し前。
そんな時代でした。
営業の仕事は半年くらいでなんとか成果が出て(ジマン)、若手でも大きな取引先を任されて大阪デビュー。
日本橋でんでんタウン「オタロード」。西の秋葉原。
自社商品が毎月月末近くに発売されると、マーケットリサーチだって大阪に乗り込んで巡店していました。

新幹線で新大阪へ。
なんだか自分が出張で新幹線に乗っているのが誇らしく、早朝からほぼ始発の新幹線に乗っていました。
帰りは終電の新幹線。確か東京着は23:45だった気がする。
それから終電で地元の駅へ。
「おれ(仕事)やってる」なんて、とても充実してたと思う。
久しぶりのオタロードを巡っていると、かつてよく訪れていたお店はほぼ閉店していて、違うお店になってた。
まぁもう20年近く経つし、こういう場所は何年かでお店が入れ替わる。そんなもんです。
あれだけ大盛況で勢いがあった自分がいた業界。
新しいオタク的ブームが次々生み出されて、秋葉原ブーム作っているのは「オレだ」くらいに思っていました。
いま思い出すと痛いくらいチョーシに乗っていました。
飛ぶように売れていた商品。
この勢いが一生続くんだと思っていました。

日本橋から徒歩で。「なんばグランド花月」方向へ。
ホテルは難波駅の近くをいつも利用していたから、この辺もよく通っていました。

食にお金をかけない自分は、いつもグランド花月の横のラーメン屋へ。
食べ終わったら向かいのたこ焼き屋に立ち寄ってホテルに帰る。

せっかく大阪に来たのだから、ウマぃもん食ってと言われましたが、当時から万年金欠の自分はいつもの定番ルートしか通りませんでした。
まぁ、これは今でも一緒。
そのうちS660で大阪まで訪れてみようかななんて思わなくもないですが、まぁ新幹線がラクだよね。
大学生の頃、パルサーで大阪に住んでいた某師匠のお宅にお邪魔したことがありました。
ぜんぜん道中の事なんて覚えていないというか、ただ走っていたダケなのですが、ああいう旅が出来たのは貴重な時間でした。
今ではSNSやマッチングで当然だと思いますが、
インターネット黎明期、ほぼ会った事がない趣味の繋がり。お互い素性も分からないのに、こんな生意気なオタク大学生の自分を自宅に泊めてくださいました。某師匠。
「このご恩は一生忘れません」てマンガでしか言ってる人見た事なかったけど、でも一生忘れられない出会いだったと思います。
就職して再び大阪へ。
オタクブーム真っ只中にいる事ができた自分。
お店の店長、役員、社長なんて身分の方々が「よく来てくれました」って喜んでくれて、ただ売ってるだけの駆け出し営業の自分にも良くしてくれた。今でも忘れない。
業界の縮小、それに伴って転職しちゃった自分ですが、かつてココでブイブイやっていたお店の方々。
そもそも、そういうコンテンツを楽しんでくれていたオタクのみんな。
みんな今何しているのかな? 自分はかろうじて近い業界でギリギリ生き残っています。
あの日、あの時にオタク業界にいられた事は、オジーサンになっても忘れられない。と思う。

1泊2日の大阪出張。まぁ、また来月も来るんだけど。
今回は少し、昔よく行っていた場所に立ち寄れて満足。

高速のPAである「コーヒールンバのやつ」の新幹線版を購入。コレは自分の定番。

終電一本前の「のぞみ」に乗れた。20代の頃はぜんぜん思わなかったけど。疲れたし、まぁまぁ早く家に帰りたい。
もっと長く大阪に滞在したいと思っていた当時の自分に、「なんで?」と聞きたいわ。そんな勢い。

もうすぐ日付が変わる。東京駅に到着。
ここから自宅までは1時間かからないくらい。ほとんど終電だ。
山手線に乗り換えようとしたら、嫁から着信があった。
「もうすぐ東京駅に着くから、外に出てきて。」
まぢか。 おれ2日間いなかったし、嫁もさみしかったのかな? フフン

道に迷ったらしい嫁。
少し東京駅の前で待ってたらキューブ号が見えた。

この日は冷え込んだ。 エアコンで暖かいキューブ号。
そして助手席に座る嫁。
・・・
・・・
え?
オレ、ここから運転すんの?
だったら地元の駅までで良かったんだけど。迎えに来るの。
とは言えない。
そんな感じです。