
ちょっと前に感傷的なオトナのアニメということで、新海誠カントクの
「雲のむこう、約束の場所」というアニメをご紹介しましたが、同じ新海カントクが製作した最新作(といっても2007年の公開作品なのですが)をやっと見ることができたので、その感想なんぞをまた書いてみたいと思います(^_^;)
新海カントクの最新作は「秒速5センチメートル」という作品。この作品はSFではなく、リアルな現代の物語。そして「雲のむこう~」のような長編作品ではなく、同じ主人公たちの登場する3作構成の
「短編連作アニメーション」という珍しい形式となっています。
物語の内容については、wikiからの流用でさくっと(^_^;)
1.桜花抄(おうかしょう)
東京の小学生・遠野貴樹と篠原明里はお互いに対する「他人には分らない特別な想い」を抱えていた。しかし小学校卒業と同時に明里は栃木へ転校してしまい、それきり会うことが無くなってしまう。貴樹が中学に入学して半年が経過した夏のある日、栃木の明里から手紙が届く。それをきっかけに、文通を重ねるようになる2人。しかし、その年の冬に今度は貴樹が鹿児島へ転校することが決まった。鹿児島と栃木では絶望的に遠い。「もう二度と会えなくなるかもしれない」そう思った貴樹は、栃木の明里の元へ行く決意をする。しかしその約束の日、関東では大雪となった。当初の予定は列車の遅延で大幅に狂い、時間だけがただ残酷に流れていく……。貴樹と明里の再会と別れの1日を時間経過と共に描く(約28分)。
2.コスモナウト
種子島の高校3年生・澄田花苗は、中学2年の春に東京から転校してきたクラスメートの貴樹に恋をしていたが告白できずにいた。しかも卒業を控えながら自身の進路についても決められず、趣味のサーフィンでも波の上に立つことが出来ないというスランプに陥っていた。そんな折、貴樹が卒業後は東京の大学へ行くと知った花苗は再び「波の上に立つことができた」そのとき、自身の想いを貴樹に告げようと決心する(約22分)。
3.秒速5センチメートル
貴樹は高みを目指そうともがいていたが、それが何の衝動に駆られてなのかは分からなかった。仕事に追われる日々……。3年間付き合っていた女性からは「1000回メールしても、心は1cmくらいしか近づけなかった」と言われ、自身の心が彼女に向いていないことを見透かされてしまう。貴樹の心は今もあの中学生の雪の夜以来ずっと、唯一人の女性を追い掛け続けていた……。一方、明里は……。大人になった彼らの自らへの自問自答を通じて、魂の彷徨を描いた表題作(約15分)。
とまぁこんな感じです(^_^;)
物語の主人公は貴樹と明里という男女。2話では花苗という女性も出てきますが、やはり主人公としてのメインキャストはこの二人、中でもモノローグとして物語を進めていくのは貴樹となっています。
DVDの付録映像として、今回は新海カントクのインタビューが収録されているのですが、曰くこの作品は
「速度という、その一点に絞って物語を作った」とのこと。貴樹と明里の心が近づいていく速度、そして栃木の明里の元へと急ぐ貴樹を乗せ、大雪のために途中の駅で長時間の停車を余儀なくされる列車の速度、種子島の高校で、貴樹に想いを寄せる花苗の心の距離が揺れ動く速度。そして、再び東京で貴樹と明里が近づいていく速度・・。
なんでもない光景を類い希な観察眼で鋭く描写する監督の手腕はますます冴えていますね(^^)
以前の作品からもずっとそうなのですが、氏の作品の中にはよく電車が登場します。そして、駅や電車の車内や車窓からの風景・・・ちょっとしたコトなんですが、列車と列車の連結部分に敷かれた鉄製のプレートがきしむ音や、車窓から見える沿線の電線のたわみが見せる規則的な上下運動など、誰でもが一度はぼーっと見つめたことのあるディテールではないかと思うのですが、これらが実に鮮やかに記憶の中から蘇ってくるかのようなそのリアリティはホントに圧巻です。どうも新海カントクって、電車という空間の持つ「空気感」を描き出すのがもの凄く上手なんではないかと。そしてまた、なんでもない日常の空間の持つ「空気感」を映像の中に再現するのを最も得意としているのではないかと思えます。
