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Eishing++のブログ一覧

2015年06月21日 イイね!

レトロ門司とフェリー

レトロ門司とフェリーオートポリスの旅は最終回を迎えます。










※画像をクリックすると拡大します



福岡県に入った途端にかなりの雨が降ってきました。

目的地は北九州新門司港。

ここからフェリーに乗り神戸に向かいます。

途中の雨で予定が遅れてきたので港までのアクセスに便利なJR門司駅周辺だけ寄ってみる。



■門司麦酒煉瓦館



門司麦酒煉瓦館は、大正2年(1913)帝国麦酒株式会社として建設され、竣工100周年を迎えます。
当時はサクラビールと銘打ったビールを醸造・販売しておりましたが、
長い歴史の中で合併や分割を経て、最終的にサッポロビールとして
平成12年(2000)まで操業しておりました。
日本における最初期の鉱滓煉瓦建物であり、現存最古の本格的鉱滓煉瓦建築である。
※公式サイトより


軍艦島などの世界遺産登録に関連して、明治時代に鈴木商店(神戸市)が
門司周辺でビール製造に尽力したという記事が読売新聞に載ってまして、
紹介されていた建物がこの門司麦酒煉瓦館でした。

オートポリスに行く直前に記事を読んだので、ここに行ってみようと思ったわけです。



■旧サッポロビール醸造棟



平成12年度まで醸造所として稼動していました。
内部には戦前期のドイツ製醸造機器が保管されてるそうです。
大変貴重な物が今でも残ってるんですね。


こどもの頃だから昭和40年代ですかね。
生まれ故郷の和歌山にもこういったレンガ作りの工場は数多く現役として使われていたので
とても懐かしい気持ちでいっぱいでした。

赤い色は建物自体温かみを感じるし落ち着きます。

極端に言えば赤レンガ作りの建物を見ている自分は子供の頃に帰った気分ですね。



■門司赤煉瓦プレイス


旧サッポロビール醸造棟と門司麦酒煉瓦館(右奥)と赤煉瓦交流館・旧倉庫棟(左奥)など、
この一帯をそう呼びます。


築いた人々の想い、時代背景、戦火を免れた奇跡。
百年の時を積み上げた近代化遺産には歴史の重みが深く刻まれている。



写真では伝わりづらいですが、かなりの大粒の雨が降ってます。

本来ならじっくり探索したいところですが、スケジュールが遅れてることもあり

門司港駅にも寄れず新門司港に移動します。



ちなみにレトロな駅舎で知られる建物はJR門司港駅。

ここはJR門司駅。そしてフェリーは新門司港。

下調べしておかないと間違えちゃいますね(^^;;





新門司港フェリーターミナルに着きました。

何故か平城京大極殿(笑)



この建物が阪九フェリー・新門司港~神戸六甲アイランド航路の発着場です。

相変らず低床車両は正規の待機場所に置かせてくれません(苦笑)




フェリー内部




部屋はツイン1人利用。

ベッドは狭いけど室内は広くて寛げました。









さんふらわあ(大阪南港~別府)の部屋の写真を載せ忘れていたのでアップしておきます。

デラックスシングル。




部屋はビジネスホテル・シングルより気持ち狭いかな。



フェリー個室料金ってべらぼうに高いイメージだけど実際は思ったより高くないですよ。

車両積載とその間クルマに乗らずに身体が休まると思えばビジネスホテル並みの料金です。

ちなみに行きのさんふらわあ(大阪~別府)と帰りの阪九フェリー(北九州~神戸)の

料金差は400円でシングルとツインでもほとんど同じでした。




オートポリスの旅・・・完



・最後の砦・オートポリス走行⇒こちら

・【動画】オートポリス走行 Part1 ⇒こちら

・さんふらわあ乗船(瀬戸内航路)⇒こちら

・城下町と切支丹と水路橋(大分県竹田市)⇒こちら

・阿蘇観光⇒こちら

・やまなみハイウェイ~由布岳⇒こちら
Posted at 2015/06/21 17:15:21 | コメント(5) | トラックバック(0) | ドライブ_九州2015 | 日記
2015年06月18日 イイね!

