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温泉二号のブログ一覧

2015年01月02日 イイね!

昭和40年代男(8)

昭和40年代男。
第八回は、雪のハナシでも。

ボクが生まれたのは北海道の札幌市。
国道36号線で千歳に向かって走ったところ。
郊外の住宅地に住んでいました。

内地(本州)の人に「温泉くんは北海道のどこだい?」って聞かれて
『札幌です』っていうと

「札幌なんて都会だねぇ」って言われます。

たしかに札幌の都心部は都会だけど、僕の住んでたところは住宅地のエッジで、家の前の道を挟んで向う側はヤマ(雑木林)でした。
冬になると、札幌は雪に包まれます。

秋が深まって寒くなってくると、雪虫っていう虫が飛んできます。
蚊くらいの大きさで、お尻に綿毛みたいなのが付いてて、雪みたいに舞っているのです。
その雪虫を見ると、そろそろ初雪が降るなって思うのです。

初雪が降ると、子供は大喜びします。
毎年冬には雪が降るのに、それでもやっぱり初雪は大喜びなのです。
でも一方で、大人は嫌がります、雪かきが大変で道も悪くなる、長い冬の始まりだから。

初雪は一回降っても、すぐ溶けてしまいます。
その後また雪が積もって、それが溶ける前に次の雪が降ると、それが根雪になります。
僕が子供の頃、家のクルマはカローラでした。



FRのセダンはケツが軽いので、すべる路面には弱かった。
当時は雪道にはスパイクタイヤが当たり前で、道路の除雪もあまり行き届いていなかったので、雪が積もるとワダチが出来て、運転が難しかった。
バス通りは雪が解けていても、脇道に入ると道路はぐちゃぐちゃ。
どこかでクルマが雪にハマっている音がすれば、脱出のために車を押しに行くのは、札幌ではよく見る光景でした。

初雪が降る前に、夏タイヤからスパイクに交換するのですが、それは温泉少年の仕事でしたww
小学生のころから、父親と一緒にジャッキアップして、十字レンチでタイヤ交換していました。
ジャッキアップと言っても、ガレージジャッキなんていうものが個人宅にあるような時代ではなく、当然の車載ジャッキ。
しかし当時の車載ジャッキは、ハンドルも組み立て式ではなくて一体型、握る部分にはプラスチックのパイプがついていてクルクル回るような仕様でした。
今よりも「使える」ジャッキが搭載されていたのです。

北海道の道路は広くて走りやすいっていう人がいますが、それは夏だけのこと。
道路に積もった雪は、除雪車(通称「ブル」)が来て、道路わきに雪を積み上げていきます。




こんな車両がホントに走ってて、雪を道路脇に押し付けていきます。
だから、歩道なんてものは、あっという間に雪の山で埋まります。
それでもその雪山の上を歩いて、子供達は学校に通います。

学校の周辺はスクールゾーンになっていて、さすがにこの辺りは歩道も除雪してくれます。
ロータリー式の除雪機で、雪を遠くまでぶっ飛ばします(^O^)/

冬の北海道は雪・雪・雪の雪だらけになります。
家の屋根に降った雪は、三角屋根から滑り落ちて、家の横に積もります。
家の前に停めたカローラにも、たっぷり雪が積もりますので、ほうきで雪をおろします。
または洗車ブラシで、ボディの雪を払い落とします。
落とした雪は、ジョンバーとかスコップで、家の前に山積みにします。
積みきれなくなった雪は、空き地に捨てます。

通称「ボブスレー」と呼ばれるプラスチック製のソリに雪を積み込んで、空き地まで運んで捨てます。
捨てられた雪は、隣近所から集まるので、一冬の間に山になり、どんどん成長します。
僕が小さい頃に発売された『ママさんダンプ』は、雪かきの革命でしたね。
初めは鉄製で重かったけど、のちに樹脂製の軽くて丈夫なダンプになって、今では一家に一台ダンプがあります。

雪国の子供は、冬でも外で遊んでいました。
ヤッケとかアノラックと呼んでいた上下セットのナイロン製の防寒着で完全防備ww
靴は長靴、母の編んだ毛糸の手袋は左右の間を1mくらいの毛糸でつないであって、無くさないようになっていました。
手編みの手袋は、5本指は難しいので、「ぼっこてぶくろ」です(ミトンのこと)

子供の遊び道具で一番人気だったのは、『ミニスキー』!!
スーパーや文具店で売っていた、プラスチック製の長さ4~50センチのスキー板です。
スキー靴は不要で、長靴にベルトで固定する仕様でした。
長さが短いので、坂を滑り降りると云うよりは、スケーティングで進むものでした。

もう一つ、『ボブスレー』!!
昭和の小学生は、ひとり1台の「オレのボブスレー」を持っていました。
雪を運ぶのに使っていたり、スーパーで買い物した荷物を運んだりにも使いますが、本来は子供のおもちゃ。
これは斜面を見つけて豪快に滑ります。
時には1台のボブスレーに無理やり二人・三人と乗り込んで、斜面に突っ込んでいきますw
ボブスレーから突き出した足のかかとで、右左に自由に曲がります。
中には立って乗るツワモノもいましたが、たいてい坂の途中でコケます。
僕の実家の周りには、造成地がたくさんあって、斜面は豊富にありました。
友人のカズオくんは米屋の息子で、普通の3倍くらい大きい「配達用」のボブスレーを持ってきてくれて、友達全員で乗り込んで滑りました(^O^)/
そりゃもうお祭り状態ww
でもボブスレーもミニスキーも、道路で滑ったり、道路に向かう斜面で遊んだりして事故に会う子供がいて、学校で問題になったり(>_<)
あぁそれでも子供はやめられないのでした(^O^)/
※ちなみにプラスチックのそりをボブスレーと呼ぶのは昭和40年代生まれの札幌人だけらしいですwww



子供は冬になると、長靴を履きます。
長靴の上部には暖かそうなフワフワが付いた、防寒長靴です。
月星とかミツウマとか。
そして、靴底にはスパイクがついた長靴がすごく流行りました。
『3段スパイク』とか『ロータリースパイク』とか『36本熊のツメ』とか新しいアイテムに興味シンシンで、早朝の凍った水溜りを見つけると、その威力を試すべくスライディングでグリップ力をみんなに見せ付けるのでした。
中学生になると、ひざ下くらいまである特長という長靴がツッパリ君のアイテムになります。
でも、長いからと云って、入口がすぼまった防雪長靴は、通称「汲取り長靴」と呼ばれてまったく評価されませんでした。
その後、ゴム長靴に変わって登場した『スノトレ』が子供靴の主流になっていきました。