秒速5センチという速度が象徴する、主人公達をめぐる心と物理的な速度。。単にそれを描いただけのこの物静かな作品には、すでに前作までの中に見られたような劇的な展開もなければ、アクションシーンもありません。小学生の頃に始まった淡い恋の始まりと、その想いをずっと抱きながらも決定的な何かが起こるわけでもなく、想いを抱きながらも過ぎていく毎日の中で、強い想いは少しずつ変質していく。。第1話では、貴樹のモノローグというカタチで、主人公である貴樹の心の動きは克明に見るものに説明されるのですが、第2話以降それまでの説明が何だったのか? というぐらいに何も描かれていません。明確なカタチではなく、曖昧に描かれる主人公達の「心の揺れ」。その解釈は見る者たちがそれぞれに解釈してください、とでもいいたげなほどです。
秒速5センチメートルで落ちる桜。冒頭でそんなことを言い出す明里。そして踏切の向こうとこちらに分かれ、列車が通り過ぎる瞬間に
また来年も二人で桜が見られるといいね
と言葉を交わしたあの遠き日の思い出。
時は流れ・・・第3話の最後の場面・・・それぞれ再び東京に戻ってきた貴樹と明里は、お互いが東京にいて、すぐ近くに存在していることを知らず、ある日、あのときの踏切でばったりと再会するんです。
でも、互いにそうだとは気がつかず、でもやはり、すれ違った瞬間に貴樹ははっとします。踏切を渡り終えたとき、貴樹は思うのです。
「ここでボクが振り返ったら、きっと彼女もそうするはずだと、ボクは強く思った」 と。
貴樹が振り返ったそのとき、踏切の向こうにいる彼女もまさしく振り返ろうとし、その瞬間に時速数十キロで通過する列車に視界を阻まれます。
列車が通り過ぎたとき、貴樹の目に写った光景は・・・
・・・それは、この作品を見た人へのお楽しみ、ってことで(^_^;) ここでは明かさないでおきますね。
なんでもないけれど、恐ろしくリアリティのある精細な印象的な日常の映像の積み重ねの中で、クライマックスと呼べるようなものもないのだけれど、なにか心に引っかかる映像とその物語。。。とにかく画面構成と演出が素晴らしいんですよね。感動だとかそういうのともまた違う、でも見終わったときには見る前とはまったく違う気持ちになっている自分がいて・・・なんだろう? なんと表現したらいいのか分からないけれど・・あえて言うなら
「心の琴線に触れる」とでも言えばいいのでしょうか? 見終わったあと、ふと一人で冬の寒々とした空を見上げてしまいたくなるような、そんなセンチメンタルな感情を呼び起こしてくれる作品です。
この作品の中に登場する二人の男女。小学生の淡い恋心から始まったその想いは、絶望的なまでに引き裂かれるわけではありません。はじめは東京と栃木。会いに行こうと思えば行ける距離。だけども、貴樹が鹿児島に転校することになって初めて彼は彼女に会いに行こうと決心する。そして種子島に転校した貴樹と栃木の明里。確かに遠いけれど、想いがあれば会いに行くことだってできるはずなんです。でもそうはしない。高校になって貴樹はケータイを持つのですが、彼女へのメールを書いては消し、書いては消しを繰り返す。。。就職して東京に戻ってからも、作中ではどうも明里と連絡を取っているふうでもない。。想いは決して弱くなっていないのに、いや、中学、高校とずっと彼女のことだけを想っていたはずの彼なのに、ここ一番という最後の部分では踏ん切りがつかないような心を抱えている。そしてそれはおそらく明里も同じ。そして、種子島の花苗もまた。。。
みなさんにはそういう経験がありませんか? 大好きなのに、とっても愛しているはずなのに、でも行動に移せない。少しだけがんばれば、会いに行くこともできるのに、もっと積極的に行動できるはずなのに、なぜかそうしない。今よりももっと近づきたいと願う心と、「行動を起こしてしまえば、もしかしたら今よりももっとあの人は遠くなってしまうかも知れない」という恐れから、現状を維持しようとする気持ち。
大好きなヒトに久しぶりに会いに行くとき、高速道路を走りながら「今オレは時速100キロで彼女の元へと近づいている!」と考えた、あの高揚感。彼女と別れたあと、また高速道路を走りながら「嗚呼、今オレは時速100キロという猛烈なスピードであの人から離れていっている・・・」と思ったときの切ない感覚。。
ワタシにはそんな経験があります。そんな経験がこの物語の主人公達とオーバーラップしてしまうのでしょうか??
