テレビで劇場版鬼滅の刃を観ました。
賛否あるみたいですが面白かったです。
相変わらずキャラクター達は状況と自分の感情の説明台詞を連発し、今回のメインキャラクター煉獄さんの性格設定まで台詞で「面倒見の良いいい人なんだな。ニオイからも正義感の強さを感じる」と炭治郎が教えてくれます。
親切です。
テレビシリーズを観てる人や原作を読んだ人にはめちゃくちゃ解りやすく丁寧に作品を作っています。
逆を言えばこの映画だけ観たら何の事かさっぱり解らない独り言の多い主人公と何故か箱の中に入っているお姉ちゃんとやたらと騒がしい金髪のお兄ちゃんと猪のお面を被った横柄なマッチョと心が無さそうに見えて情け深いお兄さんが出てきて自分の心情を吐露しまくって感情的に叫びまくっているバトルしてる映画にしか見えない筈の不親切極まりない映画になっています。
明らかに一見さんお断りです。
しかし作画は大変美しく戦闘シーンの水や炎や稲妻のエフェクトはケレン味がありめちゃくちゃカッコよく仕上げていますが、テレビ版からグレードアップしている訳ではありません(それくらいテレビアニメ版が頑張っていると言う事です)
原作の漫画は第一話しか読んでいませんが、こんなにエモーショナルな絵ではない筈ですし、動画であるアニメという媒体のダイナミズムを120%生かしていると言っても過言ではありません。
作画スタッフは本気です。
「最近」の原作付きアニメは原作原理主義のファンがいるから原作のままアニメ化するのが至上命題であり、原作の絵がそのまま動き原作通りのテーマや物語である事が大切だそうです。
しかし漫画は絵と文章だけで構成されていますのでそのままのセリフ(キャラクター達が実際に声に出している言葉)やモノローグ(キャラクター達の心の声)やナレーション(状況や設定を表現する声)をそのまま使っても漫画の印象はアニメに映し出せません。
何故なら読む言葉と聞く言葉は違いますし、声優さんが声をあてる事で印象も変わりますし、漫画のコマ割りとアニメのカット割りは違いますし、エモーショナルな音楽が流れ、何よりも絵が動いていますから必ず違和感はあるものです。
それでもなお悪魔的なプロデューサーは「出来上がったフィルムが原作っぽく観せるのが監督の技量だ!」と監督のレゾンデートルもアイデンティティもモチーフもテーマも動機も奪うようなことを言うらしいのです(未確認情報)
大好きな小説や漫画が実写やアニメになってキャラクターなどのイメージが違うという問題は古今東西老若男女を問わず永遠の課題ですが、小説や漫画は実写やアニメに比べて抽象化されたものですから僕達観客の頭の中のイメージで補完されているが故にこの課題は解決しにくいんだと思います。
鬼滅の刃はイメージが違うという話を聞かないし、こんな事言ったら原作ファンに市中を引きずり回された挙句に磔刑に処されそうですが、あえて言うなら原作を超えているのかもしれません。
しかし、無限列車編は単体で内容の解る映画にはなっていません。
あくまでテレビシリーズの続きですから本来はテレビシリーズと作られるべきですが、大人の事情で無理矢理映画にしたんでしょう。
そんな事を思っていたら無限列車編をテレビシリーズとして何話かに分けて放送するというのでちょっとビックリしました。
それは全然悪い事ではないですし、何なら遊郭編もその商法でやれば良いんです。
遊郭編がテレビ放映すると決まったらネットで「遊郭なんて子供にどうやって説明したらいいんだ!」と言っている親がいましたから、映画で公開すればそんな事を言われないで済みます。
何せお金を払って自由意志(例え子供にせがまれたとしても)により観に来てくれる分にはそういう文句は出ないでしょうし、それでもまだ文句をいう方には「自分達が子供を作った営みと同じような事をしてくれるところが遊郭だ!お父さんは今でこそ理性的だが若い時はギンギンだったんだぜ!」と教えてあげたら良いと思います。
そういえば友人が「良い作品って言うのは興行収入なんかで決まる訳じゃない。作品が後世に残るのが大事なんだ。鬼滅の刃は10年後に残っているかね?」と言ってましたが、なるほどその通りです。
エポックメイキングだったり、何かを考えるキッカケになったり、歳を取って観直してみたら若い時には解らなかった何かがあったりするのが時を超えていく名作の条件だったりします。
鬼滅の刃は僕は残ると思っていますがどうでしょうね?
でも今のところ「鋼の錬金術師」や「進撃の巨人」や「どろろ」の方が好きですけど…(個人の主観的感想)
そういえば僕には煉獄さんがケロロ軍曹に出てくる宇宙探偵コゴロー(556)に見えるんですが気のせいですかね?
えっ?
似てないッスか⁇
Posted at 2021/10/02 19:53:56 | |
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