カリーナ
私の初愛車です 1・5 5MT 3Aってエンジンですね ハチゴーと同じ
グレードはSE 1・5ではトップグレードだったらしく 後部座席がリクライニングします(笑)
この時で平成六年くらい 強い劣等感の元に所有していたので殆ど写真ありません
今乗ってればまた違うでしょうけど 私だって夢の膨らむ18歳
これを拾ってきたのは父でした プレミア付く遥か前だし5千円とかゴミ価格
「非力なFR 5MT これが乗れないようではお話になりませんよ」
と 言う厳しい教え(恨みつらみ) 同時にカウンターステアだけは教えてもらいました
・・・・なのに父の教えを活かせず御覧の有様 奥の建物側から進入してカウンター当てすぎて
スピン で 回転しながらドスン JAFのお世話に 場所は北陸某所
ついてたスタッドレスは中古のコンチネンタルです 私はそういう人間 クルマでは浅ましいほど
ブランド志向になったのはこのクルマのおかげ とにかくみんなが羨ましくて仕方なかったですね
故障も随分しましたね
クラッチ
(まあ12万キロ時でしたけど リフト借りてDIY 二度とやりません センター出せずに父に泣きついて
なんとか解決 12時間くらいやってました 最悪の思い出 父は笑ってたけど)
リアドラムのピストンのカップ抜け
(これはヤバかった 貧乏だからとDIYでドラムいじっちゃダメですね 反省
あまりの出来事に父が車検代持ってくれた 流石にびびったらしい)
キャブ不調
(泣いたなんてものではありません 父も手を出したものの泥沼化
デート先でカブられて発炎筒でクルマ燃やしてやろうかと本気で思った 最期はデトネーション
キー切ってもエンジンとまらない 「諦め」と言う言葉の意味を教えられます 電子制御万歳)
スキーキャリアついていますがこの頃スキーしていました 面白くもなんともなくて自分でもびっくり
三年くらい付き合い含めて頑張ってやっていましたがそれでも面白くもなんともなかったですね
友人のワインレッドのハイラックスサーフで女の子と四人なんてベタ中のベタもやったのですが
それでも面白くもなんともない 夜中カリーナで一人出直してクルマ滑らせてました
スタックして遭難しかけたけど 吹雪いてきて参りましたね あれは
しかしスキー行く途中のハイラックスは女の子二人組相手に何を話していいのか
全然分からなかった 覚えているのは車検が長くて羨ましいなあ、とステッカー眺めてた事くらい
まさかここら辺りを治めていた武将の話とかオプションでレカロが付けられるなんて話できないし
なのにこの後 この二人組みに誘われて更に別の女の子と四人でカリーナでナイトスキーへ。
ここでキャブ壊れたら谷間に落としてやろうと思いましたが無事でした
(姉小路頼綱ってこんなトコでどうやって生活していたんだろう?)
とかそんな事考えながら夜中の雪山運転したのを覚えています
こういう場面が得意な諸将方が羨ましいですよ
話の焦点を女性にずらせですか そうですか
37の中年男のなんか聞きたくないですか そうですか
見た感じお友達に数人いますねえ 剛の者っぽそうなのが
今日は 徳川家康・・・・・の三女 浅野振の忌日 享年三十八歳
出産が上手くいかなかったようです
最初 信長の孫の蒲生秀行と言う人と結婚して福島は会津に御栄転
暫らくセレブやっていたのですが秀吉によって栃木は宇都宮に大大大大大左遷
暫らく貧乏生活した後に関ヶ原の合戦 当然旦那は徳川方についています
徳川の天下になればしめたもの パパは征夷大将軍
パパ♪ヒデ君とまた会津で暮らしたいな♪(*^ ^) う うん(-~-;)パパカラハナレルノハイインダ゙・・・・・
蒲生家はこのコネで会津に返り咲きます 宇都宮時代からだと収入は5倍とかになった筈
ところが会津に戻って直ぐにヒデ君は病死 彼女はパパ家康の指示で子供を置いて和歌山の
浅野家へと再婚しますがそこで出産が上手くできずに亡くなってしまいます
会津に置いてきた子供は途絶えてしまいますが 命と引き換えに生んだ子供の子孫は今も
広島あたりで続いている筈ですね