やまなみハイウェイ~由布岳

やまなみハイウェイ~由布岳

阿蘇からやまなみハイウェイ(県道11)を走り由布岳を目指します。










※画像をクリックすると拡大します




山間を走るこの道は走行量が少なくてほぼ貸切り状態でした。

天候は曇り時々晴れ。

天気予報ではこのあと雨が降るのでそれまではオープンでまったり走る(^^♪





阿蘇市と東隣の産山村との境界付近を走るやまなみハイウェイの沿線景色は、大観峰で見たのと同じ丘陵台地が広がる。

駐車スペースの無い狭い道路のため写真は撮れてませんが、車載動画に映ってました。
(以前の1000mgのようにまたハゲハゲ言われるんだろうなぁ、笑)




これは9万年前に始まった阿蘇噴火の火砕流が堆積した面だそうで、標高約800mの平坦な台地面です。

そもそも阿蘇カルデラはどのように形成されたのでしょうか?

阿蘇の噴火は約27万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回ありました

その中でも4回目(9万年前)の噴火は最も規模が大きく火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県秋吉台まで達し、火山灰は日本海海底、北海道まで達したという。

これらの噴火に伴い山体崩壊が繰り返されてカルデラが形成されました。



こどもの頃、大古の阿蘇は標高1万メートル以上あり、それが噴火・山体崩壊して出来たのがカルデラで、残ったのが外輪山と信じ込んでましたがそうではなさそうです。

標高はさほど高くはなく、何万年、何十万年もの間に噴火を繰り返して出来たと言いますが、1万メートルの山が吹っ飛んだ方がロマンを感じますよね。



やまなみハイウェイは台地の間を縫うように走り、本州では見たことの無い景色に目を奪われた。




阿蘇の東と北側には火砕流台地が広がり、現在はその地形を利用して多くの牧場が営まれてます。

一方、南と西側は起伏に富んだ地形のため火砕流台地は少なく牧場はあまりありません。





火砕流台地は台地と言われるように傾斜は緩いです。

これは火砕流の粘性が低く、急斜面に堆積することが出来なくて、低所に集り緩傾斜のところから堆積し始めるからです。

堆積量が多ければ基盤の起伏は埋めたてられ、火砕流台地が形成される。

なるほど(笑)



カルデラには水が溜まりカルデラ湖が出現します。

阿蘇で唯一の谷に堆積した火砕流は決壊して水が一気に流れ出し平野を形成しました。

その谷は南阿蘇村の立野地区。

そして出来たのが熊本平野




確かに、R57で立野を抜けて熊本方面に走りましたが、両側に山(崖)があり、山越えの峠はありませんでした。

立野には断層があり、ここだけ外輪山が形成されなかったようです。

何も阿蘇中岳の噴火だけが地球が生きてる証拠ではありません。
目に映る景色ひとつひとつに理由があり、大古から繰り返された地球活動そのものなのです。




やまなみハイウェイに話しを戻しますね(^^;;

長者原(ちょうじゃばる)から九重連山(くじゅうれんざん)を望む




長者原には環境省長者原ビジターセンターがあるのでトイレ休憩に利用できます。




どんどん進んで湯布院の街を抜けて次の目的地に着きました。

由布岳

生憎の曇りで山頂は望めません。




交通量は少なく、登りは2車線。なんとも贅沢な県道です(^^)v

中腹にある狭霧台




狭霧台から見る由布岳。






ここからが本当の目的地。

じゃーーん!




狭霧台を越えて少し進むと細い脇道があります。

ここから由布岳と湯布院を見るのが目的でした!

由布岳とやまなみハイウェイ、左下は狭霧台、左奥は湯布院の街。

どうです?絶景でしょ!




溶岩だらけの崖を登ってMR-Xを写し込む。

超広角10mm使っても全景が撮れない画角(^^;;




狭霧台と湯布院の街




この脇道は基本的に1車線ですが、所々に対向待避場所があります。

奥から切ったばかりの木材を積んだ10トントラックが来た時には焦りましたよ。

ちなみに奥には牧場があるようですが、気軽に入れるようなところではありません。

なので写真撮ったらさっさとUターンしてやまなみハイウェイに戻ることをオススメします。

また見通し悪いのでスピードは控えめに(^^)





オートポリスの旅、次は最終回。

レトロな門司とフェリーです。  つづく




あ、忘れてました!

脇道からのやまなみハイウェイと由布岳の景色は、BS日テレ「峠」で見られます。

と言うか、この放送見たのでこの道に行ったんですけどね(笑)

■TOYOTA 86 テレビ番組『 峠[TOUGE] 』 volume 042 狭霧台



※YouTube URL⇒https://youtu.be/1DiktYIOfQ0


カメラマンは狭霧台からカメラ担いでここまで歩いてきたのかー?