北海道に降る雪はパウダースノーだとよく言われますが、それはハイシーズンの山の上でのこと。
地域や季節により変わります。
気温が低いと粉雪(パウダースノー)になり、帽子に付いても雪の結晶が見えたりします。
喜んで雪だるまを作ろうとしても雪同士がくっつかないので、形になりません。
マイナス5℃以下になると、雪の上を歩いた時に「キュッキュッ」と音がします。
踏んでも固まらない雪は歩きにくいし、子供には楽しくない雪です(それでも降れば楽しいのですがw)
気温が高いと降ってくる雪が大粒になります。
ボタ雪とかぼたん雪とか言ってました。
これは雪が湿っぽいので、雪玉が作りやすい。
雪だるまも転がすだけで勝手に大きくなります。
この雪なら歩いても足元がしっかりして、スタッドレスも効く状態です。
雪かきには重労働なこの雪は、子供が大喜びする雪です。

2月になると札幌は『雪まつり』の季節になります。
雪まつりというと、観光客がドッとやってくる札幌観光の目玉行事でしたが、観光客が来るのは「大通り会場」ばかり。
もうひとつ「真駒内会場」っていうのがあって、そっちは見る雪像よりも、巨大滑り台なんかが作られていて、地元の子供が大喜びする地元ファミリー向け会場なんです。
真駒内会場に行きたかった温泉少年は、親におねだりしましたが、人混みがすごいので親はなかなか連れて行ってくれませんでした。
それでも一回だけ連れて行ってくれた思い出があり、兄弟で狂ったように遊んできたのを覚えています。
いまはもう「真駒内」は無いけど、第二会場は作られてるみたいです。

僕が通っていた小学校では、冬になると校庭に水撒きをしてスケートリンクを作っていました。
体育の授業でスケートをやります。
土日は解放してましたので、スケート靴を肩にかけて学校まで歩いていきます。
高いところに旗が上がっていて、色でリンクのコンディションを表現していて、寒い晴れた日はOKだけど、大雪で雪かきが出来ていなかったり、春になって気温が上がると解放不可の日もありました。

小学生は授業もあるのでMYスケート靴を持っていて、女の子はフィギャー(フィギュアのこと)、男の子はスピードが憧れでしたが、スピードスケートは禁止(刃が長くて危ないので)のスケート場が多く、ハーフという靴を持ってる人が多かった。
又はホッケーも人気で、トリッキーな滑りを見せていました。
ボクは初めは姉のお下がりのフィギャーでスケートに慣れて、のちに親の知り合いからもらったホッケーのお下がりで技を磨きましたww



北海道でも雪の多い地区と少ない地区があり、函館や苫小牧は雪が少なくてスキーよりスケートが盛んです。
札幌はどちらもやってました。

中学になると今度はスキーが授業に設定されました。
スキーと言ってもアルペンとノルディック(クロスカントリー)があるんです。
ノルディックなんていう洒落た呼び名は、当時はぜんぜん知らなくて、「歩くスキー」って呼んでましたが。
中学校の校庭の向う側がヤマ(雑木林)だったので、ガッコの先生がヤマを開拓して、クロスカントリーコースを作っちゃったのです(^▽^;)
実は温泉少年は、スキーが苦手でした。
体育の授業で、クラスの全員がスキーを履いて、この特製コースを回るのが授業でした。
もちろん、初めはグランドで基礎練習をします。
一歩滑走、二歩滑走、スケーティング・・・・
寒い北海道ですが、本気でやると汗びっちょりです(*_*)

コースの中には何か所かアップダウンがあるので、下りは滑走をするのですが、必ずコケるのです(*´з`)
コケるとコースに穴が開くので、あとから来るクラスメートには迷惑なんですよね。

それから、冬には1回「スキー学習」という日があって、学校でバスをチャーターしてスキー場に行くのです。
スキー場ではゼッケンをつけて、一日スキーの練習をします。
北海道だからって、全員がスキーが得意ではないので、上手いヤツからABCとクラス分けされます。
温泉少年はやっぱりヘタッピなのでCコース確定。

Aコースはいきなりリフトに乗って上から滑ってきますが、Cコースは先生の後について、ふもとの初心者コースを階段登行でえっちらおっちらと登ります。
登ったら「プルークボーゲン」、「シュテムターン」と順番に教え込まれます。
まぁ、こうやって基礎を教えられたから、関東に来ても雪山に行けたんだと思いますがね。

あ、そうそう、スキー学習ってまる一日ゲレンデに居るのですが、それをやるためには前後の体育の授業を他の教科に振り替えて、体育の授業を貯めるのですww
だからその日は、一時間目から全部体育の時間になるってワケwww

北海道の子供には、スキーは授業のひとつであり、得意な子もいれば苦手な子もいる。
授業でバスケットボールをやったことある人は全国に沢山いるけど、バスケ得意な子/苦手な子が居るのと同じ。

でもね、就職で関東に来たら、ちょうど「私をスキーに連れてって」効果でスキーが大ブーム。
ボクはといえば、苦手と言いながらも関東人に比べたら滑れるワケで・・・・
調子コイてスキーセットを購入し、毎週関越越えてスキー場通いしてましたわ( *´艸`)

あ、話を昭和に戻しますが。

北海道の春は遅く、4月と言っても桜もまだ。
それでも雪が溶けはじめたら春を感じます。
道路のアスファルトはわりと早く雪が溶けて乾きます。
僕が免許を取った時には、まだスパイクタイヤが主流だったので、教習車のFFカペラにもスパイクがハマってました。
春になってバス通りが乾いていても、そう簡単に夏タイヤには戻せないのが難しいところ。
アスファルトをスパイクタイヤで走れば、タイヤのゴムもスパイクも摩耗します。
同時にアスファルトも削られて『粉じん公害』というのがとても問題になりました。
冬に澄んでいた空気が、春には一転してホコリっぽく、アスファルトの粉と砂埃・・・
『車粉』とも呼ばれたこの空気は、いまの某国のPMナントカみたいなカスんだ空を作っていました。

春になると雪解け水にフクジュソウが咲いてる写真が思い浮かぶ方もいるかもしれませんが、雪国に住んでいた人なら、雪解けが汚いって事を知っています。
冬の間、雪に隠されていたモノが、雪解けと共に地表に出てくるのです。
カラスが食い散らかした生ゴミとか、誰かが棄てた空き缶とか。
良くあるのが電柱の根元にあるアレです、ワンコ飼ってる方ならわかりますよね。
アレも雪の中で冷凍保存されていたのが自然解凍されてくるわけですよ。

単純に未舗装路なんかはぬかるんで泥だらけだし、クルマも汚れるし、靴も泥だらけです。
でも、この雪解け水が流れるのって、小学生はけっこう好きなんですよねww
道路のワダチから雪(氷)が溶けはじめて、川になって流れます。
この川を使って遊ぶのです。
雪でダム作ったり、または雪を割って新しい流れを作ったり。
子供って、なんでも遊びにしちゃいますよね。
当然、子供は長靴なので、どんな深い水溜りも、どんな泥んこ水もまったく関係ないのですww

