2013年09月21日
昭和30年代、本田技研工業はスーパーカブなどの大ヒットを受け、新しい工場を開設すること
になりました。
どこに工場を作ればよいかと、日本全国にいくつかの候補地があげられ、各地を社長の本田宗
一郎氏自らが視察に回ったときの話です。
それぞれの候補地にとってみれば、大きな会社の工場を誘致することで税収や雇用など多くの
メリットが得られるわけで、当然各自治体とも彼に気に入られようと、用地の説明もそこそこに
接待ばかりに必死になったそうです。
そんな中、接待を一切せずに彼を出迎えた自治体がありました。
三重県の鈴鹿市です。
当時の市長は渋茶を一杯出しただけで、お茶菓子すら提供しませんでした。
サービスしたことといえば、真夏ということで汗をかいた彼に対して何度もおしぼりを提供した
ことくらいでした。
その代わり、あらかじめ本田技研が送った質問にはどこよりも懇切丁寧に回答してみせます。
さらに現地では、市の職員が土地の広さが分かりやすいようにと、真夏の炎天下の中、旗を
持って立っていてくれたのです。
市長が手を上げると一斉に旗が上がり、「これが○万坪」、再び手を上げると、また旗が上がり、
「これで○万坪」、という具合。 きわめて現場主義的な、そして何が最も大事なのかという「ツボ」
を押さえたプレゼンテーションであったそうです。
これが決定打となり、工場は鈴鹿市に建設されることになったのだそうです。
現在の本田技研鈴鹿製作所です。
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色々な場所を見るたびに本田宗一郎氏は、「工場の立地条件は、その土地、地元自治体の
人間性だ」と言っていたそうです。
接待ばかりを熱心に考えていた他の候補地を蹴ってこの鈴鹿市に決めたのは、本田宗一郎氏
が、市長の人間性、そして市職員の対応、つまりは「鈴鹿という土地の人間性に惚れた」という
ことなんでしょう。
名参謀として知られる当時の藤沢武夫常務も全く異議はなく、まさに即断だったそうです。
ここで本田宗一郎氏のエピソードを二つ。
・ 氏が経営の現役を退いた直後に感謝を伝えるために各工場を回ったときのこと。
現場で工員に近づいて握手の手を出すと、自然に油まみれの手を出そうとしてしまう人がいま
した。 彼が気がついて油を拭こうとすると、宗一郎氏がこう言いました。
「いや、いいんだよ。その油まみれの手がいいんだ。俺は油の匂いが大好きなんだ」
こう言って構わず手を握ったそうです。
・ 氏が栃木工場を訪れると、「選ばれしものが作ったNSX」という展示があり、この車をつくる
ために選ばれた人たちの写真が飾ってある部屋がありました。
そこへ案内された宗一郎氏が怒って、こう言ったそうです。
「全従業員の写真、いや、食堂のオジさん、トイレ掃除のオバさんの写真はどこにある!」
「彼らオジさん、オバさんのおかげで、皆んな気持ちよく仕事ができている。 なのに一部の人間
だけを写真にして飾るとは何事だ!」
まさに昭和の人ですね。
お陰さまでの心、この塊のような方でした。
(うちの社長もこうなら、もっと会社発展するのになぁ・・・ あっ、ゴホン!)
・・・あれ、なんでぇ、トヨタ乗りがホンダかょ~って?
いえいえ、私には語る資格があるんです。
下の画像をご覧下さい。

うちの軽トラ、代々ホンダのアクティですから!
チャンチャン♪
Posted at 2013/09/21 17:01:53 |
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