僕にはたくさん神様がいますが、クルマ関係ではドリキンこと土屋圭市さんです。
数十年前、まだ美祢サーキットでグループAレースをやっている時です。
確か金曜日に予選の練習走行があって仕事をサボって観に行ったら、ドリキンさんは走り方も華やかでカッコよくてメディアに出ている時と全く変わらずニコニコ笑って優しそうな人で、僕はメロメロになりました。
その時チラッとお話をさせて貰って「何かオススメのクルマありますか?」と尋ねると「そうだね、シルビアとかスカイラインGTS-t type Mとか良いと思うよ」と丁寧に教えてくれます。
ちなみに日本一速い男の星野一義様のところは空気が張りつめていて恐ろしくて声を掛けれませんでした。
クルマ関係の事はこの人の言う通りにしておけば間違いないと思いR32スカイラインGTS-t type Mを必死な思いをして買いました(本当はGT-Rが欲しかったですが、高嶺の花過ぎて買えませんでした)
流石神様のお告げです、type Mは素晴らしいクルマでした。
現在神様のドリキンさんは自分でトヨタ86を買ってチューニングしていらっしゃいますが、その様子をYouTubeにアップしてくれてとても参考になっています。
あ、ドリキンさんが大好きだからと言っても僕自身はドリフトのドの字も出来ません。
そして映画関係における僕の神様はアニメや実写映画監督の押井守さんです。
代表作は「うる星やつら」や劇場版「攻殻機動隊 ghost in the shell」や「機動警察パトレイバー」シリーズや「アヴァロン」です。
高校生の頃「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」を映画館に観に行ってエンディングが流れる出した瞬間に何故だか号泣し、映画が終わった後も腰が抜けたように立てませんでした。
こんな体験は「明日に向かって撃て!」や「エイリアン」や「2001年宇宙の旅」をテレビで観て以来です。
「僕は一体何を観たんだ?映画って一体何なんだ?アニメって何なんだ?」という思いに駆られ気持ちが溢れて止まらなくなって以来の押井守監督のファン、いやずっと観続けたい映画を撮る神と崇めるようになりました。
「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」と同じ年に「風の谷のナウシカ」と「超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか?」が公開されたのをよく覚えています。
この三作品は今のアニメの方向性を決定的な影響を与えたのは間違いありません。
どの作品も大好きですが、一本だけ選べと言われたら僕は「ビューティフルドリーマー」を迷わず選ぶくらい大好きです。
最近そんな押井守監督がエンタメの情報発信である「ぴあ」のアプリで読者の質問に答える「あの映画のアレ、何だっけ?」というコーナーがあります。
7月8日からBSフジで始まるテレビアニメの女子高生ヴァンパイヤ物である「ぶらどらぶ」をアマゾンプライムで先に観ていて僕は自分が感じた事を質問してみました。
きっと質問は毎回色々な方から来るでしょうが、この時たまたま僕の質問が採用されました。
それが下のURLです。
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_fe7acf24-5314-495c-8f34-9100eb8abd4c.html
リンク先に飛ぶのが面倒くさい方の為に引用すると、
新作アニメ『ぶらどらぶ』はセルフパロディを意識したのですか?
月2回連載 第47回 21/5/18(火)
Q.
『ぶらどらぶ』を観ました。『うる星やつら』風、『ぼくのエリ』風でとても面白かったです。最近の押井さん、セルフパロディを意識していますか? 実写版の『パトレイバー』からそんな気がしているんですけど、いかがでしょうか?(僕が書いた質問です)
── 今回は押井さんの新作アニメ『ぶらどらぶ』を観た方からです。「セルフパロディ」っぽいとおっしゃっていますがいかがでしょうか? 私もそういう感じはしました(映画ライターの渡辺麻紀さん)
押井 そういう人はわりといるみたいだよね。作っているときも(監督の)西村(純二)、デザイナーやアニメーターにも言われていたんですよ。
でも、そういうつもりはない。ありません!
── ないんですか?