5月頃、世の中は黄金週間。
北海道の桜は5月頃に咲きます。
それでも山には残雪がありますね。
山の上にある残雪は、白い雪と黒い大地のコントラストが綺麗ですが。
住宅街の空き地にある残雪は、雪の上に降った粉塵や砂埃が、残雪の表面を覆っているので、真っ黒な土と変わらない色をしています。
だから、子供が空き地で遊んでいると、地面だと思ったところが残雪だったりすることがあるのです。
いきなり黒い地面にズボッと足がハマります。
中は白い雪があるんですけどね。

僕が小学生のころに、5月連休でキャンプに行きたいと親に言って、
「あんた、外はまだ寒いでしょ!」と親に止められた事がありました。
確かに、5月じゃまだキャンプっていう気温じゃないんですよね。

北海道はなんだかんだ、一年の半分くらいが冬なのかな。
北海道の父が、それでもやっぱり春は好きだと云っていました。

長い冬が終わって、待望の春なんですよね(^^)


昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




Posted at 2015/01/02 21:39:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 旅行/地域
2014年05月01日 イイね!

昭和40年代男(7)

久々の昭和40年代男。
第七回は、カメラのハナシでも。

[1]ボクが初めてカメラに触ったのは、小学校低学年(昭和50年代?)のころ、父親のミノルタAシリーズ。
写真が趣味だった父親が、『撮ってみろ』と、お古のカメラを貸してくれたのだ。



普通の35mmフィルムを入れて、写真を撮るのだが。
いわゆるオート〇〇っていうのが一切ない、全手動カメラだった。
ピント合わせ、フィルムの巻き上げはもちろん、露出合わせも手動。
シャッタースピードと絞りを合わせて、適正な露出に決めなくてはならない。
そこには露出計のような高級なガイドは無い。
そんな難しそうなカメラを、10歳そこそこの初心者の温泉少年が使いこなせるのか??

カメラにフィルムを入れることから、儀式がはじまる。
カメラの裏蓋を開けるのは、けっこう緊張する作業なのだ。
35mmフィルムは、カートリッジに入っているのだが、念のため日陰で作業する。
フィルムが感光してしまう失敗が有っても、それが分かるのは写真を現像した後なのだ。
カートリッジをカメラの左にセットして、フィルム先端を引っ張って右の巻取り軸に差し込む。
この作業を失敗すると、24回分のシャッターチャンスが無になるので、緊張する(・。・;
フタを閉めて、巻き上げを2~3回巻いて、枚数ゼロに合わせる。
準備はこれでOK

いざ、撮影のとき!
問題の露出合わせってやつは、以外に難しくないのだ。
フィルムの箱を開けると、ベロに絞り値の早見表が付いてるので、びりっと破いてカメラの裏蓋に差し込む。
当時使用したのはASA100の白黒フィルムだったと思う。
晴れならfいくつ、曇りならいくつと、表に合わせて絞りを決める。
急に動きのある被写体を狙ったりはしないので、推奨のシャッタースピードでOK。

ピントも自分で合わせなくてはいけない。
二眼カメラなので、ファインダーの中央に縦の菱形が見えて、ピントが合わないと絵の上下がずれて見える仕組みだ。
慎重にピントを合わせて、カメラをしっかり構えてシャッターを押す。
フィルムカメラのシャッター音は気持ちいい。

デジカメじゃないので、上手く写っているのか、現像するまでは分からない(^_^;)
枚数も限りがあるので、じっくりと考えてからシャッターを押す。

フィルムの最後まで撮影が終わると、巻き上げレバーが途中で止まり、フィルムエンドを知る。
24枚撮りと言っても、フィルムには区画は無くて、24回撮影してもまだ残っている長さが有れば25枚目が撮れる場合もある。
フィルムが最後まで行くと、取り出す前に巻き戻しをしなくてはならない。
カメラの左側にある巻き戻しのハンドルを引き出し、元のカートリッジに巻き取る。
ハンドルの重さが急に軽くなったら、巻き戻し完了だ。

このころ、家には現像セットがあって、押し入れのなかで父親と現像もやった。
独特のすっぱい匂いの現像液に漬ける。
ネガを見ながら、印画紙に焼き付けする絵を決める。

小学生の温泉少年が撮った写真は、なかなかの出来で、父親からえらく褒められた。
褒められると図に乗る温泉少年なので、一気にカメラ好きになってしまったww

とはいえ当時のカメラは、フィルムも印画紙も買ってこなければならず、そういつでも好きなだけ写真を撮れる時代ではなかった。

[2]時間が流れて中学のとき、修学旅行という大きなイベントがある。

ボクは自分のカメラが欲しかった。
さいわい新聞配達をしていたので、資金はなんとかなる。
問題は機種選定(^_^;)

当時、カメラの選択肢として
①一眼レフカメラ
②ポケットカメラ

中学生の修学旅行に、一眼レフってこたぁ無いでしょ。
ちなみにポケットカメラっていうのは、今でいうコンパクトカメラの事かな。
フィルム入れが簡単になるとか、ある程度の進化があったけど、やっぱりフィルムを入れる作業は女子供には難しい作業でした。

ポケットカメラって言っても、これまた種類があって、
①35ミリフィルム
②110フィルム(ワンテン)

この110フィルムって、けっこう画期的だったとおもう。
フィルムカートリッジにフィルムが巻いて入ってるが、撮影したフィルムを巻き取る側のカートリッジもくっ付いていて、撮影後の巻き戻しが要らない。
フィルム入れもポン!  撮影後のフィルムもそのまま取り出して、お店に出すだけ(^O^)/



ただし、この110フィルムは、35mmフィルムよりも少し小さいので、画質という点ではちょっと劣る。
カメラ自体も小さくできるので、カメラデザインとしては魅力もあるのだが。

そのころ、さらにボクを迷わせる存在が・・・

コダックDISKカメラ!

知ってる?
コダックが、当時新しいカメラシステムとして打ち出した、ディスクカメラ!