と思ってグーグルアース見たらしっかり道路ありました(笑)

Posted at 2015/06/18 21:10:28 | コメント(7) | トラックバック(0) | ドライブ_九州2015 | 日記
2015年06月16日 イイね!

阿蘇観光

阿蘇観光オートポリス走行後、阿蘇パノラマラインを走ったり草千里や米塚など見に行く予定でしたが、
晴れてはいるもののうっすら曇ったり、走行疲れもあって観光らしい観光は出来なかったです。







※画像をクリックすると拡大します



先ずは滞在ホテル。

ここからオートポリスまでは40分掛かるか掛からないかの距離なので便利。




聞けば阿蘇の中では最大規模のホテルだそうな。

東京ドームがすっぽり入るかもしれない広大な敷地に本館やいくつもの別館が建ち並び館内移動は迷路のようでした。

部屋は残念ながら噴火してる中岳方向ではなく北端の別館。

でもツイン1人利用なので広いです。




2畳程の和室もあるので大の字になって寛いだ。

ここで寝ても大丈夫なぐらい(笑)




部屋から見る北側外輪山とカルデラ(阿蘇谷)。

のんびり走る2両編成の電車。すぐ近くには阿蘇駅がありました。




静寂の中、聞こえるのは

ガタンゴトン、ガタンゴトン...踏切のカンカンカンと鳴る音だけ。

平和だなぁと感じる一方、何故かワクワクする。




規模の大きいホテルなので館内にはビュッフェレストラン、焼肉、日本食、居酒屋などたくさん入ってるので一人旅でも苦労せずに食事できました。

また室内温泉や中岳が見える展望温泉、クアハウスなど施設は充実してるので時間があればかなり楽しめると思います。


部屋から見た阿蘇の夕暮れ。大観峰(右奥)とラピュタ(左奥)方面。






翌朝、オートポリスに向かう途中、阿蘇ミルクロード沿いにあるラピュタに寄ってみました。




若干ガスが出てます。

ミルクロードからラピュタに通ずる市道は閉鎖されて絶景を当てにしていた観光客はみんな足止めをくらう。




そして阿蘇のラピュタと言われる方向に目を向けると・・・

ガーーーーン ┓(´_`)┏




透視能力ある人はこんな風に見えるでしょう(笑)


※ネットから拝借


翌日もこんな感じでガスって何も見えなかったです。

残念でした。。



オートポリスからの帰り道。




奥に見える茶色い動物は阿蘇名産「赤牛




のどかな景色に見入っていると、急に体調が悪くなり・・・

ヤバイ。呼吸困難と胸の痛み。

速攻クスリ飲んで車内で休憩するも今までにない状況になってきました。

ヤバイ。ここはどこ?

万が一の場合を想定して救急車は呼べても自分はいまどこにいるかわからない。

見渡しても360度牧草地だけで場所を伝えることは出来ない。

ナビ見ても老眼なので地名が読めない(自爆)

不安になりながらクルマの中でしのぐこと30分。

クスリが効いてきた。少し楽になったので注意しながらクルマを進める。

路側帯に停めて双眼鏡で周囲を見ると遠くに建物と鉄塔が見えました。

(知らない土地に行く時はいつも双眼鏡を持つようにしてます、笑)

頑張ってそこまで行く。




大観峰展望台

売店もあるし観光客がたくさんいるので何かあってもここなら安心。

1時間ぐらい休憩してたかな。

だいぶ回復してきたので大観峰を散策(笑)





ここでもカルデラや中岳方向は少しガスってたので景色はイマイチでした。

それより感動したのがこの景色。




一面緑の比較的低い丘陵台地帯はおおよそ9万年前に作られたそうです。

この話は次のブログ《やまなみハイウェイ》で解説しましょう。





オートポリスの旅は、あと少し つづく。
Posted at 2015/06/16 21:01:30 | コメント(5) | トラックバック(0) | ドライブ_九州2015 | 日記
2015年06月11日 イイね!

