戦国武将 織田信光の忌日 享年40歳 殺害されています
織田信長の実叔父 優秀な武将として信長のパパと共に連戦 信長の代になっても
若い頃の信長の奇行を気にせずに信長につき 反信長の城を乗っ取るなどの実績をあげて
信長に名古屋を任されて
いたのですが
どうも奥さんが信光の部下と不倫していたらしく その不倫相手に殺害されたようです
こういうの珍しいですね その男も直後に信長の追跡を受けて殺害されてしまっていて詳細は
分からずじまい この時織田信長24歳 まだ尾張統一が出来ていないくらい
「・・・・・・この人手不足の時に(-"-メ)人間五十年しかねえんだぞ」
この奥さんが当時織田家と仲が最悪だった松平家の一族でそのあたりで深読みもできるの
でしょうが記録がないのでこれ以上の事は分からないとなっています 奥さんもここで記録切れ。
松平出身で旦那の信光が斬殺までされてはただでは済まないでしょうけど
さて
新年も明け尽くしたところで
ワックスがけ初め
「貴方と私の合言葉~♪Uカー店で逢いましょう~♪q(o¥o )チャラ~ララ~♪」
暮れに磨いた割には汚れておりました 走ればまあそんなものなのでしょうかね
さて
暮れの話 本番の寝正月の前の軽い寝暮れをしていると
「うん( Θ¥Θ) どっか行ってきたら?いつもみたいに( - -)- -)」
と 言う訳で急遽の旅支度 お岩稲荷なんて言ってはいたのですが無計画ではちと遠い
と 言う訳で
武蔵国は吉見町にある吉見百穴へ
「・・・・・・・(Θ¥Θ )横穴だ」
実は下野にも似たような穴ぼこ山があるので大して温度は高くないのですが
殆ど隣接する格好で松山城址がある事と 徒歩圏内にカルソニックの工場があるナイス立地
古墳時代のアッパーミドル系の墓地とされ現在は国指定史跡とされていますが
戦前くらいまで世間は超関心薄 松山城が隣接しているにも関わらずほじられる事も
なく古墳時代から江戸時代まで過ぎていき 江戸もほったらかし 明治に入り東大が
「あー なんか未知の小人さんの住処かなんかじゃないの?」
コロボックルがどうのといい加減極まりない事を言ったようですがこれが東大が言うんだから
そうなんだろうで大正までまかりとおり そのまま戦争に突入 軍はこの山を軍施設にするとかで
大きなトンネルを掘ってくり抜いてしまいます すげー話 宮城もちょっと前にこれが発見
されて県が埋めていましたね 国の事業の後始末を自治体がやると言う・・・・
何が凄いってこれ穴ぼこで当時はそれぞれ蓋がしてあったのに古墳時代から明治まで
数百年どかして覗こうともしなかったらしい事 公開すればしたで内側落書きだらけ
埼玉の郷土史への関心薄は筋金入りです
一番の感想は
「・・・・・・・・・・300円とるのか(´¥‵;)忍城か騎西城にでも行けば良かったかも」
隣接する松山城は小田原北条家が持っていましたが秀吉の小田原攻めの際に小田原に兵が
出て人があまりいないところをエンケン景勝らに攻め立てられて落城しそのまま廃城 なので
ただの山です 同じような運命をたどった八王子城は心霊スポットなのにこちらはそれもない
栃木もないけど埼玉も郷土史全然興味ないみたいですね
両親へのお土産は
埼玉銘菓一里飴
一粒400mなんて生ぬるい こちらは一粒一里
室町時代末期に埼玉の医者が編み出した飴とか袋に書いてありました
調べたら吉見に限らず埼玉ではなじみ深いローカル飴らしいです 渋い外観ですが味は
「・・・・・・・・・・( -~-)(-~-(-~- )これ、あれだね」
東国で言う所の純露 西国で言う所の黄金糖 そのものずばりくらい
室町時代からと言うので純露よりはこちらが早いのでしょう
何故カルソニックを回らなかったのか(-"- )
Posted at 2017/01/07 17:45:17 | |
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