ディスクと言っても、フロッピーディスクが登場するのはもっと後で、ここでいうディスクはプラスチックの丸い枠に銀塩フィルムのコマを15枚並べた新しいフィルムシステムでした。
新しいものが好きだった温泉少年は、そのカタログにうっとり♡
ディスクシステムだと、フィルムが薄くできるので、カメラ自体が薄型のスマートなデザインになる。
110フィルムと同じく、フィルムの交換がカンタン♪

しかし、カメラの先生である父親に相談すると・・・・
①ディスク1枚で写真は15コマしか撮れない。
②新しいだけにディスクが割高
③一コマのサイズが110フィルムより更に小さく、画質は劣る。
④新しいシステムはまだ飛び付くには時期早々だ。
とのアドバイスがあり、自分も納得して断念。

結局自分で買ったのは、オリンパスのXA-2っていう35ミリのコンパクトカメラ。
当時としては非常にコンパクトで丸いデザインは今でも優れていると思う。
今では当たり前のスライドカバーも当時は画期的で、レンズキャップもカメラケースも要らなった。
着脱式のフラッシュを外せば、さらに小さくポケットサイズ。
このカメラは、中学の修学旅行はもちろん、その後も大活躍して、実は今でも所有していますww

いま思えば、ディスクカメラとか買わなくて良かった(^_^;)
やはり父のアドバイスを聞いといて、ホントによかった(^_^;)

[3]その後、就職してお小遣いにも自由が出てきた温泉青年は、やっぱり望遠レンズに憧れるのだった。

それでも、交換レンズをたくさん持ち歩くのはやはり面倒なO型なのでww
選んだカメラはオリンパスL-1
4倍ズームレンズを内蔵して、電動ズーミングができる35mmのカメラ。
独身時代のレジャーにも大活躍♪

その後、オートフォーカスの動作などが改善された後続機L-3を購入。
風景画、スポーツ、日常のスナップ、愛車の写真、カメラ生活を楽しんだ。

その一方で、友達と遊んでいるときに、さりげなくスナップで撮れるカメラも欲しくなる。
当時は「伝染るんです・・

ぢゃなくて、『写ルンです』(レンズ付きフィルムor使い捨てカメラとも云う)が大ブーム!
だけど、自分で使うのにバカ●ョンカメラが欲しくなって、リサイクルショップで1000円くらいで買ってきた。
キャノン オートボーイ2 (^_^;)
性能よりもコンパクトさ、気兼ねせずに使える気軽さ、カメラに求める要素が変わってきた。

そしてWindows95の発売からパソコンブームがはじまり、ボクも富士通パソコンを買った、30マソくらいした!?

[4]そこで出てきたのがデジタルカメラ。



ボクが最初に買ったデジタルカメラは、SONY cyber-shot DSC-F1(1996年発売)
当時、7~8万円だったと思うけど。
このカメラは何といっても画期的。
1.8型液晶画面に写る映像を見ながらシャッターを押すと、その画像がそのまま保存される。
写した画像はその場で表示して確認できる、気に入らないと消せる。
フィルムを買わなくてもいいし、現像に出さなくてもパソコンで見れる!
これはデジタルカメラの長所だが、サイバーショットとしての長所は、何といっても回転するレンズ。
今のケータイカメラだとメインカメラと自分撮りカメラが有るけど、自分撮りなんていう昔は意識されていなかった撮り方が、簡単にできる機能があった。
当時SNSは無かったけど「メル友」が全国に居たりして、メールで写真を送るっていうのは新鮮だった。

でも、当時のデジカメ、今時のデジカメに比べてけっこう違いもあった。
まず電池の持ちが悪い。
でっかいリチウムイオン電池だから、容量は今と変わらないくらいあったと思うが、本体の省エネが今ほどできてなかったんだろう。
スポーツなどでシャッターチャンスを狙いながら電源ONで待ってると、1~2時間でバッテリが空っぽに。
予備のリチウムイオン電池を買ったり、外部バッテリとして単三電池が入る電池ボックス作ったりして、電池寿命を延ばしていた。

電池が持つようになると、次の問題はメモリ。
メモリはSONYだからメモリスティック? いやいや。
メモリは内蔵メモリしかないので、一杯になっても交換できない。
パソコンにつないで、画像を吸い出さないと、次の写真が撮れないのだ。
当時はIBMのThinkPad535EっていうB5サイズのモバイルを使っていたので、出先でも写真を落としたりしていた。

そのパソコンとのインターフェイスでも問題が。
ファイルの形式がいまのJPGのような一般的なものが無くて、PNPという変な拡張子のファイル形式に。
カメラから吸い出すためのソフトも専用ソフトを使い、そのソフトでJPGに変換してから友達にメールで送ったりしていた。
カメラの画質については、35万画素という今ではプアなスペックながら、接写ではとてもきれいな絵が撮れて、反対に遠景はピンボケに近い画像だった。パンフォーカスという設定がピントには甘くなってしまったのかもしれない。
その当時、カシオやリコー、富士フィルムなどがデジカメを発売していたが、デジカメという商品がいまほど画一的でなく、各社の商品はとても個性的だった。

その後、技術の進歩により、だんだんと画素数の大きなカメラが発売されてきた。
メモリもコンパクトフラッシュやスマートメディアが登場し、容量がどんどん増えた。
ボクは2代目として富士フィルムのFinePix1300というカメラを買った。
画素数は130万画素に上がり、メモリはスマートメディアを採用、電池は単三電池に対応し、電池が切れてもコンビニで購入できるというものだ。
画像ファイル形式も、JPGが一般的になって来て、Win98パソコンでは標準のビューワーが無かったので、IEを開いてそのウインドウにJPGファイルをドロップして見るという方法を取っていた。

このころ、ちょうど自分のHPを作り始めて、画像というものが自分の記録から、他人に見せるものになってきた。
そして、自分はカメラの先輩である父親にデジカメの楽しさを伝授。
70歳を超えていた父は、ノートパソコンでEメールを送ってくる程度の知識はあったので、デジカメがイイと伝えるとすぐに札幌のヨドバシでオリンパスの200万画素のC-2020zoomを買ってきた。
このカメラ、一眼ではないけれど、カメラメーカーのデジカメとして、けっこう本気の作りだった。
メディアはスマメ、電池は単三×4本というのはファインピックス1300に同じだが、光学ズームを持ち、200万画素の画像は非常に綺麗だった。
しかし、フィルム時代からミノルタファンだった父親は、ミノルタのアルファシリーズに目が行き、まんまとデジイチにはまっていく。
そして使わなくなったオリンパスは、ボクのもとにお下がりでやってきたのだった。
スマートメディアの環境はあったので、わりと便利に使っていたのだが、やはりコンパクトカメラと呼ぶには大きめのボディ。
世の中のコンデジは、IXYデジタルのかたちが主流になってきていた。(IXYはもともとAPSカメラだったけど)
それにもまして問題となったのが、メモリカードのスマートメディアである。
スマメとも呼ばれたこのメモリカードは、使用による接点の劣化から、読み取り失敗は多くなってきていた。
さらに世の中はパナソニックが開発したSDカードに移行しており、容量単価では割高感がある。

そして、当時結婚していた自分は、猫の写真を奥さんに撮らせるために、もっと簡単で扱いやすいデジカメを買おうと考えて、パナソニックのDMC-FX01を購入。(2006年頃)