城下町と切支丹と水路橋(大分県竹田市)

城下町と切支丹と水路橋(大分県竹田市)別府から阿蘇・オートポリスに向かう途中、竹田市に寄りました。











※画像をクリックすると拡大します


フェリーを降りて別府観光港からR442に入り、そのまま真っ直ぐ行けば竹田市ですが、
途中から県道412(奥産スカイライン)・県道47を経由します。

県道47号から見下ろす竹田盆地。(奥の高い山は宮崎県境)
いくつもの峰々が折り重なった山の中にかつて栄えた城下町があった。




県道47沿いの水路。
竹田市周辺はこのような水路橋がたくさん残っており今でも活躍してます。




中川家7万石の岡藩城下町




岡藩時代の面影を残す武家屋敷通り







※※
市立歴史資料館は駐車無料なのでここにクルマを置いて徒歩数分のところ(地方裁判所裏手)に武家屋敷通りがあります。
通行可能なので車両乗り入れも問題なし(一方通行ではないが狭いので注意)








武家屋敷通り奥の谷あいに進むと林があります。




奥に進むと格子のようなものが見えてきました。




崖に作られた切支丹洞窟礼拝堂(キリシタン洞窟礼拝堂)です。




神聖な場所なので内部は撮りませんでしたが、
覗いて見ると、岩盤に掘り込んだ内部はドーム状の祭壇になっていました。
右隣りの大きな洞窟は司祭が住んでいたといわれてます。

戦国時代末期の岡城主は熱心なキリシタンだったそうで、周辺には多くのキリシタン住んでいた。

実際、この洞窟礼拝堂に向かう途中の住宅の前で西欧人らしい外人に「こんにちは!」と流暢な日本語で声を掛けられましたよ。
大昔に来日した宣教師の子孫なのか?
横浜で見る外国人とは違って、場所が場所だけに大昔から根付いてるような雰囲気が漂ってきました。

長崎で見る教会も素晴らしいが、
城下町に住む武士や庶民が地味に(地道に?)信仰していたその足跡を訪ねるのも良い。
厳かな空気は心休まる。


※※
切支丹洞窟礼拝堂には駐車場はありません。
市立歴史資料館から徒歩で武家屋敷通りを抜けて右折すれば直ぐにあります。




武家屋敷通りを後にして市立歴史資料館への細い近道を進むと
江戸時代の文人画家、田能村竹田(たのむらちくでん)の邸宅「旧竹田荘」がありました。
武家屋敷で公開されてるのはここだけです。




滝廉太郎の「荒城の月」はここ竹田市の岡城を構想したと言われてます。
天守閣は無いし、駐車場からかなり歩くみたいだったので行きませんでしたが(^^;;


その代わりではありませんが、レトロな建造物を見に行きました。
武家屋敷通り前の県道8号を南下して約20分。
竹田市大字門田、緒方川に架かる水路橋「明正井路一号幹線一号橋」。




竹田周辺は阿蘇山系の湧水が多く、名水のふるさとと呼ばれてます。
その流れがいくつもの川となり、総延長175kmの灌漑用水が建造されました。
起伏が激しいため多くの水路橋を渡り、竹田の水田に供給されます。
つまり、この橋の上は灌漑用水が流れているのです。




この石造アーチ橋は大正時代に竣工し、橋長89m、高さ13mは国内最大規模だそうです。




この重厚な造りは迫力満点でした!



竹田を後にして阿蘇に向かいます。

オートポリスの旅は、つづく。
Posted at 2015/06/11 20:46:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ_九州2015 | 日記
2015年06月08日 イイね!

さんふらわあ乗船(瀬戸内航路)

さんふらわあ乗船(瀬戸内航路)横浜からオートポリスへ行くにはフェリーを使うのが便利です。









東京有明から北九州新門司港(船中2泊)で行く方法がありますが予約満席だったので頑張って横浜から大阪までは自走。

そこからフェリーで別府を目指します。

乗船したのは『さんふらわあ』




車高の低い車両は他の乗用車とは別の場所で待機して、トラックの最後尾に乗船することになりました。

なのでトラックが乗船終えるまで1台だけポツンと待ってます(^^;;




19時55分 大阪出港~(^^)/









瀬戸内航路で楽しみにしていたのがコレ。



青く光るのは夜光虫

高校生の時に瀬戸内航路で見た時以来です。

幻想的ですね。





そして瀬戸内の夜明け









いよいよ九州上陸。




7時45分 別府観光港に到着。

竹田市に向かいます。

つづく
Posted at 2015/06/08 21:14:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ_九州2015 | 日記

プロフィール

「【ドローン空撮 4K】北海道・道南地方 http://cvw.jp/b/1450440/47656188/
何シテル?   04/14 22:32
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2020/05/05 01:20:29

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