草加煎餅をかじりつつ続いていきます
隣家が朝からサンダー使ってうるさい ラウムのバネ切ってたりしたら面白いのですが
さて
グレード 基本的には20Mと25Mの二種類 その25Mの派生と言う体で
25Mスポーツパッケージと25Mラグジュアリーパッケージ 全部で四種類
20Mと25Mの大きな違いは原動機とサイドエアバックくらい 外装での判断は不可能です
内装も座っただけでは本革グレード以外は区別つかない筈ですね
スポーツパッケージだと17インチになり サスが変りスタビライザーが更に標準化
ラグジュアリーだと本革内装 細かい差はオプションで装着可なので後はお好みでしょうか
車体色は全七色 プラチナムシルバーとか言うのが新色
それでもミレーニア専用色というのは無いです 総て他のマツダ車との使いまわし
黒がモノとツートーンの二色になりました もう遅いよ(- -メ)
おすすめは・・・・・・今となっては25M以外でしょうかね ディーラー物に限って言えばこの不人気
車が並んでいる自体が現状の程度の良さを証明しているようなものです もう今となってはグレード
なんて中古価格に反映なんてされてやしないし 強気に出た方がおトクと言う物 でなければ
見てくれ勝負の20M 面倒の無さでは間違いありません しかもカペラと税金変わらないでV6
買ってはや9ヶ月 グレードに話が及んだ事はただの一度もありませんけど(T T )
「我々の意地を見よ!!(@曲@(-皿-メ)うおおおお!」
こうしてこれまた殆ど改良し尽くされた最終型RX-7とともに最期の出陣を果たします
が
21世紀に旧態化は歴然 RX-7は売れないまでも黄昏時のスポーツカーの世界に於いてまるで
古式ゆかしい鎌倉武士のような畏敬の目で見られまだ良いとして 問題はミレーニア サルーンは
どうしてもその氏素性が問われてしまいます 平成十二年と言ったらかつての昭和の御世では団塊
の星と謳われたローレルですら地獄の撤退戦 プリンスゆかりの天下の名城 村山城でさえ紅蓮の
焔にくるまれた頃 落ち目の陣場で落ち目のマツダが旧ユーノスの残党担ぎ上げても非常に厳しい
しかもそのかみの「十年基準」の旗印ももはや七年目 こうなるとディーラーも積極策に出てこない
「売る気がない」
なんてコメントありましたが カペラやファミリアと違いまとめて仕入れないから派手な特売もかけては
こないんです 値引きの枠も同じパーセンテージでも単価高い分より食ってしまう もっと言えば下取
りだなんだなんて後の面倒な話も抱え込みたくないのが透けて見えます だいたいにして七年目
もうその先の運命は誰でもわかります ディーラーから見て一見さんかどうかはもうすぐ分かる話
その殆どが代替需要で細々と繋いでいくだけになってしまいます かつてのセンティア族がここで
買い換える訳もないしMS-9族が格下に乗り換える筈もない しかも元がユーノス800なのは
周知の通り 要はもうディーラーはまともに販売するのを諦めてしまっていたと言って良いと思います
これがMS-6なんかで来店していればまた対応違ったかもですが もうその程度の状態
しかもここでもう一発余震がミレーニアを襲います
「マツダアンフィ二統合計画」
これが始まったのが平成13年くらい 私がついにユーノスコスモで仙台で化けて出たのがこの年
現在の関東マツダや京滋マツダへの段階的移行 奥羽は平成15年
また また販売会社が変るんです まあこのくらいの頃はもうマツダ笑う人もいないですけど
ホンの一、二年の期間なのですがこの混乱がミレーニアにかち当たります
しかも排ガスだかの都合で2・0はモデル落ち 途中参加の途中退場 現在の中古物件に2・5が
若干多いのはこれが原因と思われます そしてついに
「・・・・・・・・アテンザか、良い名だね( ^ ^)」
初陣から十年目の平成15年 五家時代最後の一台がカペラやファミリアとともに引退と言う
ことになります 某もこの年 コスモからアクセラへ
かつてユーノスの大将として出てきて マツダの興亡を共にして来たクルマです
末期は御存知のようにマイナーでしたがこのクルマを通じてマツダ十年史が学べてしまうと言う
おまけつき おかげでブログも延々になってしまいましたが お付き合い頂きましてm(_ _)m
ミレーニア後期はクルマ好き程見落としているクルマだと思います バブルカーでありながら改良
重ねサイドエアバックまでついた超完熟トマトなのに中古相場ぼろくそで惜しい限りですよ 燃費は
時世には合いませんが価格が充分カバーしています これは勿体無い 重ねて惜しい
これ20Mですね 後期は取り寄せまでしておきながら断念
どうしてもユーノスの雰囲気が欲しくて 黒も装備も捨ててしまっています
まあ余計な話ですけど みんカラで悩んで泣いていたので覚えてる方も多そうですね(^ ^;)
これで去年の9月6日の事