このカメラを買って驚いたのは、バッテリーの持ちがいいこと。
単三型を使ってきていたので、エネループを予備に持って歩くのは当たり前だったのだが、パナソニックの薄っぺらいリチウムイオン電池は、使っていても月に1回くらいの充電でOKなのである。
SDカードはどんどん容量を増やして価格もこなれていくし、光学3.6倍ズームは非常に使いやすかった。
手ぶれ補正機能は、まだ初期のものだったと思うけど、十分有効に機能していた。
みんカラのMTGでも、片手でズームしたりサッと写したりできて、とてもお気に入りでした。

しかし、何度かレンズの汚れを分解清掃したりしてるあいだに、だんだんくたびれて行き、ついに2011年には壊れてしまいました。
なんだかんだで5年くらい使った、これはサイバーショットに次ぐ長期間の大活躍である。
その間、カメラはデジイチがどんどん流行りだし、コンデジは画質の競争が一段落した。
そこで新たな付加価値として、顔認識とかありますが、それほど必要にも思えませんね。
奥さん用にはルミックスのDMC-ZX1というコンデジを買って、自分用には安かったペンタックスのOptioH90ってコンデジを持っています。
安かったけど、持病なのか、液晶画面に黒い●が出てきてます。
仕事にも使うので、気にしてませんが。

この先、スマホカメラの普及で、コンデジがなくなっていくのだろうか?
ボクとしては、写真を撮るのはやっぱりカメラがいい。
低価格のコンデジがこの先なくなるのなら、一個買っておこうかな(^_^;)






昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

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昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」












Posted at 2014/05/01 20:52:54 | コメント(7) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 旅行/地域
2013年02月24日 イイね!

昭和40年代男(6)

第6回は、テレビのはなし。(その1)

僕がちいさかった頃、夜の8時になると、テレビから「ピーピーピー」っていう音がながれて来て、両親が「寝る時間だから、早く寝なさい」って言われたのを覚えてる。
海難を防ぐ為のメモ」とか言って、短い地方ニュースみたいなモノが流れていたんだと思う。
でも、当時はそのモールス信号みたいな無機質なピーピー音がとても怖くて、すぐに寝床へ逃げて行った覚えがある。
たしかその頃はまだ白黒テレビだったなぁ。

しばらくして、ウチにもカラーテレビがやってきた。
むつみ電器のお兄さんが持ってきてくれたパナカラーだ。
たしか筐体は木製、足も生えてたような。
当然ながらチャンネルはガチャガチャ式
1はHBC
3はNHK
5はSTV
12は教育テレビ
Uの27はUHB
Uの35はHTB
TVhはまだ無かったww

母などは、テレビのチャンネルを変えたいときに、僕に言ってくる。
「温ちゃん、3チャンネルにして」など、NHKといわずに3チャンネルと言ってくる。
「あ、Uの27でこないだ面白いのやってたよ」
13よりも上のチャンネルは、「27チャンネル」とは言わずに「Uの27」という。
それは、チャンネルのつまみが上下二つあって、上のつまみは1~12までの数字と”U”というポジションがあって、27CHや35CHを見るには、上のダイヤルをガチャガチャ回して”U”にあわせて、その後に下のダイヤルを回して27のそばまで回します。
下のダイヤルは、ガチャガチャ言わなくて、スルスルとまわるダイヤルなので、画面を見ながら映りのいい場所に合わせるのですwww
もちろん、見ている間に画面や音声がノイジーになってきたら、すかさずダイヤルを微調整するのも欠かせません(^o^;)

そのころ僕が楽しみにしていた番組は、歌番組。
ゴールデンタイムには居間に家族みんな揃って、8時だよ全員集合!紅白歌のベストテンなんかで、天池真理百恵ちゃんが歌っているのを見るのが楽しみでした。
僕が幼い頃の天池真理の人気はすごくて、真理ちゃんグッズは自転車まで売られていましたね。
当時はビデオデッキなんて無かったので、歌をラジカセに録音したりして聞いてました。
ラジカセ(ナショナルのモノラル式)をテレビのスピーカーの前に置いて、歌が始まったら録音と再生のボタンを同時に押し込む。
その瞬間から、家族全員おしゃべり禁止(^o^;)
その後、ヘッドホン端子からつなぐやり方をむつみ電器のお兄さんが教えてくれた(爆)

ピンクレディーが爆発的に人気になって、小学生はみんな二人ペアになって振り真似をしていました。
男子でも踊れる子は、地方テレビ局のピンクレディー大会に出るんだと言って踊ってましたね。
そんな中でうちの兄弟はキャンディーズが好きで、解散前のベストアルバムは、兄弟でお金を出し合って買いました。
たしか5枚組みLPで¥9,000-だったので、姉が4千円、兄が3千円、僕が2千円だったかな、今でも実家にあるのだろうか。

小学生の5年生くらいの頃には、兄と相部屋ながら子供部屋がもらえた。
そのころには14インチくらいのカラーテレビが普及してきて、安価に買えるようになっていた。
赤いプラスチックの筐体で、チャンネルは相変わらずガチャガチャ回すやつ(爆)
よくラーメン屋なんかに置いてあったあんなヤツだ。

あの頃は居間にいると父がNHKばかり見てるので、裏番組が見たいときは自分の部屋に行って5チャンネル(日テレ系)を見てたかな。

今じゃ地デジだし、ワイド大画面だし、ステレオだし、リモコンだし、録画も出来るし、いい時代だね。




昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




Posted at 2013/02/24 16:55:53 | コメント(6) | トラックバック(1) | 昭和40年代男 | 暮らし/家族
2013年02月17日 イイね!

昭和40年代男(5)

第5回は、ラーメンのはなし。

僕の小さい頃、住んでいたのは札幌市。
ちょうど昭和40年代といえば、札幌ラーメンがブームになって、サッポロといえば味噌ラーメンだった。
でも当時の僕にとって、ラーメンといえばそれは「即席ラーメン」の事で、普通のラーメンは『生ラーメン』と呼んでいたなw

小学校の頃に、友達のサカモト君の家に遊びに行って、外で遊んでたら腹が減ってきた。
サカモト君のうちは留守で、サカモト君がラーメンを作り始めたので台所でいっしょにやってた。
鍋で麺をゆでて、麺がほぐれたら粉末スープを入れて。
その次に、冷蔵庫から卵を出してきて、湯のみの中に卵を割りいれた。
そのまま箸でぐるぐるかき回して、ラーメンに流し込んだのである。
そう、かきタマゴのラーメン。

これがうまかったのを今でも覚えてる。

僕が小さい頃っていうと、日清カップヌードルが発売になった頃だが、とにかくカップラーメンなんて食べたのはぜんぜん記憶に無くて、ラーメンといえば袋のラーメンだった。
はっきり覚えてないけど、北海道だから東洋水産のシェアが多かったはず。
きっとマルちゃんの塩ラーメンとか食べていたんだと思う。

昔のラーメンは、スープの小袋とかに「切り口」が無くて、苦労した。
子供は歯で噛み切っていたね(爆)
いまどきはマジックカットで「どこからでも開けられます」なんてなってて、親切だね。

