青森の大名 津軽信枚の忌日 享年48歳 病死しています
弘前藩二代藩主 青森市で銅像になっている津軽為信の息子で戦国時代最終盤の人 と言っても
「青森?どこだそれ(-"- )俺がいるのは津軽 津軽の高岡」
この時代青森市はまだただの船着き場 そもそも青森と言う概念もない筈ですが一応中心は
弘前 14歳の時に関ヶ原の合戦が起こり 東西どちらにつくかで津軽家は大揉めの末に
真田家同様東西に分かれて戦いますが真田と違うのは本気で分かれてしまったらしい事でしょうか
信枚は徳川方についた事から21歳で津軽家当主に就任し青森の親豊臣派の粛清に出て
「よおし 次は城だ!でっかいの作れ!北方警備とかなんとかテキトーに言ってなp(‵ ´ )」
現在の弘前城にあたる巨大城を建設 伊達家も実現できなかった大天守閣つき 家康死後は
日光東照宮建設に関与 東北では伊達と津軽くらいでしょうか 豊臣に続いて徳川政権になって
からもノリノリの津軽家
だったのですが
「は?異動?長野?(-"-;)昇給させるから青森出ろ?なんで?」
家康の死後に奥さんが石田三成の娘だった事や以前親豊臣だった事が蒸し返されて
昇給左遷くらいかけています これは流れたのですが間もなく大城郭が謎の爆散 落雷で城内の
火薬に引火とも言われていますがそんな力がこの時代の火薬にあるかどうか 家康の死後
あたりからなんか津軽家ガタガタ揺れています 信枚もこの頃から体調を崩して参勤交代先の
東京で亡くなっていますね それでも現在の弘前市と青森市を作った人
「弘前って名付けたのは俺(- -*)東照宮建てた天海ってお坊さんに考えて貰ってな 津軽家は
こう見えてオヤジの代から中央への進出を強く進めていてよ 豊臣とも徳川とも婚姻しているよ
港湾開発もそのあたり念頭にあったし城も仙台城並の建てたしな 伊達の狙いは広大な領土と
収入の維持だがこの時代の津軽はどんな努力したってそんな実収入の見込みはねえから一発
国の補助金狙いよ これが自由自在に出来るポジションに食い込みたかったのさ まあ幕僚も
バカじゃねえから長野に左遷しようとしだんだろ 俺様がそんなヘタうつかよ」
津軽父子は伊達に負けない野心家でしたが息子がダメで次代で津軽は急落しますがまた別の話
さて
予定外の車検で話が途切れていましたがまたユーノス300を庇おうかと
だいぶユーノス300の魅力を書き連ねていたのですが覚えていますでしょうか(-¥-)
今日は御色の話を
まずはペルソナから
全六色 グレードで専用色とかマツダはそういうチンケな事しないです これは今でも
その傾向強いと思いますね ビアンテのオレンジが2・3専用はムカつきましたけど(-"- )
この中だと個人的には緑は記憶に残っていないですね
やはりイメージカラーのアコースティックゴールドが一番人気でしょうかね 唯一メーカーオプション
ながらピラー周りをツートーンに出来ます むう ここは王道は外したくもありますがやはり
この色が欲しい(o¥o;)以前も触れましたがベージュ内装が来ていれば赤と懊悩したかも知れません
これがユーノスとなるとですね
二色減って四色 色自体はペルソナと共通ですが減るのです そして御覧の通り全車
ツートーンに 削ったのか手間をかけたのか良く分かりませんがとにかくこうなります
激希少車でもある事から気づいた個体は絶対忘れていない筈ですがそれでもこちらでも
緑を見た記憶はないですね この中では個人的には・・・・・どれだろう 紺かなあ(-¥-;)
ユーノスで赤系を落としたと言うのがちょっと理解できないですね 他は赤どころか黄色まで
あったと言うのに何故なのでしょう アコースティックゴールドはまあ分かりますよ ペルソナの
イメージ強烈すぎるしユーノスの色でもないでしょう だけど赤はなあ 見る度に惜しまれます
ユーノスの魅力は情熱と怠惰の渾然一体なんだぞ ペルソナみたいな焦がれや情熱を座興と
嗤いそれでいて妙な熱気にうかされたその暗い雰囲気(-"- )赤なしにした経緯が聞きたい
・・・・・・・・・それとも当たったら追加色でやる気だったのでしょうかね
ペルソナには過ちが無い ゆえに甘美もない
ユゥノォス♪