ワタシ、この作品を見ながら2度泣きました(^_^;) 淡々と過ぎていくこの物語ですが、泣けるほどに感情移入してしまうほどのリアリティと秀逸な演出がこの作品には散りばめられています。やっぱりこれも青春時代を経験したオトナに見てもらいたい、そんな作品ですね。
作品の最後の場面で、主題歌である山崎まさよしの
「One more time, one more chance」がかかるのですが、見事に曲と映像がシンクロし、素晴らしい演出で魅せてくれます。まるでこの曲がこの作品のために描かれた曲であるかのように。この曲はまさしく、この作品の「主題」歌です。
One more time,One more chance
アーティスト 山崎まさよし
これ以上何を失えば 心は許されるの
どれ程の痛みならば もういちど君に会える
One more time 季節よ うつろわないで
One more time ふざけあった 時間よ
くいちがう時はいつも 僕が先に折れたね
わがままな性格が なおさら愛しくさせた
One more chance 記憶に足を取られて
One more chance 次の場所を選べない
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
向いのホーム 路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに
願いがもしも叶うなら 今すぐ君のもとへ
できないことは もう何もない
すべてかけて抱きしめてみせるよ
寂しさ紛らすだけなら 誰でもいいはずなのに
星が落ちそうな夜だから 自分をいつわれない
One more time 季節よ うつろわないで
One more time ふざけあった 時間よ
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
交差点でも 夢の中でも
こんなとこにいるはずもないのに
奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい
新しい朝 これからの僕
言えなかった「好き」という言葉も
夏の思い出がまわる
ふいに消えた鼓動
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
明け方の街 桜木町で
こんなとこに来るはずもないのに
願いがもしも叶うなら 今すぐ君のもとへ
できないことは もう何もない
すべてかけて抱きしめてみせるよ
いつでも捜しているよ どっかに君の破片を
旅先の店 新聞の隅
こんなとこにあるはずもないのに
奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい
新しい朝 これからの僕
言えなかった「好き」という言葉も
いつでも捜してしまう どっかに君の笑顔を
急行待ちの 踏切あたり
こんなとこにいるはずもないのに
命が繰り返すならば 何度も君のもとへ
欲しいものなど もう何もない
君のほかに大切なものなど
まさしくこの歌詞のような心境なのでしょう、貴樹の心は。
そして・・・
「願いがもしも叶うなら」「奇跡がもし起こるのなら」 と思っても、
よくある恋愛ドラマの中のような奇跡など、この物語の中では起こりません。
ごくあたりまえに、当たり前のことが当たり前のように。。。ただ時は過ぎていくのです。秒速5センチメートルで。。
みなさんには経験がありませんか? ひとつの恋愛が終わったとき、それでもまだ、愛しいあのヒトがあの場所にいるんじゃないか? 街の中で、ある日突然に出くわすんじゃないか? そしてそのときにはボクはどんな顔をするだろう?? そんなことを想像したことはありませんか?
この物語が終幕を迎えるとき、今まで見てきたこの物語と、この曲がオーバーラップして自分の心に響くとき・・・自分の中のそんな記憶を呼び起こされたような気がします・・。
見終わったあと、なんとなく・・・いやかなり寂しい気持ちになってしまうであろうこの作品、ハッピーな気持ちになりたいようなときには見ることをオススメできないのですが(^_^;) 秋の終わり、冬の始まりを迎えようかという今のような時期に、しっとりと一人の時間を満喫したいような時にはピッタリな、そんな静かな作品です(^^)