そういえばむかし、「明星のちびろく」っていうラーメンがあったなぁ。
今で言うなら駄菓子屋の東京拉麺みたいなミニサイズのラーメンが6個入って売ってた。
「ぼくはちび1、ママはちび2、パパはちび3」と言う風に、ファミリーに向けたCMだったのを覚えているが、自分は家族揃って食べた覚えは無くて、フツーに食べたい量だけ食べてた気がするww
当時はコーラも500mlをファミリーサイズって言って、『3杯ついでも、まだ余る』っていうキャッチコピーだったな。
核家族が始まった頃なんだろうか。

高校生くらいになって、いろんなカップ麺も食べるようになって、マルちゃんなら激めんやきそば弁当は定番商品だった。
日清U.F.O.はCMもガンガン流れてた(当然ピンクレディーw)けど、ぺヤングはさっぱり知らんかった。
あの頃はお店で日清カップヌードルを買うと、透明なプラスチックのフォークが付いてきた気がする。
当時テレビで毎週見てた『スケバン刑事(初代)』では、途中に明星の「青春と言う名のラーメン」のCMが入って、斉藤由貴がすごく可愛くて(^^)
でも商品の記憶は無くて、名前だけ覚えてるよ。

大学生になって、一人暮らしを始めたころは、いつも貧乏で、即席ラーメンはよく食べてたね。
田舎の町外れにあった学生寮で暮らしてたから、学生生協(コープ)が買い物の中心だったけど。
よく買ったのは、マルちゃんダブルラーメンとか、S&Bホンコンやきそば
ホンコンやきそばは、僕の人生の中で、いちばん食べた麺類かもしれない(爆)
北海道と大分県の一部でしか売ってないらしいけど、僕にとっては焼きそば弁当よりも親密な麺類ですよ。
日清焼きそばは「粉末ソース」、マルちゃんやきっぺは「液体ソース」、しかしこのホンコンやきそばは、ソースが添付されていないのです。
いわゆるチキンラーメン方式で、麺に味が付いてるんですよ(^o^)/
この方式のやきそばって、ホンコンやきそばしか無いのでは??

即席のやきそば全般に言えるけど、スープが無いだけに作るのがけっこう難しくて、フライパンが調子の悪いヤツだと、フライパンにこびり付く量が多くなって、食べる量が無くなっちゃうんだよね(^o^;)
今はフッ素加工のフライパンが安く買えるので、いい時代です。

ホンコンやきそばといえば、一時期「辛いカレー」(Leeの何倍辛いってヤツ)が流行って世の中に辛いブームが来たとき(こういうのって周期的にあるよね)、ホンコンやきそばにも『大辛』ってのがあった。
当時から辛いのは得意じゃなかったけど、けっこう辛かった気がする。
ホンコンやきそばのフリカケが、青海苔とゴマなんだけど、アレになんかの細工がされていたような?
あまりハッキリ覚えていないのは、一回食べてもう買わなくなったんだろうね(^_^;)

大学のそばに、「なかよしラーメン」っていうお店があった。
ここのラーメンは学割が利いて、たしか350円くらいで食べれたような?
呑んで帰るときに、センパイにおごってもらったり。
食べると10円券とかくれて、次回使うと券のぶんだけ割引になる。
それも、一度に何枚使ってもいいから、10円券だけで支払ってもOKだった。

あの頃の北海道のラーメン屋さんは、メニューが
 ・ラーメン
 ・チャーシューメン
 ・コーンラーメン
などの様に書いてあって、それぞれに味が選べる。
 「みそ味」 「しょうゆ味」 「しお味」だ。
そして、みそ味のところに小さい字で「みそ味はプラス50円」と書いてあるのがよくあるパターンだったね。
どこのお店も、自慢の味噌をブレンドして、看板メニューにしていたね。
でも、僕は塩味を注文するww

カウンターで待つあいだに作ってるのを見ると、麺をゆでながら中華なべで野菜(メインはもやし)を炒める。
炒めた野菜に、スープ鍋からお玉一杯分のスープを流し込んで火を止める。
スープは、どんぶりに色んな調味料をものすごいスピードで次々に入れてゆく。
調理台のいたるところに調味料が置いてあって、秘密のレシピにそって、小さじ一杯だったり、コショウみたいなの一振りだったり、レシピはマスターの頭の中にあるんだろうけど。
今思えば、ある程度は化学調味料だったんだろうな。
そこに、中華なべの中のスープを流し込んで、混ぜる。
湯きりした麺を入れて、中華なべの野菜を載せて、完成~♪

今はこんなラーメン屋さんも、見かけないよね。
北海道に行っても、こってり豚骨ベースが多いんだろうし。
スープは鍋に完成してるのがフツーだよね。

社会人になっても、一人暮らしの頃は実家からホンコンやきそばを取り寄せて食べてたね。
26cmのフライパンよりも、ちょっと大きい28cmのフライパンを使うと、2食分作るのが楽なんだよね(爆)
フリカケは忘れずにw。

そうそう、本州に引っ越してきて、はじめて『冷やし中華』を食べた。
北海道でも食べてたけど、名前は「冷やしラーメン」だった。
北海道では、ラーメンの事を「中華そば」とか言わないので、冷やし中華っていう人は少ない。
「中華丼」は言うけどね。

自分でHPを作るようになったときに、ホントはラーメンをネタにしたかったんだけど、たいしたウンチクもなかったので書かなかった。
それがブログでネタにするようになったら、気がつけば記事が700超え(^o^;)マーチより多い
たいした内容でなくても、続けるとこうなるんだね。
テレビに出演依頼とかもありましたが、うまくしゃべる自信もないので断っちゃった(笑)

今後もテケトーにラーメン記事をアップしますので、テケトーに見てやってください<(_ _)>


昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




過去の即席ラーメンは下記リンクからどうぞ。
即席ラーメンINDEX⇒ http://march.iinaa.net/sokuseki.htm
ブランド別INDEX⇒ http://march.iinaa.net/ramen2.htm

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Posted at 2013/02/17 19:14:51 | コメント(5) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 暮らし/家族
2013年02月10日 イイね!