押井 ないです。結局、自分の好きなことをやるとセルフパロディみたいになってしまうということなんです。違うことをやろうとしても、そうなっちゃう。
── フランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』(73)とか、ヴィトリオ・デ・シーカの『ひまわり』(70)の要素もありましたが、あれはパロディじゃないんですか?
押井 あれはパロディじゃなく、借用しているだけ。ご存じのように私は、ドラマやストーリーというのはオリジナルである必要はこれっぽっちもないと思っているから。というよりも、もはやオリジナルはないと思っているくらい。『アメリカの夜』とか『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)とか、まあ、パロディというより“見立て”に近いかな。
── “見立て”って、ちょっと分かりづらいですけど。
押井 みなさん、忘れているだけで普通にやっていることです。“あるものを、別の似たあるものに見立てる”ってよくやっているじゃない? (松岡)正剛さんに言わせれば、日本の文化の本質のひとつです。
── なるほど、その“見立て”ですか。
押井 それに、パロディというのは模倣や引用というのではなく、そこに批評行為も入ってくる。セルフパロディとなると自己批評行為、自己言及になる。クリエイターにそういう意識がないとセルフパロディにはならないんですよ。その点で言えば今回、それを目指しているのではなく、単に面白がっているだけです。
── 第4話の『サラマンダーの夜』なんて『パト2』(『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93))のパロディにしか思えませんでしたよ。
押井 防空指令所のシーンでしょ? あれは西久保(利彦)がやっているから似ている。「(『パトレイバー』に)似せてもいいか?」と言うから「どうぞ」と言ったら、あそこまでそっくりにしちゃったんですよ。そこに川井(憲次)くんも悪ノリしちゃって、あんな曲をつけちゃったからね。だから、私に言わせればあのシーンの真実は“パロディ”ではなく“悪ノリ”なんです。
とはいえ、私も脚本の段階で多少は意識したのは事実。だから、ちゃんとF-15をF-2に変えているんです。あの時代はF-15しかなかったけど、今はF-2だから。そもそもあの低空だとF-15は無理だしね。ミサイルだって、ちゃんと時代に合わせてます! セルフパロディというなら、ちゃんとそこまでチェックしてくださいよと言いたい。
── それは失礼しました!
押井 でも、何度も登場する“自主規制”(※裸のシーンなどを自主規制の文字で隠す演出)は、大げさに考えればセルフパロディと言っていいかもしれない。ある種の批評行為になっているし。著作権を問われるのは分かっているので先回りして自ら言っているだけです。
そういう意味で言えば、この作品には最初から妙な距離感のようなものがあったかもしれない。ちょっと突き放した感じかな。そういうのを目指したところもあるし。
── この質問者は『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)との関係性が気になったようですが……。
押井 うーん、まあ、ちょっとはあるかな程度。同じ吸血鬼だし。
── そうだ押井さん、なんで百合にしたんですか?
押井 私は百合だとは思っていません。私に言わせれば、絆播貢(ばんば みつぐ)とマイ(・ヴラド・トランシルヴァニア)の関係は、ある種の利益共同体。お互いが必要としているものを持っている功利的関係です。
ひとりは血を抜きたくて仕方ない、誰かにあげたくてしょうがない。しかし、その血は特殊なタイプだから中々あげられる人に出会わない。そんな彼女の前に、どんな血でもOKの女の子が現れた。しかも彼女は、ひたすら血を欲しているだけ。さらに、彼女はとてもかわいく、側に置きたくなる──。かわいい子を側に置きたいという気持ちは男女関係ないからね。
取材・文:渡辺麻紀 撮影:源賀津己
という記事です。
もし全文読みたいと思われた方は是非リンク先に行ってみて下さい。
ただちょっと質問しただけなのに映画ライターの渡辺麻紀さんが巧みに僕の聞きたい事を聞いてくれて、まるで押井守監督に話を伺っているような気になった不思議な体験でした。
不思議と言えばこのインタビューがぴあにアップされた日は僕の誕生日でしたからきっと何かの縁なのか必然(という名の思い込み)なんでしょうね?
もし押井監督作品に興味があるのでしたら7月8日12時30分からBSフジで放送しますので是非ご覧ください。