千葉の大名 里見義康の忌日 享年30歳 病死したようです
通称「太郎」 千葉は館山あたりの出身で戦国終盤の人です 豊臣秀吉に従い房総半島を
貰います
が
「仲良くやりなさい( - -) はーい( - -)チャンス♪」
この里見家 数代前から海を跨いだ鎌倉や三浦に強い固執を持ち 秀吉に無許可で侵攻、
リストラされかけたところを徳川家康のとりなしで助かっています 以降徳川派になり
関ヶ原の合戦では結城らと共に宇都宮城に駐屯 上杉への警戒にあたっていますが
その僅か三年後に病死
里見家は徳川政権下で関東有数の大名家になるのですが後に派閥争いに敗れ島根に大左遷
そこでも給料の未払いを受け続け 破綻で散り散りになってしまいます 一部が水戸徳川家に
拾われてはいるようなのですが 残念ながらもう訳が分かりません
早死にもありかなりマイナーな大名ですが館山城はこの人が建てたもの
ただ残念ながら今現在建ってる館山城は昭和五十年代に観光振興で市が建てた想像の城
図面も工事記録も残って無いのを良い事にかなりのプラス思考で建てられたものなので
見に行く際は大人の対応をお願いします
さて ユーノス300
先手として出陣しますが
「プリメーラ!プリメーラ!プリメーラ!(○-曲-)=○)゜Д゜)ノ」
もう御承知のように大敗を喫し 月販は150台前後 三年戦ってやっとの五千台
末期は月販一桁台 平成初期の狂乱の中にありながら影さえ見えないくそ負けです
雑誌の車名当てクイズにユーノス100と並んで出題されていました 怒りと悲しみで
切腹したくなったものです 少し前に不人気で休刊になりましたね 黄泉路に惑い去れ
とは言え連戦連敗は事実 敗因は・・・・・二十年 香華を手向けながら考えた中では
4ドアが流行りで劇的な進化をとげた 僅か二年であからさまな旧態化 身内のクロノスと
比べても旧い まして後続のユーノス500なんかとは比べ物にならない
5ナンバー 夢の3ナンバーが続々の中 高級を売りで5ナンバーはまずい
平成初期までは税制が原因で3が庄屋で5は百姓と言う封建制度が横行しています
どっかみたいに名主バンパーとかV6殿様バンパーとかやれば良かったかも知れません
バンパーです バンパーがデカいのが威厳の表れなのです 某家は今でも頑なに守って
ますね そしてこれがなんだかんだ言っても売れる 南蛮党にはまず理解されないでしょう
旧い割に高い 先日話しましたが三菱行くとAMGが買えてしまう コストダウンしようにも
よりコストをかけたのが売りなのだから手のつけようがなく値引く体力もユーノスには無い
ペルソナ、そしてクロノスとの足並みが揃っていない ペルソナが消えた時点で消えなければ
不自然なのですが次代のクロノスと併売 しかもクロノスより高い なんだそれ たぶん500の
発売が遅れて手勢不足でもつれこんだのでしょう
まだまだありますが心が不安定になってくるのでこの辺りで勘弁してください じっくり眺めると
先に話題にしたユーノス100やクロノスらとの敗退とはちょっと事情が違うんです クルマにも
体制にも問題が多かったのではないかと思っています
そしてロードスターの快進撃と500の善戦で早々と見切られてしまう事に
「だ、誰か、誰か返事をしてくれぇ!!ぎゃあああああ!」
これにより開戦初期より第三陣まで一勝二敗 ユーノスカーゴなどは数の外と思えば
五家に於いてユーノスは早々苦境に落込んで行く事となります
流行りものへの追従や思惑 本家分家の足並みの不揃いで躓いたような所が目立つクルマ
でしたが クルマとしての出来そのものに問題があった訳ではありません カペラの、或は
ペルソナの違った一面を楽しむにはそれなり良かったと思います 特に今のクルマと比べると
考えられないような構造や視点で造られたクルマです ここら辺を余裕を持って眺められると
面白いのではないでしょうか(T T)b
夢にまで見た淡い夢♪
ユゥノォス♪