昭和40年代男(4)

第4弾は、乗り物のお話し(二輪編)

僕が初めて乗った乗り物ってなんだろう?
父親が運転するクルマとかじゃなくて。

自分でドライブする乗り物ならば、きっと三輪車だ。
僕は小さい頃、なかなか自転車が買ってもらえなくて、小学校の低学年くらいまで三輪車だった気がします。
お友達がみんな自転車になっていく中で、ぼくだけ三輪車の後に立って、地面を蹴って、今ならキックボードみたいな乗りかたで移動していました。
だから当時は遊ぶエリアも町内がメインだったな。
そのうち、小学校の2・3年生くらいの時に、待望の自転車を買ってもらった。
フロントのフェンダーに、バットとボールのマスコットが付いていたのを覚えてる。
そしてお決まりの補助輪つき(笑)
父親と練習して、けっこう早く補助輪は外せたと思う。
当時の家の前は砂利道で、自転車では走りにくいし、タイヤも何度かパンクした。
道路わきにはドブがあって、まちがって落ちるとタイヘンな事になった(爆)

その後、新聞配達を始めるちょっと前くらいに、変速つきの自転車を買ってもらった。
そのころの小学生の憧れといえば、セミドロップハンドル5段変速スーパーカーライトフラッシャー空気入れ付き
そんな自転車ブームの中で、兄はセミドロップハンドル車、ぼくはミニサイクル車(23.5インチ?)を買ってもらいました。
いちおうライトはダブルで、5段変速、前カゴつきw。
そのころには道路も舗装されて、家の周りは坂道だらけでしたが、登坂をトップギヤでぐいぐい登ってました。
あの頃がいちばん、筋力あったのかも(^o^;)
そんなミニサイクル車、気に入ってないワケでもなかったし、新聞配達で稼げたのもこの自転車のおかげ。

しかし、パンク修理で入った自転車屋さん「おおやサイクル」で衝撃の出会いがありました。

小径極太のブロックタイヤにリヤサスペンション、まるでHONDAモンキーのような風貌の自転車が置いてありました。
それはセキネ自転車のブーンバイクGT

これにはまったくの一目惚れ、バイト代突っ込んで買っちゃいました。
そして、いっちょ前に長いドロヨケつけたり、ライトを交換してみたり、今思うとドレスアップチューンですよね(爆)
昭和の札幌の郊外でしたから、山に行くと造成地みたいなところでバカ広い空き地を走り回ってみたり、ジャンプ台みたいなところで飛んでみたり。
そしたらなんと、リヤサスアームが曲がってしまった(^o^;)
また「おおやサイクル」に部品注文だ。
たしか自分で交換した、家の工具なんてモンキーとドライバーとペンチくらいしか持ってなかったけど、われながらよくやったと思うよw

中学の三年間は、ブーンバイクで過ごしたと思う。
高校に合格して、バス通学がスタート。
バスで国道まで出て、乗り換えてまたバス。
走行距離は10キロくらいだが、乗換えがメンドクサイ。
バスは嫌いだった。

春になって雪が解けたら、自転車通学を始める友達もいた。
自転車なら5キロ、乗り換えもないし、混雑も無いし(・∀・)イイ!

でも、さすがにブーンバイクでは走りにくいので、通学専用に一台必要になった。
それは趣味ではなく、完全に交通手段として必要だったので、親に買ってもらいました。
選ぶのは親と相談。
当時出来はじめたホームセンターへ行って、僕が選んだのは20インチのミニサイクル。
しかも、変速なし、前カゴ付き、黄色いボデーww
親からは、買ってあげるから3年間乗りなさいと釘をさされました。

高校生になって、いままでと違う友人ができたり、行動範囲がぐっと広がりました。
20インチのミニサイクルは軽快に走ってくれるのですが、16歳になったらアレですよ。

バイクの免許が欲しくなるじゃないですか( ´艸`)
高校は、当然のごとく”3ナイ運動”展開中でしたから、ナイショの活動ですよw

そのころ、近所のおばちゃん連中もままチャリからラッタッタに変わってきた。
おばちゃんはサリアンだのベルーガだの、隣のおねいさんはパセッタに乗ってたし。

そしたら、うちのオカンが原付免許を取ってきた。
そして買ったのがYAMAHA JOG(初期型、27V 通称ペリカンJOG)
当時は原付60キロ規制が始まっていたので、JOGも規制対応型は60キロメーターと、30Kmを超えると光る「速度警告灯」があったのですが、36号線沿いのバイク屋で見つけたのは規制前JOG、しかも足元マットとかオプション満載の展示車両。
お買い得で買って来たそのJOGは、4.5馬力の非力ながら70キロメーターで、そこそこ出ましたよ( ´艸`)

ある日、友達のイトウ君がHONDAリード50を買いました。
僕は相変わらず自転車ですが(汗

僕も、原付免許くらいは取らにゃイカン。
必死に親を説得して、一日だけガッコをサボって、手稲の試験場へいきました。
もちろん、行く前には問題集を友人から借りて、一夜漬けですよ(爆)
めでたく一発で免許を取得したのですが、今度は乗るバイクがない。
JOGは母親が移動する為に買ったものだから、僕が自由に乗り回すことができない。

ちょうどそのころ、テレビで「汚れた英雄」が放映されて、コーフンしながら見てました。
もちろんVHSに録画して、何度も何度も見てました。
二輪が欲しい(^o^;)

JOGでも10万しましたから、バイク買うお金なんて僕には持ってなくて。
そういう時は結局おねだりです(爆)
なんたって末っ子ですから、必死のおねだりの末に、YAMAHAのアクティブ50を買ってもらいました(^o^)/
この時代のスクーターは、ホンダリード50が速いし憧れでしたが、イトウ君が乗っていたので、そのライバルにあたるアクティブ50を選びました。
新車を買ってもらって、ご満悦の温泉少年は、イトウ君のリードとつるんで、あちこち走って楽しんでたのですが。

少しすると高校生の原付仲間の間に、スポーツバイクブームがやってきます。
周りの友達は気がつくとけっこう免許を持っていて、RG50γとかRZ50、MBX50なんかの2ストスポーツ車に乗ってたり。
中卒でペンキ屋に就職した友達が、ウチの近くで仕事だったとか言って、うちにNS250Fとか見せびらかしに来たり。

あ~、ギヤ付きのバイクが欲しいぞ!
だけどアクティブを買ってもらったのに、今度はMBXを買ってくれなんて、さすがに言えないし(^o^;)
だけど欲しいものは欲しい!

