北海道の戦国大名 松前慶広の忌日 享年69歳 老衰のようです
旧姓は蠣崎さん 居たんですよ 北海道にも戦国武将が 松前町を拠点にして秋田と共同で
青森に侵攻したり アイヌと戦ったりしていたのですが やがて豊臣秀吉に従う事になります
「あんたどこから来たって?(;- -) 試される大地d(^ ^*)」
まだ北海道の姿形が良く分かっていなかったであろう秀吉に樺太と北海道全部任されたので所有
面積だけならダントツ一位の大大名になります 伊達政宗や徳川家康なんか目じゃありません
そのまま徳川幕府の時代に入ると はるばる大坂城攻めに参加したりしています
お米が取れなかった事から幕府への年貢や東北のような涙の開墾話は無縁の大名家
ただ子孫が幕末になって福島は梁川に左遷人事食らっています 年貢が無い分現金納付だったの
ですが自己申告でいい加減な事やっていたようですね
さて
「新しい世を!新時代を!我々の手で!p(-皿- )」
こうして五家総大将としてアンフィ二MS-9共々出陣したセンティア
出陣三ヵ月後でセンティアの月販は3321台 残念ですがMS-9が不明瞭で3000台前後
計でおおよそ6000台前後
ホンダのレジェンドが4ドアで1973台
三菱のデボネアVで90台
特に出遅れた三菱勢は槍玉に挙げられ血祭りです
「雑魚首など構うでない!狙うは三河と日産勢だ!止まるな!p(-曲-(-皿-∞)」
この同月 セドリックとグロリア 所謂ハードトップだけに絞って言えば・・・・
(そりゃそうでしょ タクシーとかワゴンとかカウントするの卑怯だぞ)
おおよそ5300台前後 西風が吹いた瞬間です
「シ、シーマ様ァ!!ヽ(TдT(TдT ○=(-曲-(-曲-∞)」
そのシーマが大体3000台前後 援軍を得て事なきを得ますが危うく高級車販売台数で三番手に
転落する所 瞬間風速ではありますが日産の譜代筆頭がマツダの、それも新参に追い回される事に
なります 日産に言わせれば味方のシーマに従来の食い扶持かっさらわれてしまったのも大きいで
しょうが高家プリンスの そして日産宗家の長年の大将をセンティアとMS-9が撃破したには違い
なく これでマツダは湧きかえります もはや経済的に可哀想な家が乗るだのセドリックに遠慮して
駐車場を端にするだのありません 悲しみよさようなら 幸せよこんにちは BBSの17インチに
サンルーフ付きのセンティアが そしてマツダスピードホイールにマツダスピードグリルつけた
MS-9が見目麗しき女人を乗せて交差点右折で大見得切るんです
こんな感じで
伊達。
ちょっと長くなったのでまた続きます すみません だらだらと(-*-;)
センティアとMS-9 どっちがいいかなあ(^ ^*)
セドリックとグロリア以上に迷いますねこれ 名前の響きはセンティアがいいけど・・・・
新進気鋭ブランドなアンフィ二もとてもじゃないが捨てられない いやあ困るな
20年経っても決められないですね 迷ってるうちに泣けてきてどうしようもないんです
Posted at 2013/11/20 20:34:19 | |
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