
溶連菌による急性扁桃腺炎・・・・・だそうです(+ +;)
病気としては別に珍しくもなんともないそうです 医術はやはり南蛮医術に限りますね
40度の熱で枕元で修験者に一晩中加持祈祷なんてされたら治るものも治らないような気がします
可愛い巫女さんならいいけど でも巫女さんも巫女さんで
「頭痛?じゃあ頭ガイコツに金杭で穴を開けて痛みを追い払いましょうd(- -)♪」
なんて本気で言ってたそうですからね 恐ろしい話です 抗生物質万歳
今年は最後の最後まで盛りだくさんです
そして今日が御奉公納め 留守番くらいしかできませんでしたが
今日は群馬の戦国武将 長野業正の忌日 享年71歳 病死しています
苗字は長野ですが群馬県出身 たぶん高崎市 平安時代のポエマー、在原業平の
子孫だと自称しています
上杉謙信が継ぐ以前の上杉家で働いていました その上杉家の拠点は群馬県
そこから関東全域を治めるのが本来の上杉の存在意義だったのですが戦国時代でがっくり落ち目
神奈川を奪取した北条家に更に侵攻されてボロ負け 埼玉 東京は神奈川に併合
栃木も茨城も千葉も全然言う事聞いてくれないで勝手に取っ組み合いだの内乱だのが続発
群馬だけが勢力圏なのですがその群馬も長野から武田信玄が侵攻 さらに埼玉から北条家が。
「も もうダメだ(>TдT)> 殿 お気を確かに!p(-皿- )マダマダ!」
一人気炎を上げるのが長野業正 役所の意地を見せます
謙信を名乗る前のガクトと組んで武田信玄を6回追い払うと返す刀で北条相手の徹底抗戦
6回攻めてきた武田も凄いですが諦めず追い払い続けたのが凄いです
武田信玄も群馬侵攻は最初の2回くらいは舐めて息子や部下にやらせていたらしいんですが
「なんだそりゃ!?( @皿@) 秋名にスゲーのがいるんスよ(+ +(+ +;)」
意地になって陣頭指揮で侵攻を繰り返していたようですが結局断念
リーダーの上杉自身までがビビッて亡命する中 病死するまで群馬だけは守り通してしまいます
死去と同時に武田が大喜びで七度目の派兵 息子が頑張りますが残念ながら敗死してしまいます
風林火山 しつこさの勝利
Posted at 2011/12/28 20:11:26 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記