よって、バイトに励むべしw

季節は夏、お盆のお墓参りシーズンに、里塚霊園の前で、お供えの花束を売るバイトがあった。
霊園前の道路際にコカコーラのテントを張って、花束は2束ワンセットで500円、800円のラインアップ。
そして缶ジュースも売る。
コーラ、ファンタ、スプライトのポケット缶(北海道でだけ販売された缶サイズ)、酸梅湯とかいう飲料など。
でかい水槽に水と氷を入れて、冷やして売るが、当時希望小売価格100円の缶を110円で売る指令だった。
あの頃はモノの値段は決まっていて、ディスカウントとかないから、缶ジュース⇒100円が当たり前。
お客さんに『110円になります』と言うのが僕にはつらかった。
普段は缶飲料なんて買わないだろうオバちゃんなんかは、『110円です』といえば110円払ってくれたけど、困るのはタクシーの運ちゃん。
缶ジュースなんて買い慣れているから、「コーラくれ」と言ったときには100円玉を差し出している。
『すみません、110円なんです』と言っても
「はぁ?コーラは100円だろ??」
『いや、氷代とかいろいろ掛かってますので』
「自動販売機だって電気代かかっても100円で売ってるじゃないか」
運ちゃんは簡単には110円出してくれませんでしたが、なんとか説明して分かってもらいました(^o^;)

他にも、お線香2束とローソクのセット、ライターなどお墓ならではの商品で、お参り前に入り口で買っていく客相手に大繁盛。
初日はベテランさんとコンビでの店番、お花が足りなくなったらスクーターで本部まで仕入れに行ったりしてましたが、二日目になるとお客さんが多くなり始めて、親方から「温泉君、テント増やすから手伝って」
親方に連れられて、霊園のほかの入口にもテント設営、そして「じゃぁ頼んだよ」って言われてひとりで任されました(^_^;)

お盆の数日で5万円くらい稼いで、勇んでバイク屋に行きましたが、人気のゼロハンスポーツは10万無いと買えないね(T_T)
ちょうど60キロ規制のおかげで、中古の規制前MBXなんかは超高値、人気無いからって規制車(新車)が買えるわけでもなく・・・

そこで見つけたのがHONDA MB-50 
MBX50の祖先だね。
空冷2サイクル、7.0馬力エンジン、5速ミッション。
これなら5万の予算で売ってくれるということで、買っちゃいました。
ヘルメットはなんでもイイからと言うとヤマハのフルフェイスをつけてくれた。

初めてのギヤ付きバイク、とても楽しい♪
でも、まだ慣れないからギヤ抜けしたり、エンストしたり(^_^;)
いちばん慣れなかったのは足ブレーキかな?
ある日、買って間もないMB-50でイトウ君の家に遊びに行って、近くを走っていたとき。
信号待ちから青発進したトラックを、イトウ君のリード50がビ~ンと追い越してゆく。
僕も置いていかれないように追いかけたら、トラックもだんたんスピードが上がってきて、煽られてきたところで、先行のイトウ君は左折。
ウソ!? 僕も減速して左折するはずが、足ブレーキに慣れていなくて、前輪ロック⇒転倒⇒路外に転落・・・
幸いにして田舎だったので路外と言ってもただの草むらだった。
だけど当時ノーヘルで(50ccだから)、かけていたサングラスは二つ折れ、鼻血がでてた(^o^;)
しかもコケタ時にバイクが自分の上を飛び越えていくのが見えて、バイクを路上に引き上げたら、フロントフォークが曲がって、コムスターホイールも折れていたorz

がっかりして、イトウ君の家までMB-50を押していった。
初めての事故だったけど、今思えば体は無事でよかったな。

そんな思い出のMB-50だったけど、空冷とはいえ60キロ規制もなく、85くらいは出たし、ギヤチェンジも楽しい。
僕が高校生の頃は、世の中がミニバイクレースブーム。
当時はモトチャンプ誌を買って、どのバイクがスピードが出るとか、どのバイクがカッコイイなどと友達と盛り上がっていました。
バイクレースのコーナーもあって、札幌スポーツランドというサーキットが載ってました。
実はこれ、ウチから近い山の中のカートコースみたいなサーキット。(今の石狩のSSLとは違うよ)
友達のヤスイ君が参戦するって言うので、応援に行きました。

スクータークラスでは初代JOGが圧倒的な速さで常勝パターン。
その後、HONDAが出してきたDJ-1、その名前は「打倒_JOG_No.1」の略だとか・・・

速いスクーターはカッコイイけど、高校生にはイジルお金が無くて、パーツは買えないね(^_^;)
タイヤはバトラックスかプロファイヤが欲しい。
MB50にはバックステップを付けたかった。
当時はセパハンとバックステップが憧れのパーツで、マフラー交換とかスプロケなんていう方には目が行ってなかった。
今とはいじる方向が違うんだね、若さかなw

ヤスイ君はMBXでスポーツクラスに出場、僕はピットで構えてましたが、スプリントだから出番は無いんだけどねw
スタートは押しがけなんだけど、なかなかエンジンが掛からない(汗
どうした?!
どうやらキーがOFFになってたらしい(爆)
その後あっという間に追い抜いて、けっこう上位に入ってたなぁ。
あの頃はみんな2ストチャンバーでパリパリ言いながら、カストロールのニオイをふりまきながら走ってたね。
ヤスイ君は速かった(・∀・)イイ!

楽しかった高校生活も、三年生になると遊んでばかりもいられません。
お受験がありますので、バイク遊びもほどほどに、オベンキョがんばります(^_^;)

なんとか希望のガッコに受かったのですが、札幌の実家から120キロはなれたガッコだったので、お引越しです。
ビンボ学生生活のスタートでしたから、MB-50も大事なアシとして持っていきました。
学生寮だったので、先輩のバイクとツーリングに行ったりしました。
洞爺湖にテント張って一泊、翌日倶知安町まで行って、北海道スピードパーク(HSP)でレース観戦。
HSPには僕の友達もけっこう走ってたんだよね~
ヤスイ君とかイトウ君も出てたかな?
実はもう閉鎖したらしくて、残念。
サーキットって、行くと音がすごいんだけど、やっぱり生の迫力がイイんだよね!

んで、先輩のバイクはGSX400とGSX250、僕がMB-50。
やっぱ空冷ゼロハンではついて行くのがつらい(^o^;)
中型免許くらいは取っておこうか。

家庭教師のバイトをして、生活費を稼ぎながら、MB-50 で教習所に通う。
教習車はCBR400Kって、K?
教習専用モデルらしく、アップハンドルで、ギヤポジションとか前ブレーキ、後ろブレーキとか、全部表示灯がついてて、外から見ていてもぜんぶバレバレですw

原付で通ってるある日、ガス欠になってしまいチョット遅刻。
教官に話すと教習場のスタンドで給油してくれた。
そのとき教官が僕のMB-50を見て「なんだ?ガイコツみたいなバイクだなww」だってさ。
空冷50ccなんて、スカスカに見えるもんねw

その後、無事に中免取れたのですが、バイクを買うお金がない・・・
ビンボ学生なので。

しばらくしてMB-50も手放してしまって・・・・

次に2輪を買ったのは、結婚して自宅を持った時。
知り合いが不動車で所持してたHONDA AX-1(250cc)を譲ってもらいました。
その後はけっこういじって遊んでましたね。
そのへんは、HPにも書いてますので以下略。

今はゴリラDIOがいますが、ゴリラは不動車です(^o^;)






昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

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昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

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昭和40年代男(8)「雪のはなし」










Posted at 2013/02/10 21:24:37 | コメント(5) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 日記

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「じゃがいもの塩煮? 粉ふきいもでないの??」
何シテル?   11/05 19:13
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