戦国武将 堀秀政の忌日 享年38歳 合戦中に急死しています
岐阜出身で最初織田信長の小姓として就職して建築関係の仕事をしていたようですが
二十歳過ぎくらいから合戦に参加 本能寺の変までの間は転戦続き 本能寺の変後は
秀吉と行動を共にして明智光秀を撃破した事を始め更に連戦 福井を任されるまでになり
小田原攻めでは箱根方面の司令官になっています
が
「は、働きすぎたかな(゜ ゜;)なんだか具合が・・・・」
その箱根山中で急病で倒れてそのまま亡くなっています
優秀で面倒見の良い武将と大変評判の人で逸話も多いのですが ある時
「最近なんでこう部下達の動きが遅いのだろう??(-"-;)変だな俺何かしたかな」
名馬に乗り換えて自分の速度が上がっていた事に気づけずにそんな事を不審に思って
悩んでいた事があったそうです
さて
日産の名車だそうです また恒例の五台で(o¥o )
まずはこちら
サ二-トラック
私が運転した事のあるクルマで最も旧いクルマでもあります
三十余年の超長期生産車 単純で堅牢で荷台が広くて原動機はA型
そりゃ2シーターFRスポーツと考える人が多い訳です 日ノ本で最も愛された商用車の
一台ではないかなと思います その意味ではこれかポーターでしょうがポーターは顔で売って
るようなものですし
個人的にはなんで角目にしてしまったのかと惜しんでおります
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なんて品の良いクルマなのだろうとため息ついております 銀座のセンスと言うしか
ありません しかもこれがコロナマークⅡより売れないとかって 徳大寺卿も自著で
マークⅡを選んだ事を激しく悔いていましたね でも気遅れして田舎風味選ぶのも分かります。
銀座もここで折れなきゃ良かったろうに折れたものだからおかしな事になっていったのかもですが
ここからブタケツに飛んだあたりが昔からの銀座の悪癖が垣間見えるように思っています
これの白なんかどこの良家の御令嬢なのだろうと言った雰囲気ですね
白く光るウインカーがこれまた繊細な雰囲気で これで三越に煉瓦亭に歌舞伎座に千疋屋
コロナマークⅡなんかどうだっていいっつの(^¥^*)有楽町で逢いましょう♪
初代ローレルとコロナマークⅡは何回見比べても笑えます
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なんて上品な、優しくしっとりしたクルマなのだろう と思ったクルマ
セルシオ辺りが騒ぎ立てるグリルのデカさ競争から離れて大変良かったと思います
なんでレパード名乗らせてしまったのか 口惜しくてなりません 市井でどう扱われてるか
知らない訳でもなかったろうに そこだけ惜しまれますね いやエンジンも大きすぎた
こういうの新車で好む人はV84・0ゴールドエンブレムとか喜ばないですよ セルシオ
などにいちいちかかずりあわずに 小布施でゆったりもよし 芦ノ湖めぐりでもよし いや
熱海行きましょう熱海 良い旅館ありますから 奥様も喜ばれます
これに比べたら嘘八百など駿河健康ランドがせいぜいか(-¥-;)
高級車に穏やかさを表すのが何故ダメなのかさっぱりわかりません
そしてこちら
毎日マーチ♪ 老若男女のコンパクト 思い思いに乗って楽しいタウンカー
小さいクルマはもっと端を遠慮がちに走れ と言った世界に新風が吹いたと思っております
これ以来安いクルマはそれなり などと言っていられなくなりましたね 今でも現役いるのが
良く分かります 何度か乗りましたが何も不満ありません 内装もちゃちくないし 初代デミオ
みたいに重苦しくもない とても二十年経過しているとは思えないですね まあ殿堂入り
確定でしょう 座間もマキシマのルグラン置いててこれ置かないって話ないでしょうし
あらもう最後
32Rにするか迷いましたが
伝説だの御託を嫌って皆Rを応援したのにその伝説に己が納まり返って経本だの数珠売って
小遣い稼ぎまでしてるって話あるのか どけよ遅いんだから それが総ての世界なんだから
私に修羅道を示してくれたクルマです 一旦伝説こさえて終わり では済まないのです
あれだけ騒がれた先代を凌駕してのけて スポーツカーとかモータースポーツの世界の厳しさ
果てしなさを感じたものです 先代党が拘りや思い入れを前面に出すっておかしいんですよね
現行の時 自分が何を思っていたのか忘れているのでしょうか?
もうついていけない 雲の上に昇っていったクルマです なのにちょっと優しい雰囲気なのが
たまりませんわ(^ ^*)先代より都会的だしぃ♪
頑張って「欲しいクルマ」とはそれなりに分離させたつもりですが如何でしょうか?(o¥o)